◍ 摩天の全貌
薫風が、柳の枝を吹き流す向こう――……。
皐月はつと、呼ばれたように水路の先へ視線を飛ばした。
「? どうした」
「―――…………、いや…」
嘉壱は橋の中ほどで立ち止ったついで、腕を組んで欄干にもたれかかる。
どうも皐月は、挙動不審なところがある。何やら、上の空となっている様子のその眼差しを追ってみて、少し納得した。
「ああ、鶴領峯か」
「かくりょうほう……?」
それは嘉壱にとって、目を瞠るほどのものではなかったが、確かに、思わず立ち止まりたくなる光景ではあった。
「お前は “あそこ” から来たんだよ――」
――――【 穹海山原の守蟲 】――――
「気象条件なんかが揃えば、稀に北穹とか西原も同時出現することがあるらしい。あの東扶桑山は、東方世界そのものだ。今日はなんだか、一段とそそり立って見えんな……」
半ば霞んでいるにもかかわらず、壽星台閣が引き立て役に甘んじるその圧倒的な山容を久しぶりに拝み、嘉壱も怯んだ。
「通称が “摩天” なのは、お前が暮らしてる高層建築物だらけの小天地があるからじゃなくて、母体自体が高山だからなのよ」
近いようだが、手前に見える連峰も、防風林のような裾野一帯も、こちらの側には存在していない。漆海という界境を越えた先の景色だ。
山肌をなでるように、幾筋も吹き流されて見える白いものは、余りある雨水が成した滝。そして、咲きしだれているあれが、東巉の世界樹――。
「扶桑花だとか、化け槿とか言われてる」
皐月は聞いているのかいないのか、涼風を感じさせるその光景を眩しそうに見つめ続ける。
「花は早朝に咲いてすぐに散りはじめるけど、翌朝また、新しい蕾が開く。日の出と同時刻に拝めた日には、単に神々しいってもんじゃないぜ? 何せ、 “太陽が生まれる世界” って言われてるくらいだからな。もっと満開になる」
「なんか飛んでるように見えない……?」
「あ? ――ああ、鶴とか鴇の群れだろ」
嘉壱は肩越しに目を細めた。よく見ないと分からないが、見なくとも知っているため、適当にいなして返した。
鴇は石柱群の狭間を飛び交い、老松や奇松に巣を作っている。
鶴は目の周りが赤く、羽先が灰白色の真鶴で、越冬のために界国間を渡る習性がある。
それを羅針盤として利用しているのが、東南の “渡し屋” だ。穹海山原の各所には、同じような商売人と、その使役のような “蟲” がいる。
鶴は霊峰、不如帰は霊界、燕は隠れ里、蚕は大天屏の谷。
虎は夢幻の杏林、蛤は天淵の干潟、白猿は、雲上のまほろばに至る、逆さ木の行き来を助けるという――。
「 “ムシ” ってのは、昆虫のことだけを示す言葉じゃねぇぞ? 人間だって裸蟲っていう蟲の一種だ。毛蟲が獣、鱗蟲が魚とか爬虫類、介蟲が亀・貝類、羽蟲が鳥類」
五蟲は良くも悪くも働き、結果的に様々な媒介を果たす。虫唾が走るのも、腹の虫が治まらないのも、全部 “蟲” のせいと言われている。
「なんでだろう。お前の口から聞くと、ただの責任転嫁に聞こえる」
「俺じゃなくて、昔の賢い人がそう説いてんだんだよッ。素直に聞いとけッ」
神代終焉後、神々の支配圏、所有物、利害関係は例外なく一新された。
一つだった世界が四圏に分断され、各地で按主の座を奪い合いながら、初の “国生み” が盛んに試みられた。
しかし、各世界を再形成した立役者は、新たにそれぞれの夜明けをもたらした、国生みの神々たちだけではない。
領地争奪戦を治め、国生みが試みられる前に、 “新世界樹の発根” が試されている。
華瓊楽が大旱魃に見舞われたのを機に、砂漠化し始めた原因も、根幹たるその “世界樹” に関係していた――。
体をひねり戻して、再び橋の高欄にもたれかかる姿勢となり、嘉壱は一転して険しい面持ちとなった。




