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払雲花伝〈ある花人たちの物語〉【塵積版】  作者: 讀翁久乃
◆ ―――――― 終鐘 ◇ 本性 ――――――
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◍ 対面 夢と同じ場所で


 脇道から大通りに出ると、そこはまさに阿鼻叫喚の地獄と化していた。

 壽星台閣を背景に逃げまどう人々、その頭上で耐えられなくなったように、次々と窓ガラスが砕け散る。

 二発目の爆音。四方八方から聞こえてくる悲鳴。

 すかさず、三発目が、今いる大通りのすぐ近くで地響きを立てた。


 皐月は後ろ向きになって震えている右肩上のしゅんを、そっと首に寄せて押さえる。


「確か、人間様が虐げられる世の中は、とっくに終わってるんじゃなかったっけ――?」


 今朝の話とだいぶ違う。


 左肩上の青丸は、返答を詰まらせた。


「……すいやせん。でも、李彌殷リヴィアンがこんなことになるとは、夢にも思っていませんでした」



 どうやら、避難施設を兼ねた楼閣の一つが、結界を破られてしまったようだ。今、目の前で右往左往しているのは、別の施設へ転がり込もうとしている連中と思われる。


「お前たちも、さっさと逃げたいのが本音だろ。主従関係とか気にしないで、逃げていいよ。ここまで案内してくれれば十分だ。俺は、確かめなきゃならないことがあるから行くけど…」


「冗談。蕣坊はともかく、あっしはお付き合いする覚悟でいやす」


「おっ、オイラだって! もう、親びんの立派な子分ですもん…っ! 絶対に逃げたりしませんッ!!」


 恐怖のあまり目を開けられないままだが、もぞもぞと前に向き直った蕣は、ビトッ! と皐月の首にしがみついた。逃げないというより、逃がしたくない、といった様子に見える。


「俺って、そんなに価値あるんだ――……?」


 皐月はくすくすと笑いながら歩みだす。


「お金に換えられない価値がありますっ!」


「嘘つけ。俺を売り飛ばそうとしてたくせに」


「うっ……嘘じゃないっスよおっ!」



 


 我先にと押し寄せる人の波を逆行し、皐月は目指してきた光景にたどりついてからも、さらに確信を得るまで歩き続けた。

 そして、気を引き締めるべきだと感じ取ったところで、おもむろに立ち止まった。ついに、夢の中と同じ場所、同じ時刻、同じ状況に至ったらしい。


 四方に通う石畳の大通りと、その出入口を示している屋根を備えた赤・青・白・黒色の牌楼ゲートに囲まれた。

 火達磨となっている街路樹の様子も、まだ倒れはじめる気配はないが、よく似ている。

 重層の建物の窓が割れ、更紗模様のカーテンが熱風になびいている。これが燃えながら降ってくる頃――、自分は “あいつら” と対峙することになる。



「親びん…っ!」


 蕣の呼びかけに、皐月はハッとした。


 振り仰いだ建物の屋上で、松明たいまつを持った黒づくめの巨体がこちらを指差し、背後に何かを訴えている。


 人間には出せない重低音の、耳障りなほどひどい、だみ声だった。



「……なんだ、お前一人か」


 つと降ってきた、はっきりとした人語は、対照的なほど玲瓏に聞こえた。

 引き下がる黒づくめの妖魔と入れ違いに、黒衣をまとった新たな二足歩行の影が現れた。


 妖魔と比べると明らかに細身で、足運びが自然だ。真下の炎から上がる熱風に、頭から肩を包んでいる長布をふわふわと漂わせている。

 火影が躍る顔回りには短い黒髪がばらつき、左耳に涙型の金耳墜きんじすいが光り輝いていた。

 尊大に地上を見下ろすそいつは、男同然の物言いと立ち振る舞いでありながら、何故か、気高い美貌の女だと直感させる。


 ひいなを尾行して見えた、昼間の女だ――。




「仲間はどうした……」


 女は不機嫌そうに声を低めた。


「伝言を送ったはずだ。お前はそれを聞いて、ここへやってきた」


「仲間?」


 あの山荘に、こいつらから何か伝わったのか……? 

 皐月は鼻で笑い返した。


「俺はそんなの聞いてない」


「なに?」


「あんた何者? 俺になんの用があるの――?」


 予想だにしない返答だ。女は思考停止の状態に陥った。死蛇九の予言通りなら、場所は四世広場で間違いないはず。


「はは…」



 どうやら、事態は誰にも分からないところで展開されているらしい―――。



 肩を震わせ、女は喉の奥でくつくつと笑いはじめた。


「…はは、あはははッ!」


 しばらく笑声は続いた。他人ひとをほったらかしにして腹筋をよじる相手を、皐月は気づかれない程度に睨んでいた。


「小僧、これが何だか分かるか?」


「っ…!?」


 女の足元に花吹雪が巻き起こった次の瞬間、そこに現れた少女が倒れ伏した。その胸倉をつかみ上げて見せられ、頭にカ…ッと血が上りかけたが、ここぞとばかりに夜目が効いた。

 気を失っているだけと分かって、皐月はなんとか踏みこらえた。


 大丈夫。予想していた通りになっただけ。心の声と一緒にして、怒りを拳に封じ込める。


 

「その子を、どうする気だ……」


「さて。お前をこの場におびきだすための餌に過ぎなかったが、どうしたものか。これで用済みというのも惜しい。思いつくまで待ってくれ」


「ふざけるな……」


「ただ待たせるのも悪い。とりあえず、名乗ってもらおうか」



 貴様は何者だ―――?




 昼間、伴福街の橋上に皐月を見つけた瞬間から、ずっと抱え込んできた気持ち悪さを今、ようやく吐き捨てることができた。

 “かの青年” にそっくりな風貌(ふうぼう)――といっても、飛叉弥ではない。掻き揚げた前髪がそよぐ陰から、すっと視線を流してくる “飛叉弥によく似た青年” がいた。

 十二年前、足抜きする際に対峙したきり――……。自分にとって彼の眼は、最凶以外の何物でもない脅威であった。




 *――都城隍とじょうこうの誕生祭……、召喚するなら、ちょうどその頃になるだろう……




 今、分け目のない前髪から、こちらを真っすぐに睨んでいる漆黒の瞳も、かつて、忌み嫌ったのと同じ眼力を宿しているように見える。

 “目的の花” はこいつで間違いない。だが、数ヶ月前に会った時、開花の予告をしてきた飛叉弥にいつもの不敵さは無く、ただ「覚悟しておけ」と諭されたのが、印象づいたままで不快だった。



 *――どんな奴が、お前の代わりを務めると言うんだ


 *―― “知らないほうが身のため” ……とでも言っておこうか




「……あんたの方から、名乗るべきなんじゃないの? 先に何者か尋ねたのはこっちだ」


 初対面であることの証明のようなこのセリフと、飛叉弥とのやり取りが頭の中で混ざり合い、女はようやく腑に落ちた気がした。


「なるほど。道理で、何者か明かせないはずだ……」


「は……?」


 皐月の髪の裏側で、二匹のネズミは、とんでもないことになってしまったと横っ面を付き合わせていた。


「あああっ兄貴ぃ…っ、あ…あれってえッ!」


「シっ、黙ってろバカッ!」


 重苦しい緊張を払うように、ため息を一つついて折れたのは、意外にも女の方だった。


「いいだろう、面白い」


 私の名は――……


 被っている長布に手が伸ばされる。

 その様子をのぞきみた青丸と蕣は、「やっぱり…っ!」と叫びそうになった互いの口を塞いだ。




「黒同舟、十悪の一、…… “左蓮(されん)” ……」



 女の瞳は、見事な紫眼だった。



「されん……?」



 どこかで同じような発音の言葉を聞いたことがある気がする。

 皐月は片目をすがめて、記憶の糸口を探る。


「そうだ。この娘の新しい使い道を思いついた」


 左蓮はわざとらしくお道化た口調で言うと、ぐったりしているひいなを無造作に放り投げた。


 皐月は思考を断ち切る相手の唐突な行動に目を剥いた。

 思わず、反射的に動いてしまった。



「ひいな…っッ―――――」







 この後、平和ボケしていた “空白期間ブランク” とは、何気に恐ろしいものだと痛感することになる。

 失った記憶があることは、当の昔に気づいていた。そのために危機的状況に陥る展開になるとしても、



 

  それでも、体は昔の自分を覚えているものだと、過信していたのだ―――。




(2021.09.12 投稿内容と同じ。長文だったため、2022.01.20 分割)

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