◍ 花染鼠(はなそめねずみ)朝顔の如く
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空を背景に見れば、能面と大して変わらない無表情も、柔らかな質感を宿すのだと分かると味わい深い。
二胡の弦のように細い黒髪がばらけ、それに頬を撫でられている気がするせかいか――……。木鼠二匹の意識は、時が刻まれる感覚を忘れ、その奇妙な心地に揺蕩った。
“目” とは、都合よく実態を歪める不思議なものだ。かったるそうな印象でしかなかった皐月の寝ぼけ眼が、今は静かな慈愛を注ぐ観音像の半眼に見える――。
「 “しゅん” ……?」
「てぇ……」
「名前だよ。真夏の空と、曙の空みたいな毛色だから。夏空の “昊蕣” と、太陽の光って意味の “旲蕣” はどう?」
“昊蕣” と命名されかけているブルーは、ぱっかりと顎を落としたまま静止画のように固まってしまった。
一方、 “旲蕣” という、かわいらしい響きをあてがわれたにも拘わらず、凄まじい衝撃を受けたピンクは白目を剥き、頬のひげを痙攣させている。
(一介の小妖種に名前……? 薄汚いオイラなんかに、まさか。でも――……)
感じたことのないキラキラした躍動が、毛むくじゃらの胸の真ん中で、どうしようもなく大きくなってきた。
「うぉお…っッ!?」
ふいに足を跳ねのけられたブルーが、バランスを崩して声を上げた。
ピンクは後方に、とてりん、と転がった彼には目もくれず、見開いた金色の両眼をいっそう輝かせて、皐月の足に飛びついた。
誰かに呼ばれ、必要としてもらえるなら、この際 “蕣” だって “助” だっていい。というか、 “蕣” の方が断然カッコよくていい。
「おいら “蕣” がいいでやんすっ…!!」
「そお? よく見るとサーモンピンクだし……、 “東雲丸” とかは?」
「蕣がいいでやんすっ! 旦那…、いえ親びんっ!」
「は?」
「ありがとうございますっ!! 一生ついて行きますッ! ほら、兄貴もっ」
ブルーはピンクにひっくり返されたまま、まだ呆然としている。
当たり前だろ……。これは歴とした珍事件だぞ。
東雲とは早朝のことであり、東雲色といえば、やや黄味がかったその空の淡紅色を示す言葉だったはず。
確かに色彩感覚としては間違っておらず、自分と対照的な見た目の相棒にあてがうのが妥当ではある――。
「なにしてるでやんす。早く早くぅ~!」
ピンクは瞳孔が大きい漫画チックな両目をギュウ~っとつむり、起き上がらないこぶし状態のブルーを、一生懸命揺すり続ける。
尻尾をS字にしならせて、フンフン揺らす。
フンフン、フンフン、フ
「ややや…ッッ! ちょ、旦那!? 聞いてなかったんですかっ? 今ままでの話っ!!」
悪夢から目が覚めると同時に跳ね起きたような顔面蒼白のブルーに、皐月はつまらないものを見る目を向けた。
「ブルーはブルーのままでいいの?」
「やや、だから、ひとの話を…」
「 “浅青丸” ってのはどう」
「……………………。」
――――【 青き花・赤き花、ともに咲くと言えば 】――――
頭の回転が速いブルーだが、こうも突飛なことばかり次々と並べられては、さすがに思考が追い付かない……。
「ほっほっほ! これは愉快、愉快!」
背中をそらして呵々大笑した燦寿を振り向き、ブルーはもともと半眼の両目をジトっと据えた。
燦寿は笑いを腹に収めるや、一転して幽玄な霞をまとった青山の如く、泰然と言いつける。
「貰えるものは、貰っておくがよろしい―――」
誰かに名を与え、貰い受け、呼び合うという行為は至極日常的なことだが、言霊に縛られる不自由を生ずるため、鬼魅の間ではそう気軽ではない。受け入れたら最後、呼ばれる度に心身が応じ、その呪力に染まって行くこととなる。
「だが “名は体を表す” ――……どうせなら、品行が良くなるよう、しっかり願いも込めてやってくれませんかなぁ、皐月」
そやつらは行き当たりばったりの生活で、四六時中、腹の虫を鳴かせておる。わしが市場に現れると、どこからか湧いて出てきて、新鮮な果物に傷をつけたり、かじったり、しょうもない悪さばかりしましてなぁ……。
「基本は雑食なんじゃが……、花の蜜や甘い果実が大好物というから困りもの」
燦寿は毛筆のような白ひげを撫で撫で、わざとらしく眉を八の字にする。
「そんなこんなで、退治するにも今一つ思いきれん……。何より、この愛くるしい見た目ゆえ、心に罪悪感が過ってしまい、慈悲深いワシは、結局、追い払うことしかできずにいる次第で…」
「嘘つけぇいっッ! いつも叩き潰そうとしてくるじゃねぇかッっ! 握りしめた靴振りかぶってッ」
五大明王顔負けの炎を光背として燃え上がらせ、当代随一の高齢者が、筋骨隆々、青筋バキバキとなるその時の恐怖といったらないのだぞッ。
「浅青丸――、立派な名前ではないか。なんの不満があるというのか」
かぶせ気味に叱責めいた問われ方をし、ブルーは思わず言葉に詰まった。
不敵に鼻で笑うのが癖だが、久しぶりに三つ口の端を歪め、常にピンと反り返らせている両耳をヘタらせた。
「~~……、立派すぎやしませんかね。どうもしっくりこねぇと言うか」
「じゃ “青丸” でいいや。で、ピンクが…」
「蕣でやんすっ!」
「はい、決まり」
ずっこけているブルーを捨て置き、皐月と蕣はさっそく主従関係を育み始める。
「しゅ~んー」
「はーあーい~」
垂れ耳がいっそう垂れ耳になるくらい撫で撫でしたり、頬袋を左右にびょんびょん引き伸ばしたり、短い前足を摘まんで万歳させたり、上げたり下げたりしたり、
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「…………。」
嘉壱は、彼らの “主従関係” の定義に若干の違和感を覚えたが―――、遊ばれている当人が幸せそうなので、黙っていることにした。晴れて主人となった皐月だが、どうやら暇つぶしが欲しかっただけらしい……。
「それにしても…」
「――?」
嘉壱は、傍らにいる燦寿の、必要以上に大きい独り言に反応を示した。
「随分と、ひねりの効いた名前をつけたもんですなぁ。皐月は、あやつらの毛色から思いついたと言ったじゃろ」
東雲は早朝、その時間に空を染める色合い、そして植物なら、朝顔の別名であったはず。
とくれば、 “シュン” は、瞬く間に咲いてはしぼむ花を示す “蕣” だろう。
「朝顔は “浅い青” …… “あさ・あお” が語源とも言われておる。知らんのか? 花人のくせに」
むしろ皐月の方が詳しそうだという対比が、傍目には笑える。
「確かに、それぞれの花びらを絞った色水で染めたら、ただの二十日鼠も、あんな毛色になり得るわなぁ」
「――……」
嘉壱は無知を呆れられても、バツが悪い顔はしていなかった。ただ単に意味不明な奴と片づけて終わるところだったが、燦寿のお陰で、皐月という人間の捉え方がつかめてきた気がする。
「 “分かる者にしか分からない。それでいい――” …………」
何事もそうなのかもしれんが、見過ごされてしまうのがもったいない花というのがあるだろう。
「なぁ、嘉壱。お前さんも葎の蔓草が生まれ」
「――……」
「 “竹と人の心の直ぐなのは少ない” と言う」
朝顔の花期にはまだ早い。しかし、高く真っすぐな主柱さえあれば、どんなひねくれ者も、今に天を凌ぐ大輪のそれを咲かせてくれよう――?
しかし実際には、主柱となる者も、それにすがろうとする者も、そう率直になれぬものだ。あらゆる重みに耐えかねて、曲がってしまうことは珍しくなく、出会いと絡む様々な出来事によって、また思わぬ方向に振り向かされ、ようやく立ち昇っていく。
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「 “青丸” ――」
意図的な響きを感じ取って、青丸はぴくりと小さな肩を震わせた。
なんの気なしに主人となった少年を、物言いたげに見上げていた自分に、はっとした。
眉間にうんとしわを寄せ、気難しい顔を作った。だが、フワフワの白い毛をたくわえた頬の辺りは、しっかり赤らんでいる自覚がある。
蠅などいないのに、ぎこちなく、払子に似た尻尾を一振りして、躊躇いを見せたものの――
しばらくして、青い花染鼠となった一歩として、待ってくれている少年の肩へ、ひょいと飛び乗った。




