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払雲花伝〈ある花人たちの物語〉【塵積版】  作者: 讀翁久乃
◆ ―――――― 第三鐘 ◇ 奇襲 ――――――
51/194

◍ 門神の軍 救世主、職質を受ける……。



 李彌殷リヴィアンの中心地――、四世内しせいだい


 四つの区画エリアへの牌楼ゲートが相対しあう広場から、青を基調としたそれをくぐって、東へ約一里(四キロ)のところ。


 東廓のど真ん中にあたるここに、この国最大の城隍じょうこう神廟がある。

 柱に絡み、軒を支える龍や吉祥果の彫刻が重厚な外観だが、 “町中の閻魔様” という性格の通り、孤高の雰囲気はまとっていない。


 貿易で栄えた問屋街である積四ジースー街商圏の中ほどに位置するからである。

 偉人や異国の神像まで管理下に置いている、まさに霊界のお役所。


 扉が開け放たれた正面の正殿に、都民の賞罰をはじき出すための巨大算盤(そろばん)が掲げられており、関連施設に囲まれた敷地頭上には、紅灯が横何列にもわたって、規則正しく吊り下げられている。


 近々、年に一度の祭が開かれる予定だ。

 いつもの人通りの中に、その準備が進んでいるらしい様子を見下ろし、一人の京衛武官がため息をついていた。


 八封はっぽう警軍・巽旗営そんきえいの邏衛士、探勲タムクン――。


「また今年も交通整理かぁ……」


 上品な芳香をはらんだ風が、前髪をそよがせ、憂鬱を払おうとしてくれる。

 廟の入口で標木を担っている、花期真っ盛りの銀厚朴ぎんこうぼくの香りだ。


 白木蓮と泰山木を合わせたような乳黄白色の花姿だけでなく、葉や根まで、すべてが僻邪の効能をなすこの霊木に、人々は癒しと安心感を得てきた。


 積四ジースー街商圏は、行政において管理されている重要な問屋街。

 城隍廟も周辺の商店も、全体的な外観は渋い弁柄ベンガラ色で古めかしいが、夜も人通りは絶えない。


 自然発生する草市と違って、官営の市場というのは、限られたものしか売り買いできず、昼過ぎには閉まってしまう所だった。

 だが、当代は認可さえ下りれば誰でも商人になれるし、夜市も認められている。


 お役所仕事は増したが、伏魔殿に通じる闇市へ赴き、怪奇や犯罪に巻き込まれる都民が減ったのは良いことだ。

 探勲タムクンはしかし、ボケーっとしていてはいけない。

 積四ジースー街は、詐欺や置き引きの多発地帯。異人が多く足を運ぶこともあって、珍事件も起こりがちな観光名所である。

 


「でも、たまには息抜きがしたいなぁ~。人間だもの~……」


 通り沿いに掲げられている水色の旗は、酒屋の印だ。

 探勲タムクンは早々と店じまいする店主を見ているうち、ぼやきたくなってしまった。

 対照的な赤紫の旗を掲げているここは、留置所を備えている東央とうおう市楼――競りを行う施設の見張り台。木造五階建てのそこから、交代のために、真下の道をやってくるはずの夜勤担当を待ち始め、もう三十分以上経つ。



「遅いなぁ。艮営ごんえいの奴ら。さっさと夕飯食って、出勤して来いっての……」


 都の八方を守る邏卒屯所は、二十四時間体制である。

 各屯所に日勤と夜勤がいるが、東西に二つある市楼での見張りは、南城市の所属が日勤。北城市の所属が夜勤を務める決まりとなっている。


 だが、東廓の要である北城市・艮旗営ごんきえいの武官らは、もっとも厳重警戒が必要な丑の刻、北東を守っている精鋭集団にして、一人ひとりが面倒くさいほど誇り高い。

 “鬼門” の守兵の中では底辺だが、地上にある八封旗営の中では、紛れもない選良エリート街道への登竜門だからだ。年中威張り散らしているため、社長出勤も日常茶飯事……。



「オラっ、タムッ! いつまでぼさっと番してやがる。邪魔だ。さっさと帰んなッ」


 背後からいきなり引っぱたかれた脳天を押さえ、振り返った探勲タムクンは目を据えた。

 ……ひどい言い草だ。お宅らがなかなか来ないから、さっさと帰れずにいたのだろうが。


 睨み下ろしてきたのは、刈り上げ頭の頭皮まで筋肉質に見える、艮営ごんえいの二番隊副当――弾延ダンエン


「どこに目を光らせてたんだ? 俺たちが来たことにも気づかないなんて」


 弾延の隣で呆れ顔をしている一見十代半ばの少年は、コウ揆冩キジャ

 弾延と一対として見ると意外に思うかもしれないが、彼の方が格上だ。二番隊を率いる当長である。


 京衛武官も軍人には違いないが、都には正真正銘の軍部である国衛の劉衛軍所属がいる。

 警邏や犯罪捜査を担う探勲タムクンらの武装は軽く、検服という黒い衣に軍靴、各所属を表す八色の額当てをし、刀剣と拘束具を帯びている。


 ちなみに探勲は、言うまでもなく、巽営そんえいにおいて平の平……。



「いい女でもいたか~?」


壺中爺こちゅうじじいを見てたんですよ。通りの酒屋の…」


 酔っ払いよりタチ悪く絡んでくる弾延の腕をほどき、探勲タムクンは一睨みした。


 白髪を葛巾でまとめ上げている酒屋の店主は、日が暮れると、店先に下げてある酒壺の中に帰宅する。

 往来からは視えないらしく、行きかう人々は皆、何食わぬ顔である。


 “壺中天” という言葉は、彼らのような仙人が生んだ。

 個々の壺の中に、銘酒はもちろんのこと、山海の珍味や、金銀楼閣の大御殿まで揃えているというが、普通の人間は気に入られでもしない限り、入れてもらえない異空間だ。

 この化錯界かさっかいに生まれながら、未だかつて神仙の領域に迷い込むことはおろか、化かされた経験すらない探勲タムクンには、近くて遠い存在である。



「なんだお前、あんなのとつるみたいのかよ」


「あんたらに言われたくないと思いますよ~」


「なんだとこの野郎っッ」


 界口が多く、それによって貿易大国と化した華瓊楽カヌラには、古くから洞窟信仰が根付いている。

 しょうで区画された庭園や街中、城壁に見られる円洞門も、壺中天も、すべては “穴” を通じて越境するという心象イメージから派生したもの。


 現に、李彌殷リヴィアンは “洞天福地” に当たる。蔓垂河まんすいがという一級河川が行き渡っている水の都であり、水運業が盛んだが、貿易大国を豪語する真の理由は、実は “地下の穴” にある――。



艮営ごんえいに移動願い出せよ。毎晩、怪奇や化け物相手に、朝まで血祭騒ぎで大盛り上がりだぜ?」


「不謹慎だぞ。弾」


 揆冩キジャが眉間にしわを寄せた。

 艮営には、それなりの怪我人や犠牲者も出やすい。


「いやいや、冗談抜きで、なんだか今晩は、すげぇのが出そうな気がしてんだよ。体験入隊してみっか!?」


「せっかくですけど、お断りします。僕が体験したいのは、そういう品性を欠いた世界じゃないんで」


「へッ。何が品性だよ。軍人の天辺目指す奴に、そんなもん必要ねぇ。この世界はなぁッ! ――おいタムッ!」



 弱肉強食なんだよ――。



 帰っていく探勲タムクンの背中が「はいはい」といなしているように見え、釘を刺しきれなかった弾延は、荒々しく舌打ちした。



 鬼門を守っている艮旗営の正門には、枝垂れ桃の大木が植わっている。

 だが、弾延の言う通りたとえ花期であっても、そこに品性や優美な情感は生まれ得ない。

 赤紫の国旗と、青艮旗せいごんきを突き上げた華麗な門構えと見せて、その観音扉の左右には、



 悪い鬼を捕まえ、虎の餌にしてしまうという、恐ろしい “門神” が描かれているのだ――。








           ――――【 北東の桃の木 】――――



 その門が今、開け放たれた。


 神荼しんと鬱塁うつりつ――兄弟であるこの二神は、その昔、海上の山に育った枝垂れ桃の下に暮らしていた。

 には長寿を得る力が宿っており、木の上には金の鶏がいて、太陽が出ると鳴ないた。

 幹は曲がりくねって三千里。鬼たちは、その北東の枝を潜り抜けなければ、人間界と霊界とを行き来することができないため、二神の検閲を受けざるを得なかった。


 ここを “鬼門” と称した。


 神荼しんとは右側、鬱塁うつりつは左側にいて、銀の甲冑姿、手に戦戟せんげきを持ち威風堂々と構えている。その横には巨大な白虎が控えていたという。

 悪鬼を捜し、捕らえることに長けていた二神は、鬼が夜遊び中、民百姓を虐げたと知ると、虎を使ってこらしめた。


 華瓊楽カヌラにもよく似た一対の神がいて、春になると、人家の門扉に、桃の木板で二神を象った魔除けの護符を貼る。

 鬼怪が嫌う花木の数ある中で、桃は “鬼怖木” の異名を誇っているのである。

 おそらく何処よりも豪快に、いかめしい形相の二神が描かれている扇門を閉じ、艮旗営一番隊当長――隋旋ずいせんが、本日七度目の逮捕者収容に取りかかる。



     |

     |

     |




「また “七魂” をやられた奴ですか……」


「今日はやけに多いな」



「――?」


 嫌な雰囲気が漂う屯所内にて、雑用をしていた新人邏衛士の菁乃せいないも、外の様子が気になり窓際へ歩み寄った。


 白目を剥いて奇声を上げている痩せ型、蒼白の男を適当になだめながら、先輩邏衛士と隋旋が留置所へ向かっていくのが見えた。


「変なのもいるけどな、一人……」


「え?」


 菁乃に淹れてもらったお茶を手に、二番隊当長――秀顕しゅうけんが半眼で呟いた。


「変なの?」


 いつの間にか傍らに立っていた彼は、何かが腑に落ちない様子だ。


 引っかかっているそれを、誰かと共有したいと思ったが、どうせ戯言なら、聞かされたところでどうしようもない新人の菁乃せいないに漏らすのがちょうど良い。

 そんな顔で見下ろしてきた。


 どうしようもないが、やはり気になるには違いないこととあれば、菁乃も耳を貸さないではいられない――。





   ×     ×     ×





「いやいや、おかしいって。色々」


「君がな」


 ひがし検罪庁――東廓の邏卒屯所本部に当たる艮営ごんえいには、大将補佐官が三人いる。重要な尋問は彼らの担当である。


 ハク義矛ギムは、先刻捕縛した怪しすぎる美少年と対峙していた。何が怪しいって……、すべてである。

 まず、左右の長い黒髪の一部を鼻の下で結び、 “ほっかむり” をしている。



「いやいや、なんで俺が、ああいうタイプと同じにされなきゃならないわけ? どう見ても人間でしょ。あんたどんけ目ぇ悪いの」


 立てた親指で、格子窓の外の騒ぎを肩越しに示す少年は、確かに落ち着き腐っている。アホっぽい格好に反して、それなりに整った顔立ちであることが眉目にうかがえた。

 落ち着いてはいるが、鬼である可能性が捨てきれない。しかも、かなり弁が立つ珍種……。


 ろれつが回っていない他の者たちより、ある意味厄介と判断した隋は、補佐官、兼、副大将である義矛ギムに、ほっかむり少年を投げ渡した。

 捕獲したのは隋だが、「なんだ? あれ」と発見したのは義矛ギムであったのだ。



「尋常じゃない脚力で、歩道じゃないところを爆走してた君を目に留められただけ、視力は良いほうだと思うが~」


「いやいや、節穴だよその目。冤罪とか起こす先入観と偏見に曇りまくった目で俺という人間を見誤っていることに、早く気付いたほうがいいよオジサン」


「神様仏様みたいな半眼で、真摯に諭してくれているつもりなんだろうけどねぇ、オジサンには君のそれが、ただの寝ぼけ眼にしか見えていないんだよねぇ」


「どんなけ目ぇ悪いのオジサン」


 こんなやり取りの繰り返しに陥り、早くも一時間近くが経過した……。



     |

     |

     |



「路地の行き止まりで、首をかしげていたそうで――、はじめは坤営こんえいの奴が迷い人と思って近づいたらしいんですが……、呼びかけに振り返った様相がアレでしょ?」 


 少しだけ扉を開けた隙間から中の様子を見せてくれたのは、隋旋と巡回していた邏衛士だ。彼に振り仰がれ、串に刺さった団子状態で覗き見している菁乃せいないと秀顕は、お互いの顔を見下ろし、見上げ、微妙な感想を抱いた空気感を分かち合った。


 怪人ほっかむり少年は職質に応じず、逃走を図った。もう少しで巻かれそうになった坤営隊だが、四世広場近くまで追いかけてきたとろこで、義矛らと遭遇。隋が事件発生と見るや駆け出し、足掛けを食らわせて、ようよう捕獲した。



「住所は――? いや、その前に名前は」



 職業は。



「救世主らしいです」


「ご両親は」


「おい」


年齢としは?」


「~~……。弁護人を呼んでくれ」


「ここにいるじゃないですか。親分」




「弁護()を呼んでくれ……」




 怪しい点、その二。堂々と机上にいて、見えないわけがない青い鼠を、さっきから、何が何でも無視しようとするところ。


 青色鼠が嘆息をつくその隣で、桃色鼠が心配げに首をかしげる。


「お困りでしょ? 親びん」


「あっしらでぇ良ければ、親分が今日一日働いた、生類憐みの令に反する数々の殺鼠さっそ未遂を証…」


「ごめんなさい。後でいっぱい頭撫でてやるから、ちょっと黙ってて」


胡桃クルミ百個で手を打ってもいいっすよ! オイラは “なでなで” でもぉ~……、かまわないっすけど」



 かわいいな畜生。義矛ギムは実のところ、もじもじしているこの桃色木鼠(きねずみ)に、さっきから頬ずりがしてやりたくて堪らないのだった。

 もみ上げと繋がるほどたくましい黒ひげを生やした、泣く子も黙る艮営の副大将が、そんな触れ合いに癒しまくられる妄想で頭の中を一杯にしているなど、絶対に悟られてはならないことは分かっている。

 咳払いをして、なんとか取り澄ました。


「身元保証人が現れさえすれば、すぐにでも開放してあげるというのに。頑固だな君ぃ。そういえば、誰かに似ているような~…」



「それより、どうしちゃったの……?  “あの人たち” は」



 鼠小僧風ほっかむり少年―――皐月は、そんなふざけた様相ながら、義矛を黙らせ、真面目な顔にさせる質問をした。



〔 読み解き案内人の呟き 〕


【 壺中天 】とは……

別天地のこと。昔々、市場の役人をしていた費長房という人のお話。薬屋の店主が店じまいと同時に、壺の口に跳び入るのを目撃し、中に入れて欲しいと頼んでみたところ、そこには仙人の素晴らしい美酒佳肴、大御殿がありましたとさ。


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