表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
払雲花伝〈ある花人たちの物語〉【塵積版】  作者: 讀翁久乃
◆ ―――――― 第二鐘 ◇ 眼力 ――――――
30/194

◍ とある龍の伝説 月花神の民

 

 萌神荘に戻ると、皆、当然のように自室にこもってしまった。

 せっかく休日となったのに――……。



     |

     |

     |



 午後の長閑(のどか)な青空を、白い雲が流れる。 

 静かだ。

 嘉壱は軽く息をついた。

 生活観のない、十畳ほどの板の間にいる。廊下に巡らされた高欄の彫刻こそ装飾的だが、室内は質素で、文机など最低限の調度と円座しか、出しっぱなしにされているものがない。


 繊細な千本格子に、真っ白な華楽カラク紙が貼られた建具が、ほどよく眩しさを和らげてくれている。


 この屋敷は、獅登山そのものと言っていいほど、とにかく広い。

 各臥室も、造りは一間ひとまの一軒家。

 元は寺院園林だったが、それを私家庭園に改修した前園主は、隠居後も社交界の中心にあった上流貴族である。歓談するための建物が多く、おおよそが回廊で行き来できる。


 飛叉弥の臥室は西のはずれ――池泉を眺めるために建てられた半水上の佇まいで、起伏にとんだ奇岩や高木に遮蔽され、ひっそりとした場所にあった。




 *――そんなに死にたいのか



 

 嘉壱は、向かいの池岸から迫り出している大柳の下に、一人ぽつんと佇んでいる皐月を、これまでとは違う気持ちで見つめていた。


「確かに、そう言ったんだな……?」


 飛叉弥からの問いかけで我に返り、嘉壱は皐月の表情につられて、なんとなく沈んでいた気分を引きしめる。


「ああ。俺には聞えた。声色も、まるで別人みたいだったぜ……?」


 少し前、にわか雨が降った。

 自分たちの視線の先で、皐月はふと、呼ばれたように足元を見た。

 近くの小岩に腰掛けると、白玉のような露を散りばめて浮かんでいる睡蓮の葉に、指先を伸ばした。

 虹色の輝きが瞬く爽やかさの中、その横顔は対照的に物憂げで、戸惑っているふうにも見える。


「変な奴だな……」


 珍奇な動物を見つけたような嘉壱の呟きを、飛叉弥はくすくすと笑った。


 嘉壱は横目に、その口元の笑みが薄れゆくのを見ていた。



「飛叉弥……」


 遮るものがない天空を好む “青翆玉ウォルスオク” の瞳で、静かに除幕を促す。

 正直、仲間たちに対して、これ以上どう皐月への興味を持たせようか考えあぐねていたはずだ。願ってもない展開だろう。


 先刻、蛞茄蝓(カナム)の腕を焼き切ろうと薫子が地を蹴った瞬間、わずかに動いた空気を伝って、この耳には、皐月の韜晦とうかいを証明するかのような呟きが届いた。

 さすがと褒めてもらいたいところ。風霊カザミを寄せ付けやすい花人を輩出してきた名門の菊家きっけは、驥足きそくを絶やしたことがないだけでなく、王家がかつて、あからさまな軍閥政治を行っていた時代の名残も色濃い一族である。

 だが、生い立ちが特殊な自分は、良くも悪くもその闇に染まっていない。今、すべてを明らかにされても、信じられないことばかりかもしれない。



 暴く側のこちらも、暴かれる側の皐月あちらも、何一つ “間に合っていない” のだとしたら――……。

 




「ある “黒龍” の話をしよう……」



 重々しい沈黙の末、妙な切り出し方をした飛叉弥を嘉壱はいぶかしむことしかできず、案の定、黙って聞き入ることになった。






           ――――【 燭龍しょくりゅう 】――――



「原始世界の勢力図を模した地理書によると、北海という所の鐘山しょうざんと名付けられた山を住処にしていたらしい……」


 飛叉弥はおもむろに語り出し、記憶をたどるように紡いでいく。



 それは、神代じんだいと謳われる悠久の時代が終わるよりも、始まるよりも前――……、世界が一つの大岩であり、そそり立った山々が鶏の卵のようであった頃、その混沌たる闇の中で、天地開闢をもたらすことになる創造神の一柱が目を覚ました。

 

 新世界の因果が実る度、同じような事象や、神の誕生が繰り返されてきたという。

 何も見えないことに戸惑い、怒りを覚え、切り裂いた闇の断末魔とともに万物を生み出し、二度とそれらが混ざり合うことがないよう、そうした神らは、隔てる柱として立ち続けることになるのだとか――。



「清らかで軽いものは浮かび、穢れて重いものは沈み……、俺たちの祖先が崩壊させた “四生界” も、ある因果から生じた神代の一つ」



 “天地の柱たる神” の神話は複数あって、現に同世界で何代も、何柱も存在したのかもしれないし、別世界の話や、後世の都合で追加された “紛い物” が混ざり混んでいる可能性もある。龍王の伝説もしかり――。

 

 飛叉弥は眉根を寄せ、名だたる史家らも五里霧中であることを顔に表した。


 黒龍は暗がりを好むため、水底に住んで闇を司る。邪悪と忌み嫌う国もあれば、北方の守護神と神聖視する国もある。

 四生界しせいかいの末期においては、燭を口に加え、八雲原やくもばらに閉ざされた常夜とこよの下界を照らし回った。

 この異聞を信じている国では、火の災いを降らせる火神や、太陽神と同一視されている。



「ちなみに、北紫薇ほくしびの最北にあるうてなでは “極光の化身” と見なすと同時に、瑞兆とも、凶兆とも考察がなされてきたらしい」


「 “きょっこう” ……?」


 嘉壱はその単語を知らず、頭の中で様々な字をあてがった。


 待っていたら日が暮れると見てか、飛叉弥は嘆息交じりに付け加えた。



「極寒の北の地に、太陽が影響して、夜空から降り注ぐという七色の光のことだ……」



 うてなの歴史が紡がれ始めたのは、約二千年前。

 四生界の崩壊を機にはじまった現化錯界(かさっかい)に、各按主(アヌス)が誕生し、秩序ができあがるまでの千年――、これがいわゆる千年大戦時代である。

 禍福をもたらす様々な神が入り乱れ、新たな宿地をめぐり、骨肉の争いを繰り広げた末、北紫薇巉ほくしびざんの東方を某天鬼神が治めた。花人の起源にまつわるとされる “花神” だ――。


 花神が君臨する際、雲から地上に向かって生えてきた “天蓋樹てんがいじゅ” という大木とともに、極光が出現した。この出来事は、うてなにおける国生み的史実の一部に当たるが、聞いての通り、おとぎ話のようで現実味は薄い。

 それでも、 “花人” について説いてきた常葉臣ときわおみという語り部たちは、萼の立派な神官であって、あくまでも正史を綴る史官。

 花人の前身についても、彼らの言い伝え通り “花神から月花の甘露を盗もうとした罪人の末裔” である。



「それでいい。常葉臣の伝承の信憑性と存在意義を保証してきたのは、何を隠そう俺たち、王家の血筋だからな……」



 これによって、萼を統べ治める者は王徳を開花させた人間に変わり、全権を握っていた各王家は〝ちゅう〟と改められて、花人の掟を体現する根幹的存在――かがみに徹することとなった。


 だが、神典しんてんを読み込めば分かる。神代史と神々の系譜を収めたというここに、前世界の始まりと終わり――礎そのものであった創造神たちのことが記されている。

 花人を生み出したと言っていい花神の正体は、単なる草花の精ではなく――……、



「万物化育の産霊神ムスビがみ――夜覇王樹セレイアス・ランサの血族としか考えられない。花人はその神孫である、夜覇王樹セレイアスの民で間違いないんだ……」



 そして、花人はただの夜叉ではないことも分かる。

 祖先の夜覇王樹セレイアス・ランサが恐ろしい鬼神である反面、夜を支配する豊穣神であった理由は――、水と聖樹を崇拝してきた根本的な理由は―――



「夜叉族という以前に、某花神と “月神の血” を引いているためなのだと……」





〔 読み解き案内人の呟き 〕


【 燭龍 / 黒龍 】

作者の創作ではありません。おおよそ飛叉弥が語っている通りです。



【 夜叉(薬叉)】

森に棲み、樹木と関係が深く、水を崇拝する性格の鬼。

人間に恩恵を与える一方、害をなすという半神半鬼。

夜にその力を発揮する。



【 ツクヨミ(月神)】

甘露・変若水など、若返りや不老長寿の薬の持ち主。月自体にそれがあるとも言われ、満ち欠けすることから、月は死も象徴するという二面性を持っている。

日本の神話では、月神に殺された穀物神から、農民の生活を支える様々な物が生まれた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ