◍ 救世主はダメ人間…?
「ねぇ――?」
一段と不愉快そうな声に嘉壱が振り向くと、飛叉弥のすぐ左手前に正座している対黒同舟花連の女傑――桜源嶺薫子の美貌が、苛立ちに歪んでいた。
「こんな子に何ができるって言うのよ。飛叉弥、あなたまさか、自分だけ萼に還るなんて…」
「言うわけないだろ。華瓊楽には志願兵としてきたが、実質左遷されたようなもんだし? ただでさえ俺は人生色々あって、夢も希望も潰えたに等しい、落ち武者のような~…」
「冗談じゃないッ!」
飛叉弥から見て左の並びに座していた一人が、自分の円座を蹴散らして屹立した。
摩天と聞いて「文明社会の超最先端じゃんかっ!」と驚嘆したのは彼――、最年少の喜梨啓丁である。まだ十四歳で、この華瓊楽での任務に適応できるか、最も慎重に審議がなされたが、弓の名手には違いなく、今では立派な隊士の一人だ。
「なんでこんな…っ」
一瞬、理性が止めに入ったようだが、啓は振り切るように勢いをつけて言い放った。
「なんでこんなッ、いかにもヤル気のない寝ぼけ目野郎が、今日から俺たちの隊長なんだよおっ!」
ピクっ…
食い欠いた個所から、せっせと饅頭の中身のつぶあんを掻きだしていた人差し指が止まった。
今のは聞き捨てならないとでも言うのか、眉間に深いしわを刻んだ “寝ぼけ目野郎” に睨まれて、啓は負けじと捲くし立てる。
「摩天なんかでのうのうと育った奴に、飛叉弥の代わりが務まるわけないだろ⁉ そもそも、花人が萼以外の土地に生まれつくなんて、おかしいじゃないか!」
伝承と矛盾してしまう。
「誰も摩天の生まれとは言っていない。事情があって、そっちに隠れ住んでいただけだ」
「へぇー、初めて知った」
声量大の独り言を差し挟んできた皐月に、飛叉弥は汗粒を一つ、額に浮かべる。
「本人だってこう言ってるしッ、花人なら瞳になんらかの応色が見られるはずでしょ⁉ 須藤イツキだか、タツキだか、タヌキだか知らないけどぉ!」
「皐月だ、皐月…… “五月” って意味の」
もはや面倒くさそうにダラダラと突っ込んでくる飛叉弥を無視して、満帆は皐月のほうを振り向いた。
「この子の目は……っ、どう見たって黒眼じゃないッ!」
皐月はまるで、そよ風を感じているような顔で、饅頭を皮だけにし終えると、ようやく美味そうに頬張りはじめた。
「そーそ。視力も1.0で普通。人間で間違いないし」
「ウソつけ。お前は裸眼で暗視ゴーグルつけてる並みの視力だろうが。レイザー光線並みだろうが」
皐月は飛叉弥の突っ込みを受け流し、饅頭を一口大に割っては、口に放り込む。
「主食も米、時どきパン。好きな料理はハンバーグ」
「ただ単に軍用食三昧だったからだろうが。明らかな後遺症だろうがッ」
容赦なく叩き潰す飛叉弥。
「趣味は昼寝ッ、特技も昼寝ッッ」
「夜も朝もなかったからだろうがっ! むしろ、典型的夜行性生物だった決定的証拠だあっッ!!」
「食べたい時に食べてっ、寝たい時に寝るのが立派な人間だあっッ」
「残ねーんッ、それはただのダメ民族ですう~っッ!!」
「…………………………。」
「や、そんな衝撃くらった顔するな。心が痛む……」
「飛叉弥……」
嘉壱はハタと自分の右隣を見た。一連の様子をうかがっていた仲間のうちから一つ、深いため息が漏らされた。
小さな円座の上に、庭の築山ほどある巨漢が胡坐している。微動だにしなかった彼が、ここで初めて意見を発した。
「お前が、この少年を新たな司令塔として見込んでいるなら、俺は受け入れても構わんが……」
「柴っ⁉」
驚愕の声を上げる啓と満帆を一瞥し、対黒同舟花連の軍医――桐峰柴は、言葉とは裏腹な逡巡を見せた。
喧嘩が起れば仲裁役となるのが常の彼は、ぱっと見、よく日に焼けた杣人のようで、恐ろしくデカい図体の割に温厚な男である。
その横顔から、長い一日になりそうだというあきらめと同時に、拒絶できないものを感じ取っているらしい覚悟が表出してきた。
「満帆や啓の主張も尤もだろう。曰く付きならばなおのこと、せめて仲間だという証拠が欲しい。そもそもこいつは華瓊楽の現状どころか、花人のことすら何ひとつ分かっていないようじゃないか」
「そうだよ。そこのオジさんの言う通り、俺は本当に何も知らない」
柴の眉尻がピクリと跳ね上がる。
彼は実年齢より上に見られがちだが、まださすがに “オジさん” ではない……。
嘉壱が物言いたげに視線を注ぐ中、二つ目の饅頭を皮だけにする作業に取りかかりながら、皐月は不満顔を強めていく。
「あんたたちは、壽星台閣って政府機関と通じてるでしょ? なら “強制送還” ってやつ――? あれ頼むよ。別に俺、悪いことしたわけじゃないけど、この際、もとの世界に帰れるなら、なんでもいいから。できれば今日中に…」
「皐月――何度も言うが、お前は普通の迷い人とは違う」
飛叉弥はここぞとばかり、自らの瞳の異色――磨きあげられた勾玉の光沢を放つ、紫眼の威厳を強めて見せた。
「ただで返してやるわけにいかない。かと言って、俺もあまり、手荒な真似はしたくないんでな……」
皐月は言葉を遮られた瞬間から、声も奪われたかの如く黙った。
逃げられないという状況がいよいよ現実味を帯びてきたためか、眉間のあたりに、複雑な感情と険しさが集まってきている。
実は、この大広間に通された直後にも、彼はこんな顔をしていた。何やら思案しているようだ。不穏な空気が漂い始めることを意に介さない飛叉弥も、嘉壱にはどこか不可解であったが――。
(2021.05.06に投稿した内容と同じです。長文だったため、2021.06.28 分割しました)
 




