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払雲花伝〈ある花人たちの物語〉【塵積版】  作者: 讀翁久乃
◆ ―――――― 第三鐘 ◇ 奇襲 ――――――
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◍ 出動要請 | 去り行く背中に



 李彌殷リヴィアンから西に五里(二十キロ)ほど離れた山間に、畝閏(セジュン)という鎮城がある。


 華瓊楽カヌラには都城の他、街道の要所ごとに郡城・県城が築かれていて、その間に、鎮城・郷市ごうし里内りだい村聚そんじゅといった各規模で宿駅が形成されている。


 それ以下のさらし野・草市そうしなどと称される非公式な生活圏には、文字通り城隍神じょうこうしんの加護もなければ、隣家との垣根すらないが、都市と農村とを結ぶ鎮城は、栄えれば県城を上回る規模となり得るため、それなりの行政機関が置かれ、常駐の兵士らと隔壁に守られている場合がある。

 その一つとして知られる畝閏(セジュン)が、真昼間から妖獣の襲撃を受けたとの報せが入った――。



「嘉壱ッ、どこフラついてたんだよ!」


 密虫の伝言を聞き終えるや、萌神荘に飛んで帰ったが、玄関広間からすぐのところ――回廊に囲まれた中庭で、嘉壱は待ち構えていた仲間たちから、非難の眼差しを浴びることになった。


 顔を紅潮させて立ち向かってきた啓が、この時ばかりは、金色毛こんじきげを逆立て、西琥珀トマンチェクの瞳を怒りに見開いている赤鬼に見えた。


「悪り。ちょっと…」


「言い訳している暇があるなら、さっさと支度してきなよ!」


 年齢の割に幼稚で、こけし人形のような見た目の満帆も、海雷枝アミヌダに例えられる朱眼をぎらつかせ、今にも雷雲を呼び起こしそうな最悪の機嫌である。



「まぁ、そうカッカするな二人とも……」


 背後から近づいてきた能天気な声に、啓と満帆は牙を振り向けた。


「飛叉弥ッ!」


 組んでいた片腕をほどいて、飛叉弥は耳の後ろをカリカリとかいた。


「あー、はいはいはい。いいから少し落ち着け」


「だって…っ」


「生かすも殺すも時間次第という時に、しのごの言っていられる余裕は医者にはないぞ」


 ふと放たれた指摘に、全員の身が引き締まった。

 普段はあまり事を荒立てない柴の、凛々しい眉がひそめられている。彼は恰幅からして迫力があるため、これが初見ならば、花人でもすくみあがっているかもしれない。

 小岩が人型に積み重なったような見た目通り、怪力の持ち主だが、野戦で鍛え抜かれた軍医であるため、命のタイムリミットに係わることには、とりわけ過敏になる。


「手遅れにでもなったらどうする」


 飛叉弥は、ため息混じりに返した。


「心配ない。応援を要請されたと言っても、俺たちは単に後始末の手伝いに行くだけだ」


 奇襲を受けたという報せは入ったが、もうほとんど片がついているらしい。嘉壱については俺の命令で、少し外出していたに過ぎない――。


「まだ言いたいことがあるなら聞くが」



 飛叉弥が放つ一言は、時として台閣のお偉方をも黙らせる。現に、彼はこの国に贖罪を求められてきた立場でありながら、華瓊楽カヌラ奎王けいおうの絶対的信頼を得ている。

 花人が、今も歴とした夜叉として自ら国を統治していたならば、間違いなく王座に近い要職をあてがわれただろう。

 諸肌を脱がない限り、普段は首筋に一部しか覗き見えないものの、彼の華痣はなあざは血筋に由来しながら、その威厳が七光りによるものでないことを証明している。

 誰より濃く、精緻に浮き出た滅紫めっし色の蓮華紋と白髪。夜明け間近の東天を思わせる本紫ほんむらさきの眼。この特徴を持つ花人に出会ったら、せつに命乞いをしろという鉄則が、闇の世界にはあるくらいだ。



 お前も……、



「いつまで、そんな所に突っ立っている――?」


 びくり、と思わず肩が震えた。半ば後ずさるように、嘉壱は自室へと駆け出した。


「飛叉弥……」


 無言で見送る飛叉弥に、(ひじ)を抱えて縁柱に寄りかかっている薫子が投げかける。


畝閏(セジュン)には、どれくらいの怪我人が出ているの?」


 着いたら何をどう対応すればいい。


「知らん」


「知らんって…」


「お前らの指揮を()るのは、俺じゃない」


 言いながら飛叉弥が振り向いた先にいる人物に、一同はかっと(まなじり)をさいた。


「いい加減、くだらない冗談はやめてよッ!」


 彼の真価なら、先ほど比禹山ひうざんで明らかとなっただろう。これ以上、戯言を並べ立てるなら、畝閏(セジュン)には自分たちだけで向かうッ!

 腕を払い、薫子はまくし立てる。


 絶え間なく響き続ける彼女の癇声(かんごえ)に、ほどなくして戻ってきた嘉壱は蹈鞴(たたら)を踏んだ。


 ぴりぴりとした緊張感の真っ只中で、指差されているその少年はしかし、事もなげに構えている。



「飛叉弥、お前は一体なにを考えている……」


 ぴたりと薫子を黙らせたのは、勇だった。

 彼は長身で、筋骨のたくましい青年だが、性格的には軍人というより剣豪のように冷静沈着である。


 思えば、彼の頭の中も “分かる者にしか分からない” 部類かもしれない。

 青みがかった白波のような短髪と、銀縁のだて眼鏡が特徴で、台閣の大研院だいけんいんにいてもおかしくない頭脳派だ。リーダーシップを発揮するタイプではないものの、実力では紛れもない闘将の薫子より上。


 自分の言動を非難しているのではなく、文字通り、何を考えているのかと迫ってくる彼にも、飛叉弥はやはり、たったの一言――


「行け」


「飛叉弥…っ!」


 薫子は泣き声にも似た声をあげた。


 ったく……、どいつもこいつも――。そんなことを、内心でぼやいているのだろうか。退屈そうに首筋をかいている皐月は、為政者の演説や、片田舎の辻演劇でも見ているかのような態度である。


 しかし、これはわざとだろう。嘉壱は目を凝らす。

 空気の読めないただの馬鹿である可能性は、個人的に交わしたここ一、二時間のやり取りで消滅した。皐月は誰に対しても、悪印象を与えていたわけではないことが分かっている。ただ――、色々と神経がどうかしている。



「大体…っ」


 薫子が、さらに力んだ時だ。嘉壱の見立てが当たっていることを示すように、皐月が場違いな声を発した。


「あのさぁ……」


 水を打ったように、静まり返る中庭。鋭い鬼の眼光を一身に受けて、それでも物おじせず、皐月はのんびりと指摘した。


「早く行ったほうがいいんじゃないの?」


「わ…っ、分かってるわよそんなこと! 指図しないで!!」


「指図なんかしてない。ただ、訊いてるだけ」


 俺はあんた達の司令塔になると、返事をした覚えはない。


「飛叉弥サンだっけ――?」


 皐月はいかにも残念といった風に、肩を落として見せた。


「悪いけど、俺には戦うための能力なんて一つもない。それに、正直言って、この国がどうなろうと知ったことじゃないんだよ」


「な…っ」


 なにも不思議ではないだろう。自分は今朝まで、心霊スポットの探検などというクラスメイトのガキみたいな遊びに付き合っていた、ただの男子学生だ。半面、子供ならば誰もが憧れる正義のヒーローとやらを夢に描いたこともなければ、人の助けになる行いを心掛け、功徳くどくを積もうなんて思ったこともない。

 ましてや、命を落としかねない環境となれば、こんなところには長居していたくない。


「あんたが、俺を巻き込もうとする理由は腑に落ちないままだけど、怖いし――、やっぱり帰らせてもらいたいんだよね」



 これ以上、関わりたくない。





 見事なほど一発で、人の心にひびを入れる台詞だ。

 薫子の顔が、湧き上がってくる感情を噛み殺して歪む。


「……飛叉弥、こいつの何処を、私たちに認めろというの」


 疑問符のつかない問いかけは重々しく、まさに、心が閉ざされていく様を表している。興ざめた気配をまとったまま、六人は結局、飛叉弥を置いて出て行った。

 唯一、嘉壱は消化しきれないといった面持ちで物言いたげにして見せたが、飛叉弥に気付かないふりをされては、どうしようもなかった。



     |

     |

     |



 誰の足音もしなくなり、五月の空をのったりと流れる雲だけが、残された二人に時間の経過を教えた。




「……ねぇ、八曽木(やそぎ)には、どうやって帰ればいい?」


 沈黙を破ったのは、そんな悪びれもない問いだった。

 予想していた通りの展開だ。飛叉弥は動じなかった。


「帰ってどうする」


「どうするも何も、ここにいてどうする……?」


 雲に遮られていた日差しがジワジワと復活して行くに伴い、互いの存在も色濃くなってくるように感じられた。


 皐月は挑発的な余裕を浮かべている。どのくらいそうしていただろうか。降り積もった沈黙の末、すっと表情を消した。


「まぁ、いいや。教えてくれないなら、自分でなんとかするから……」


 ヒラリと手を振られ、飛叉弥の脳裏にふと、赤黒い記憶が過った。


 この世界からいなくなろうと、黒い絹布のような長髪をひるがえした青年の後ろ姿が、現実の光景に重なる。

 呼び止められず、ただ、呆然と視線を落とした十二年前――、丈長の軍服を羽織っている彼の足跡に血の池が湧き、真っ白な蓮の花が綻びるを見た。


 泥の中から生じても、汚れに染まらぬ花であるというのは本当だ。普通なら、汚らしい血痕にしかならない血の雨すらも、見事なたまとして飾り置き、涼しげな蓮華が点々と開きながら、彼を追いかけていったのだ。


 たまらなく嫌だった。何も聞こえず、景色が無機質になっていくのが。

 何も知らないふりをして、いつかの彼が今、



 

 同じ足跡を、残していくのが――。




 飛叉弥は自分の足元の影を見つめ、そこに話しかけるように口を開いた。


「皐月……、お前はさっき、自分には戦う能力など一つもないと言ったな」


 怖いと言った。命の保証がないから怖い。あの遅鈍な蛞茄蝓カナムも怖かったのか? 化け物が潜んでいるかもしれない洞窟の闇に巻かれるより、ここに長居している方が、恐ろしい想像をしてしまうのか。


 なら、お前が恐れを抱いているのは、死ぬかもしれない展開に巻き込まれそうだからじゃない。


「安心しろ」


 飛叉弥は、ため息まじりの声をぐんと低めた。


「お前が、ふいをつかれて命を落すことは、まずもってあり得んだろうからな――」



 背中で受け流していた皐月は、次の瞬間、くわっと目を瞠って立ち止まった。



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