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払雲花伝〈ある花人たちの物語〉【塵積版】  作者: 讀翁久乃
◆ ―――――― 第一鐘 ◇ 道のり ――――――
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◍ 姫女菀の花あぜ道



       ――――【 花言葉:「素朴で純粋」 】――――



 盆地に築かれた李彌殷(リヴィアン)には、京城内外に、いくつもの丘陵が見受けられる。

 南西にある枇琳丘は茶館や酒楼などに埋め尽くされ、昼夜問わず華やかだが、北西は寺院が密集しており、夜になると不気味なほど沈黙する。

 八年前に華瓊楽(カヌラ)全土を襲った大災害以降は、故郷を失った者たちが群居している地域でもあり、学問所、書画仏具店、薬屋などが多く、それなりの賑わいはあるものの、趣がまるで違う―――。



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 小脇にパーカーをひっさげた皐月が、テレテレと付いてくる。なんというか……、異界に迷い込んでいる自覚のない猫みたいだ。


 やってきたのは、北城門の一つを出てすぐのところにある獅登山(しとうざん)

 周辺に田畑を擁し、世界三大鬼族――花人はなびとこと萼国夜叉きょうごくやしゃが、番所、兼、邸を与えられていることで有名。


 李彌殷(リヴィアン)の南北を移動する場合、徒歩なら二時間半以上かかるが、城内外への交通網を担っている蔓垂河まんすいがの舟を使うことで、四十分もかからずに移動できた。

 轍の跡が刻まれたあぜ道を順調に先導してきたひいなだが、あることが気になって歩調を緩めた。


「――?」


 皐月もそれに合わせて、歩幅を狭める。


「なに? ここが目的地?」


 辺りを見渡すが、ひ弱な稲の苗が植えられたばかりの田んぼを挟み、生活感漂う古民家が数件、向かい合って建っているだけだ。その軒先では、赤茶の鶏が地面をつつきつつ、行ったり来たりしている。


 ひいなは完全に立ち止まって、自分の両手に包み込んでいるものを見つめた。


「違うの。これ――……」


 ぎっしりと重みのある、赤みが差した果実が一つ。


 皐月は微苦笑を浮かべた。


「――ああ、いいよ別に。どうせタダで貰ったものだし、手ぶらで帰るよりはマシでしょ」


 ひいなは自分を追い越し、のんびりと歩いていくその背中に視線を注いで思った。

 やっぱり似ている――……。随分と自分のことに無頓着なようだが、穏やかに笑んでいるのが、なんとなく想像できる不思議な後ろ姿や、目を閉ざして話す様子、時おり、ふいに口元をほころばせるところも。

 はじめは少し、話しかけずらい雰囲気もあったけど。


「ねぇ、ひいな」


 はっと我に返ったひいなは、慌てて皐月の後を追いかけた。




 あぜ道は続く。長閑(のどか)な山間の田中を右に左に揺れる、白と薄紅色の姫女菀(ヒメジョオン)に縁どられて。

 少し垂れた蕾が、刺繍糸の玉止めのように、丸くてかわいらしい花だ。茎も葉も萌黄色で、産毛をまとった柔らかい雰囲気を持っている。


 歩きながらそれを手折った皐月は、考え事をするように見つめる。


 小さな黄蝶と行きちがった直後、その舞い方が狂うほどの風が吹きわたった。彼方に横たわる壮麗な山脈が、わずかに雪を残して見える手前で、森をざわめかせていく。


 皐月に追いついたひいなは、あらためてその横顔を見上げた。

 川底の藻のように、輪郭の周りをたゆたう黒髪――……皐月のそれは、思わず見入ってしまうくらい、しなやかで美しい。

 のったりと流れる白雲と空の背景が似合う反面、薄く形の良い唇や目許は鋭く、大人っぽいと感じた。

 幼いひいなが関心を寄せているのはしかし、何の変哲もない彼の〝黒い瞳〟である。


 今から約四千年前、神々が支配していた世界の言葉で “ヴェザイユ” という。

 青眼なら “ウォルマレイ” ――紅眼は “ダルブランカ” など、色付きならばすべて、希少な霊石にたとられる。


 神代語を扱うのは、呪いを商売にしている呪術師や、歴史と伝統を誇る(いにしえ)の民と、その研究者くらいだが、ひいなは個人的に交流のある “花人たち” から聞きかじっていた。

 皐月は絵筆で払ったような涼しい目鼻立ちと、ヴェザイユ――黒曜石のような瞳の持ち主。

 不釣り合いというか――……この容姿で黒眼は、ひいなにとってむしろ “不思議” なのだ。



「さっき、俺と間違えた人のことだけど……」


 皐月は躊躇いと戸惑いとが綯交ないまぜになった尋ね方をしてきた。


「確か―― “役目” がどうとかって……」


「うん。花人(はなびと)のサヤ兄でしょ? なんでか分からないけど、〝フぇい〟とか 〝ふぁイ〟って呼ぶ人もいるよ? あと〝ひゅーじょーさん〟とかぁ。たぶん、おつとめ中の呼び名なんだと思う」


 大人から聞いた説明をそのまま伝えているつもりだったが、〝お勤め中〟が少々片言になっていたせいか、皐月がおかしそうに苦笑し、姫女菀(ヒメジョオン)を髪に飾ってきた。ひいなはへへと照れ笑いしながら続ける。


「ふだん使ってる名前は、「とぶ」って字に、やしゃの「しゃ」、身の毛もよだつの「よ」の字を書いて〝ひさや〟って言うんだって。前ね? たまたま書き物をしてるところに顔を出した時、筆の使い方と一緒に教えてもらって」


「……。」


「花連の中で一番強いの! みんなをまとめてる親分なんだよ?」


「…………。あれ、ごめんちょっと待って? なんで〝親分〟なの?」


「?」


 急に言葉が通じなくなったと感じ、ひいなはきょとんとした。


「や、なんていうかー……、博徒の中心で、煙管(キセル)片手に紫煙を棚引かせているような男じゃないよね。具体的には、どういう仕事をしてる人?」


「うーんとぉ、この留孫(ルソン)村がある西の第一外周地と、森を守るタントーみたい。じゅせいたいかくチョクジョクの軍の人とは少し違ってぇ…………〝さへいりゃん〟っていう雲圏の界国から雇われたぁ、ヨーヘーみたいなものだって言ってたけど、とにかく強くて、いつもみんなを助けてくれるんだよ? それでね――?」


 自分でも細かいところが色とおかしい気がしてきたが、一生懸命さは伝わっているらしい。皐月はとりあえず聞いてくれた。

 ようするに、花連の親分は、本国からこの国に雇われてやってきた傭兵の隊長というやつなのだ。



「あ!」


「?」


「ほら、あそこぉ!」


 ひいなは(すぎ)木立(こだち)が茂る斜面を指差し、とびっきりの笑顔を振り向ける。


「あれが、花連のみんなのお邸だよ! 萌神荘ほうじんそう…!」


 寺の境内に導くような石階段が、山肌を切り開いているその一段目に駆け寄り、飛び乗った。

 昼間なのに薄暗く、ひんやりと感じられる空気の中、頭上にあふれる白い光を受けて、古色蒼然たる門楼が待ち構えている。

 そこにたどり着くまでの段数は見るからに半端ないが、ひいなのニコニコは増した。いつも通り跳ねるように上っていく。

 渋い顔の皐月を置き去りにして……。



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