◍ 造世神霊(ツクヨミ)の紫眼 | 火種花
嘉壱は、なんとなく息をひそめて聞いている。
いつの間にか、風がぴたりと止んでいて、昼間なのに耳鳴りがしてきそうな静けさに呑まれていた。
くせの強い生糸のような白髪をさらりと傾け、うつむき加減となる飛叉弥の仕草すら貴重な音として耳につく。
「夜覇王樹の民が、現在の萼の地を獲得した北方の覇者でありながら、後の世において、罪人同然の運命に拘束され続けてきた理由を――、常葉臣に、なぜ神孫としての来歴を誤魔化そうとさせてきたか、考えたことはあるか……」
生き物は、魂とその器たる輪郭―― “魄” の生滅により転生を繰り返すのが世の理。月はその性格を体現している。命の周期を示したため、月神も豊穣や農耕に関与する神とされてきたが、花神との明らかな違いは、産霊と時化霊の両極を司っている点だ。
夜覇王樹の民は、まさに万物の化育だけではなく、再生を兼ねた死までも司る生滅の体現者。禍福を齎す神の中でも、とりわけ慰撫に務めるべきと恐れられてきた。
「なぜ蓮家の花人が “紫眼” に生まれつくのか――……」
月神を “造世神霊” と称し、この瞳が、創造主の脈印とされているのか。
「なぜ、水を崇め、あらゆるものを育みながら、その――……天にも劣らぬ美しい楽園に、戦火をもたらした人間の末裔を――」
“花人” を名乗る異端な鬼となったのか。
「それと皐月に、なんの関係があるってんだよ」
「無ければわざわざ話していない」
祖先の夜覇王樹神が、龍王の乱心に乗じて自身も大暴れし、千年大戦の火ぶたを切ったのは、実は “足抜き” を謀るためだったという解釈がある。
天柱地維たる世界樹の務めから、己を解き放つための破壊行為だったということだ。
一方、龍王の乱心は、その “龍眼” を欲した悪神にそそのかされたことによるという裏話があり、二つの事実は結びつきそうな距離感を、今も保ち続けている――。
飛叉弥は自分の首筋にある、蓮華模様のそれに触れる。
《 “彼らは、生来の重罪人である。とりわけ己を律し、弟妹たちの鑑となり、末代まで、かの幽谷の地を守り抜く定め” 》
「この華痣が証――……」
《 彼らの甚大な力は、彼らの国を滅ぼす脅威であり、神があえて彼らに与えた。かの楽園の平和を乱した罰として―― 》
《 “もし、これより先も三毒にまみれ、自戒せぬならば、次は己等に授けたその力が、己等の欲したこの地を破滅させることになる。愚かな人間たちよ……” 》
「そう心得るがいいと――……。血肉としては明らかな夜叉である俺たちが、罰と称して、花と人の狭間を歩かされてきたのは何故だと思う。特に脅威的な力に目覚めたのなら、それは花神に戒められて花人にされた、 “火種花の子孫” たる証拠だと…」
「おい」
嘉壱は、とんでもないことを示唆されて呆然となった。
「まさか……、あいつもお前と同じ “火種” の脈持だって言うんじゃねぇだろうな」
花人と名乗り始めて以来、夜覇王樹の民は、自害すらも思いのままに出来なくなった。何処にも逃げられない。死後の世界もない。自分の定めと向き合い尽くさない限り、必ず萼の地に、その魂は引き戻されると言われている――。
「飛叉弥、お前は実際に見たことがあるのか。あいつの華痣……」
蓮であれ、藤であれ、一目でなんの花か分かる花相であれば華冑――。花人としての業が深いと見なされ、足抜きなど、到底許されない定めであることを示す。
あまつさえ、月花の甘露欲しさに天花園を火の海にした者たちが負ったのと同じ華痣を発現しているなら、火種花の血筋といい、ことさら罪深い。争い事を招く己の因果と闘わなければ、間違いなく来世も同じ運命を辿るだろう。
そうした華冑の使命を背負える者は、正真正銘の華冑だけ。
「でも、俺みたいに…」
「ああ……」
飛叉弥はやや強い口調で、遮りながら首肯した。
実は、氏こそ菊嶋を名乗っているものの、嘉壱の身体に見られる華痣は、ただの飾り気のない花模様だ。
本人も、自分が荒地に茂る “葎” から出でた者であることを自覚している。どういうわけか、華冑に伍する霊応を開花させたため、菊家の長――当代の菊嶋家頭首が、門人兼養子として迎え入れたのだ。
飛叉弥は寄生木と呼ばれる彼ら、食客のような花人を抱える “大樹” として見込まれ、現在の関係に至る。
「未だにお前を受け入れない奴らも、萼にはいるだろうが――……、華冑の出身か否かを、判断の重点に置くべきではない。そうだろう?」
甚大な力だけで、すべてが立証されるわけでもない。大事なのは、様々な場面で要せられる覚悟の程だ。
氏種姓などともかく
「確かな支柱となってくれると見込んでいるから、こうして向き合っている――」
「なっ…、なんだよ。ずりぃな……、お前」
嘉壱は顔を赤らめてたじろぎつつ、飛叉弥を警戒する構えを見せた。
「い…、言っとくけど俺は、お前や菊嶋家みたいにはいかねぇからなっ!?」
皐月のことがいけ好かない気持ちは、微塵も変わっていない。他人を挑発し、怒らせるのが趣味と言わんばかりに見えた、比禹山出発前のあいつを思い出すだけで、腹の底がざわつき始める。
本当に自分たちと無関係なら、気持ちを察してやらなくもないが、何もあのように刺々しく、迷惑そうな態度をさらすことはないだろう。
「まぁ…」
嘉壱はふいに口調を緩めた。
少し躊躇いながら、再び池岸の皐月に視線をやる。
「 “類は友を呼ぶ” って言うし……、とんでもねぇ破壊力持ってそうな気はしてきたけどな」
「破壊力か」
飛叉弥は “紫蓉晶” ――紫の蓮に例えられる水晶に似た両目を閉ざし、自嘲気味に笑った。
百花の中でも至高の純血と、神代終焉に関わった大罪――、白黒相反する両極の性質を宿すのが、火種花の盟主として、贖罪に尽くさなければならない蓮家の〝王允〟である。
最も邪悪であったからこそ、最も清き花の痣、最も甚大な力を発現する紫眼、最も天下を揺るがしやすい王座の側に平伏し、時に〝竜氏〟と謳われるほどの賢君を擁立して、絶対服従を誓ってきた。
「水を崇め、森に潜み、昼と夜、善と悪の深い深い谷合で、萼という花の雨が――生死という転生が繰り返される神峰を守りながら……」
しかし、自分たちの肉体は、未だ血に巡る〝三毒〟に侵されている。
「あれから――……もう、何年になるのか。口調やかもしだす雰囲気、不敵な態度といい……、お前たちが歯を剥きたくなるのも無理はない」
*――坊主……
飛叉弥は脳裏にある光景を、悩ましげな言葉で締めくくる。
「本当は――……、あんな眼をする奴じゃないんだがな」
ため息混じりの語尾が、沈黙に溶けていった。
半ば独り言のようで、飛叉弥は思うがままを口にしている。そんな気がした。
一言一言に、懐かしむような響きが蔵されてもいるのに、肝心の皐月には、まったく覚えがない様子という矛盾が、横たわったまま――……。
すっかり覇気をなくした皐月は、もはや、水面の何を見つめているのか不明だ。雫を置いた浮葉か、水底か、はたまた、そこに映っている自分の顔なのかすら、傍目にはうかがい知れない。
皐月とまったく同じではないが、やはり飛叉弥も彼を見ているようで、違うものに意識を注いでいるのが、客観的な視点にいる嘉壱にはよく分かった。
「いくら耳が良くても、結局俺には、お前みたいな眼力や分析力なんてねぇんだよ。飛叉弥……」
須藤皐月は何者なんだ――。
嘉壱は声を低め、今一度、答えを引きずり出そうとする。
「皐月を――俺たちの “新たな大樹” として打ち据えようとしているわけを……、いや」
お前がその役目から退きたいわけを、教えてほしい。
嘉壱が一番知りたいのは実のところ、この華瓊楽を襲った砂漠化の元凶と睨まれてもいる飛叉弥が、汚名返上を掛けているはずの任務を、他人に押し付けようとしている真意なのである。
「壽星台閣が許したなんて、やっぱり信じられねぇ」
「嘘を言ってどうする。台閣は確かに認めてくれた。俺が “助っ人” を使うことをな?」
「……………………。」
ん? 今―――――、なんて言った?
飛叉弥にクスっと笑われ、嘉壱は懐いている子どものような反応を見せてしまった自分が恥ずかしかったが、取り繕うより今はむしろ、この安堵感を味わいたいと思った。
「俺がすべてを投げ出すなどあり得ない。本気でそんなことを疑われるような姿を見せてきたつもりもない。ただ――……、皐月に務めを代わってもらわなければならない事態が起り得てくるのは、確かに避けようがない時期に差し掛かっているんだ」
仔細は “時” が語る――。
前もって何を説こうと、それが事実だろうが、偽りだろうが
「お前たちはどうせ、すぐには受け入れられないだろう――……?」
ザワザワと、騒ぎだそうとしている木々の気配に乗せて、飛叉弥は問うた。
嘉壱は気づいていなかったが、部屋の入り口手前――、実は障子越しに勇が聞いていて、風に散らされた青葉のように、音もなく身をひるがえしていた。
◆ ◇ ◆
(2021.05.23 投稿内容と同じ。長文だったため、2022.01.15 分割)




