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払雲花伝〈ある花人たちの物語〉【塵積版】  作者: 讀翁久乃
◆ ―――――― 第一鐘 ◇ 関係 ――――――
186/194

◍ 黄泉路と締め殺しの木



   *



 静かだった。


 自分がはさみで、枝を落とす音しか聞こえなかった。

 無論、意識すれば近くを流れる沢の濁音も捉えることができるが、もうここに住み始めて二十年になる。あまり不愉快なものでもないため、気にならなくなった。





       ――――【 夏が来れば思い出す 】――――



 須藤玄静(すどうげんせい)は、萌芽神社の裏手にある社務所、兼、住居の軒先にて、盆栽の手入れをしていた。


(そういえば…… “あいつ” は今でも、この水音がうるさくて仕方ないようだな)


 いつも、あくびをしながら、猫のような半眼で「?」と見つめ返してくる孫息子の顔を思い起こす。

 本当は、うるさいのではなく怖いのだと思う。嫌な夢に(いざな)われてしまわないよう、意地を張って朝まで起きている。


「だから、あの寝ぼけ面も直らんのかのぉ~、皐月や」


「誰が寝ぼけ面だって?」


「んっ!!?」


 玄静はしゃべった手元の盆栽に目を見開いた。


「……。どこ見て驚いてんの」


 コココンっ、と背後で板を叩く音。

 噂をすれば。同居している孫息子――皐月が、あきれ顔で縁側の戸袋をノックしていた。


「……なんだお前、びっくりさせるな。帰ってきたなら、ただいまくらい言えぃ。わしは今、 “皐月(こいつ)” と話しておったんだ」


 玄静はブツブツ言いながら作業を再開した。


「どこかの誰かさんは同じ “皐月(さつき)” でも、無愛想でろくに口も利かんと、黙って帰ってきては、また出かけてしまいよるから。なぁ皐月――?」


 皐月は片眉をひくつかせた。

 玄静は『松太郎』や『梅次』など、愛するすべての盆栽に名前をつけているが、今、手入れしている “皐月(こいつ)” だけは、以前から、そのままの花名で呼ばれている。 

 『皐月さつき』――五月に咲く躑躅つつじに似た花木だ。ややこしいから、できれば区別して欲しいのだが……。



「茉都莉はー?」


 縁側を踏みこえ、部屋に上がった皐月は、着ていた上着とTシャツを点々と脱ぎ捨てながら台所に向かう。


 泥棒猫のように食い物を漁る物音を聞きながら、玄静は眉根を寄せた。


「おらんよ」



 何処からか飛んできた蝉が、近くの木に止まった。ジリジリと、声を捻り出すように鳴きはじてうるさい。


「え……?」


 皐月は予想していなかった返答に違和感を覚えたか、冷蔵庫の扉を半開きにしたまま、怪訝な眼差しを注いでくる。


「……お前も、そんなモサッとしとらんと、健二くんを誘って釣りにでも行ってこい」


「なんだそれ。小学生じゃあるまいし。誰が好き好んでこのクソ暑い中…………てぇ、学校じゃないの? みんな」 


「ド阿呆。もう夏休みに入っただろうが」


「あれ? そうなの?」


 皐月は首を摩ったり、柱に掛かった日めくりカレンダーを振り返ったりと、明らかに動揺している。


 やれやれと甚平に付着した松太郎の葉を払って、玄静も部屋に上がった。

 “越境” とやらが、記憶や時間の感覚にどのような影響を及ぼすか知らないが、昨日今日のことすら判別できなくなる程だとは、先が思いやられる。


「……まぁいい。分かったら、とりあえずこっちへ来なさい。少し――……話したいことがあるからな」



     |

     |

     |



 皐月は、前を横切っていく玄静を目で追った。口中に放りこんだ氷の角を左頬に移し、右頬に移し――。

 何事かと怪しみながら隣の座敷に移り、長卓を挟んで向かい合うと、玄静が厳かに切りだした。


「まずは――……」


 独特の緊張感が漂う。

 もしかして成績のことか……? それなら、毎年恒例じゃないか。ましてや、最近は色々あって、勉強なんかに専念する余裕がなかった。華瓊楽カヌラから帰ってきて数日は、学校に行っても半日以上、眠りこける生活が続いたのだ。授業についていけなくなったのは、自分のせいじゃない。

 それともこの間、不注意で『松太郎』の枝をへし折ったのがバレたのか……?


 一寸先のことにも関わらず、次々と妄想が膨らんでいく。


「………り」


「?」


「お帰り、皐月――……」


 心の真ん中に響く、穏やかな声だった。

 普段は厳めしい鬼瓦のような顔つきの中に、ありったけの愛情が浮かべられた。


「疲れただろう。井戸にスイカを冷やしてあるから、後で一緒に食べよう。今年はなんとッ、ただのスイカじゃない! 黄色いスイカだぞ~?」


 一方的に話続けられる皐月の脳裏に、ふと懐かしいやり取りが過る。 

 


 *――皐月、皐月や

 *――? なに

 *――商店街でスイカを買ってきたぞ

 *――すいか?

 *――ああ。だがな、ただ切って食べるんじゃぁ、面白みがないだろう?

 

 お前は感覚がいいからな。きっと上手く割れるぞぉ~?



「――……」


 握らされたバットの感触が、膝上の手によみがえってきた。


 町中からスイカを抱え、山腹にある萌芽神社まで帰宅するのは大変だったと思う。今さらながら、この老父の “須藤皐月” に対する情には頭が下がる。だが、あらためて明らかになった部分の素性まで、受け止め切れるだろうか。

 

 玄静だって、かなえだって、文蔵だって、健二だって――。身の回りにいる人間の顔を思い浮かべていると、ふいに、無邪気な笑い声が聞こえた気がした。

 笑顔を振り向けてくる姿が、想像の中でも眩しい。茉都莉(あいつ)だって――……、こちらの世界へ戻る途中、この手がしたことを目の当りにしたら、青ざめずにはいられないだろう。 




     :

     :

     :

     *




 紅桃港くとうこうの門神――蘇温と緑功の計らいで、南の越境守蟲でもある使役の白虎を案内役に帰路に就いた皐月だが、わざわざ彼らを介したのには理由があった。

 “絞・二番街” という不法入海異民の強制送還ルートを通りながら、地下に張り巡らせている “天網” の様子を点検しておきたかったのだ。


 暗闇は、悪鬼邪神にとって恐ろしいものではない。それよりも、天神の使役として働く越境守蟲の巡回、霊木の根が放つ辟邪の香り、自らの願望が生み出す幻覚に捕らわれ、彷徨い続けることを恐れる。


 白虎は時おり、提灯をくわえた顔を振り向けては、尻尾でつかみ持っている桃の花枝を突き上げて見せてくれた。

 皐月にはなんの恐怖感もないが、普通の人間ならば、死に物狂いで駆け抜ける道だ。右も左も分からず、行く先々で突き当たっては、絶叫するはず。異様な化け物たちの姿に出会って――。




《 おい 》


 ふいに声を掛けられた。土塊になりかけている家財や荷車など、土砂崩れに巻き込まれたような有様の粗大ゴミごと、がっちりと岩壁を固めている樹木の根――その隙間から。


《 おいお前ッ、この世界が見えてねぇのか…っ!? 》


 必死に声を発しているのは、根に雁字搦めにされて、半顔と片足だけになっている雑魚妖鬼だった。


 うてなでも、地下の石造神殿に蔓延った大樹の根が、場所により、こうした形で精霊や鉱石を宿していたり、 “裁きを待つ者” を収容している。

 相手はこちらを惑わすことを楽しみ、こちらは文字通り締め上げて、必要な情報を吐かせるまでの駆け引きに興じた。懐かしいな。

 



「お前の目には、どんなふうに見えてる――?」



 皐月は鼻で笑って尋ね返した。


 妖鬼はくわっと見開いた眼の中に、涼し気な顔で黒髪をそよがせている皐月と、彼に吹き付けている桃色の飛花を映していた。


 足元には若草、黄色の花が揺れ、見渡す限り一面に、ふわふわと綿毛が舞い上がって見えている。

 咽びそうなほど甘い色の景色。遠くの山端に宵の月。

 すぐそこには、白牛を桃の木に繋いだ老爺が胡坐している。こちらに背を向けて、これ見よがしに酒に舌鼓を打っている。

 


 妖鬼は歯ぎしりした。


《 どういうわけだッ! もう、あの爺の血しぶきでなくてもいい…っ! 神酒でも聖水でもいいッ! 喉を潤すものが欲しい! なのに…ッ、手を伸ばしても、伸ばしても、届かねぇっッ!! 》 


「当たり前だ。お前たちには、決して味わえない、壺中天の至福だからな。縁があったとしても、せいぜい、掛け軸にかれた絵として拝むことが出来た程度だろう。人間でさえ、多くが羨望を寄せるしかない夢の世界」


 それに



「――もう、お前の両手は失われている」


《 嘘だッ! 俺には見えてるんだ…ッ! 》


「せいぜい良い夢に浸り続けろ」


《 待て! 貴様、何処かで……、あっ! あの時の小僧かッ!? 李彌殷リヴィアンで大火災が起こった日の…っ! 》


「そういうお前は、左蓮にほだされて、のこのこと地上に出てきた単細胞か? 無様だな」


《 うるさぁぁあああああーーーい…っッ!!! そうだッ、お前のことを、黄塵獄こうじんごく按主アヌスたちに知らしめてやる…ッ!! そうすればきっと…っ 》


 皐月はくすくすと憫笑を漏らした。


「おめでたい奴だ。ついでに、お前たちみたいな連中が、こんな状態でも、少しは長生きできるかもしれない秘訣を教えてやる。お前の場合は、もう遅いけど――」



 見て見ぬふりをする。

 何も聞かなかったことにする。そして、




「余計なことは言わない――だ」



 皐月は少し先で待っている白虎に向かって、再び歩き始めた。

 木の根が太い蚯蚓みみずのように蠢いて、バキバキと軋みながら、団子になっていく光景に背を向け――

 


《 ギャアアアアアアアァァァァ……ッッっ!!! 》



 死ねと言う代わりに、ひらりと右手を振って、別れの挨拶をしてやった。




     :

     :

     :

     *





「今回は……、怪我はしかったようだな」


 その言葉で、皐月は耳の中に木霊している断末魔の余韻から覚めた。

 玄静のほっとした顔をうわ目に見た。そして、すぐに視線を落とした。



「まぁ、……したってすぐ治るし」


「そうか?」


 玄静は苦笑気味に笑った。


「話ってのはそれだけ?」


「ああ、…いや、あと……、今年のお盆のことなんだが…」


 皐月は前髪の影で、ハッと目を瞠った。


「やっぱり行くんか? ()()()()


「なぁ、……玄じい」


「うん――?」



 “あの場所” のこともそうだが、今は別の話をしなければならない。せめてこの祖父だけにでも、今回、華瓊楽で過ごした間のことを――新たな展開になったことを、伝えなければならないだろう。

 そう思う反面、余計なことは言わない。知らない方がマシだと思うのも事実。


「――……俺」


 おもむろに顔を上げた。

 蝉の声が、一段とやかましくなった。





〔 読み解き案内人の呟き 〕



【 締め殺しの木 】とは……


榕樹ガジュマルの別名。

バンヤンツリー(空中に沢山の根を垂らすベンガル菩提樹)の仲間。

観光名所としては、その根に呑み込まれている石造寺院などが有名。


強い生命力があり、多幸を招く縁起が良い木とされている。

垂れた根が降り注ぐ雨のように見えるため、「雨の木」という別名もある。

物語の中では、李彌殷リヴィアンの各所に生えている霊木の一つ。

 

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