◍ 花雲の中の語り部 行方知れずとなったもの
貝類の形状をした神器や妖魔は、古より誘い・封じ・召喚することを得意とするものである。
何の話か。
天淵に棲む大蛤―― “蜃” の話だ。
こいつは西閻浮原の界境を成している干潟のそこに、蜃気楼という都市の幻を出現させることで知られている。
竜生九子の一子―― “椒図” の話でもある。
巻貝に似た介蟲の様相を呈し、龍神信仰国の王宮などにいて、門扉の握り輪を咥え閉ざしている門神の一種。
それが花人の祖国、萼にも存在する。
そして、その椒図が安置していた “誘す貝” という神器にも当てはまる話であった。
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「昔々、 天地開闢からまだ間もない古の時代、世界の民は皆、常磐でできた一つの大きな山に暮らしていた――……」
盤臺峰と称されたこの岩山には、大きな木が生えていた。幹や枝、根で岩を繋ぎ、一つの山になっていた世界の、まさに根幹だった。
龍が群れをなして泳いだ雲の海原は天神の眼下にあり、八雲原と呼ばれていた。
八雲原の上には、大きな岩の盃に塩水を満たした湖があった。
「この天海の底に根ざす珊瑚の森に棲み、天地の境――天津標を守護していた龍王はしかし、ある出来事を機に大水害を引き起こして、天柱の倒壊と地維が割ける終焉の時をもたらす―――」
ある男が、控えている部下らに語り聞かせていた。
寝付けない子どもに、お伽噺を聞かせてやる夜の穏やかな気持ちに浸り、何やら思い出し笑いをして。
天海に見立てた盃に酒を満たすが、口はつけない。
薄紫の良くそよぐ花枝に囲まれ、片胡坐をかいている膝元にそれを置く。
神酒のつもりだからだ。
男は黒い包帯状の眼帯で目元から左半顔を隠しているが、負傷しているわけではない。
むしろ、第一線で活躍する部下らより、未だ千倍以上強い。
金装飾が施された深い立ち襟と、長い丈が特徴の物々しい軍服を羽織っている。萼国夜叉において、 “大樹大花” と称される強者の出で立ちである。
だが、基調としている色は夜深藍ではなく、土竜の毛を思わせる鈍色。闇黒壺衙門と呼ばれている地下組織――通称 “奥座衆” の重鎮たる証だ。
普段、彼は素肌に黒衣をまとった無頼と変わらぬ出で立ちだが、特別な日に限り、この服に袖を通す。昔から、そういうこだわりであった――……。
鬼面を付けた部下らを代表するように、すぐ後ろに控えている禿頭の男は、主人が新たな幕開けを期待している眼下を共に見守る。
「それは、限りなき暗黒の果てにあり――……新世界の民は四つの圏に分断され、混沌という激流に呑まれた神々は、新たな宿地をめぐる熾烈な戦いの火蓋を切らされた」
漆海圏、琉蓋界人原。“南壽星海”
蜃漠圏、瀉崟界人原。“西閻浮原”
蚕崕圏、瀧髯界人原。“東扶桑山”
そして、
「玄雲圏、臺霆界人原。この “北紫薇穹” ……」
主の男がいるのは、万朶に咲き誇る紫薇花の雲の中だ。
花散る幽谷――萼崟境の夜も美しいが、ここから眺め下す世界は格別。まさに、神にでもなったかのような気分を味わえる。
「しかと目に焼き付けておけ? お前たち。俺の左目を補うつもりで」
「玉置様……」
夜覇王樹壺貴衛府・武装神獣軍部第一部隊・元白騎――蓮尉晏やづさ。
彼女によって、萼が宝物を安置してきた蔵――椒図函門が破られ、誘す貝が強奪されたのが、十二年前。
――――【 世界樹と産霊神の末裔 】――――
*――天壇按主……、だと?
「乱…ッ!!」
桐騨は地中から召喚した蔓の鞭で、羊頭翼を叩き落しながら思い返していた。
南海の天柱地維を担ってきた壽星桃は、ここ、華瓊楽国王都の按主が “守り人” を兼ねることで機能していた。
穹海山原の各地盤を維持している “四大世界樹” の一柱としての役割である。
国巫として、壽星台閣の天外宮に君臨していた彼女が、誘す貝の呪力に乗っ取られた壽星桃と最期を共にしたのが七年前。
飛叉弥が頻繁に萌神荘を留守にし、各界国を行き来していたのもその頃。ちょうど、ひいなの父――余繁が暴動によって亡くなる前後だったと思う。
飛叉弥は無理やり見繕ったと思われる “新世界樹” に、特殊な形態・生育環境を強い、その姿・在り処など、すべての情報を秘匿してきた。敵に再び狙われることを避けるためだ。
それが、この炎の中に、自ら飛び込んでいったというのか――……?
「ひいなあぁぁ…ッ! 皐月ぃいいい…っ!!」
いないと分かっているが、いら立ちに任せて叫んでみる。
やはり返事はなく、邏衛士たちと切り結ぶ蛇蝎や獣の妖魔、盲鬼たちしか見当たらない。
ひいなを人質としているやづさと、皐月がすでに対峙しているとしたら、一体どこに……。
酉旗営の話によると、爆発は蔓垂河の水上で起こったらしい。すぐにこのような事態となったため、原因はまだつかめておらず、爆発による周辺への被害は、ガラスが割れるなどした以外、把握しきれていないとのことだった。
やづさが待ち構えている場所と思って降り立ったが、酉営の邏衛士たちの誰も、それらしい姿を見ていないという。
今は市中に広まっていこうとしている火災と、どこからか湧いて出てきた鬼魅の相手をするので精いっぱいの状況だ。
飛蓮たちもそれぞれ、行く手を阻むものと戦闘を繰り広げている。
「大炎星――」
天衣を翻して舞うように、周囲の火の気を一手に誘い集めた芳桜は、轟々と音を立てる凝縮したそれを掲げ、悪鬼たちを慄かせていた。
「喰らいなさい」と言い終わらないうちに放って、爆風を起こす。
梨琥は、火の粉の中を旋回している、とりわけ巨大な羊頭翼に向け、鐘楼の上で弓を絞っている。
短弓にも関わらず、矢音がした次の瞬間には、巨大羊頭翼を撃ち落としていた。
距離をものともしない光速の一矢だ。
土将の産霊で固められた岩石は、研ぎ澄ませば総じて一級の武器になる。
だが、この花連の中でもっとも恐ろしいのは、やはり造世神霊の産霊を駆使し、優位な戦場を作り出す “萼の白い激昂” ――。
ぴしゃっと光が爆ぜた刹那、七枝刀を思わせる雷が飛来した。
地響きを伴うそれは、紫金の発色を邏衛士たちの目に焼き付け、各所で身を寄せ合っている人々から悲鳴を上げさせた。
焦げた羊頭翼の死骸がバタバタと降ってくる。
鬼魅たちに最大の敵と認識されたらしい飛蓮は、相手にする数が一気に増えても、むしろ速度を上げて斬り伏せていく。
「乱迅」
火に入る虫のようだったそいつらが血を吹いて一泊後、放射状に吹き飛んだ。
獲物に対してとりわけ執念深い飫狼という妖獣だが、一撃で再起不能にされてしまえば、やはりあっけない。
火の粉がパチパチと鳴る音だけが残った。
飛びかかってくるものがいなくなったところで、飛蓮は刀を薙ぎ払った低い体勢から直り、邏衛士たちを我に返らせた。
「ここはもう、任せていいか……」
花人が扱う武器は刺客並みに様々だが、対黒同舟花連隊首のそれは、東扶桑式の片刃で波紋が浮かんでおり、 “銀嶺” という銘がある。
氷刃紫霄・銀嶺――。
剣緒が付いている柄頭から、蔓のような半円状の金装飾が伸びている。これは護拳という鍔の一種で、片手操法となる騎兵に適した軽量の長刀に見られる。
刀身にはなかなかの反りがあり、無いものより切れ味がいいと聞いたことがあるのか、切っ先に釘付けとなっていた邏衛士の一人が恐る恐る返した。
「はい。も…問題ありません、行ってください!」
「……悪いな」
後を追おうとしてくる鬼魅を防いでもらいながら、飛蓮はその場を駆け抜ける。




