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払雲花伝〈ある花人たちの物語〉【塵積版】  作者: 讀翁久乃
◆ ―――――― 序鐘 ◇ 始動 ――――――
181/194

◍ 裏渡師と行く地下海の……〝棺舟〟


 

   *



 《 汝、人にして人にあらず――…… 》

 

 その昔、誰もが春を惜しむ傍らで、花散ることを慶事と享楽する者たちがいた。

 生れ落ちた場所が、いかに険しい岩山の上であっても、その足を抜くことはできず、抜けばまたいずれ、同じ所に根差すと信じられている。

 ゆえに花は風を待ち、それに乗じて散るのを急ぐのだと。

 

 かの民は、奇しき力をもって豊穣をもたらしたことから、 “花人(はなびと)” と称された。

 木の芽を萌し、野山を成し、人身にして当然のように自然界と一体化できるその特異な性質は、いつしか暗中飛躍に用いられ、またそれを総攬そうらんしようとする者たちが幾度と無く争い、彼ら自身も己が行く末を賭けて同胞を討ちあったりもした。


 口と四肢、意志さえあれば逃げることもできた。欲しいものがあれば容易に掴むことも、決して叶わぬことではなかった。

 だが、王家勢力――東天花輩はその自由を放棄してきた。そして、かの彩目を生まれ持った者には、その答えを探す使命があったという。

 

 暁夜の道を見定める “ときの瞳” よ。吾人を如何な顛末に誘おうと――……。



 《 それは、限りなき暗黒の果てにあり 》


 

 幸か不幸か。何処へ逃げても、求めに行っても、

 所詮、世界は、繋がっている――……。




―― * * * ――






 これはまだ、そうとは知らなかった花人の奮闘記なのかもしれない。

 すべてが必要な回り道だったと笑える日が訪れたら、どんなに良いか――。


「投獄されたりもして、でも、何も吐かないし、一時期は本当に大変だったわ。飛叉弥と言ってね……、彼は大三閥の蓮壬家はすみけに育ったけど、その見た目から、蓮壬家の血筋ではないことは明らかなの」



 一体どこで、何がどう繋がっているのか分からない地下水路を進んでいる。

 不安を増長するように、水路の行く手の闇は深まる一方だったが、水底は金緑色きんりょくいろの弱光を秘めており、ここにきて徐々に、光り方が強くなってきていた。


 水琴窟の音を聞きながら、極力声を抑えた会話は続く。


「誰の遺児か公にされてないからって、飛叉弥を何処の馬の骨呼ばわりできる奴は、世間知らずもいいところよ? 蓮壬家より格が高い ある王家、その最後の当主に生き写しだって話は有名……」



 そして、あなたの幼馴染は、驚くほどに彼と瓜二つ。



「それってやっぱり……」


 辻村茉都莉つじむらまつりは先ほど、信じられない体験をした。それからひらすら小舟に揺られ、前進し続けている。自分が生まれついた超高度な文明社会を出て、今、 “底津根そこつね” という領域を抜けようとしているところだ。



 *――私が連れて行ってあげる!



 案内人の一人は、花人の桜源嶺薫子おうげんりょうかおるこ――。茉都莉の従兄を演じる “須藤皐月” の正体を探りに訪ねて来た。



「……まだ断定はできないわ。世にも珍しい黒眼の花人である理由や、霊応をセーブしなきゃならない事情とか、制御しきれていない問題点は見えてきたけど、どれも、彼が飛叉弥の身内である証拠にはならない。容姿が似ていることさえもね」


「でも、有り得えること……、なんですよね?」


 もし、そうだとしたら、なにをどう受け止め、直視し、目をつむらなければならないのか、見極める必要があると聞いたが――。

 昨日今日、花人について知った茉都莉には、正直よく分からない。


 分からなくて当然だと言うように、薫子は苦笑を返す。


「それよりも茉都莉ちゃんは、彼がどんなものと関わって行くことになるのか、知りたいんだったわよね――?」


 ふと促すように前方を見やった薫子につられ、茉都莉は視線を走らせた。


 片翼だけでも一メートル以上の大翼を羽ばたかせ、ある鳥が先導してくれている。その行く手から吹いてくる風に、潮のにおいが感じられてきた。

 

「これから向かう所は、あたなの暮らす街と同じように、不可思議な物事を誘発しやすい構造になっているわ。ただし、規模はまるで違う。華瓊楽(カヌラ)という、南海屈指の超大国」


「 “華瓊楽” ……」



「念のために、もう一度言っておくけど、茉都莉ちゃんの証言通り、皐月(あの子)が元来、強力な紫眼を有していたなら、そういう花人がもたらしてきたのは、必ずしも良いことばかりではないの……」


 この世の美しきはじまりと、醜き終わりの両面、破滅と再生が巻き起こされると聞いたことがある―――。

 



 なんとも重苦しい沈黙が差した。船を操るかいから、古びた木が軋む音が繰り返される。

 後ろで立ち漕ぎしているのは、角笠つのがさをかぶった痩身の老爺で、薫子が頼ったもう一人の重要な案内人だ。


 ふと背中に視線を感じた茉都莉が振り返ると、船頭の彼にじっと見つめられていた。


「……?」


 茉都莉には何故か、この老爺がもの言いたげに見えたが、いかんせん疑問符を頭に浮かべることしかできなかった。






   *   *   *






《 それは、限りなき暗黒の果てにあり…… 》



 数時間前、薫子に連れられ、人気のない水辺を訪れた茉都莉は、言われるがままある儀式を行った。

 竹の葉と赤い糸を使った簡単なまじないだ。 “交流を求める正式な祭祀” では、笹舟やお椀を用いるのだとか――……。


 そうして踏み入った知られざる領域で、真夏にはありえない、不思議な光景と出会った。

 赤椿が咲き乱れる竹林に囲まれた池の淵に、黄土色の帆を畳んだ状態で、小舟が浮かんでいた。

 帆掛け舟の中には、長く停まっていることを示すように、散り落ちた赤椿の花がたくさん転がっていて、そこに腰掛けている老爺が、煙管から紫煙を漂わせ、しわがれた声で尋ねてきた。



*――……なんだい、そのお嬢ちゃんは



 法被はっぴに似た紺の着物を羽織っていて、確かに船頭のようだったが、老爺が目深にかぶった角笠の下からのぞかせた眼光は鋭かった。


 茉都莉は物珍しがっていることに眉を顰められたのだと思い、慌てて挨拶した。



*――こ…、こんにちは!


 

 今度は船頭が物珍しそうに茉都莉を観察した。

 その傍らに、興奮した様子で両翼をばたつかせ、一羽の大鳥が舞い降りてきた。

 羽が暗灰色で目の周りが赤く、首が細長かった。

 船頭は、薫子と話し込んでいる間、どこからともなく舞い降りてきたこの不思議な鶴を撫でて、落ち着かせていた。



 *――仕方ない。乗りな、お嬢ちゃん



 船頭は重い腰を上げると、自分とは対照的にやる気満々の鶴に赤い紐を咥えさせた。

 紐は椅子の脚のような木枠に巻き付けられていて、これを “苧環おだまき” というのだと――……、



     :

     :

     :

     *



 茉都莉が知るのは、ある “職人の見習い” となる、もっとずっと先のこと。

 花人の歴史を学び、連理の枝が見える少女だと公にされ、自分がそこで、 “越境の象徴” として一目置かれるようになる未来が待ち受けているなど―――、現時点では知る由もない……。


 茉都莉は自分が暮らしてきた以外の世界があることを実感し、なんとなく、後ろを顧みたくなった。

 舟の後方という意味ではなく、自分が縁を持った土地や人々、これまでのことを――。



「私が生まれ育った八曽木やそぎ市は、神社仏閣以外にも、実は “おが木池ぎいけ” の宝庫で……」


 その数と同じだけの縁起が伝えられてきた、摩訶不思議なことの錯綜地帯だ。

 天然の斎場、聖域として、古くは “堂守神和どうもりかんなぎ” というまじない師が、独特の祭祀を行っていたらしい。


 海と山に囲まれた地形のため、平地から平地を結ぶトンネルや、水上を渡る橋がいくつもある。 



 《 幸か不幸か。

   何処へ逃げても、求めに行っても、所詮、世界は繋がっている――…… 》




 玄静が萌芽神社に保管してきた書物の内容通りである。



「……景勝地だけど、漂流物が多いのが悩みの “碗貸し伝説が色褪せない街” だそうです」


 昔々、食器など、生活に足りないものを要求したところ、墓や水辺にある洞の向こうから、何者かが貸し与えてくれるようになったのだとか。

 相手はお地蔵様、河童、女神、そして、八曽木の場合は龍だと語り継がれている。


 つまり、 “龍窟” が存在したとも言える。



「皐月はなんで、八曽木に流れ着いたのかな――……」





 だんだんと闇が薄れてきた。舟が割く水面を流れていく赤椿の花。それをのぞき見ながら、茉都莉は素朴な疑問を口にした。


 船頭の老爺が我関せずと見せて、実はこの呟きを気にとめていたことを知るのも、だいぶ後の話。

 ついに暗渠の洞門を抜ける。船頭の老爺が最後の一漕ぎとばかり、舟に勢いをつけた。



 次の瞬間――、地下世界から外に出たのかと思うほど一気に開放的になった。抜け出たそこはまだ、頭上を星のない夜のような闇に覆われていたが、パノラマ状に見渡す限りの視界に、灯籠とうろうと思われる明かりがたくさん散らばって見える。



「わあ――……!」




 水平線を成している灯りもあれば、ふわふわと上昇していく灯り、大型船の側面に連ねられている灯りもあって、みな同じ鬼灯ほおづきのような紅灯だ。

 

 茉都莉を運んできた小さな帆掛け舟も、たった今、「ちょいと失礼するよ」と言って、船頭がそれを掲げた。火屋の中に、魚の特徴を併せ持つ不思議な赤トンボが入れられている。――……なんだろう。でも、蝋燭の代わりになるほど明るく発光していて、きれいだと思った。



 大小の帆船が、それぞれの鳥の群れに牽引され、競い合うように同じ方向へ進んでいる。そんな海上にいきなり乱入したわけだが、こぞって漁に繰り出した船団ではない様子。

 汽笛のような一種の合図なのか、あっちでも、こっちでも、玲瓏な鐘の音が一定の間隔で鳴らされている。



 ふと後方を見た茉都莉は、いっそう息を呑むことになった。水中に突き立っている巨大な木の又が、メキメキと閉ざされた。

 自分たちの舟は、ここから抜け出たらしい。海上に発生した竜巻のような迫力で、遠くにも同じような巨樹の影が点在している。

 一本一本の根が絡まり、癒着したもののようだ。何か白い物体が……、絡めとられているようだが……??




「見て? 茉都莉ちゃん」


 気をそらされた。


 フード付きの外套をまとっていて、陰が差している様子が少し怖いが、薫子は紅唇に乗せる笑みを努めて子どもっぽく、陽気にしてくれている。出発前と変わりない薫子だった。


合歓ねむの花!」


「ホントだあ…っ!」


 気が付くと、水上に漂うのは椿の花だけではなくなっていた。

 合歓は河辺などに咲いて、蝶を集める。頬紅を付けた化粧刷毛のような見た目がかわいいので、茉都莉は昔から好きだ。


「白菊に……、蓮の花びらまで」


 浮き漂っている舟には、花が詰め込まれているだけの無人のものも多く、茉都莉は小首をかしげる。


「ああ、それには触れないでね? 一種の “ひつぎ” みたいなものだから」


「ひ…っ!?」


「きれいに見えてもうじが乗ってるかも。南壽星海みなみじゅせいかいでは底津根のことを、 “黄泉こうせん” というのよ。ここは、死んで鬼籍に入った霊魂たちが黄泉へ向かう航路でもあるから、船上に手招く人影を見ても無視してね?」 


 怖……。

 茉都莉は無駄に想像を膨らませないことにした。



 薫子は用心深く周囲の舟を観察する。


「魂魄の “魄” の力を吸い取られたら、肉体が霧散するわ。気を付けないと。地下は時化霊トケビが渦巻く場所だから…」


 チチャチャっ、と素早い鳴き声が頭上で交錯した。

 茉都莉は反射的に振り仰いで、飛び交うそれが燕であると気づいた。

 萌芽神社の社務所にも毎年巣を作る、お馴染みの渡り鳥だ。


「地下世界といったら蝙蝠こうもりですよね。なんで燕がこんなところに……?」


「燕は港が近いことを知らせる鳥なの。帰巣本能があるから、無事に還りたい船乗りにとっては、守り神みたいなもの。現に、時化霊の影響を受けずに往来する、 “越境守蟲えっきょうしゅちゅう” でもあるし」


「越境守蟲……」


「俺は鶴領峯かくりょうほうの出だから、使役は “真鶴まなづる” だけどな――」


 つと、船頭の老爺が話に割り込んできた。いつの間にか、すっかり一仕事終えた顔をしていた。



「真鶴…? あ痛っッ!?」


 船を牽引してきたそいつが、茉都莉の傍らに舞い降りる。役目を終えたので、どうやら遊んで欲しいらしい。それにしては、くちばしで頭をブスブス刺しまくってくる……。ぃぎゃああああッ。



     |

     |

     |




鶴頭かくずさん――」



 会話どころではなくなった茉都莉を捨て置き、薫子は彼女の気を惹くチャンスをうかがっていたらしい老爺を怪しんで、声を低めた。


「一応聞くけど……、あなた、何も知らないわよね」



 薫子には徒人の茉都莉を守りながら、東扶桑巉ひがしふそうざんの底津根を安全に往来できる自信がなかった。何かあったら取り返しがつかないため、正規ではないが、確かな技術を持つ “裏渡師うらわたし” という案内人に頼ることにし、今に至る。



 東南の裏渡師――鶴頭は、茉都莉が襲われているのを知り目に一服を始めた。


「――ああ、なんだろうが知ったこっちゃないねぇ。俺は飛叉弥(あのひと)から、 “狻猊さんげい” に献上するのと同等の上質な煙草がもらえりゃあ、それでいい」


「じゃあ、私と交渉したことも忘れてくれるってことよね?」


「へいへい。心得ておりやすが……、なるべく、妙なことには巻き込まんで欲しいんだがねぇ」


「そんなこと言っていいの――?」


 薫子は腕を組んで、余裕の笑みを浮かべて見せる。


狻猊さんげいは唯一、火煙を好む獅子の様相を併せ持ったけど、竜生には違い。龍を目の敵にしている火神信仰中心の東扶桑ひがしふそうでは、まずもって手に入らないでしょ?」


「おっしゃる通り。……しかしまさか、あんたまで俺との交渉材料を持っているとは」


「あら、飛叉弥から聞いたことなかった? 私、火霊ほだま使いの一族の中でも、そこそこ上流階級の出身なのよ。これくらい普通に手に入るわ」


「やれやれ。しがない漁師飯を食って育った俺には、嫌みにしか聞こえねぇや……」


「あのあの! か、鶴頭さん?」



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 今度は茉都莉が割って入った。ここまで、警戒されている感が否めなかった茉都莉は、鶴頭に口を利いてもらえるようになったことが嬉しいのだ。


 頭をボサボサにされたが、真鶴も人懐っこくてかわいい。苦笑して許す。

 鶴頭がしていたように、なでなでして落ち着かせ、茉都莉は水面に視線をやった。



「今さらですけどー……、なんでこの水は光ってるんですか?」


「ん? ――ああ」


 鶴頭は煙管を咥えているへの字の口端をつりあげた。




「それは “神代じんだいの水” が混じってるからさ――」





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