◍ 月花の甘露 三つの毒
池岸にひしめいている菖蒲の葉、外の竹林が、風のざわめきに大きく揺れ動いている。
「……――あんたたちが、前世界を滅ぼした、とんでもない破壊神の血筋だってことは、なんとなく分かった」
鬼とはいえ、さすがに罪悪感を抱いて、趣味と実益をかねながらも、贖罪に尽くしてきたというのなら、これは一体どういう了見だ。あくまで無関係を主張している赤の他人を、巻き込もうとしているのに――
「悪びれもしないわけ……?」
――――【 三毒 】――――
庭へ視線を外す皐月の声色には、嫌気がさしている。
深い庇に覆われた室内は薄暗く、その分、屋外の緑が鮮やかに感じられる。
そんな初夏の眩しい景色を背に座らせているせいか、十代の少年には似つかわしくない、濃い影を落として見え、飛叉弥は沈黙を置いた。
「お前も、同じ運命にある同胞だと言っているだろ。俺たちの先祖は “花人” と名を変えて以来、夜覇王樹の民であることを、世に伏せてきた節がある。まったく別の種族として生きるためには違いないが、罪から逃れるためじゃない。その逆だ……」
夜覇王樹神の直系を含む王家勢力は、弱者に軍事援助を施す萼を建国すると同時に、歴史編纂を担う語り部の庭を拓いた。そして、夜叉としての残虐行為や暴走を抑制する “掟” と、それを敷く根拠として “正史” を綴り、世に広めることにした――。
―― * * * ――
《 汝、人にして人にあら不――。語り部たち曰く、すべては花人の祖先にあたる人間たちが、天花園をその主である花神から、奪い取ろうとしたことにはじまったという 》
花人は欲望の悪果から生じた生来の罪人であり、もはや “鬼” と呼ぶべき存在。あらがうことも、逃げ出すことも、自ら命を絶つことすら許されず、己の過酷な運命を象徴する華痣を延々と受け継ぎ、苦しみ抜く定め。
《 現に、戦場へ赴くことを唯一の救いとするようになった当代、その忌まわしい痣は、かの地に今もなお縛り付けられている末裔らの四肢にも見られ―― 》
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「未だに、消える気配がないという――……。人間には禁断に値する領域や、御しがたい呪物――、決して手に入れてはならない魅惑の宝物があるという話は、どの世界の神話にもつきものだろう。萼の場合は、とある花の神の楽園から霊薬たる “甘露” を得ようとして、戦火を招いた愚かな人間たちがいたという内容だ」
羽のように軽く、なめらかな花弁、頬ずりしたくなるほど繊細な蕊と、金月の砂子を思わせる花粉を蜂の如く貪欲にまといながら、彼らはついにそれを味わい尽くした。
体を満たしていく芳香という幸福感、心身の隅々まで潤う時間の充実と悦びのすべてが、その蜜には確かにあったと。
「だが、これは人間たちにとって “毒” を得たに過ぎなかった。永遠に、その苦しみから逃れられなくなる、三つの毒……」
―― “欲望” ―― “怒り” ―― “無知” ――
「俺たち花人は、この “三毒” に侵された人間たちの子孫。そう自身に言い聞かせて生きるようにしてきたってわけだ」
己のうちに巡る毒と闘わない限り、神代崩壊と新世界の幕を切った責任を取るための戦場から、解放されることはない運命であると――。
「あんたみたいな、いかにも暴れん坊っぽいタイプが、そんな荒唐無稽な拘束具に、大人しく繋がれてきたわけ?」
「国が正史と定めた以上、これ以外の花人の起源を信じることは国事犯に値する。先祖が花盗人であろうと、神代崩壊を招いた夜叉だろうと、それなりに業の深い血筋には違いないしな……」
戦火や飢え、病に苦しむ衆生に尽くせ。抗えば余計に首がしまる。人生を与えられてはいても、花のような生き方しかできない。 “花人” と名乗らなければならない鬼の定めというのは、そういうものだ。
「お前ももれなく、その茨に巻き取られている一人というわけさ――」
〔 読み解き案内人の呟き 〕
【三毒】とは……
善根(種々の善を生じる根本)を毒するという人間の三大煩悩。……だそうです。




