◍ よく分からんものは拾うなかれ、売るなかれ
――――【 悪党になりきれなかった案内人 】――――
骨董や舶来品を扱う華瓊楽の商人は、赤紫の敷物や花で、店に彩を添えることを好む。
壽星台閣が掲げる国旗の色であるため、高級感を演出できるのだそうだ。
玫瑰という花を知っているだろうか。野薔薇の一種だが海辺の砂地を好み、初夏から晩夏にかけて、香り豊かな大ぶりの花を咲かせる。
艶やかな紅紫色の花弁は、たったの一日で散ってしまうが、実は熟すと甘酸っぱく、梨の味に似る。古くから香油や染料が採取され、薬となる蕾は玫瑰花と言い、お茶としても親しまれてきた。
そんな花が鮮やかに香り立ち始めた、とある店の入り口。二十年以上、陳列窓から外を眺めたままでいる絵皿たちが、いい加減、褪せてきているように見えるが、今日も店主は味だと言い張った。
頭上には看板が掛けられており、『瑰峙堂』と書かれている。その文字は達筆な上に超極太で、路地の幅しかない狭小の店には不釣り合いな気がするほど、相変わらずドでかかった。
すべて見せかけ。大した物はない。しかも、この質屋は神出鬼没。縁がある者しか目にすることができないという “壺中天” の一種。
それは元来、美酒佳肴を味わいつつ幻想に浸り、主人が歓を尽くすための空間である。
|
|
|
「どうです? なら、三百万金瑦ってところで」
睨みあいを始めてから数十分。
顎元で組み合わせていた手の陰で、相手は呆れたようにため息をついた。
「よろしいでしょう……」
ピンクはぐっと踏みこんだ。
「ホントっスか⁉ やりましたよ兄貴ぃ! 交渉成立でやんすっ!」
瑰峙堂はこの日も閑古鳥が鳴いていたが、念のため、とりわけ密談に適している空間に通してもらった。
入って右奥に飾られている仏画の一辺を押すと、地下の隠し部屋へ下りるための石階段が現れる。この仕掛けを知っているのは、 “星石拾い” を名乗る連中のなかでも、ごく限られた顔馴染みだけ。
窓がなく、人間ならば穴倉の中にいるような圧迫感を感じるだろう。ただでさえ低い天井を玫瑰色の天幕が覆っており、やたら装飾的な家具や、芸術品の類であふれかえっている。
ブルーはピンクのはしゃぎ声を受けても、あえて振り向かず、珍品棚の上に置かれている花鳥柄の飾壺をなんの気なしに眺めていた。
「ですが、ちょっとお待ちを……」
「へ?」
店主の苞淑は人間と鬼魅の混血で、年を取ってきたせいか、近頃はそこら辺の小妖怪より怪しい雰囲気をかもす。
洋燈が灯っている卓上にいて、常連客中、最も小柄なピンクが見上げたその顔は、いつにない暗影を落としており、ある種の緊張感が伝わってくるほど真剣だった。
普段はちっとも気にしないが、この地下室には、主に曰くつきの骨董が眠っている。不気味さが増す中、先ほど背後の衝立から抜けでてきた二匹の蝶に限っては、洋燈の火屋をはさんで、無邪気にたわむれている。
視界の隅で、瑠璃と翡翠の麟粉がキラキラとこぼれ、それがさながら砂時計のように、沈黙を広げていった。
除々に空気を読んで硬くなっていくピンクの表情をしり目に、苞淑の下唇の右端にぶら下がっている金の垂れ飾りが揺れる。
「本当に信じてもよろしいのでしょうねぇ……」
眼光を鋭くされても、ブルーは気づかぬふりで、花瓶を鑑賞するようにその周りをぽてぽてと歩き続ける。
「新興勢力の台頭が目立つ近年、権力層の入れ代わりが相次いだと聞きますが、あの夜覇王樹壺でも屈指の若枝――まさに、鬼神の威厳を放つ風貌だという対黒同舟花連の隊長は、今や言わずと知れたこの国の救世主……」
花銘は “飛蓮” ――――
「 “白蓮卿” と優美な愛称で慕う者もいるようですが、あの青年が世界になんとあなだされているか、ご存じでしょうな」
「 “白月の牙” ―― “萼の白い激昂” ……だろ?」
ブルーはあえて能天気な調子で返した。
「その形相はまさしく夜叉。咆哮は獅子の如く――てな。その実態が神代を彷彿とさせる筋金入りの鬼であれ、近代稀に見る、気高くも血に飢えた猛獣であれ…」
「 “白き姿” は神の忠実なる使臣――奎王様の信頼も厚い。史上最悪の天災と騒がれた八年前の砂漠化を、一時的とはいえ、現に食い止めたのです」
彼に酷似した少年を、伏魔殿の競売にかけようなど、考えただけで恐ろしい。仮に無縁であるとして……
「本当にただ似ているだけの凡人なのでしょうねぇ」
「そりゃあもう、間違いないでやんす!」
ピンクがここぞとばかりに、胸を張って断言した。
「だって、七彩目じゃないんスから」
「七彩目でない? と申しますと…」
「瞳が真っ黒なんでやんす。墨でも溶かし入れたみたいに!」
「……ほお、なるほど。 “黒曜眼” ですか――?」
この国にきた時点で目の色に変化がないということは、徒人である何よりの証拠だ。
「ねぇ~、兄貴ぃ~」
自信に満ちた満面の笑みを振り向けられたが、ブルーは返事をしなかった。
せっかく弾んでいた会話が途切れてしまい、ピンクが目をパチパチさせる。
珍しいと思っているのだろう。普段は誰が相手でも突っ込む隙をあたえず、スラスラと言葉巧みに交渉を成立させてみせる自慢の兄貴だ。自分でもおかしいと分かってはいるが、ブルーは何故か取り繕おうとも思わなかった。たぶんそれが答えだ。
しばらく様子を見ていた苞淑は、察してくれたらしい。
「どうやら、思いきれない代物のようで…」
「まっ、ままま待って待ってぇ! 分かりました! 今ここに連れてきますから、正式な判断は現物をご覧になってから! ね? そうしてからにして下さいッ!」
ピンクに首根っこをつかまれ、ブルーも店を飛び出すことになった。
表に出ると、薄暗い抜け道の先に人々が行き交う通りがあって、すぐに元の市場の喧噪に戻った。
「兄貴ぃ、一体どうしちゃったんでやんす? あいつを金に換えようって言いだしたのは、兄貴じゃないっすか」
ピンクに旗の如く振り回されるがまま、ブルーはひたすら黙っていた
「やっぱり人間だからっスか? そりゃーオイラもいざとなると、ちょっとかわいそうかなーて気はぁ~……」
あ、いやそのぉ
「やっぱり、なんの罪もないただの迷い人みたいですし。べっ、別に情が移ったとか、そ…、そういうんじゃないっスよぉ⁉」
とにかくこれ以上、ひとりにはしておけない。
一旦戻ろうと言うピンクの声をなんとなく聞きながら、ブルーは頭をひねり続けていた。なにか得体の知れないものにぶつかったような感触が、さっきから気になって仕方がないのだ。
*――お前らは、同じ妖魔なんだから……
「なぁ、助坊…」
脳中に巣くってしまっているそれを、ブルーはついに打ち明けることにした。しかし
「あっ! いたッ。いましたよ兄貴ぃ!」
ピンクはブルーを置き去りにして走りだした。近くにあった屋台の柱へ駆けあがり、一息に屋根へ飛び乗る。
「旦那ああああ――――っ!」
精一杯叫んでみたが、気づいてもらえなかった。
皐月の姿はなぜか、半分ひきずられるようにして、市場の雑踏に呑まれてゆく。
躊躇しているのか、後ろを気にするその腕を、よく見ると、一人の小さな少女がニコニコ笑顔で引いていた。
「ななっ! あ…、兄貴ぃ! あいつ連れて行かれちゃいましたよぉ⁉」
なんてこった。もう少し速く戻ってきていれば……。ピンクは呆然と立ち尽くした。
「どうするんです? あれ以上の代物とは、この先一生出会えないかも…」
「ほおー、なるほど。そういうことでしたか」
やんわりと耳に忍び込んできた声。反射的に傍らの屋台を仰ぎみたピンクは、そこで真っ白な顎ヒゲをなでている老爺を目にし――
「げげえ…ッ‼」
悲鳴じみた甲高い声を上げた。
「――まぁ、お前さんたちの貧乏生活には同情してやるとしても、 “あれ” を伏魔殿なんぞに売り飛ばされては、ちと困りますぞ……?」
この翁には、以前から何かと世話になっているのだ。
逃げようと後ずさるピンクだが、背後に立っていたブルーにぶつり、そのままへたんと座り込んだ。
ブルーは、今にも泡を吹きだしそうな相棒を足元に、黄金色の左目を鈍くきらめかせる。
「やっぱり、ただ者じゃないんですね?」
「常人だったら、売っていたと……?」
切り傷のような瞼の隙間から、真面目な視線が注がれてきた。
しばらくそれを味わって、ブルーは自嘲気味に笑った。
「実は今、苞淑のところへ行ってきたんで。やつにも、本気にしてもらえやせんでした」
「そもそも人間を売るのは、あやつの性にも合わんじゃろが。白々しい」
燦寿はさらりと吐いたが、ピンクの耳は敏感に反応した。
「てぇ……、それじゃあ兄貴」
「こやつは所詮、心底から悪党になんぞなりきれんのよ。ずる賢いネズミとはいえ、 “かつての矜持” というものがある」
ブルーは不敵に鼻を鳴らす。
「あーあ、まったく面白くねぇ。界境に身投げでもしたってんならぁ、今度こそ確実に地獄へ案内してやったんですがねぇ~。どうも、その類とは違ったようでぇ」
単なる事故が切欠ならば、この異境の地に足跡を残せる時間は限られている。念のため、応急処置として木の実や沢の水を摂取させながら来たが、時化霊の影響と思われる変化は、髪が伸びたこと以外に自覚がないようだった。
「しかしまさか……公的に “非異物化” されていようとは驚きやしたね。誰が召喚したのかおおよそ見当はついていやすが、一体何者なんです――?」
「さて――、色々と興味深いところはありそうじゃがのぉ……」
燦寿はとぼけて、葦簀の軒先に見える青空に呟く。
「本人が一番、よぉ分かっとらん印象じゃったな。それでも運よく “あやつ” の所へたどり着くことはできそうじゃ。今さっき、別の案内人に出会った」
「フン。我ながら、とんでもねぇ怪石を拾っちまったぜもんだぜ――」
骨折り損のくたびれ儲けとはこのことだ。
ピンクは舌打ち気味ながらも静かに笑んでいるブルーに、わけがわからず困った顔で首を傾げた。
 




