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払雲花伝〈ある花人たちの物語〉【塵積版】  作者: 讀翁久乃
◆ ―――――― 第三鐘 ◇ 奇襲 ――――――
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◍ 萼国夜叉 乱


 産霊ムスビに加えて風霊カザミを操る風将の飛行ひぎょう夜叉は、天女のように花を散らして舞い、隼のように獲物を狩るのだという。

 隼は世界最速の鳥だ。急降下する際にはやじりのようになり、人間なら肺が潰れる速さに達する。

 故郷で狩りに使っていたワキスジという種は大型で、白い胸部から胴体側面にかけて黒褐色の斑紋が入る勇壮な姿だった――……。



      :

      :

     *



 全身血に染まったトルジは、対照的な有様で真っ逆さまに落下しながら、そんなどうでもいい記憶を掘り返していた。


《 グゥウウッ!! 》


「しつけぇぞ化け猫が…ッ!」


 先ほど、確かに鮮血を噴いた禽獣妖魔・嘔傲ウゴウだが、その口から上がったのは断末魔ではなかったのだ。

 化け鷲の大翼を持つそいつと隔壁より高い空中でせめぎ合っている金髪夜叉の青年が、また一つ、いらだちを込めて斬撃を放つ。

 今度はかわされると同時に、襲い掛かられたようだ。きりきり舞いしながら、トルジを追い越して、地表近くまで急降下したかと思うと急上昇し、取っ組み合ったまま城門の屋根上を転がる。


 いらかがえぐられたついで、風圧を伴う怒りの咆哮が吹き飛ばしてきたそれを、二刀流の彼は十字に払った太刀風だけで打ち砕いて見せた。その舌打ち気味の怒声も、もはや人間には出せない類の声。


 両者は足場の悪さをもろともせず走り寄り、喰らい合おうと牙を剥く。

 と見せて、嘔傲ウゴウの巨体下へ滑り込みながら腹を裂き、鉛色の雲と眩しい日差しを背景に、高々と跳躍した飛行夜叉は呟く。


「お前と遊んでいる場合じゃねぇんだよ」


 額当ての黒紐をなびかせ、金糸の髪の隙間に、蒼穹の瞳をのぞかせて―――


風削カルカソ…」



 強靭な肉体から、鎌鼬の渦をひねり出した。





   ×     ×     ×





「乱――」



 朱塗りの柱と白壁、孔雀青くじゃくあおの扉一面に突き刺さった無数の氷柱が、芸術品のようにきらめいている。

 巨大な山蛭が、封のように貼りついていた場所だ。氷柱の乱射を食らい、どす黒い体液をぶちまけて、たった今消滅した。


 後方では雷霊イカズチ使いの満帆が、牛燹ギュウセンという妖魔と対峙している。

 炎のたてがみめぐる黒牛の頭だけが人魂のように何体も浮遊し、火を垂らす魔物である。


 勇が召喚した水霊ミズチの乱舞によって、ひとまず周辺の消火作業は済んだ。

 牛燹自身の闘志はまだ燃え滾っているが、その鬣の炎ももはや風前の灯。


 《 ヌォオオオオオオ…ッ!! 》


 つと、一閃が降ってきた瞬間、三連続の落雷の地響きが決着をつけた。



     |

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     |



「また派手にやってくれおって……」


 牛燹ギュウセンが丸焦げにされるのを眺めていた老爺が、そんな独り言をもらしていた。


 小規模ながら、細やかに彩色が施された廟の手前――牌坊の上に腰かけている。大きい赤ん坊のような三頭身で、空色の衣の上に黄蘗きはだ色の長い半臂ベストをまとっている。


 廟の扉前から牌坊を潜って正面に回り、勇はその老爺を見上げて、念のために問うた。


畝閏(セジュン)城隍爺じょうこうや様ですか?」


「左様――。正確には “土地公” じゃがな」


 老爺は裾や袖の先から水を滴らせており、見れば分かるだろうと言いたげな半眼だった……。






 ―― * * * ―― 




 都市の城郭が守護神として神格化されたものを城隍神というが、その世界は人間界に似て、官僚制になっている。

 都・州郡・県城隍の位順に、城内の安寧を司る神として悪人を裁く権限を持っているのだが、それ以下は、妖魔・悪霊の出現や、天候による不作豊作、住民の出生死亡、善行悪行などを記録し、上に報告する職権しかない。



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「いくらこの老いぼれが役立たずでも、神廟に罪はないじゃろう。まさか、滅多刺しにするとは……」


「申し訳ありません」


 詫びる声に感情がうかがえないため、畝閏(セジュン)土地公の機嫌は微妙に斜めったままだ。


 花人には喜怒哀楽が欠落していたり、ひどく捻じ曲がっている者があるという。ただ、対黒同舟花連の評判は、決して悪いわけではないと聞き及んでいる。この男の場合は、性格が淡白なだけだろうと自分に言い聞かせ、老爺は勇の平然とした態度を許すことにした。



「……まぁ良い。身動きが取れんと助けを乞うたのはワシじゃ。現任の鎮帥は奉仕的な男。廟もあやつが修理してくれよう」


 城隍神をはじめとする土地の守り神は、その性格上、領主や兵士たちの信仰も集め、赴任してきた際には必ず参詣さんけいを要する。

 畝閏(セジュン)土地公は神廟に対し、感謝と管理手入れを怠らないよう、日ごろから部下を指導しているトルジ鎮帥を気に入っていた。

 他圏出身の男だが、それが何だというのか。見ている者は常に見ている。



「花人も、元来は農耕を司っていた城隍神や按主アヌスたるワシらからすれば、近しい存在じゃ。今はましてや “天柱地維” を担ってもらっておるのだから、素直に感謝するとしよう」


「――?」


 勇は小首をかしげた。祖先の夜覇王樹セレイアス・ランサがその役割を果たしていたのは、もう遠い昔の話だ。


 畝閏(セジュン)土地公はそう言いたげな眼差しを、くすすと笑っていた。こんな耄碌もうろく寸前の爺の呟きなど、軽く聞き流してくれて構わない。

 ひょいっと地面に飛び降りると、長い半臂ベストの裾をひきずり、満帆が炭の山にした牛燹ギュウセンのもとで立ち止まった。


 まだ熱を帯びた煙が上がっている。



「雷将のお嬢さん、ちと威力が強すぎるがぁ、見事な腕前じゃなぁ」


 浮遊する牛の頭という標的は狙いやすい方ではないと思うが、三頭すべてを雷の剣で的確に貫き、幻だった他数頭も一瞬のうちに消し飛ばした。


「って…!?」


 どこから出てきたのか、大きな赤ん坊ほどの老爺が、木の枝で牛燹ギュウセンの炭をつんつんといじくり出したのを見て、満帆はその体に飛びついた。


「ダメですよぉ、おじいちゃん! 離れて離れて! これは瘴気しょうきを放ってますから!」


「やはり、普通では考えられん。牛燹ギュウセンのような鬼火系の妖魔まで、真昼間から出現するとは……」


畝閏(セジュン)土地公…」


「土地公っ!?」


 腕の中に驚嘆する満帆の傍らまで歩み出て、勇は先に詫びておくことにした。


「ご推察の通り、この妖魔たちは我々へ向けられた “挑発” と思われます――」








       ――――【 「トルジ」の意味は “英雄” 】――――



「おーい!」


 城郭を護る男たちは、元来、辺境防衛にあたっていた屯田兵や、募兵制で集まった傭兵集団であることが多い。

 華瓊楽カヌラは、侵略戦争を繰り広げていた時代から脱却して以降、近隣諸国と貿易を通じて発展しあう道を歩んできたため、民草は基本、農業や商業に専念できている。郡城・県城の兵士も、その半分は食客のような私兵である。

 平時は訓練にあたりながら、商業地帯をはじめ、関所・船着き場なども含めた管内の治安維持を司り、末端都市である市鎮の場合は、 “鎮帥” という長が城主として行政を仕切りながら、数十人規模の衛兵をまとめ上げている――。



「おーいッ! みんな無事かー!?」


「トルジさま…っ!?」


 声がする方を振り返った兵士たちは、ぎょっと目を剥いた。顔面血まみれの畝閏(セジュン)鎮帥が、へらへらして広場上空を漂い、手を振っていた。


 翼こそないが、牝闌ヒンラン公国の国生み神話図に描かれている “翼人” のようだった。現にそれとよく似た金髪青年の肩を借り、ぶら下がっている状態だ。臨終すると、善人はこんな感じで天界に召されるらしい。



 高度下がってきてるけど……。




 神代崩壊前の有力な翼人族は、霊魂の送迎や、神々の勅使・守衛・導きを司っていたとか。

 しかし、トルジを空輸してきた金髪青年は、よく見ると、風の天衣をまとえる花連の飛行夜叉だった。



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「すんません……、俺たちがもっと早く来ていれば……」


 傷に障らぬよう極力気を使いながら降り立った嘉壱は、トルジに詫びた。


「謝らないでください。花連より早く駆けつけられる部隊なんて無いんですから」


菊羽ツェンウェイ! 何があったの!?」


 啓が嘉壱にそう呼びかけながら駆け寄った。夜覇王樹セレイアスの民はうてなに忠誠を誓っている花人の証として、夜深藍の軍服の他、それぞれの門地や、戒めにちなむ “花銘かめい” を与えられる。


梨琥りく、そっちはなんともないか」


「あ~…、うん……」


 啓は梨家から  “琥珀のような美しい梨” という意味の花銘をもらった。

 梨は “無し” に通ずるため、昔からあえて「有りの実」と言って、果実も愛でられてきた花木である。ようするに、それなりの結果を残すだろうと見込まれた立派な夜覇王樹壺セレンディアの花人なのだが……、

 梨琥は鐘楼を顧みて、まだまだ未熟であることを明らかにした。


「ぬぁっ。……。」


 菊羽ツェンウェイはあごを落として固まった。




「大変だ…っ! トルジ隊長が出血多量で死んじまうぅッ!」


 一方の兵士たちは、妖魔が襲撃してきた直後よりもひどい恐慌状態に陥っていた。泡を吹く勢いだ。

 周囲の市民にその動揺が伝染していきそうになったため、座らされたのも束の間、トルジは腰を浮かせた。


「あ~、大丈夫、大丈夫。怪我したのは右肩だけで、滴ってるこれは、こちらの花人の青年が、代わりに退治してくれた妖魔の血…」


「派手にやりすぎな奴ここにもいたッ!!」


 目を吊り上げて振り向かれた菊羽ツェンウェイは、「ああ、すんません」とまた謝ったが、これに関しては大して気に病んでいない様子である。


 トルジは中年独特のくたびれた苦笑を返した。


「いやいや、こちらはすっかり殲滅した気でいたから “例の回収” をお願いしたわけで――」



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 最初にその噂を耳にしたのは、いつ――、どこでだったか。

 近頃、異常な興奮状態となった獣や妖魔に、白昼堂々、人間が襲われる被害が相次いでいる。

 仕留めた場合、台閣に対してなるべく早い報告と、死骸の回収を要請するよう通達を受けていた。しかし、トルジたちは、自衛団でもできる後片付けに、機動力のある部隊が中央からわざわざ急行させられる事情までは知らされていなかった。

 ましてや、彼らの側に立て込んでいるようなことを言われれば、おおよそ決着がついていることを伝えるしかなかったが、別に遠慮したわけではない。



「大丈夫だと判断したのは、現場を指揮していた自分ですから」


 トルジは潔く言うと、兵士たちに向き直った。


「第四班が、老北門の辺りで家を潰された年寄りの誘導に苦戦している。応援に向かいながら、もう一度見回りに行ってきてくれ。まだ残党が潜んでいるようだ」


「了解です」


 トルジの周りに人垣を作っていた兵士たちは、きりっと気を引き締めなおし、それぞれの方向に駆け出した。



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