表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
払雲花伝〈ある花人たちの物語〉【塵積版】  作者: 讀翁久乃
◆ ―――――― 第一鐘 ◇ 道のり ――――――
19/194

◍ よく分からんものは拾うなかれ、売るなかれ



      ――――【 悪党になりきれなかった案内人 】――――



 骨董や舶来品を扱う華瓊楽(カヌラ)の商人は、赤紫の敷物や花で、店にいろどりを添えることを好む。

 壽星台閣が掲げる国旗の色であるため、高級感を演出できるのだそうだ。


 玫瑰ハマナスという花を知っているだろうか。野薔薇(のばら)の一種だが海辺の砂地を好み、初夏から晩夏にかけて、香り豊かな大ぶりの花を咲かせる。

 (あで)やかな紅紫色の花弁は、たったの一日で散ってしまうが、実は熟すと甘酸っぱく、梨の味に似る。古くから香油や染料が採取され、薬となる蕾は玫瑰花メイグイファと言い、お茶としても親しまれてきた。


 そんな花が鮮やかに香り立ち始めた、とある店の入り口。二十年以上、陳列窓から外を眺めたままでいる絵皿たちが、いい加減、(あせ)せてきているように見えるが、今日も店主は味だと言い張った。


 頭上には看板が掛けられており、『瑰峙堂かいじどう』と書かれている。その文字は達筆な上に超極太で、路地の幅しかない狭小の店には不釣り合いな気がするほど、相変わらずドでかかった。


 すべて見せかけ。大した物はない。しかも、この質屋は神出鬼没。縁がある者しか目にすることができないという “()中天(ちゅうてん)” の一種。

 それは元来、美酒佳肴(かこう)を味わいつつ幻想に浸り、主人が歓を尽くすための空間である。




     |

     |

     |




「どうです? なら、三百万金瑦クオルってところで」


 睨みあいを始めてから数十分。

 顎元(あごもと)で組み合わせていた手の陰で、相手は呆れたようにため息をついた。


「よろしいでしょう……」


 ピンクはぐっと踏みこんだ。


「ホントっスか⁉ やりましたよ兄貴ぃ! 交渉成立でやんすっ!」


 瑰峙堂かいじどうはこの日も閑古鳥が鳴いていたが、念のため、とりわけ密談に適している空間に通してもらった。


 入って右奥に飾られている仏画の一辺を押すと、地下の隠し部屋へ下りるための石階段が現れる。この仕掛けを知っているのは、 “星石拾い” を名乗る連中のなかでも、ごく限られた顔馴染みだけ。

 窓がなく、人間ならば穴倉の中にいるような圧迫感を感じるだろう。ただでさえ低い天井を玫瑰ハマナス色の天幕が覆っており、やたら装飾的な家具や、芸術品の類であふれかえっている。 


 ブルーはピンクのはしゃぎ声を受けても、あえて振り向かず、珍品棚の上に置かれている花鳥柄の飾壺(かざりつぼ)をなんの気なしに眺めていた。


「ですが、ちょっとお待ちを……」


「へ?」


 店主の苞淑(ほうしゅく)は人間と鬼魅(きみ)の混血で、年を取ってきたせいか、近頃はそこら辺の小妖怪より怪しい雰囲気をかもす。

 洋燈(ランプ)が灯っている卓上にいて、常連客中、最も小柄なピンクが見上げたその顔は、いつにない暗影を落としており、ある種の緊張感が伝わってくるほど真剣だった。


 普段はちっとも気にしないが、この地下室には、主に曰くつきの骨董が眠っている。不気味さが増す中、先ほど背後の衝立から抜けでてきた二匹の蝶に限っては、洋燈(ランプ)の火屋をはさんで、無邪気にたわむれている。

 視界の隅で、瑠璃と翡翠の麟粉がキラキラとこぼれ、それがさながら砂時計のように、沈黙を広げていった。


 除々に空気を読んで硬くなっていくピンクの表情をしり目に、苞淑(ほうしゅく)の下唇の右端にぶら下がっている金の垂れ飾りが揺れる。


「本当に信じてもよろしいのでしょうねぇ……」


 眼光を鋭くされても、ブルーは気づかぬふりで、花瓶を鑑賞するようにその周りをぽてぽてと歩き続ける。


「新興勢力の台頭が目立つ近年、権力層の入れ代わりが相次いだと聞きますが、あの夜覇王樹壺(セレンディア)でも屈指の若枝――まさに、鬼神の威厳を放つ風貌だという対黒同舟花連の隊長は、今や言わずと知れたこの国の救世主……」



 花銘(かめい)は “飛蓮フェイレン” ――――




「 “白蓮(ファイラスア)卿” と優美な愛称で慕う者もいるようですが、あの青年が世界になんとあなだされているか、ご存じでしょうな」




「 “白月の牙(ファイユス)” ―― “(うてな)の白い激昂” ……だろ?」




 ブルーはあえて能天気な調子で返した。


「その形相はまさしく夜叉。咆哮は獅子の如く――てな。その実態が神代(じんだい)を彷彿とさせる筋金入りの鬼であれ、近代稀に見る、気高くも血に飢えた猛獣であれ…」


「 “白き姿” は神の忠実なる使臣――奎王(けいおう)様の信頼も厚い。史上最悪の天災と騒がれた八年前の砂漠化を、一時的とはいえ、現に食い止めたのです」


 彼に酷似した少年を、伏魔殿の競売にかけようなど、考えただけで恐ろしい。仮に無縁であるとして……


「本当にただ似ているだけの凡人なのでしょうねぇ」


「そりゃあもう、間違いないでやんす!」


 ピンクがここぞとばかりに、胸を張って断言した。


「だって、七彩目(しちさいもく)じゃないんスから」


「七彩目でない? と申しますと…」


「瞳が真っ黒なんでやんす。墨でも溶かし入れたみたいに!」


「……ほお、なるほど。 “黒曜眼(ヴェザイユ)” ですか――?」


 この国にきた時点で目の色に変化がないということは、徒人(ただびと)である何よりの証拠だ。


「ねぇ~、兄貴ぃ~」


 自信に満ちた満面の笑みを振り向けられたが、ブルーは返事をしなかった。


 せっかく弾んでいた会話が途切れてしまい、ピンクが目をパチパチさせる。

 珍しいと思っているのだろう。普段は誰が相手でも突っ込む隙をあたえず、スラスラと言葉巧みに交渉を成立させてみせる自慢の兄貴だ。自分でもおかしいと分かってはいるが、ブルーは何故か取り繕おうとも思わなかった。たぶんそれが答えだ。


 しばらく様子を見ていた苞淑(ほうしゅく)は、察してくれたらしい。


「どうやら、思いきれない代物のようで…」


「まっ、ままま待って待ってぇ! 分かりました! 今ここに連れてきますから、正式な判断は現物をご覧になってから! ね? そうしてからにして下さいッ!」


 ピンクに首根っこをつかまれ、ブルーも店を飛び出すことになった。

 表に出ると、薄暗い抜け道の先に人々が行き交う通りがあって、すぐに元の市場の喧噪に戻った。


「兄貴ぃ、一体どうしちゃったんでやんす? あいつを金に換えようって言いだしたのは、兄貴じゃないっすか」


 ピンクに旗の如く振り回されるがまま、ブルーはひたすら黙っていた


「やっぱり人間だからっスか? そりゃーオイラもいざとなると、ちょっとかわいそうかなーて気はぁ~……」


 あ、いやそのぉ


「やっぱり、なんの罪もないただの迷い人みたいですし。べっ、別に情が移ったとか、そ…、そういうんじゃないっスよぉ⁉」


 とにかくこれ以上、ひとりにはしておけない。

 一旦戻ろうと言うピンクの声をなんとなく聞きながら、ブルーは頭をひねり続けていた。なにか得体の知れないものにぶつかったような感触が、さっきから気になって仕方がないのだ。




 *――お前らは、同じ妖魔なんだから……




「なぁ、助坊…」


 脳中に巣くってしまっているそれを、ブルーはついに打ち明けることにした。しかし


「あっ! いたッ。いましたよ兄貴ぃ!」


 ピンクはブルーを置き去りにして走りだした。近くにあった屋台の柱へ駆けあがり、一息に屋根へ飛び乗る。



「旦那ああああ――――っ!」



 精一杯叫んでみたが、気づいてもらえなかった。

 皐月の姿はなぜか、半分ひきずられるようにして、市場の雑踏に呑まれてゆく。

 躊躇しているのか、後ろを気にするその腕を、よく見ると、一人の小さな少女がニコニコ笑顔で引いていた。 


「ななっ! あ…、兄貴ぃ! あいつ連れて行かれちゃいましたよぉ⁉」


 なんてこった。もう少し速く戻ってきていれば……。ピンクは呆然と立ち尽くした。


「どうするんです? あれ以上の代物とは、この先一生出会えないかも…」




「ほおー、なるほど。そういうことでしたか」




 やんわりと耳に忍び込んできた声。反射的に傍らの屋台を仰ぎみたピンクは、そこで真っ白な(あご)ヒゲをなでている老爺を目にし――



「げげえ…ッ‼」



 悲鳴じみた甲高い声を上げた。



「――まぁ、お前さんたちの貧乏生活には同情してやるとしても、 “あれ” を伏魔殿(ふくまでん)なんぞに売り飛ばされては、ちと困りますぞ……?」


 この翁には、以前から何かと世話になっているのだ。

 逃げようと後ずさるピンクだが、背後に立っていたブルーにぶつり、そのままへたんと座り込んだ。


 ブルーは、今にも泡を吹きだしそうな相棒を足元に、黄金色の左目を鈍くきらめかせる。


「やっぱり、ただ者じゃないんですね?」


「常人だったら、売っていたと……?」


 切り傷のような(まぶた)の隙間から、真面目な視線が注がれてきた。

 しばらくそれを味わって、ブルーは自嘲気味に笑った。


「実は今、苞淑(ほうしゅく)のところへ行ってきたんで。やつにも、本気にしてもらえやせんでした」


「そもそも人間を売るのは、あやつの性にも合わんじゃろが。白々しい」


 燦寿はさらりと吐いたが、ピンクの耳は敏感に反応した。


「てぇ……、それじゃあ兄貴」


「こやつは所詮、心底から悪党になんぞなりきれんのよ。ずる賢いネズミとはいえ、 “かつての矜持(きょうじ)” というものがある」


 ブルーは不敵に鼻を鳴らす。


「あーあ、まったく面白くねぇ。界境に身投げでもしたってんならぁ、今度こそ確実に地獄へ案内してやったんですがねぇ~。どうも、その類とは違ったようでぇ」


 単なる事故が切欠ならば、この異境の地に足跡を残せる時間は限られている。念のため、応急処置として木の実や沢の水を摂取させながら来たが、時化霊(トケビ)の影響と思われる変化は、髪が伸びたこと以外に自覚がないようだった。


「しかしまさか……公的に “非異物化” されていようとは驚きやしたね。誰が召喚したのかおおよそ見当はついていやすが、一体何者なんです――?」


「さて――、色々と興味深いところはありそうじゃがのぉ……」


 燦寿はとぼけて、葦簀(よしず)の軒先に見える青空に呟く。


「本人が一番、よぉ分かっとらん印象じゃったな。それでも運よく “あやつ” の所へたどり着くことはできそうじゃ。今さっき、別の案内人に出会った」


「フン。我ながら、とんでもねぇ怪石を拾っちまったぜもんだぜ――」


 骨折り損のくたびれ儲けとはこのことだ。


 ピンクは舌打ち気味ながらも静かに笑んでいるブルーに、わけがわからず困った顔で首を傾げた。





評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ