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払雲花伝〈ある花人たちの物語〉【塵積版】  作者: 讀翁久乃
◆ ―――――― 第三鐘 ◇ 奇襲 ――――――
43/194

◍ 萼国夜叉 刹

 


《 ギュァァァァ――…ッ!! 》


 いらかを駆け上がってきた巨大な影が、大鳥の羽音と同時に蒼穹へ舞い上がった。

 虎の縞模様をていした羽が降ってくる。その一枚がまた、芭蕉の葉と同じくらい大きい。




「……遅いじゃないですか」


 背後で、すくっと立ち上がる気配を感じ、同胞が顕現したことに気づいた男は、そう不満げに言って目だけ向けた。


 否――。その左眼球は、元から正面を向いていなかった。帷帽の布がひらめくたび隙間に覗き見えるが、一度も瞬きをしない。相手が真横に並んでも、まだ後方を凝視している。

 右目ではしかし、蜘蛛の子を散らしたような地上の光景をしっかりと観察していた男は、肩をすくめた。



「もう、これといって見どころはありませんよ? 楽しめたのは最初だけ。やはり例の薬を惜しんだせいか、今ひとつ持久力に欠けまして、彼らが来る前に、おおよそ片付けられてしまいました」


「構わない」


 応えた相手は敬語の男とは対照的な態度だ。


 鋭角的な色白の顔の中で、薄い紅唇が凛と結ばれている。その冷淡さは、愛嬌など微塵もないことを誇っているようにさえ見えた。

 渋い苔色の披帛ひはくで肩から首回りを覆っており、あまりを風に靡かせている。少年のような短めの黒髪と、左耳に涙型の金耳墜きんじずい。何より、本紫に近い紫眼が特徴。眼下のどこを探してもいないなかなかの美女で、男装の麗人といった雰囲気をかもしていた。


 女はよく通る低めの声で言う。


「遅かれ早かれ “ケリゼアン” を投与した妖魔を放った以上、花連はここに現れる。だが、用事はもう済んだ」


 女は久々に李彌殷リビアンを訪れ、あらゆる高所に立って、各エリアを一望した。その後、畝閏(セジュン)へ向かおうという途中、何かを目に留めた様子で、先に行けと言い放つや姿をくらましていた。


「道草で目的を果たしたとは、一体どういうことでしょうねぇ。 “目当ての花” とやらは、彼らの中にあるんじゃなかったのですか?」


 せっかく、鏡を研ぎ澄まして待っていたというのに――。








          ――――【 対黒同舟花連 】――――



「もう慌てないでいいぞー!」


 そこかしこで悲鳴を上げながら逃げ(まど)っていた人々も、だいぶ落ち着きを取り戻してきていた。

 小西門の警鐘が鳴り響き、隔壁内の各所で連鎖的に重複して、一時は止まらなくなったが、今は一部がゆっくりと打たれているだけ――。


 畝閏(セジュン)は、里が複数集まってできた鎮城である。

 船着き場で大事な取引の最中だった商人も、野菜を洗うがてら井戸端会議中だった主婦も、大人も子供も目の前のことを放り出して、妖魔の襲撃を知るや近場の建物に転がり込んだ。


「他に助けが必要な者はいるかー!?」



 飛来してきた羽蟲の鬼魅に対しては、すぐさま大型弩砲などの投射武器で応戦し、地上では火器で対抗。神代崩壊から四千年近くも経てば、人間とてやられっぱなしではない。

 特に大旱魃だいかんばつ以降、妖魔の襲撃が多発するようになった近年は、新たな武器の開発・改良の必要に迫られ、 “壽星大研院じゅせいだいけんいん” が普及させたそれが大いに役立っている。

 投擲とうてき武器・射出武器・刀剣類――、今やどれも神器級。高揚感すら覚えるほど短時間で、一網打尽が可能となったのだが……


 やはり負傷者は否めない。襲撃に驚いて怪我を負ってしまった者たちを誘導していた兵士が、ふいに上空へとさらわれる。


「うあ…っ!!」


 畝閏(セジュン)警衛部隊の隊長、兼、城主のトルジだ。彼は強烈な痛みと、油断していた自分に歯噛みした。


 まだ残党がいたのか。道端や、穴の開いた家屋の屋根――どこを見ても、仕留められた死骸だらけとなったことから、てっきり掃滅(そうめつ)したとばかり…ッ。


 人々の、あっという叫び声を聞く間もなく、地表から引き離されてしまった。

 血で赤く照かった猛禽類の爪が五本、左肩に深々と食い込んでいる。




   ×     ×     ×




 別の路地――。

 黒目しかない眼球に映る自分たちの顔を見て、尻もちをついたまま、幼い兄弟が動けなくなっていた。


 彼らが出会ってしまったのは、優し気に微笑む瓜実顔の蛇女だ。

 長い黒髪と、青黒い胴体を引きずる人頭大蛇の姿で、じりじりと迫ってくる。

 腕の中で果敢に吠え続けている愛犬を抱きしめ、緩慢に首を振りながら、兄弟は震える身を寄せ合った。


「いやだ。いやだ……っ」





   ×     ×     ×





 再び畝閏(セジュン)上空――。



「こんのぉぉおおおお――…っ!!」


 けたたましい嘲笑を浴びているうちに、怒りと闘志が沸き上がってきたトルジは、腰の剣を引き抜いた。

 虎と鷲が合わさったような巨体が相手だ。歯が立つかは分からない。仕留められたとしても、落下したら即死するのが目に見えている高度だが、このまま何処ぞのねぐらに餌として持ち帰られ、バカでかいひな鳥に、寄ってたかってついばまれるよりはマシだと意を決した



 刹那。



 あざける鳥妖の鳴き声を、(りん)とした詠唱が断ち切った。



 ……――風削カルカソ――……



 視界の隅で、赤珊瑚の念珠のような血飛沫と、真っ白な花弁が同時に散った。


サツ――」



 斬撃もそうだが、それを放った青年自体が矢のように素早かった。

 一目で、ただの兵士ではないと分かる格好だった。


 死を覚悟していたトルジには、一瞬の出来事であるにもかかわらず、何故か何泊にも感じられ、その一つ一つの特徴を捉えることができた。

 空を翔けてきた金色こんじきのザンバラ髪――……。左肩に金の飾り緒をなびかせ、鷹匠の軍手をはめている。開襟の衣は夜深藍やしんらんという、ある国の軍服に使われている特殊な色だ。



 世界三大鬼国――萼国きょうごくの軍旗と同じ色である。



 塵洞修羅じんずうしゅら赤翆天羅刹せきすいてんらせつ萼国夜叉きょうごくやしゃ―――。この三国の牙城は、いずれも築き上げられてから二千年以上経つが、未だいかなる攻城兵器をもってしても、落城させることができない。


 人間なんぞ無論のこと、悪鬼邪神でさえも思いあがっている口ならば、返り討ちに合うのが関の山だという。

 花人となって以来、人間と共存を図ってきた異色の萼国夜叉にも正真正銘の “神代の血筋” が生き残っており、萼が三大鬼国の座から陥落しないのは、現に、甚大な破壊力そのものである王允の彼らが健在だからだ。


 牙を折られて腑抜けになったと侮蔑されている反面、萼の白い激昂とあだなされたその一人は今、華瓊楽カヌラで英雄視されている――。





   ×     ×     ×





氷棘乱(ヒュチル)


雷追らいつい……ッ!!」


 まだ息があった妖魔が、各所で数体、起き上がろうとしていた。

 そこに向かって乱れ打ちされた氷柱つららに次ぎ、走駆する雷撃の咆哮が襲い掛かり、背筋を反り返らせたそいつらの喉の奥から、長い舌と断末魔を突き出させた。




   ×     ×     ×




《 ギアァァァァァ――……ッッ! 》


炎蔓フォミョル……」


 しかし、大蛇女は悶絶しながらも、しぶとかった。炎の唐草に締め上げられる苦しみを溜めに溜め、おぞましい唾液とともに、一気にぶちまけた。


 その吐しゃ物がまた、とんでもなかった。二十本はあろうかという、赤い房飾りがついた大量の槍だ。それを口一杯に、大蛇女は自分よりも美しい鬼面の女を突き刺してやった悦びを得てニヤけた。

 宙返りしながら背後に回られたとも知らずに――。


 黒鉄扇の先端から迸った炎が、轟々と音を立てて地獄への円洞門を完成させ、殺気を放つ直前――、息を呑んでいる兄弟たちの視界を、大男が遮る。


サツ



     |

     |

     |



 “刹” とは “刹那” を意味して放つ、一種の命令である。瞬く間も与えずに散らせ――、そういう意味だ。

 いくら目にも止まらぬ早業とはいえ、子どもの記憶には、一片たりとも残したくない光景である。そのあたりは薫子も心得ているため、断末魔を上げさせたのも一瞬。蛇女の姿は、ほぼ同時に灰と化した。


 薄暗い建物の狭間に、眩しいと感じるくらい白い花びらが降りしきり、兄弟たちは、夢でも見ているかのような心地になっていた。


 口にしたことがない菓子を想像させる、なんとも言えない芳香が漂っている。

 しばらくして、淀んでいた路地の空気が浄化されると、いつもの瑞々しい深緑の香りが戻ってきた。



「大丈夫か……?」


 そよ風に吹かれながら呆然としている兄弟に、大男――柴が声をかける。

 異様に赤い髪、赤褐色の顔、緑の瞳は美しいが、少し長い前髪の下から、鼻筋に走っている刀傷がのぞいた。


 蛇女から救った薫子と同じ軍服を着ているのに、幼子にとって大きな影を落とすその巨体は、やはり恐怖でしかないらしい。

 

「っ…」


 びくつかれた柴は思わず、伸ばそうとした手を止めた。


 彼が固まった隙に、兄弟たちは愛犬を抱えて逃げ出した。


「大丈夫そうね」


 涼し気な薫子の一言が “気にするな” と聞こえ、柴は少しうつむいて眉を寄せた。








          ――――【 畝潤セジュン警衛部隊 】――――



「いやぁ~、助けてもらっておいて、こういうこと言うのもなんなんですけどぉ」


 その頃、中心地の広場では、深緑の筒袖にはかま、鋼の甲冑(ボロボロ)、という様相の男たちが集まっていた。

 ざっと二十人。畝閏(セジュン)の兵士たちである。苦笑いを浮かべていたり、参ったと憂鬱そうな顔をして、頭の後ろをかき回している。


 彼らを前に、反省させられていたのは啓だ。地面を隆起させ、敵の足元を揺るがして丸のみにする技を繰り出したのだが、力加減を間違えてしまった。十字路となっているメインストリートが、東から三丈(十メートル)以上にも渡って絨毯のように波打ち、突き当たった中央広場の鐘楼を倒壊させている。



「あんたら、いつもやり過ぎなんだよ。どうすんの? この道……」


「あ…、ハハ。すみません、ちょっとムカつくことがあったもんで~……、つい」


 まだ十代前半の筋骨である啓には、夜深藍の軍服も、黒皮の軍靴も、黒い腰帯も、佩刀も、如何せん似つかわしくない。

 もっとも、花人の軍服や武器には、体系や戦闘スタイル、格に見合った個性が許されていた。上着は袖口だけ厚く、やや広がった仕立てで、啓の場合はもともと七分であるそれを折り返している。

 軍刀ではなく短弓を背負っており、すべてが小作りな印象で、服に着られているわけではない。



「一番下っ端のくせに、この破壊力だもんなぁ。そういえば、今日はお宅の破壊神筆頭、どうしたの? 姿が見えないけど」 


「いや待て。うちのトルジ隊長もいないぞ?」


「え? ああ、四班と一緒に、老北門の方の被害を確認しに行ったはずだが……」


 兵士らはこうべめぐらせた。

 ここ一、二時間で失ったもの、味わった恐怖を共感しあっている住民たちに埋め尽くされていて、気配を探るのも容易ではない。

 広場はいつの間にか、迷子になった我が子を捜す母親の集まる場所とも化していた。


 


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