◍ 紅桃港でのすれ違い 紅髪の…誰?
“神代の水” ――……それはまさに、神々が支配していた頃の水と言われているだけで、原初世界のどこにあった水なのか、本当に水なのかすら、明言できる者がいないのだとか。
*――ただ、この “光る海水” が、避邪の効力を持っていることは確かだね。
そういう意味じゃ、かつての雲泥みたいなもんだろうと、
東南の渡したちは皆、崇拝してんのさ
*――うんでい……?
*――神代崩壊前、清浄界の天と、不浄の地を隔ていた八雲原のこったよ。
八雲原は、天界の海から見ると、底に凝る白い泥のようだった。
四千年前の情景については、俺なんかより、花人について記録してきた
“常臣葉” ってやつの方が詳しいと思うが――?
× × ×
――――【 袖振り合うも多生の縁。再び 】――――
みっちりと寄せ集められた帆船の隙間に、上手いこと割り込んで、今回の東南界境越えは終了した。
各所にある橋脚のもと、俵米に絹、塩、木材、岩石……、様々な積み荷がチェックされている。
牽引してきた越境鳥は、墨をつけた足裏を紙に押し付けたり、ちょこちょこと歩いたりして記名。ついでに謎の個性的なポーズを決める。鶴頭が停泊させた六番拱門も、そんな光景であふれかえっていた――。
「お世話様。これ、よかったら収めてちょうだい」
六番拱門は東扶桑からの商船が多く、どさくさにまぎれ「水寶門」という船団に含めてもらった。飛叉弥の名を出すと、一発でOKする元海賊が船主である……。
買収した面々が去っていくのを見届け、何食わぬ顔で戻ってくる薫子から、鶴頭はふいっと視線を外した。
「茉都莉って言ったよなぁ――、あのお嬢ちゃん。素直で良い子じゃねぇか。久々に面白いことを巻き起こしてくれそうな気もするし。後日談、楽しみにしてるぜ?」
「~~……。」
大騒動になると、鶴頭には容易に想像がつく。
当の茉都莉は、越境という行為の重大性について、なんとなくしか分かっていないのが傍目に見ても明らかだ。少し離れたところの護岸にしゃがみ、舟と舟が軋み合う隙間の水面を覗き込んでいる。
「どうやら髪が伸びたことを気にしてるようだが……、基本 “産霊のいたずら” は縁起が良い。無許可で越境したことはともかく、まぁ、そんなに心配すんなって言っといてくれ」
鶴頭は薫子にそう託して、別れの挨拶のため、声を張った。
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「嬢ちゃーん! 俺はここまでだー。またなー」
茉都莉は顔を跳ね上げた。自分に起こった “越境の副作用” とやらを水鏡で確認していたのだが、髪が少し伸びていると指摘されたことよりも気になることがあって、思考をぐるぐるさせていた。
一瞬だが、自分よりもよほど大人っぽい、きれいな女性の顔が映っているように見えたのだ。
彼女は髪が長く、紅く、波打っていて、少し微笑んでいたようにも、
……………怖。ついに幽霊まで見えるようになっちゃったのかな。いやいやいや。ポニーテールで顔を叩くように、頭を横にブンブン振ってとりあえず忘れる。
「まっ、待って鶴頭さん…! あの…、ありがとうございましたっ!」
駆け戻ってお辞儀をした。
「なあに。これが最後じゃねぇ。しばらくこの紅桃港に留まってる。帰りも俺が渡してやっから。いいか? こっちの世界で、迷子にだけはなるんじゃねぇぞ?」
茉都莉は多くの八曽木市民と同じく、不思議体験はしても、霊が見えるわけではない。ただ、なぜか “縁” を感じることは頻繁にある。
自分はラッキーだとか、今日は疫病神が憑いているのではないかと思うほどアンラッキーだとか、とにかく、良いことも悪いことも予感が当たりやすいというか、引きが強いというか。だから、
「ちなみに――、嬢ちゃんと何処かで会った気がするのは、俺だけなのかね」
別れ際、鶴頭に呟かれたことも、またいつもの “袖振り合うも多生の縁” だと思った。そんな気がするだけだろうと。
「??」
目をしぱしぱさせると、その顔が面白かったのか鶴頭は少し笑った。
「いや――、なんでもねぇよ」
怪訝そうな薫子の視線から逃れるためでもあるようだった。
東扶桑巉、鶴領峯に船籍を置く鳥仙――、裏渡師・浦鶴頭は、さっさと行けと手を払った。
× × ×
港内には磯遊びができそうな岩礁が点在し、どうやらこの各所が船の係留、旅客・貨物の乗降、一時保管庫などの主要施設になっているらしい。白木の太鼓橋によって連結されている。
瓦屋根の建物は、どれも軒先に鮮やかな紅紫色の幕を巡らせている。壽星台閣の国旗と同じ色かもしれない。安全地帯の公共物に施される一種の印か――。
地下にあってもやはり海辺には違いなく、篝火に照らされた松原の影が、周囲に怪しくも荘厳な雰囲気を漂わせている。
行き交う船は、おおよそが “黄櫨染” ※【 和風圏でいう太陽の色。国王がまとう 】を思わせる渋い黄色の帆を張り、停泊しているものは赤い縄で係留されている。
船体にも乗組員にも、ある程度お国柄がうかがえるが、この陽色と赤い縄、越境鳥を必須にしている点はみな同じ。いずれも船首像のような役割を果たす “お守り” との共通認識があるようだ。
とりわけ、この港最大の “魔除け” はさすがの風格。
「害虫どもを引きずり込んだ影響が、少なからず出てると思ったけど……」
虹のように巨大な “鬼怖木” の拱門――『紅桃港』の扁額を掲げた、化け物級の桃の木である。
入江の両岸から生え出て、頂点で重なり合った弧を描く枝は、一仕事終えた越境鳥たちの止まり木と化している。
星の数ほどの紅灯と、こうした鳥たちが花の雲の合間に戯れている光景には見蕩れるが、常闇に平然と咲き続けている花木は恐ろしいと相場が決まっている。生命力、鬼退治の効能ともに、凄まじいことこの上なし。
「ご健勝なようで何より……」
そう呟いた鼠小僧は、建物の陰に身を引っ込めようとして初めて、真後ろに鬼の形相の役人が詰めかけていることを知った。
自分よりもよほど鬼っぽい……。
「須藤皐月――だなッ?」
「もしかして、何してるって聞きたい? こう見えて怪しいことではない。単なる視察だよ。職業は? って聞きたいなら、ついさっき、正式にこの国の救世主にされた。この紋所が目に入らんか」
皐月はさっそく花連隊長の徽章を出して見せたが、金紙で包まれたチョコレートであるそれは、蕩けて無惨な形になっていた……。
「ふざけた寝ぼけ眼の蓮彪将ッ!」
「間違いない! よし、しょっぴけッ」
「……。」
救世主なのに、指名手配犯のような扱いを受けるのは、これが何度目だろうか。
「あれ――?」
引きずられていく途中、皐月は自分に視線を集めている旅客や船乗りたちの中に、薫子に似た女を見つけた。背を向けて硬くなっている。
外套で全身を覆っていても、どんなに気配を殺していてもバレバレだ。最悪な出くわし方をしてしまった動揺を隠しきれていない。そして、黙殺する気満々なのも、彼女だとすれば納得がいく。
優等生のお嬢様を絵にかいたような奴が、今日まで何処を遊び歩いていたのだろう。
いっそう妙なのは、自分の体を衝立のようにして、誰かを懐にかばっている様子だということ――。
「おいっ、さっさと歩け!」
「蘇温様、緑功様が、お前をお呼びなのだッ!」
役人から聞かされたその名は、この紅桃港で検閲官たちを束ねている “門神” の名だった。
李彌殷最強の邏衛兵たちが守っている北東――、艮旗営の門扉に描かれていた二神である。
皐月は艮営で事情聴取を受けた四か月前のことを思い出した。
ため息をつき、渋々、薫子を見逃すことにした。




