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払雲花伝〈ある花人たちの物語〉【塵積版】  作者: 讀翁久乃
◆ ―――――― 第一鐘 ◇ 道のり ――――――
21/194

◍ 元気だったか~?


           ――――【 (うり)二つ 】――――



 季節は初夏。早くも五月半ば。

 池岸にある部屋の前には白い躑躅ツツジがこんもりと咲き、橋亭の屋根には紫藤が揺れ、はらはらと舞い散っている。

 縁先に腰をおろせば、(すずめ)のかわいらしく鳴き合う声が聞こえてきたりして――。

 傍からは昨日となんら変わりのない、平穏な一日を迎えたかのように見えるかもしれないが、間違いなくこの日、事態は大きな変動を迎えようとしていた。



「なんでお前は、いつもそう勝手に…ッ――」




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 清々しい空に不釣り合いな声を上げ、降ってきた重たい沈黙の末


「納得いかねぇ……」


 この邸の住人――花人(はなびと)菊嶋嘉壱(きくしまかいち)は吐き捨てた。

 対面で園林を眺めている相手が、先ほどから気だるげに漂わせている煙草の煙が、(かん)(さわ)って仕方がない。何をいきなり言いだすかと思えば。


「ふざけるのも大概にしろよ……、飛叉弥(ひさや)


 睨みつけてやると、 “花人の親分” こと対黒同舟花連隊長――蓮壬彪将飛叉弥はすみひゅうじょうひさやは鼻で笑い飛ばしてきた。



「俺がふざけてるように見えるか? 昨日の晩の酒だって、とっくに抜けてる」



 つい先日、彼は黒く染めていた髪を、元来の白髪に戻した。

 やはり、白獅子のようなこの見た目の方が、威風堂々たる彼の態度に似合っていると思う反面、どういう心境の変化だろうと、不審なものを感じ取ってはいた。

 嫌な予感的中だ――。嘉壱は奥歯を食いしばり、拳までぐっと固くした。


 さすがに視線が痛いと感じたのか、飛叉弥は重いため息をついて説明を付け足してくる。


「もちろん、考えに考えた末のこと。各方面のお偉方にも伝えてある。俺は、お前たちの司令塔としての権限を…」


「飛叉弥…ッ!!」


 叩きつけた怒鳴り声から、必死さは伝わっているはず。それでも、飛叉弥は()ねつけられた言葉を、やんわりと押し返すように続ける。


「対黒同舟花連の隊長をな……、今言った “ある男” に代わってもらうことにした。予定では、今日辺りこっちに着く手筈になっているんだが、如何(いかん)せん “やつ” はこの国を歩いたことがない。だから、お前に迎えに行ってほしいんだよ。嘉壱――」


「…っ」


 嘉壱は荒々しく舌打ちした。

 腹立たしさと戸惑いの()い交ぜになった感情が、陽炎のように心底から立ち上ってくる。

 ただ顔を背けることでしか、抵抗を示せないのが悔しい。過酷な戦場を共にするようになって八年――これからもずっと、自分たちの大黒柱であり続けると思っていた相手から、なんの前触れもなく、あっさりと一線を退く意思を告げられたのだ。すんなり納得できる方がおかしい。


 色々と噂の絶えない曰く付きの男ではあるが、 “千夏(せんか)に一輪の大花” と謳われていたこいつの資質に間違いはないはず。

 一体どうして、こんな異国の村の駐在を務めることになってしまったのか、故郷を離れてからこっちの境遇を思えば、正直嘆きたくならないでもないが――……。



「頼む。ひょっとしたら、もう着いてしまっているかもしれん。このところ、新たな界口が出現したとか、口が広がっちまったとか言う被害報告が相次でいる。時盤(じばん)に影響が出ていないとも限らない。大気の変動に敏感なお前のことだから、感じとれているだろう――?」


「…ああ」


「なら、自分が向かわされる理由も分かるな?」 


 嘉壱は目だけを動かし、ちらりと飛叉弥の横顔を見た。

 額から鼻梁に現れている凛々しさ。涼しげに整った柳眉が、いつにも増して憎たらしい。だが、こいつの表情は見る者に様々な想像をさせる。今はどことなく物思いにふけっているようで、心ここにあらずといった感じだ――……。


 嘉壱は片方の眉をつり上げた。


「何かあるな? その “須藤皐月(すどうさつき)” って男……」


 よく考えてみれば、お前や壽星台閣(じゅせいたいかく)が認めたやつだ。しかも、このタイミングで召喚される。


「てーことは……」


 思い当たった結論を、嘉壱は小さく鼻で笑った。


「――おいおい。まさか本気で “真の救世主” とか名乗る気じゃねぇだろうな、そいつ」


 現状はまさに一進一退。誰でもいいから、とにかく終止符を打ってくれと叫びたいところではある。しかし、本当に少しでも進展を望めるのか? 始末がつけられるというのか。

 

 “その男” が……



「外でもない、 “元凶” のお前に代わって――?」



 こんな重大な決断を秘密にされてきた腹立たしさもある。あからさまに皮肉ってやった。


「特徴は? どんなか教えてくれなきゃ、探しようがねぇじゃねぇか」


「そうだなぁ……」


 飛叉弥は弱りながらも、そんな自分を笑うような苦笑をもらした。


「正直、あいつがどれくらい力を貸してくれるか、俺にも予想がつかないんだが――……」



 天井を仰ぐ飛叉弥にいい例えが思いつくのを待つ間、嘉壱はここぞとばかり、部屋に面した園林の “とある個所” へと意識を向けた。

 池の周りに配された奇岩のうち、高さ四尺ほどある一つが、先ほどからこちらをじっと見ているように思えてならないのだ。

 都城はすぐそこだが、この邸は山の傾斜地に建っており、住人以外の人気など、普段はまったく感じない。では狐狸か。いや――。


 確信を胸に、嘉壱は立ち上がった。何やらぶつぶつと独り言を言っている飛叉弥を部屋に残して、縁先の踏石にそろえておいた自分の靴を引っかけ、池の中ほどにせり出している奇岩を前に、適当なところで足を止めた。



「出てこいよ、怒らないから。そこに居るんだろ――?」


 嘉壱はそろりと半顔をのぞかせて出てきた少女に、更に歩み寄りながら、あきれ混じりのため息をついた。


「かくれんぼなんて、俺たちが相手じゃつまらないぜ? ひいな……」


 トレードマークのお団子頭で、すぐに何処の子どもか分かった。

 麓の難民村の住民とは、比較的友好的な関係を築けたが、自分たちと親しくしてくれる者といえば、おおよそ限られている。


「悪いけど今、飛叉弥と大事な話をしている最中なんだ。遊びに来たならぁ…」


「違うよ?」


 ひいなは顔色をうかがうように、上目遣いで見つめてきた。


「あのね――? イチ兄ぃ……」


「どうした」


 躊躇いながらも、ひいなは幼く、高い声で少しずつ答えた。


「自分のおうちに帰れなくなっちゃって、困ってるんだって……」


「誰が。迷い人か? 何処にいるんだよ」


「んとぉ……、たぶん、びっくりすると思うんだけどぉ…。でも、悪い人じゃないから、お話は優しく聞いてあげてねっ?」


 ひいなが背伸びをして、一生懸命前置きしているところに、ふと足音が聞こえてきた。

 一歩一歩と近づいてくる気配に不審なものを感じとり、嘉壱はその “足音の主” がやってくる方に、すばやく全神経を集中させた。


 ひいなはまだ気づいておらず、故意に主語をぼかした説明を続けているが、今にその理由も明らかになるだろう。

 嘉壱は耳がいい。しかも、相手があくまで “動物” ならば十中八九感知できる。

 それは別に、戦場という仕事場で身についた能力でも、鍛錬して得た技術でもない。この邸に住まう者の中には、とりわけ敏感で、誰であるかまで言い当てる奴もいる。


 邸の正面から回り込むかたちで、物珍しそうに辺りを見渡しながら現れたその姿を捉えるや、嘉壱は目をすがめた。

 遠目からでも分かるはっきりとした特徴は、まず一つに “長髪” であるということだった。腰に届くほど長い、黒髪が印象的な――



「男……?」



 この国は超多民族国家の上、ベースとなっている古の風習により、男子が髪を伸ばしていても、決して異様ではない。しかし、それも服装との組み合わせによる。

 奇抜な異邦人が行き交う都の観光名所であれば、見かけたとて、そう際立つ姿でもないかもしれないが、洛外では明らかに浮いてしまう服装だった。

 ヘンリーネックのグレーのTシャツに、履き古されて白っぽくなったブルージーンズ。それと、ロングパーカーのような黒い上着を小脇に抱えている。


「摩天の人間か……?」


 華瓊楽(カヌラ)も文明成長の著しい国だが、電気、水道、車――衣食住すべてにおいて、やってきた相手は、おそらく超がつくほど異様に発達した世界の住民である。

 おそらく二十歳前後――。筋骨からして、青年とも少年とも言い難いことを考え合わせると、十代半ばとみるのが妥当かもしれない。


 嘉壱の呟きを聞いて、ひいなもようやく背後に迫ってきている彼に気づいた。


「あ! 皐月お兄ちゃん! こっちこっち! 遅いよもぉ」


「な…っ」 


 衝撃が嘉壱の脳天を貫いた。初夏の爽やかな風が、池を囲む森をザワザワと揺らし、現実から遠のいていくような心地にさせる。

 呼吸を忘れているにも拘わらず、どんどん胸の内から空間が広がっていくような、妙な感覚に引き込まれていく――。


 男はひいなに弁解しようと口を開きかけたが、ふと嘉壱に目をとめて、なにを驚いているのかと言いたげに、怪訝(けげん)な顔をした。


(これが驚かずにいられるか――……っ!!)




「んー? なんだー。どうしたー」


「飛叉弥……」


 煙管(キセル)を持たない方の片腕を懐に差し入れ、不思議そうに縁に出てきた飛叉弥の、卯の花色の衣をまとった姿がやけに眩しい。


 嘉壱は瞠目したまま動けず、心の中で自問した。(俺は今、幻でも見てるのか……?)



「おぅ、久しぶりだなぁ、ひいな。隠れてたのは、やっぱりお前だったか」


「サヤ兄ぃも気づいてたの?」


「ははは。俺が気づかないわけないだろう――?」


「髪の毛どうしたの? 色が変わってるけど」


「あー…、イメチェンだ。イメチェン」


「…いめ?」


 飛叉弥は朗らかに笑っていたが、最後の方は、どんよりとして長大息をついた。


「いや~、悪いな。実は呑気に構えている場合じゃないんだ。そこの分からず屋と、どうしても先に片付けておかなければならない話がー…」


「おい飛叉弥っ」


「あッ?」


 飛叉弥はいい加減、うっとうしげに舌打ちする。


「なんだっての」


 嘉壱の人差し指が示した先を見て、飛叉弥はハタと動かなくなった。


 小波のような葉音が柔らくなり、森の奥に消えてゆき、辺りがしーんと静まりかえる。



「うぉおッ…⁉」



 池の緋鯉が、彼と一緒に、絶妙なタイミングで飛び跳ねた。


「………や、気づくの遅くね?」


「遅いよサヤ兄ぃ……」


「ハハハっ! なあ~んだ。びくっりさせるなよお前ぇ~。やあ~、どうやってここまで? よく無事にたどり着いたなぁ!」


 嘉壱とひいなの突っ込みをきれいに黙殺した飛叉弥は、「元気だったか~?」などと、世にも奇妙なその “客人” に、人なつっこい笑顔で手を挙げた。


 じいーーーっと、音がしそうなほどの視線を、彼に送りつけているその客人を横目に、嘉壱は次第に空しくなってきた飛叉弥の笑い声を聞きながら、じわじわと(みじ)みでてくる嫌な予感に呑まれていった……。



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