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払雲花伝〈ある花人たちの物語〉【塵積版】  作者: 讀翁久乃
◆ ―――――― 第二鐘 ◇ 眼力 ――――――
29/194

◍ 退治してみなさい



 獅登山から直線距離にして、西南方向に約三十キロ――。

 比禹山(ひうざん)はその西側の麓一帯に、暗婁森(アンファール)樹海という魔の密林地帯を抱える群峰である。


 東側の人里に渓谷があり、森に直接踏み込める入口となっているが、里の男衆が成人になった際の度胸試しとして赴くか、それ以外は腕っぷしを鍛えたい傭兵・刺客・呪術師などが修行に繰り出すくらいなものだ。


 南の奥地は、按主アヌスを争うとりわけ獰猛な種の縄張りとなっている。

 北一帯は弱小妖魔の溜まり場。


 と、いうわけで



     |

     |

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「着いたぞ……」


 嘉壱は、静かに告げると同時に目を開けた。

 半径四メートルほどの周囲を、高速で駆け巡っていた蒼い風の壁が糸状にほぐれ、ふわっと頬をなでて消えた。


 《 クスクス――…… 》


 頭の後ろで、多重の笑い声が聞こえる。子どもか、若い女のような高めの声で、風が治まったころ、螺旋を描きながら、上空に吸い上げられるように昇っていった。

 その気配を感じていながらわざと無視しているのか、そもそも感じていないのか分からないが、皐月は正面をにらんでいる。


 彼を連れてきたのは鬱然たる森の谷底だ。沢のせせらぎや、小動物の鳴き声も聞こえず、()のような羽虫の舞う影一つない。



     :

     :

     *



「もしかして、歩いていくの?」 


「バーカ。比禹山(ひうざん)まで、どんだけかかると思ってんだ、お前」


 萌神荘を出発する前、嫌そうな顔をして尋ねてきた皐月に、こっちも嫌々なんだと分かるよう、ため息を返した。


「風使いのオレ様が、運んでやるのよ。徒歩だと八時間近くかかっちまう」


「ふうん……、便利だね、風使い――……」


 皐月は無表情になると、抑揚のない声でそんなことを呟いた。 



     :

     :

     *



(なんか引っかかるんだよな、こいつ……)

 先に歩き出した薫子に黙ってついていくその背中を、嘉壱は胡乱(うろん)げに凝視する。


 嘉壱の後に、柴、啓、満帆と連なり、勇が最後に踏みだすのを見てから、飛叉弥も少し距離を置いてついて行く。



蛞茄蝓(カナムはね――? 移動するとき、それぞれが体内に集めた生気を持ち寄って、一か所に集まるの。意思を持った本体である一匹の元にね……」


 薫子は足音に極力気をつかいながら、幾重にも垂れ下がって邪魔してきた最後の(つた)を手で退け、潜った。

 種々の植物が競い合うように混生している雑木の中、忽然と現れた不自然な空所の中央に進み出ていく。

 真上から降りそそぐ光は、スポットライトを浴びているのと同じ状況を演出していて、これではまるで、リングの上に立たされるボクサーだ……。

 嘉壱はそう思いながら、気を引きしめた。



「――さあ、新人さん? お手並み拝見といこうかしら」


 両肘を抱え、薫子が艶やかな紅唇をつり上げる。


 皐月は不安顔をするわけでもなければ、眉をひそめるでもなく、ただ、そこで自分を待ち受けていた光景と、じっくり向かい合った。


 ここだけきれいに青空が覗いているのは、まさしく蛞茄蝓カナムが集っている場所だからである。下り立った直後から臭ってはいたが、辺りには(ドブ)さらいをした時の、吐き気をもよおすような臭気が凝っている。


 皐月は、自分の爪先から一メートルのところで、異様な動きをしている地面の黒い物体に視線を落とした。

 少し大きめのナマコに近い姿で、のろのろと這った跡に粘液を残し、それが草木を溶かしてヘドロ化させている。


 皐月の眼差しに気づいたのか、つと、一匹が威嚇するように無数の鳥肌をたて、突起させた先端部分から、紫色の毒々しい霧を噴き出した。

 一方では樹木の幹に、もう一方では何かわからない動物の死骸に――、とにかく足の踏み場もないほど、そいつらは生気への執着心をたぎらせてうごめいている。


 満帆は口元を押さえて、すっかり涙目になっていた。


 風はない。雨雲がわき立ち、靴底の不快感を流してくれる気配も、当然ながら望めない状況だ。だが、花人なら自然の力を自在にできる――。



 薫子が得意げに続ける。


蛞茄蝓(カナム)は見つけたと同時に駆除してもいいのだけど、広範囲に点在している場合は、本体のもとに帰ってくる頃を見計らって、退治する方が効率がいいの。〝術〟を使ってね」


「……術」


 皐月は小さく呟いた。語尾に疑問符はついていなかった。聞き返したわけではなく、無意識に口にしたようだ。


「〝纏霊術シンバドラ〟っていう一種の交霊術だよ。そういえばお前、白花(びゃっか)は? 空気浄めたほうが、寄り付かれやすくなるぞ? 霊応を増幅させるドーピング剤でもあるし、お前にはなおさら必要だろ。俺のを一片(ひとひら)くれてやるよ。何でもいいから、早く自分が起こしたい現象を具現化させて見せろ」


 嘉壱の言葉を合図に、メンバーはそれぞれ皐月を包囲するよう、蛞茄蝓(カナム)の侵食が比較的及んでいないスペースに移動していった。


「お前の霊応のタイプは知らんが、花人の自覚がなくとも素質があるのなら、漠然とイメージするだけで〝現形化(げんぎょうか〟くらい可能だろう」※【 現形:神仏などが人前に姿を現すこと 】


 柴が補足説明を加える。



「――今のところ、あいつに寄って行く蛞茄蝓(カナム)はいないみたいだね」


「ああ。俺たちよりも強い生命力があるなら、まっさきに(たか)っていってもよさそうなものだがな……」


 啓の小声に、柴は凛々しい眉をひそめて返した。


 化錯界かさっかいには、生き物の生気を吸収することで命を繋いだり、進化を遂げる鬼魅きみがいる。万物の成長を促す産霊ムスビを練り出せる花人は、そういった輩に襲撃されやすい。


 七彩目は〝造現力ぞうげんりょく〟といわれるこの手の力の強弱や、霊応(タイプ)を示すと同時に、そいつの素性を手繰るヒントになる。

 紅眼なら、主に火霊ホダマ脈持(みゃくじ)。藍眼なら、水霊ミズチの脈持。


「紫眼なら万将ばんしょう造世神霊ツクヨミの脈持……。飛叉弥と同じ、生滅を司る蓮家の花人ってことだよね?」※【 脈持:ある神霊・妖魔の因果を身に帯びている存在 】


 柴は(うなず)いた。


 正体を明らかに出来ない理由は不明だが、皐月はあくまで、飛叉弥の代わりを務めるために召喚されたのだ。


「七彩目は不可視化されているだけで、霊応も眠っているに過ぎないというなら、危機的状況下に置いて、無理やり覚醒を促すしかないだろう」


「でもぉ……」


 柴の巨体の後ろで、満帆がうつむいた。


「本当に、こっちの世界で、花人が人間を装うなんてことが出来るのかなぁ。七彩目も(はな)(あざ)も、簡単に消えるものじゃないから、私たちの〝極印(ごくいん)〟になってるわけだし……」


 啓と柴は視線を交し合った。確かにそれは言えている。

 炎のような緋色の瞳や、海のように深い藍色の瞳。夏山の斜面を切りとったかのような緑色の瞳や、夕焼けに染まる大地のような橙色の瞳――……。

 どれほど美しくとも、それらは自然を侮り、穢そうとした罪人たる証とされてきた。風が吹き渡る空のような青色の瞳も、(いわお)を打ち砕く雷光の、眩い一撃に散る、火花のような朱色の瞳も。


 有明の天穹てんきゅうを映し出したように神聖な、紫色の瞳さえも―――。




    *――ホラ……




 白花を渡そうと歩み寄っていた嘉壱は、皐月の指先が震えていることに気づいて足を止めた。


「? おい…」


 よく見ると、皐月は強ばっている自分の手足に愕然としているようだ。

 



 *――ホラ、来ナヨ。遊ンデヤルカラ





「だめか……」


 飛叉弥が舌打ちしている一方、皐月を取り囲んでいる他五人も明らかに様子がおかしいと気づいて、何が起ころうとしているのか見定める体制に入った。


「どうしたんだ? あいつ……」


 やや緊張気味に問いかけてきた啓に対し、柴は険しい顔つきとなった。


「分からない。だが……」


 皐月は光あふれる頭上をのろのろと仰ぎ、視線をさ迷わせはじめた。


「あそこに何か視えるか――?」


「……いえ」


 勇からの問いに、薫子は否定を示しながらも真剣な眼差しを注ぎ続ける。

 こんな虫けら一匹退治ることのできない少年が、花人を名乗るなどあってはならない。この花連を指揮するなど。

 飛叉弥が、務めを放り出すなんてことも有り得ない。本当に体を病んだのならともかく、自分たちは知っている。彼ほど責任感の強い男はいない。

 なぜ、華瓊楽(カヌラ)に皐月を――どうして自分たちと、関わらせようとしているのか。


 一体、なんのために――……。



 後方の少し離れた所で、険をにじませている飛叉弥から、薫子は視線を前に戻した。

 さりげなく、足元に転がっていた小石をつま先で引き寄せると、左前方の木の根元に集っている蛞茄蝓(カナム)の一群に向けて、蹴り飛ばす。



  びちゃ…っ



 蛞茄蝓(カナム)の固まりが、音を立てて弾け散った。石が当たったからではない。見かけにそぐわない俊敏な動きで、薫子の攻撃をかわした蛞茄蝓(カナム)たちが四散し、すぐさま中央の一箇所に集まりはじめた。


 次から次へと、誰に促されるわけでもなく飛びかかり、積み重なっていく。軽い小山を築き上げたが、ふいに軟化し、どろりと音を立てて溶け出した。

 広がっていくのかと思いきや、流動物の映像を逆再生したかのように、元の位置へ向かって収縮ていき、最後はゆっくりと、樹木の高さを上回るほどの巨大な人型となってそそり立った。


 安定感はない。実体にともなって伸び上がった影が、ゆらゆらと左右に揺れ動く。




 《 …アァァ……。邪魔スルカ、オマエ、邪魔スルカァァ………… 》



 奇妙にたわんだ声が、鼓膜の内側に響いてきた。




                

                



         ―――― 【 嘲笑 】――――



 石をぶつけたのは薫子だが、蛞茄蝓(カナム)は、たまたま正面にいた皐月に首をかしげている。


 脳を持った一匹に融合する瞬間は素早いのだが、それはボディを引き寄せただけに過ぎず、基本的には遅鈍な妖と言われている。

 変形した姿は、ちょうど動物のナマケモノのようで、長めの両腕をだらりと地に下げ、人型蛞茄蝓(カナム)蟹股(がにまた)に歩きだした。


「おいッ! 白花いらねぇのかよ、お前ッ! 来るぞ!」


 嘉壱は口元に手を添えて叫んだが、皐月はまるで聞こえていない様子だ。


 極上の餌食と蛞茄蝓(カナム)が見なし、集っていかなかった時点で、彼の黒眼は本物と証明された。

 つまり、今のままでは、纏霊術シンバドラを使えない文字通りの役立たず。

 あとは、常人以上の身体能力が具わっていることくらいしか期待の余地がなく、それを確かめようと、薫子は蛞茄蝓(カナム)を挑発したのだろう。


 凛然たる態度で見守っている彼女から、嘉壱は皐月に視線を戻し、手に汗を握る。


 蛞茄蝓(カナム)が、ニタリと口端をつり上げた。



《 アァァァ……。オマエ、ワシガ怖イカ。ヒャヒャヒャっ、怖イノカ…… 》


 まだ生まれたばかりも同然の、頑是無(がんぜな)(わっぱ)よ――。


《 コノワシガ怖イ? 怖ィィイ……? 》


 嬉々として声を上ずらせる。蛞茄蝓(カナム)はさらに腰を曲げ、暗く濃い影で皐月を呑みこんだ。



《 オマエ、違ウナ。コノ地ノ者、違ウ…… 》


 異境の生物なまもの


《 奇シキ力、得ラレルト聞ク。マサカ、伏魔殿ヲ介サズニ、遇エルトハ……、ヒャヒャヒャヒャヒャヒャッ 》




 ただただ、嘲笑を浴び続けている皐月の背を見ていられなくなったのか、柴がため息をついた。


「もうこれ以上、試しても意味はない。余計な怪我をしないうちに、引き下がらせるべきだろう……」


 生命力、霊力ともに豊富な自分たちなら、蛞茄蝓(カナム)に触れられても大事にいたることはないが、人間の場合、ナマコ状態のものでも、すぐに取り払ったとして二、三日は()せってしまう。体力のない老人や子ども、病人なら尚更だ。


 とうとう退治できない皐月に、啓は鼻を鳴らした。

 あくまで飛叉弥が推挙する奴だ。ただ者ではない雰囲気をかもしている方に、五千歩ゆずって賭けてやった望みも、今ここでふいになる。


 嘉壱も呆れ交じりに、鼻から息をついていた。(なんだったんだ一体。俺たちを散々引っ掻き回しといて、何がどうなってやがる……)

 小さく舌打ちした。仕方なく助けに入ろうとした

 その時――



 一陣の風が。





   ざしゅ…っ




 ぐらりと左に傾き、仰向けに倒れていく巨体に、嘉壱は呆然と見入った。

 黒い粘液が、目の前で飛び散った。


 今まさに、皐月の首をつかもうと伸ばされた蛞茄蝓(カナム)の腕が、どす黒い体液を散らしながら地に転がる。





 《 グぅ…っ、ギャアアアアァァァァァーーーーっッッッ!!! 》





 虚空に向けて絶叫し、火だるまとなって燃えつきるその最期を前に、皐月は立ちすくんだまま、微動だにしていなかった。


 蛞茄蝓(カナム)を斬ったのは薫子だった。皐月の真横から、すくっと立ち上がった。



「話にならないわね……」



 彼女は右腕に(まと)った炎を払い、冷たい一瞥(いちべつ)を与えた。


 啓と満帆――柴も、それぞれ後に続いて(きびす)を返した。

 彼らが――そして、勇が素通りしていくのも、飛叉弥は黙って許した。

 まだそこに、ぽつんと佇んでいる少年の様子を、なんとも言えない表情で見つめている彼に、


「飛叉弥……」


 蜘蛛の巣を払いながら歩み寄った嘉壱は、




「ちょっと――…」







          ――――【 地獄耳 】――――



 振り返った格好で立ち止まった勇を、不思議に思った柴が、少し先で足を止めて待つ。


「どうした」


 勇は足早に追いつき、追い越した。


「? おい」


「……なんでもない。気にするな」


 抑揚のない声音で言うのはいつものことだが、なんだか避けられたように感じて、柴は小首をかしげた。

 残っている飛叉弥に何やら話しかけに行った嘉壱を顧みていたようだが、この時の柴にはそもそも、気にする必要性が感じられなかった。


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