◍ 盲鬼
義矛は数泊置いて、皐月が興味本意に訊ねてきているわけではない空気を察した。
「 “盲鬼” ……ってやつさ」
鬼と一言に言っても、生まれ方が違えば性質も違う。神代由来の生粋の血肉を誇る鬼神はもちろん、その辺の山林、沢や岩から生じる人面鬼身の魑魅の他、化錯界には混血児も多く存在している。
「ただし、人間が鬼のように変化する場合は、七魂という感情の暴走が原因だ。君、そんなことも知らないで、一体、この世界のどこに暮らしてきたの」
巷の子どもには “山賊みたいな黒ひげのおじさん” と言い表されるが、一応、華瓊楽の左門神の見た目を意識している義矛は、その二重の大きな目で、平然としている皐月を見澄ます。
「服装も奇抜だし、妙な単語も使うねぇ……」
今さらだが、義矛は別に気づいていなかったわけではない。皐月が素性を聞き出されたくない様子であるため、間合いを図って打ち解けた頃、さりげなく尋ねることにしたのだ。
「もしかして、摩天の出身か――?」
「そんなことより、早くここから出してくれ。なんだか嫌な予感がするんだよ」
義矛が得意とする飴対応は報われず、皐月はまったく身の上話をするつもりにならないらしい。だが、鞭を手にするのは少し違う気がしている義矛である。
「あの発狂集団は、鬼と見なしていい連中ってこと? あんな感じの悪霊に憑りつかれてるみたいなのが、この都の夜にはうじゃうじゃ出没するの――?」
ため息交じな皐月は足を組むと、大儀そうにふんぞり返った。
暴行事件を起こす一歩手前の荒々しい邏兵たちの扱いにも、彼が座っている椅子は耐え続けてきた。足先が欠けてガタついている上、背もたれが軋む。
妙な緊張感に支配されていく中で、義矛も何故か、逆にくつろいだ姿勢を取りたくなった。
「人間は、精神たる魂が抜けてしまえば、外郭を司る魄だけとなって虚ろになる。だがこの時、七魂という七種の感情をうまく処理しないと、こちらの世界では、それに突き動かされて徘徊する盲鬼と化してしまうんだ……」
今日は不可解なほど多い。この調子で盲鬼に増え続けられたら、日ごろ体に鞭打って鍛えまくっているおじさんでも、朝には廃人になっているかもしれない。
「分かったら、親に迎えに来てもらうか、少なくとも今晩は、夜が明けるまでここで大人しくしていたほうがいいんじゃないか? 少年。李彌殷の夜は、人と鬼の区別がつきにくくなるからなぁ」
「あんた今も区別ついてないでしょうが」
「~~……。とにかく、故意に “中央検罪庁” を介さない越境者だった場合」
もしく、この艮旗営を介さなかった “抜足鬼” である場合。
「少なくとも前科がつくことは避けられないからね。覚悟しておくように」
「じゃあ、おじさんは他にも仕事があるからぁ……」と、義矛は腰を叩きながら聴取室を出て行った。
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「…………。あれ、俺はここに取り残されていいわけ?」
同じく取り残された青丸が、義矛の足音が聞こえなくなる頃合いを見計らって答えた。
「バカ正直に、留置所へ入れられるのを待っている必要はないかもしれません」
「今、ものすごい逃げるチャンスもらってる気がするの、俺だけじゃないよね」
「じゃないっす」
蕣が意欲的に肯定して、皐月の肩に飛び乗った。
義矛が左門神ならば、艮営の大将殿は、右門神に例えるべきかもしれない。優雅とも受け取れる風体で、やることには容赦がないらしい。それこそ、百鬼の絶叫をせせらぎの如く涼しげに聞き流し、逆さ吊りにして “虎ジャラシ” にするような人格と聞き及んでいる……。
だが、伯義矛という男の人となりに関しては穏健と言っていいのか、あの外見に関すること以外、特徴的な噂は聞かない――。
「いいのかなぁ。逃走中、器物損壊とか、不法侵入とか色々やった気がするけど、忘れていいのかなぁ」
皐月は二匹を肩に乗せて、部屋の外の通路に頭だけ出した。
「たまーに鬼畜な面が出ちゃうけど、俺が生類を憐れむよう努力する “いい鬼畜” だって分かってくれたのかなぁ」
「そうかもしれませんね」と青丸が鼻で笑って続ける。
「でも、裏を取っている暇がないんですよ。きっと」
「俺が “飛叉弥” の裏方だっていう裏、――だろ?」
即席のほっかむりでは、やはり隠しきれていなかったと思われる。
だが、飛叉弥が自分の替え玉として “新たな救世主” を召還したことは、今一広まっている様子ではない。おそらく、詳細を把握しているのは、本当に極わずかな上層部の者だけなのだろう。
――――【 いざ 】――――
円筒状のこの建物には、各階に外廊下が巡っている。
皐月は三階にいた。外側の敷地に建つ櫓に見張りの姿があるが、彼が大あくびをした一瞬の隙を見て、手すりを踏み越え、中央の中庭に植わっている桃の巨木に飛び移った。
葉が茂っている時期でよかった。
「せっかく取り押さえた奴に逃げられたとなると、あのオッサン副大将は面目丸つぶれ必至だろうがぁ……、そもそもこの棟は、会議室や仮眠室が集まってるだけのようで」
正式な聴取を受けていた “要留置対象ではない” のだとすれば、逃げ出しても大した問題にはならないだろう。
「でも、椅子にはしょっ引かれた人と一緒に、殴る蹴るの暴行に耐えてきたっぽい味が出てたけど」
「たぶん、納得いかないこととかがあって、当たり散らされてきた椅子っすよ。屯所内での喧嘩沙汰も、ここでは珍しくないみたいですから……」
蕣は目を据えて言いながら、思い起こす。青丸が皐月の弁護をしようとしている間、物珍しい室内を観察していたところ、屑籠の凹み、壁に穴、「いつか殺す」の血文字を発見してしまい―――、(ッっっ…!!!!?)となった……。
「まぁ、なにはともあれ、脱出できそうでよかったですね、親分」
先刻、土座衛門にされかけた二匹は、皐月親分にさっそく受けたそのひどい仕打ちを訴えに萌神荘へ向かったが、何も知らない飛叉弥に追い回され、敷地内で息を潜めることになった。そこで皐月が脱走するのを目撃――、後を追いかけてきたのだった。
しかも、もぐりこんでくるついでに、屯所内の構造をおおよそだが把握するという、なんとも賢い案内人だと証明して見せた二匹だが、実際に案内を必要とされた先は
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「壇里村……?」
次の時、青丸は皐月の左肩で横髪の一房をつかみ、風になびかれていた。
右肩では、蕣が大はしゃぎしている。シーソーで遊ばせてもらっている子どものようだ。
桃の巨木に飛び移った後、艮営を抜け出すのに要したのは、ほんの一瞬の時間と、ほんのちょっとの “霊応” ――。
皐月は打ち上げ花火のような勢いで、櫓の見張りたちよりも遥か上空に跳躍し、弧を描いて着地した屋根上から、さらに飛び上がって正門の外へ逃亡を成功させた。
なんとなく気配を感じて見やったそこには、すでに影も形もなく、「鳥かな?」と首を傾げる人々が、皐月の軌跡に点々と生じていく。
高層の建物から建物へ、南城門の位置を確認しながら飛び移って移動してきた皐月だが、再び四世広場近くまでたどり着いたところで、陸路に切り替えざるを得なくなった。体力の消耗がえげつないらしい。
「あのお嬢ちゃんの家に行くつもりですかい?」
思いがけず、危なっかしい遊覧飛行を体験することとなり、正直ハラハラしていた青丸は、なんとか無事に終了したところで、あらためて尋ねた。
頑なに秘めていた只者ではない部分をさらし、こんな面倒くさいことになるのを強いてまで、皐月が彼女に会いに行こうとしている理由が分からない。
呼吸が整うのも待たず走り出しながら、皐月が剣呑な声色で答える。
「昼間、土産物市場で別れ際に、帰って行くひいなの後を追う男装の女を見た……」
黒い褲に、袖なし、丈長の交領黒衣。黒髪、短髪で、モスグリーンの長布を首に巻いた地味な装いだったが、あれは女―――しかも、相当の手練だ。
「俺の思い込みかもしれない。ただ、 “そう見えた” ってだけで違うかも。でも……、その後ろ姿を捉える瞬間まで、存在に気づけなかったことが引っかかる」
なるほど――。青丸は合点した。その場には嘉壱もいたはずだ。燦寿の翁はともかく、現役の軍人であり、花人である彼までもが気づけなかったのだとしたら、確かに “梟者” の類と仮定した場合はヤバイ奴と言える。
「飛叉弥の旦那に伝えた方がよかったんじゃねぇですか?」
「そこまで気になってたわけじゃない。あの警察署で盲鬼とかっていう連中を見るまでは。屋敷を出たのも……、ちょっと気晴らしのつもりで――」
通行人と接触しそうになるたび謝り、舌打ちしている皐月に青丸は右折を指示した。
李彌殷は極めていびつな都市である。大小の岩山や湖を内包しているため、城郭はそれを避けて曲がりくねっているところがある。
一部、必要な地域には条坊制を活かしているが、人口増加とともにほとんどの囲牆が撤去された。
当代は、各居住区の入り口を示した牌楼が区画を示すと同時に、街路の標識代わりとして残っているのみ。余計な小道に迷い込みやすい。
「流坂洞を通りましょうッ」
「るばんどう?」
「地下街、兼、近道みたいなものです!」
「そんなのあるの?」
「実は、李彌殷でもっとも往来が激しい出入口は、南城門じゃないんですよ」
“中央検罪庁” ――そこから許可を得た越境者や半地下住民、商船が地上の目的地に近い場所に出るための暗渠を流坂洞という。
「地下にある、巨大な港湾の検問所が管轄している界口です。さっきの艮旗営が守っているより、よっぽどデカい鬼門であって、これに関しては “龍穴” と特別視されてもいます。都市をそこに構えると、えらく繁栄するそうで…」
「ちなみに “盲鬼” ってのは?」
「死んだ直後や、病床の人間に起こりやすい変化ですよ。生者がなった場合は打ちのめすわけにもいかないんで、捕縛した後は実質、監禁状態にするしかねぇ」
皐月は頭を掻きむしった。通り沿いにはみ出している店の小間物と接触し、派手にぶちまけてしまった。
爆音が轟いたのは、その直後だ――。




