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払雲花伝〈ある花人たちの物語〉【塵積版】  作者: 讀翁久乃
◆ ―――――― 第二鐘 ◇ 眼力 ――――――
32/194

◍ せっかくだから、観光してきなさい



 *――お~お! そーだ、そーだ。

    せっかくだから、

    皐月を伴福街(ばんぷくがい)の土産物市場にでも連れて行ってやれ




「なんで俺が…」


「なんでアンタなの?」


「知るかあッ…!! つーかなんなんだよっ! そのいかにも不満げな顔はあッ!!」


 不満じゃなくて嫌なんだよね、声がデカいのが。唾を飛ばしてくるのもやめてほしい……という顔で、嘉壱は皐月にすべてを拒絶されている。


 李彌殷(リヴィアン)の居住地は、四世広場と呼ばれる中心地から、井の字に走る大通りで区画されており、今いるのは、萌神荘(ほうじんそう)から見はらせる西郭・北城市。霊廟や寺院がひしめき合うその狭間を、所せましと露店が埋め尽くしているエリア。



「嗚呼~…。なん…ッッつぅー最悪な日‼」


「それはこっちのセリフ」


 都など歩かせて、飛叉弥は一体何をたくらんでいるやら、考えたくてもイライラしてしまって、皐月はさっきから、ちっとも集中できない様子だ。米神がぴくぴくと脈打っていた。


「あのさぁ…、何だかんだ言ってるわりに従順すぎるんじゃない? あんた。悪いけど、こっちだって、悠長に土産なんか物色していられる気分じゃないんだよ」




 *――そんなに死にたいのか




 先刻、蛞茄蝓カナムの前で、自分が口にした台詞が何を意味しているのか――、それを自覚しているのか否か、皐月は後ろめたいことがあるように視線を外す。

 

 つと、どこかで甲高い赤ん坊の泣き声が上がった。

 道の左沿いに連なっている店から、痩せ型の若い女性が出てきた。

 接客に忙しい彼女の背中で、火がついたように泣きわめく赤子の声が、警鐘に聞こえてくる。

 人間だろうが人外だろうが、もし、このまま元いた世界に帰れないようなら、皐月は今にどうかしてしまう――……。嘉壱はそんな気がし始めていた。




「…い」


 往来の中で何やら思い詰めていた皐月は、ようやく腹の前に突き出されているものに気づいた。


「え…?」


 素焼きの茶碗だ。何処からやってきたのか、四、五歳くらいの男の子に、縁の欠けた茶碗をかかげられていた。


「お願い」


 聞き返さなくても分かるだろ、とでも言いたげに、上目づかいの彼は、素足の指先同士をこすりあわせる。

 裾がギザギザに避けた鼠色のズボンを履き、上半身は裸のようで、埃っぽい無地のボロ布をまとっていた。乾いた泥が(くるぶし)脹脛(ふくらはぎ)にこびりついている。

 髪は重たい印象を受けるくらい真っ黒だが、ひどくぱさついていた。磯辺に打ちあげられて干からびたヒジキでも被っているようだ。



「お願いって……」


 言われてもだよな。

 越境中の洞窟の闇の中で、唯一の所持品であった財布を失くし、この国の小銭はおろか、飴玉すら持っていない残念な異界人。

 皐月はさりげなく、すれ違う人に視線を送るが、皆、たわいのない話をしながら、周りなど見えていないも同然に通り過ぎていく。

 見かねた嘉壱が、後ろから手を伸ばした。



  ちりん――……



 器の中で踊る玲瓏な音。


 カビのような緑青が吹いた銅貨二枚と、あとは、煙草の吸殻が溜まっているだけだった器の底に、貨幣とは別の重みが加わえられた。

 男の子は不思議そうに、ゆっくりと腕を下ろしていった。

 

「いいか? この先に “テソ” って小太りのオヤジがやってる装飾品の店がある。五つ目の狭い路地を、左に曲がった石段の途中だ。そいつ以外には、絶対に売るんじゃねぇぞ?」


 彫刻だらけでゴテゴテしたデザインだが、指輪であることは形状からして分かったようだ。顔を跳ね上げると、男の子は八重歯のかけた歯を見せて笑い、ボロ布をひるがえして、旋風の如く立ち去った。


「あんたは幸福の王子?」


「なんだそれ」


「知らないならいい」


 嘉壱はさりげなく、右手をジーンズのサイドポケットにもどし、短いため息をついた。


「あんな茶碗の中に金を入れてやっても、そのへんのならず者に強奪されて、酒飲み代に転化されるだけなんだよ」


 ガキや宿無しに大金の管理なんかできっこないからな。その都度、必要な分だけ渡してやるよう、様々な知り合いに頼んで、貧民たちの金庫替わりになってもらっている。


「くれてやるなら、異界国の石ころの方がまだいい」


「あれ、シルバーだよね。ちなみにいくらになるの」


「入手した摩天では一万もしない安物だったが、外界製は希少価値がプラスされる。それにこの辺の飾師ならルートを察して、自分の腕を磨くための参考品としても少し高めに買い取るはずだがぁ~……、まぁ、せいぜい二万金瑦(クオル)か」


「二万円?」


「そっちの世界の価値で言ったら、三千円くらい。それでも、ひと月以上は食える」


 男の子の姿が小さくなって見えなくなると、嘉壱は悪人面を作って皐月に振り向けた。


「喜捨をしようと思えばできなくはねぇぞ。伏魔殿とか、煬闇あぶやみっていう闇市でなら、お前の生爪なまづめの方が、よっぽど高値で売れるだろうからな」


「……。」


 面白そうに言って、市場の野菜を品定めするようその右手を取り上げ、「指細(ゆびほっせ)。でも、なんか美味そ」と鼻で笑う。

 皐月はムッとして、振りほどいた。



「ねぇ、この国の王様って確か “紛れもない竜氏りゅうし” ……だったよね」


 それはいわゆる、本物の名君という人格者のことなのだとしたら、ああいう子供が市街をうろついている現状を、放っておいていいのか。



「手は尽くしてるけど、後を絶たないほどいるってこと……?」




                  

                  

                  


          ――――【 砂漠化の余波 】――――



 皐月は李彌殷リヴィアンの闇を垣間見ただけで、偉大なる華瓊楽カヌラ国王を非難するつもりはないらしい。一歩、先を読んだ質問をしてきた。


「……これでも、少なくなった方だ。南城門の酒場周辺には、北の寺院エリアに設けられた難民村より、路上生活のほうが気楽だってやつらもいる」


 嘉壱が答える気になったのは、さきほどから、飛叉弥の言葉が頭の中を巡っているからだった。




     :

     :     

     :

     *





「――いいか? この際だから忠告しておいてやるが……」


 軒先の水瓶に浮く睡蓮の浮き葉に、ひたりと、にわか雨の名残がひとつぶ落ちた時、飛叉弥はふいに、それまでの話の流れとは違うことを口にした。



「あいつはきっと、お前たちのことも視てるぞ……?」



 そう言う視線の先にあるのは、覇気のない横顔だ。皐月は深く自分の思考に入り込んでいるようで、ひとのことを観察しているようには到底思えなかったが――……。



 嘉壱は不穏な空気を感じ取った。


「 “視てる” って……、なんだそれ。どういう意味だよ」


「バカ」


 呆れ混じりに軽く睨み飛ばされた。


「分からないのか――? 俺も台閣も、色々と気をつけなきゃならない相手ってことだ」


「え…?」


 飛叉弥の紫蓉晶シェヴァイシスの瞳の中に、嘉壱はいぶかしげなもう一人の自分を見ていて不安になった。

 徐々に吸い込まれるような気がしてくるほど、じっくりと対峙させられ、胸の真ん中に揺蕩うこごりが妙におどろおどろしく思えてきた。



 しかしそれは、不思議と人を魅了する、危険な香りを立て始めている――。




     :

     :     

     :

     *





 歩き出すと、一見、無感情な皐月の眼差しが追ってきた。

 一定の距離を保って付いてくる彼の気配を感じながら、嘉壱は一転して真剣に語り出す。


「この国の貧富に極端な差ができちまったのは、政治のせいじゃねぇ。それと、今の華瓊楽カヌラを治めてるのはただの王じゃなくて、その上を行く “奎王けいおう” だってことを忘れてもらっちゃ困る」



 こちらの世界では、前人未踏の人外境に対し、人の暮らしが見られるところを広く “人原じんばら” と言っている。

 華瓊楽(カヌラ)に根付いた種の数は半端ではない。それだけ摩擦も生じやすかったが、文運をつかさどる星の名を冠し、奎王と称される王は、いわゆる人間界史上においての救世主―― “竜氏りゅうし” に匹敵する統治能力の持ち主。


「……。救世主どんだけ必要なの、この国」


「言っとくけど、お前は今のところ紛い物だからなッ」


 とりわけ、当代の奎王は、竜氏の使命をよく心得ていると評され、臣民に限らず、多方面から信頼の厚い人物なのである。


「 “君子はしゅうして比せず、小人しょうじんは比してしゅうせず” ――。小人物は偏った党派を作り勝ちだが、王たる器の持ち主は、広く公平な人付き合いをするものだと昔の賢い人が言っているように…」


「 “しょうじん” ……?」


「そ。 “小さい” って字に “人” って書いてー……」


小人(こびと)?」


「言うと思ったぜ」


 小馬鹿にして、さも得意げに笑う嘉壱だが、実は同じように間違えたことがある。ちなみに嘉壱の場合は、長い沈黙を味わった。誰も突っ込んでくれなかった。花連のメンバー全員がその場にいたのに、壽星台閣という公の場であったからだ。

 あの時の苦々しさといったらない。十秒ほど経って、飛叉弥に思いっきり後頭部を引っぱたかれ、無かったことにされた。



「よく分からないけど、とにかく自覚があるみたいで安心したよ――」



 我に返った嘉壱は、肩越しにチラッと皐月の心得顔をにらんだ。


「確かに、あんたたちみたいな排他的(はいたてき)小人には、勤まらない大役だろうね」


「ひとを醜いアヒルの子扱いしやがって…とか、そんなこと思ってんだったら言わせてもらうけどなぁ、「俺がお前らの仲間? へっ。笑わせんじゃねーや」って吐き捨てるようなアヒルの子は、醜くなくても受け入れがたくて当然だろうが。そこんところ勘違いすんじゃねぇよ」


 ただし、花人の仲間意識が幅狭いことは認める。

 他と共存を図るため、懸崖に咲いた花のように耐え忍ぶ特殊な生き方を強いられてきたせいで、自由な生き物とは、なかなか辛苦を分かち合えないという矛盾を抱えている。特に、むぐら生まれの心に潜む孤独感は深い――……。



 舌打ちして再び歩き出す。

 前方に、通りを横切る水路が見えてきた。


 嘉壱は赤レンガの石橋の中ほどに差し掛かったところで、歩調をゆるめた。

 水路の横幅は狭く、カヌーのような細長い荷船同士でさえ、すれ違うのもやっとだが、橋の高さはそこそこあり、竿さおがつかえない程度にトンネル状の弧を描いている。

 流れはとても穏やかで、途中から両脇の柳並木にそって蛇行しているため、折り重なる建物群の狭間に、流れ込んでいっているように見えた。



「……とにかく、さっきの坊主は戦争とか、不況がらみの情勢の悪化から出て来たような、ただの貧民じゃねぇ」


 ついてきた足音が、その時ふと、少し距離を置いて止まった――。



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