◍ 華瓊楽国王の龍顔
――――【 “真” 救世主は、世のため人のためとか言わない 】――――
「一つ……。俺は無駄につるむのが好きじゃない。方々に懺悔が必要だとしても、それは前任に任せるよ。俺はちゃっちゃとこの国の問題を片付けて、普通の学生生活を一日でも早く取り戻すために協力する…………てことで、いいよね」
国王の他、人神界の重鎮たちを味方に付けているとは言え、世間から吹く飛叉弥への風当たりは、今も強い状態が続いている――……。柴も目つきを鋭くして、気を引き締めた。
奎王は面白そうに、唇の端をつり上げた。
「誰のためでもない。 “自分自身のために” ……か? よかろう。私はお前たち花人の根本は、そもそも、そういうものだと思っている」
すべてが終わったら、こうしたい、ああしたい。国王の自分にも、臣民のための改革だけでなく、至極私的なことまで、思い描く未来は山ほど――。
「だが、蛇毒神判など認めたがために、死蛇九のような邪神を生み出し、その上、逃亡まで許してしまった。何処かの誰かさんと同じで、何をしていたんだと責められても、まさかの事態が起きたとしか言えん。当時はまだ、先王の治世だったが」
「――……」
飛叉弥は頭を下げた姿勢のまま、形容しがたい空気をやり過ごす。
「私は清算係としての務めを全うし、お前たちはこの件で被った汚名を返上し、祖国に胸を張って帰るのが、最終的な目的というわけだ。左蓮との関わりを否定するためとはいえ、花人に頼り切るのは如何なものかとの訴えがあることについては、まぁ……、私も善処する」
皐月は悪くない返答と受け取った。蓮尉晏やづさ――、あの女と飛叉弥の間に何があったのか、自分は直接関与したわけではないため、何も断言はできない。しかし、問われれば答えられることが増えたのは事実で、今は嘉壱たち六人より、詳しいと言っても過言ではないだろう。
「二つ……、俺はなんにせよ、あまり、もてはやされるのが好きじゃないんだ。酒宴も――やるなら、あんたたちだけでやってくれ。社交の場ってのは昔から苦手でね。気の利いた挨拶もできないし、面倒くさいだけだし。それとー……」
「おいおい。まだあるのか?」
さすがの奎王も、屈託した風情で議長席に深く身を沈めた。
「これが最後だよ……」
皐月は漆黒の目の奥に、何やら強いものを宿した。
「華瓊楽奎王――。一度でいい、あんたの顔を拝ませてもらいたい」
《 なんですって? 》
《 こやつ……、よくもまぁ堂々と 》
殿内が一段とざわめいた。飛叉弥は皐月の背を上目に見た。何のためにそんなことを望むのかは、大体想像がついた。
「…おい」
「いいじゃん。ちょっとくらい。どんな立派な顔してるのか、見てみたいと思うだろ? 普通」
「バカ皐月、お前…ッ!」
嘉壱が思わず立ち上がった。
目の前にいるのは、初代国王以来の本物と謳われている竜氏。その龍顔を値踏みしようとでも言うのか。
「よい。静まれ、皆の者」
奎王はひじ掛けに頬杖をついて微笑した。
「こちらも望むとろだ。…が、一つだけ私も、お前に頼みたいことがある」
「……なに?」
意外な出方をしてきた相手に、皐月は片眉をつりあげた。
「とぼけるなよ? 皐月。お前と私の、 “秘密の花園” のことについてだ」
「は?」
「だから……」
奎王は、おもむろに冠帽を取った。大勢が注目する中、ばさりと深緑を思わせる濃緑の髪が広がる。
何処かで見たことのある癖毛だった。その造作にも覚えがある。鼻筋が凛々しく、目が大きく横に長く、やや吊り上がっている。商人として大成する人相というよりは、まさしく人望に恵まれるという天子特有の龍顔。そう思うのと閃くのとは、ほぼ同時。
「…………。」
見事なまでに半眼になり、面白くない――と言いたげな皐月の顔が、奎王には面白い。
「ようよう気づいたか。さ、これでもう堅苦しいやり取りは仕舞いにして、ぱーっと一杯!」
「中枢っッ!!」
今度は、その場の全員が総立ちとなって怒鳴った。
燦寿の朗らかな笑い声が響く中、皐月は奎王を名乗ってきた男に舌打ちした。
色々とまずい展開になった……。女装して酒楼で働いていたこと。実は酒豪で、二人きりだったのをいいことに、飛叉弥――(のこととは言わなかったが) “鬼畜くそバカ野郎” の悪口を言いまくったこと、などなど。忘れてくれているはずがない。
「武尊さん……だよね。え? ちなみにご本名は…」
「阮睿溪! 皐月ぃ! 例の花園に私が行った日には、甘~い甘い蜜をたあ~~んと振舞ってくれよ?」
この会話の意味が分かるのは、おそらく自分たちだけだ……。
「俺に働き蜂になれっての?」
「おうよ。文句はあるまい。私はこうして、お前の言うことを聞いたのだからな」
「ぶふっ……、くくく…」
振り向けば、顔をそむけた飛叉弥が必死で笑いを殺している。
最悪だ。本当に、なんでこんなことに。どうして、あんな約束なんか……。
*――絶対に……
「……る」
「えっ? どうしたのです? 皐月っ?」
玉百合の戸惑う顔を見ないように、額を覆った皐月は右向け右をした。
「おいこら化け猫ッ! 逃げんのかっッ!?」
「うるさいハゲッ。逃げるんじゃない。俺は帰る。ちょっと一回~~~……、とりあえず帰るだけだから探さないでくれるッ?」
「ちょっ…、待ちなさいよっ!」
「ぅわ。本当に帰る気だよ、アレ……」
慌てる満帆。あきれを通り越して引いている啓。さらに、この展開を想定していたのか、ぞろぞろと湧いて出てきた衛兵を見た勇は、懐から手の平サイズのを本を取りだし、平然と読み始めた。こうなれば宴会どころではない。
「待てって言ってんだろッ、誰がハゲだこの野郎っ! いつもいつも、俺にばっか当たりやがってっッ!」
「おい待て嘉…」
柴は嘉壱を引き止めようとしたが、一歩遅れた。
猛牛の大群のようにつんのめってくる単細胞どもの頭を、皐月は容赦なく跳躍台に。
「ふげっッ!」
「痛っッ!?」
「うが…っ」
《 おおう、なんという…… 》
《 に…っ、逃げたぞ! 》
《 よりにもよってあの小僧、逃げおったわ! 》
《 せっかく歓迎してやろうというのに。なちゅー罰当たりな…… 》
たちまち喧々囂々となった殿内。
「いっそ、見事と言うべきでしょうなぁ、中枢……」
燦寿がお茶をすする音を、長々と聞かせてくる。睿溪は頬杖をついた影で、口端をひくつかせていた。
「申し訳ありません…っ」
今にもベソをかきだしそうな玉百合が走り寄り、見上げてきた。
「あー…、いやいや構いませんよ。二度目ですし、大して驚きもないというかぁ、やっぱりな、といういうか~……」
《 逃すなっ! ここで逃がしたら、もう帰って来んかもしれん! 》
誰のものともしれない怒号が、飛び交っている。
八年前――、豊穣をもたらす花人の力を頼って使者を遣わし、萼屈指の兵が主と二人、はじめて華瓊楽の土を踏むというその日も、同じようなことがあった。
都に白昼堂々、盗賊が現れた。世界三大害を次々に被る不安により、各地で国王の弾劾を叫ぶ暴動が起き始めていた頃だった。
制圧に動いた八方旗営の京衛武官たちを凌ぐ猛々しさで、むしろ手が付けられない白髪の鬼がいると報告を受け、まさかと思った当時将軍の睿溪自ら、その場に駆け付けた。
乾いた発砲音がした。あってはならない間違いが起きてしまったのかと焦ったが
*――オラオラあああぁッ、
善悪みな共々、今すぐ俺の足元に正座して見せろぉ。
ハッハッハっッ。
バキュ、バキューン!
もれなく正座させられた……。睿溪がはじめて聞いた救世主の第一声は巻き舌気味で、盗賊の親玉に勝るとも劣らない凶悪な高笑いを交えていた。
事態鎮静後、ちょっと他より良い武装をしていた男が睿溪だと知るやいなや、銃を打ち捨てて、そのまま逃亡するという前代未聞の救世主に、一同は唖然とした。
「……誰だって、お前様のようなちゃらんぽらんが、国王の縁者だとは思いたくないだろうて」
「思わないだろうて、の間違いだろう? それを言うなら、俺だってあいつが蓮王家の血筋とは信じられなかったが、きちんと冷静に取り計らったではないか……」
今や、この「ちゃらんぽらん」を中心に、華瓊楽の人原は治まっている。だが、こうしてあの者らを見下ろす位置に座しても、 “私” という一人称を使うのは、ただの人間代表に過ぎないことを弁えているからだ。
「あなたと同じ気持ちでいるのですよ、玉百合姫――……」
玉百合は、殿内の怒声を一身に感じているように、深々と頭を下げた。
「お許しを。ただ、彼らが本気で人を害することはない……とだけ、主として、この玉百合に弁明させて頂きたく――」
ちなみに飛叉弥はあの後、大切な主を置き去りにしたことに気づいて自首してきたが……。
「皐月は戻ってくると思うか? 燦寿」
「あり得んでしょう。何せ、仲間を踏み倒しての逃走劇ですからな」
二人が苦笑気味に眺めている真下の広場は、未だに大騒ぎだ。
皐月は閉ざそうとしている扉と、追いかけてくる烏合の衆の向こうで、飛叉弥が場違いな微笑みを浮かべていることに気づいた。確かに、こちらを見つめている――。
「覚えとけ……」
自分の人生がハチャメチャになったのは、すべて、お前のせいだ。
凍り付いたように縛られてきたのも、
それが溶けだす時を迎え、再び巡り出すのも――……。
《 待てい! そっちは……っッ! 》
皐月は問答無用で扉を蹴り閉ざした。
飛叉弥は、深々とため息をついて、けれども口元の笑みは消さずに呟く。
「覚えているとも――……」
お前との約束、今日まで一瞬たりとも、忘れたことなどなかった。
*――絶対に……っ
また会える。だから、一つ約束をしよう。
励ますように両肩をつかんで、膝を折った。今度こそ、共に戦う時は、共に散り逝こうと。
*――この桜の雨のように……。そう、こんなふうに……
七年前の春。懐に収まるほど小さくなった彼に
そこに残る面影に、誓い直したのだから。
*――なぁ……、 “龍牙” ――…っ……
―――― 散り遅れた誰かが、
そのまま取り残されることのないように
手を、取り合って ――――
◇ ◆ ◇




