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払雲花伝〈ある花人たちの物語〉【塵積版】  作者: 讀翁久乃
◆ ―――――― 第二鐘 ◇ 眼力 ――――――
39/197

◍ 花染鼠(はなそめねずみ)朝顔の如く


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 空を背景に見れば、能面と大して変わらない無表情も、柔らかな質感を宿すのだと分かると味わい深い。


 二胡の弦のように細い黒髪がばらけ、それに頬を撫でられている気がするせかいか――……。木鼠二匹の意識は、時が刻まれる感覚を忘れ、その奇妙な心地に揺蕩たゆたった。



 “目” とは、都合よく実態を歪める不思議なものだ。かったるそうな印象でしかなかった皐月の寝ぼけまなこが、今は静かな慈愛を注ぐ観音像の半眼に見える――。



「 “しゅん” ……?」


「てぇ……」


「名前だよ。真夏の空と、曙の空みたいな毛色だから。夏空の “昊蕣コウシュン” と、太陽の光って意味の “旲蕣タイシュン” はどう?」


 “昊蕣コウシュン” と命名されかけているブルーは、ぱっかりと顎を落としたまま静止画のように固まってしまった。

 一方、 “旲蕣タイシュン” という、かわいらしい響きをあてがわれたにも拘わらず、凄まじい衝撃を受けたピンクは白目を剥き、頬のひげを痙攣させている。


(一介の小妖種に名前……? 薄汚いオイラなんかに、まさか。でも――……)



 感じたことのないキラキラした躍動が、毛むくじゃらの胸の真ん中で、どうしようもなく大きくなってきた。


「うぉお…っッ!?」


 ふいに足を跳ねのけられたブルーが、バランスを崩して声を上げた。

 ピンクは後方に、とてりん、と転がった彼には目もくれず、見開いた金色の両眼をいっそう輝かせて、皐月の足に飛びついた。


 誰かに呼ばれ、必要としてもらえるなら、この際 “蕣” だって “助” だっていい。というか、 “蕣” の方が断然カッコよくていい。



「おいら “蕣” がいいでやんすっ…!!」



「そお? よく見るとサーモンピンクだし……、 “東雲丸しののめまる” とかは?」


「蕣がいいでやんすっ! 旦那…、いえ親びんっ!」


「は?」


「ありがとうございますっ!! 一生ついて行きますッ! ほら、兄貴もっ」


 ブルーはピンクにひっくり返されたまま、まだ呆然としている。

 当たり前だろ……。これは歴とした珍事件だぞ。

 東雲しののめとは早朝のことであり、東雲色しののめいろといえば、やや黄味がかったその空の淡紅色を示す言葉だったはず。

 確かに色彩感覚としては間違っておらず、自分と対照的な見た目の相棒にあてがうのが妥当ではある――。


「なにしてるでやんす。早く早くぅ~!」


 ピンクは瞳孔が大きい漫画チックな両目をギュウ~っとつむり、起き上が()()()こぶし状態のブルーを、一生懸命()すり続ける。

 尻尾をS字にしならせて、フンフン揺らす。

 フンフン、フンフン、フ


「ややや…ッッ! ちょ、旦那!? 聞いてなかったんですかっ? 今ままでの話っ!!」


 悪夢から目が覚めると同時に跳ね起きたような顔面蒼白のブルーに、皐月はつまらないものを見る目を向けた。


「ブルーはブルーのままでいいの?」


「やや、だから、ひとの話を…」


「 “浅青丸あさしょうまる” ってのはどう」



「……………………。」







    ――――【 青き花・赤き花、ともに咲くと言えば 】――――



 頭の回転が速いブルーだが、こうも突飛なことばかり次々と並べられては、さすがに思考が追い付かない……。


「ほっほっほ! これは愉快、愉快!」


 背中をそらして呵々大笑した燦寿を振り向き、ブルーはもともと半眼の両目をジトっと据えた。


 燦寿は笑いを腹に収めるや、一転して幽玄な霞をまとった青山の如く、泰然と言いつける。


「貰えるものは、貰っておくがよろしい―――」


 誰かに名を与え、貰い受け、呼び合うという行為は至極日常的なことだが、言霊ことだまに縛られる不自由を生ずるため、鬼魅きみの間ではそう気軽ではない。受け入れたら最後、呼ばれる度に心身が応じ、その呪力に染まって行くこととなる。


「だが “名はたいを表す” ――……どうせなら、品行が良くなるよう、しっかり願いも込めてやってくれませんかなぁ、皐月」


 そやつらは行き当たりばったりの生活で、四六時中、腹の虫を鳴かせておる。わしが市場に現れると、どこからか湧いて出てきて、新鮮な果物に傷をつけたり、かじったり、しょうもない悪さばかりしましてなぁ……。

 

「基本は雑食なんじゃが……、花の蜜や甘い果実が大好物というから困りもの」


 燦寿は毛筆のような白ひげを撫で撫で、わざとらしく眉を八の字にする。


「そんなこんなで、退治するにも今一つ思いきれん……。何より、この愛くるしい見た目ゆえ、心に罪悪感が過ってしまい、慈悲深いワシは、結局、追い払うことしかできずにいる次第で…」


「嘘つけぇいっッ! いつも叩き潰そうとしてくるじゃねぇかッっ! 握りしめたくつ振りかぶってッ」


 五大明王顔負けのほむらを光背として燃え上がらせ、当代随一の高齢者が、筋骨隆々、青筋バキバキとなるその時の恐怖といったらないのだぞッ。


浅青丸あさしょうまる――、立派な名前ではないか。なんの不満があるというのか」


 かぶせ気味に叱責めいた問われ方をし、ブルーは思わず言葉に詰まった。

 不敵に鼻で笑うのが癖だが、久しぶりに三つ口の端を歪め、常にピンと反り返らせている両耳をヘタらせた。


「~~……、立派すぎやしませんかね。どうもしっくりこねぇと言うか」


「じゃ “青丸あおまる” でいいや。で、ピンクが…」



「蕣でやんすっ!」


「はい、決まり」


 ずっこけているブルーを捨て置き、皐月と蕣はさっそく主従関係を育み始める。


「しゅ~んー」


「はーあーい~」


 垂れ耳がいっそう垂れ耳になるくらい撫で撫でしたり、頬袋を左右にびょんびょん引き伸ばしたり、短い前足を摘まんで万歳させたり、上げたり下げたりしたり、



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「…………。」


 嘉壱は、彼らの “主従関係” の定義に若干の違和感を覚えたが―――、遊ばれている当人が幸せそうなので、黙っていることにした。晴れて主人となった皐月だが、どうやら暇つぶしが欲しかっただけらしい……。



「それにしても…」


「――?」


 嘉壱は、傍らにいる燦寿の、必要以上に大きい独り言に反応を示した。


「随分と、ひねりの効いた名前をつけたもんですなぁ。皐月は、あやつらの毛色から思いついたと言ったじゃろ」

 

 東雲しののめは早朝、その時間に空を染める色合い、そして植物なら、朝顔の別名であったはず。

 とくれば、 “シュン” は、瞬く間に咲いてはしぼむ花を示す “蕣” だろう。


「朝顔は “あさあお” …… “あさ・あお” が語源とも言われておる。知らんのか? 花人のくせに」


 むしろ皐月の方が詳しそうだという対比が、傍目には笑える。


「確かに、それぞれの花びらを絞った色水いろみずで染めたら、ただの二十日鼠も、あんな毛色になり得るわなぁ」


「――……」 


 嘉壱は無知を呆れられても、バツが悪い顔はしていなかった。ただ単に意味不明な奴と片づけて終わるところだったが、燦寿のお陰で、皐月という人間の捉え方がつかめてきた気がする。




「 “分かる者にしか分からない。それでいい――” …………」 




 何事もそうなのかもしれんが、見過ごされてしまうのがもったいない花というのがあるだろう。



「なぁ、嘉壱。お前さんもむぐら蔓草つるくさが生まれ」


「――……」



「 “竹と人の心のぐなのは少ない” と言う」


  

 朝顔の花期にはまだ早い。しかし、高く真っすぐな主柱さえあれば、どんなひねくれ者も、今に天を凌ぐ大輪のそれを咲かせてくれよう――?

 しかし実際には、主柱となる者も、それにすがろうとする者も、そう率直になれぬものだ。あらゆる重みに耐えかねて、曲がってしまうことは珍しくなく、出会いと絡む様々な出来事によって、また思わぬ方向に振り向かされ、ようやく立ち昇っていく。



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「 “青丸” ――」



 意図的な響きを感じ取って、青丸はぴくりと小さな肩を震わせた。

 なんの気なしに主人となった少年を、物言いたげに見上げていた自分に、はっとした。

 眉間にうんとしわを寄せ、気難しい顔を作った。だが、フワフワの白い毛をたくわえた頬の辺りは、しっかり赤らんでいる自覚がある。

 ハエなどいないのに、ぎこちなく、払子ほっすに似た尻尾を一振りして、躊躇いを見せたものの――



 しばらくして、青い花染鼠はなそめねずみとなった一歩として、待ってくれている少年の肩へ、ひょいと飛び乗った。




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