◍ 元気だったか~?
――――【 瓜二つ 】――――
季節は初夏。早くも五月半ば。
池岸にある部屋の前には白い躑躅がこんもりと咲き、橋亭の屋根には紫藤が揺れ、はらはらと舞い散っている。
縁先に腰をおろせば、雀のかわいらしく鳴き合う声が聞こえてきたりして――。
傍からは昨日となんら変わりのない、平穏な一日を迎えたかのように見えるかもしれないが、間違いなくこの日、事態は大きな変動を迎えようとしていた。
「なんでお前は、いつもそう勝手に…ッ――」
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清々しい空に不釣り合いな声を上げ、降ってきた重たい沈黙の末
「納得いかねぇ……」
この邸の住人――花人の菊嶋嘉壱は吐き捨てた。
対面で園林を眺めている相手が、先ほどから気だるげに漂わせている煙草の煙が、癇に障って仕方がない。何をいきなり言いだすかと思えば。
「ふざけるのも大概にしろよ……、飛叉弥」
睨みつけてやると、 “花人の親分” こと対黒同舟花連隊長――蓮壬彪将飛叉弥は鼻で笑い飛ばしてきた。
「俺がふざけてるように見えるか? 昨日の晩の酒だって、とっくに抜けてる」
つい先日、彼は黒く染めていた髪を、元来の白髪に戻した。
やはり、白獅子のようなこの見た目の方が、威風堂々たる彼の態度に似合っていると思う反面、どういう心境の変化だろうと、不審なものを感じ取ってはいた。
嫌な予感的中だ――。嘉壱は奥歯を食いしばり、拳までぐっと固くした。
さすがに視線が痛いと感じたのか、飛叉弥は重いため息をついて説明を付け足してくる。
「もちろん、考えに考えた末のこと。各方面のお偉方にも伝えてある。俺は、お前たちの司令塔としての権限を…」
「飛叉弥…ッ!!」
叩きつけた怒鳴り声から、必死さは伝わっているはず。それでも、飛叉弥は撥ねつけられた言葉を、やんわりと押し返すように続ける。
「対黒同舟花連の隊長をな……、今言った “ある男” に代わってもらうことにした。予定では、今日辺りこっちに着く手筈になっているんだが、如何せん “やつ” はこの国を歩いたことがない。だから、お前に迎えに行ってほしいんだよ。嘉壱――」
「…っ」
嘉壱は荒々しく舌打ちした。
腹立たしさと戸惑いの綯い交ぜになった感情が、陽炎のように心底から立ち上ってくる。
ただ顔を背けることでしか、抵抗を示せないのが悔しい。過酷な戦場を共にするようになって八年――これからもずっと、自分たちの大黒柱であり続けると思っていた相手から、なんの前触れもなく、あっさりと一線を退く意思を告げられたのだ。すんなり納得できる方がおかしい。
色々と噂の絶えない曰く付きの男ではあるが、 “千夏に一輪の大花” と謳われていたこいつの資質に間違いはないはず。
一体どうして、こんな異国の村の駐在を務めることになってしまったのか、故郷を離れてからこっちの境遇を思えば、正直嘆きたくならないでもないが――……。
「頼む。ひょっとしたら、もう着いてしまっているかもしれん。このところ、新たな界口が出現したとか、口が広がっちまったとか言う被害報告が相次でいる。時盤に影響が出ていないとも限らない。大気の変動に敏感なお前のことだから、感じとれているだろう――?」
「…ああ」
「なら、自分が向かわされる理由も分かるな?」
嘉壱は目だけを動かし、ちらりと飛叉弥の横顔を見た。
額から鼻梁に現れている凛々しさ。涼しげに整った柳眉が、いつにも増して憎たらしい。だが、こいつの表情は見る者に様々な想像をさせる。今はどことなく物思いにふけっているようで、心ここにあらずといった感じだ――……。
嘉壱は片方の眉をつり上げた。
「何かあるな? その “須藤皐月” って男……」
よく考えてみれば、お前や壽星台閣が認めたやつだ。しかも、このタイミングで召喚される。
「てーことは……」
思い当たった結論を、嘉壱は小さく鼻で笑った。
「――おいおい。まさか本気で “真の救世主” とか名乗る気じゃねぇだろうな、そいつ」
現状はまさに一進一退。誰でもいいから、とにかく終止符を打ってくれと叫びたいところではある。しかし、本当に少しでも進展を望めるのか? 始末がつけられるというのか。
“その男” が……
「外でもない、 “元凶” のお前に代わって――?」
こんな重大な決断を秘密にされてきた腹立たしさもある。あからさまに皮肉ってやった。
「特徴は? どんなか教えてくれなきゃ、探しようがねぇじゃねぇか」
「そうだなぁ……」
飛叉弥は弱りながらも、そんな自分を笑うような苦笑をもらした。
「正直、あいつがどれくらい力を貸してくれるか、俺にも予想がつかないんだが――……」
天井を仰ぐ飛叉弥にいい例えが思いつくのを待つ間、嘉壱はここぞとばかり、部屋に面した園林の “とある個所” へと意識を向けた。
池の周りに配された奇岩のうち、高さ四尺ほどある一つが、先ほどからこちらをじっと見ているように思えてならないのだ。
都城はすぐそこだが、この邸は山の傾斜地に建っており、住人以外の人気など、普段はまったく感じない。では狐狸か。いや――。
確信を胸に、嘉壱は立ち上がった。何やらぶつぶつと独り言を言っている飛叉弥を部屋に残して、縁先の踏石にそろえておいた自分の靴を引っかけ、池の中ほどにせり出している奇岩を前に、適当なところで足を止めた。
「出てこいよ、怒らないから。そこに居るんだろ――?」
嘉壱はそろりと半顔をのぞかせて出てきた少女に、更に歩み寄りながら、あきれ混じりのため息をついた。
「かくれんぼなんて、俺たちが相手じゃつまらないぜ? ひいな……」
トレードマークのお団子頭で、すぐに何処の子どもか分かった。
麓の難民村の住民とは、比較的友好的な関係を築けたが、自分たちと親しくしてくれる者といえば、おおよそ限られている。
「悪いけど今、飛叉弥と大事な話をしている最中なんだ。遊びに来たならぁ…」
「違うよ?」
ひいなは顔色をうかがうように、上目遣いで見つめてきた。
「あのね――? イチ兄ぃ……」
「どうした」
躊躇いながらも、ひいなは幼く、高い声で少しずつ答えた。
「自分のおうちに帰れなくなっちゃって、困ってるんだって……」
「誰が。迷い人か? 何処にいるんだよ」
「んとぉ……、たぶん、びっくりすると思うんだけどぉ…。でも、悪い人じゃないから、お話は優しく聞いてあげてねっ?」
ひいなが背伸びをして、一生懸命前置きしているところに、ふと足音が聞こえてきた。
一歩一歩と近づいてくる気配に不審なものを感じとり、嘉壱はその “足音の主” がやってくる方に、すばやく全神経を集中させた。
ひいなはまだ気づいておらず、故意に主語をぼかした説明を続けているが、今にその理由も明らかになるだろう。
嘉壱は耳がいい。しかも、相手があくまで “動物” ならば十中八九感知できる。
それは別に、戦場という仕事場で身についた能力でも、鍛錬して得た技術でもない。この邸に住まう者の中には、とりわけ敏感で、誰であるかまで言い当てる奴もいる。
邸の正面から回り込むかたちで、物珍しそうに辺りを見渡しながら現れたその姿を捉えるや、嘉壱は目をすがめた。
遠目からでも分かるはっきりとした特徴は、まず一つに “長髪” であるということだった。腰に届くほど長い、黒髪が印象的な――
「男……?」
この国は超多民族国家の上、ベースとなっている古の風習により、男子が髪を伸ばしていても、決して異様ではない。しかし、それも服装との組み合わせによる。
奇抜な異邦人が行き交う都の観光名所であれば、見かけたとて、そう際立つ姿でもないかもしれないが、洛外では明らかに浮いてしまう服装だった。
ヘンリーネックのグレーのTシャツに、履き古されて白っぽくなったブルージーンズ。それと、ロングパーカーのような黒い上着を小脇に抱えている。
「摩天の人間か……?」
華瓊楽も文明成長の著しい国だが、電気、水道、車――衣食住すべてにおいて、やってきた相手は、おそらく超がつくほど異様に発達した世界の住民である。
おそらく二十歳前後――。筋骨からして、青年とも少年とも言い難いことを考え合わせると、十代半ばとみるのが妥当かもしれない。
嘉壱の呟きを聞いて、ひいなもようやく背後に迫ってきている彼に気づいた。
「あ! 皐月お兄ちゃん! こっちこっち! 遅いよもぉ」
「な…っ」
衝撃が嘉壱の脳天を貫いた。初夏の爽やかな風が、池を囲む森をザワザワと揺らし、現実から遠のいていくような心地にさせる。
呼吸を忘れているにも拘わらず、どんどん胸の内から空間が広がっていくような、妙な感覚に引き込まれていく――。
男はひいなに弁解しようと口を開きかけたが、ふと嘉壱に目をとめて、なにを驚いているのかと言いたげに、怪訝な顔をした。
(これが驚かずにいられるか――……っ!!)
「んー? なんだー。どうしたー」
「飛叉弥……」
煙管を持たない方の片腕を懐に差し入れ、不思議そうに縁に出てきた飛叉弥の、卯の花色の衣をまとった姿がやけに眩しい。
嘉壱は瞠目したまま動けず、心の中で自問した。(俺は今、幻でも見てるのか……?)
「おぅ、久しぶりだなぁ、ひいな。隠れてたのは、やっぱりお前だったか」
「サヤ兄ぃも気づいてたの?」
「ははは。俺が気づかないわけないだろう――?」
「髪の毛どうしたの? 色が変わってるけど」
「あー…、イメチェンだ。イメチェン」
「…いめ?」
飛叉弥は朗らかに笑っていたが、最後の方は、どんよりとして長大息をついた。
「いや~、悪いな。実は呑気に構えている場合じゃないんだ。そこの分からず屋と、どうしても先に片付けておかなければならない話がー…」
「おい飛叉弥っ」
「あッ?」
飛叉弥はいい加減、うっとうしげに舌打ちする。
「なんだっての」
嘉壱の人差し指が示した先を見て、飛叉弥はハタと動かなくなった。
小波のような葉音が柔らくなり、森の奥に消えてゆき、辺りがしーんと静まりかえる。
「うぉおッ…⁉」
池の緋鯉が、彼と一緒に、絶妙なタイミングで飛び跳ねた。
「………や、気づくの遅くね?」
「遅いよサヤ兄ぃ……」
「ハハハっ! なあ~んだ。びくっりさせるなよお前ぇ~。やあ~、どうやってここまで? よく無事にたどり着いたなぁ!」
嘉壱とひいなの突っ込みをきれいに黙殺した飛叉弥は、「元気だったか~?」などと、世にも奇妙なその “客人” に、人なつっこい笑顔で手を挙げた。
じいーーーっと、音がしそうなほどの視線を、彼に送りつけているその客人を横目に、嘉壱は次第に空しくなってきた飛叉弥の笑い声を聞きながら、じわじわと滲みでてくる嫌な予感に呑まれていった……。




