◍ 馨しき鬼面の王
白銀の月が、薄雲の合間から顔を出し始めた――。
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行きついた渓谷の果て。最期を迎える地はどんな絶景かと思えば、照らし出されてきたのはなんということはない、涸れかけの滝だった。
振り返ると、年老いた一柱の桜が、今まさに散り際を謳歌しているそこに、黒装束の一団が現われていた。
七色の眼を爛々とさせた、血も涙もない連中だ。本来なら吠えたてまくられている場面だが、随分と厳しくしつけられているらしい彼らの様子を前に、くつくつと笑いが込み上げてくる。
「さすがだなぁ、おい。萼国史上最凶と目される、闇来殿の魔物は……」
桜を散らす夜風に長い黒髪をなびかせ、月下に歩み出てくるその姿を、赤蒲は鼻で笑った。
魔物――とは本当に解せぬ。そいつは噂通りのすらりとした体躯で、血の気のない若者らしく、やや猫背だった。殺気を微塵もうかがわせない代わりに、ある種の超越した雰囲気をまとっている。
月影を弾き、雪の如くきらめく飛花も、実はこいつが現れるのを待っていたように思えてきた。
よく考えてみれば、泥沼臭い自分の最期を飾ってくれる花が、荒れ山に埋もれた老木の虫の息とはいえ、これほどに芳しいわけがない。
立ち止まった魔物の王は、じっとこちらを見つめているかのように、動かなくなった。
その装飾的な黒甲の鬼面を、赤蒲はしかと目に焼き付けておこうと真剣に見つめる。
当代、およそ二千年ぶりに継承が許されたという幻の面。それを拝ませてもらえたのだから、地獄で待つ仲間たちにも、極悪非道を極めたと誇って良いだろう。
――――【 闇来の弔鐘 】――――
《 蒲赤路…… 》
生温かい風が強まり、頭上の花の雲がざわざわと騒ぎ始めた。
墓石のように黙していた手前の狩人たちから、人ならざる声が掛けられる。
《 奥座衆筆頭ニ裁カレル理由――罪状ニツイテハ、読ミ上ゲルマデモナカロウ 》
「おうよ。命乞いをするつもりなんざ端からない。夜覇王樹壺が世のため人のためを主張し、大手を振って正義面ができるのは、お前ら〝奥〟の働きがあるお陰だ。俺はお前らとは正反対の存在――ッ!」
俺たちのような葎を刈り取ることで、お前らは自分の存在価値を得てやがる。同じ花人のくせにッ…!! なぜこうも理不尽なのだ。
「せめて、少しくらい感謝してくれよな、筆頭様。あんたが平然と同族殺しに興じれるのは――」
この世界に花人として生まれながら、
ただ、それだけで堂々と生きて来れたのは―――
「少しの汚点も許さない夜覇王樹壺がある以前にッ、俺らみたいな “汚点” が生まれてくるお陰だろうが…ッ! 違うかッ!!」
野に生まれ落ちただけで蔑まれてきた積年の感情をぶつけると、狩人たちが、さりげなく主人の反応をうかがった。
花の雲の小波が引いてきた頃、沈黙していた高貴な鬼面の下から、感情のない〝人間〟の声がもらされた。
「言いたいことは、それだけか――」
赤蒲は口端から歯を見せて嗤ってやった。肯定として、首を掻き切ると同時に。
ドサっと音を立ててくずれ落ちたその場に、すかさず数人が飛びついてきたことも、まもなくして、落胆と憐れみの色をうかべられたことも、
自分の最期を見つめ続け、第百二十三代・奥座衆筆頭―――通称、奥王こと〝暗香の馨〟がなんと言ったかも、知る由もない身になった。
「ならばもう一度……」
いや、何度でも構わない。
「この花天月地に……、生まれ来るがいい――……」
◆ ◇ ◆
(2021.06.17投稿)