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払雲花伝〈ある花人たちの物語〉【塵積版】  作者: 讀翁久乃
◆ ―――――― 序鐘 ◇ 始動 ――――――
180/194

◍ 華瓊楽国王の龍顔


  ――――【 “真” 救世主は、世のため人のためとか言わない 】――――

   


「一つ……。俺は無駄につるむのが好きじゃない。方々に懺悔が必要だとしても、それは前任に任せるよ。俺はちゃっちゃとこの国の問題を片付けて、普通の学生生活を一日でも早く取り戻すために協力する…………てことで、いいよね」



 国王の他、人神界の重鎮たちを味方に付けているとは言え、世間から吹く飛叉弥への風当たりは、今も強い状態が続いている――……。柴も目つきを鋭くして、気を引き締めた。


 奎王けいおうは面白そうに、唇の端をつり上げた。


「誰のためでもない。 “自分自身のために” ……か? よかろう。私はお前たち花人の根本は、そもそも、そういうものだと思っている」


 すべてが終わったら、こうしたい、ああしたい。国王の自分にも、臣民のための改革だけでなく、至極私的なことまで、思い描く未来は山ほど――。


「だが、蛇毒神判など認めたがために、死蛇九のような邪神を生み出し、その上、逃亡まで許してしまった。()()()()()()()()と同じで、何をしていたんだと責められても、まさかの事態が起きたとしか言えん。当時はまだ、先王の治世だったが」


「――……」


 飛叉弥は頭を下げた姿勢のまま、形容しがたい空気をやり過ごす。


「私は清算係としての務めを全うし、お前たちはこの件で被った汚名を返上し、祖国に胸を張って帰るのが、最終的な目的というわけだ。左蓮との関わりを否定するためとはいえ、花人に頼り切るのは如何なものかとの訴えがあることについては、まぁ……、私も善処する」


 皐月は悪くない返答と受け取った。蓮尉晏れんじょうあんやづさ――、あの女と飛叉弥の間に何があったのか、自分は直接関与したわけではないため、何も断言はできない。しかし、問われれば答えられることが増えたのは事実で、今は嘉壱たち六人より、詳しいと言っても過言ではないだろう。



「二つ……、俺はなんにせよ、あまり、もてはやされるのが好きじゃないんだ。酒宴も――やるなら、あんたたちだけでやってくれ。社交の場ってのは昔から苦手でね。気の利いた挨拶もできないし、面倒くさいだけだし。それとー……」


「おいおい。まだあるのか?」


 さすがの奎王も、屈託した風情で議長席に深く身を沈めた。


「これが最後だよ……」


 皐月は漆黒の目の奥に、何やら強いものを宿した。




華瓊楽奎王カヌラけいおう――。一度でいい、あんたの顔を拝ませてもらいたい」




 《 なんですって? 》

 《 こやつ……、よくもまぁ堂々と 》



 殿内が一段とざわめいた。飛叉弥は皐月の背を上目に見た。何のためにそんなことを望むのかは、大体想像がついた。


「…おい」


「いいじゃん。ちょっとくらい。どんな立派な顔してるのか、見てみたいと思うだろ? 普通」


「バカ皐月、お前…ッ!」


 嘉壱が思わず立ち上がった。

 目の前にいるのは、初代国王以来の本物と謳われている竜氏。その龍顔を値踏みしようとでも言うのか。


「よい。静まれ、皆の者」


 奎王けいおうはひじ掛けに頬杖をついて微笑した。


「こちらも望むとろだ。…が、一つだけ私も、お前に頼みたいことがある」


「……なに?」


 意外な出方をしてきた相手に、皐月は片眉をつりあげた。


「とぼけるなよ? 皐月。お前と私の、 “秘密の花園” のことについてだ」


「は?」


「だから……」


 奎王は、おもむろに冠帽を取った。大勢が注目する中、ばさりと深緑を思わせる濃緑の髪が広がる。

 何処かで見たことのある癖毛だった。その造作にも覚えがある。鼻筋が凛々しく、目が大きく横に長く、やや吊り上がっている。商人として大成する人相というよりは、まさしく人望に恵まれるという天子特有の龍顔。そう思うのと閃くのとは、ほぼ同時。




「…………。」



 見事なまでに半眼になり、面白くない――と言いたげな皐月の顔が、奎王には面白い。


「ようよう気づいたか。さ、これでもう堅苦しいやり取りは仕舞いにして、ぱーっと一杯!」


「中枢っッ!!」


 今度は、その場の全員が総立ちとなって怒鳴った。

 燦寿の朗らかな笑い声が響く中、皐月は奎王を名乗ってきた男に舌打ちした。

 色々とまずい展開になった……。女装して酒楼で働いていたこと。実は酒豪で、二人きりだったのをいいことに、飛叉弥――(のこととは言わなかったが) “鬼畜くそバカ野郎” の悪口を言いまくったこと、などなど。忘れてくれているはずがない。



武尊ほたかさん……だよね。え? ちなみにご本名は…」


阮睿溪グエンえいけい! 皐月ぃ! 例の花園に私が行った日には、甘~い甘い蜜をたあ~~んと振舞ってくれよ?」


 この会話の意味が分かるのは、おそらく自分たちだけだ……。


「俺に働き蜂になれっての?」


「おうよ。文句はあるまい。私はこうして、お前の言うことを聞いたのだからな」


「ぶふっ……、くくく…」


 振り向けば、顔をそむけた飛叉弥が必死で笑いを殺している。

 最悪だ。本当に、なんでこんなことに。どうして、あんな約束なんか……。




 *――絶対に……


 




「……る」


「えっ? どうしたのです? 皐月っ?」


 玉百合の戸惑う顔を見ないように、額を覆った皐月は右向け右をした。


「おいこら化け猫ッ! 逃げんのかっッ!?」


「うるさいハゲッ。逃げるんじゃない。俺は帰る。ちょっと一回~~~……、とりあえず帰るだけだから探さないでくれるッ?」


「ちょっ…、待ちなさいよっ!」


「ぅわ。本当に帰る気だよ、アレ……」


 慌てる満帆。あきれを通り越して引いている啓。さらに、この展開を想定していたのか、ぞろぞろと湧いて出てきた衛兵を見た勇は、懐から手の平サイズのを本を取りだし、平然と読み始めた。こうなれば宴会どころではない。


「待てって言ってんだろッ、誰がハゲだこの野郎っ! いつもいつも、俺にばっか当たりやがってっッ!」


「おい待て嘉…」


 柴は嘉壱を引き止めようとしたが、一歩遅れた。

 猛牛の大群のようにつんのめってくる単細胞どもの頭を、皐月は容赦なく跳躍台に。


「ふげっッ!」

「痛っッ!?」

「うが…っ」


《 おおう、なんという…… 》

《 に…っ、逃げたぞ! 》

《 よりにもよってあの小僧、逃げおったわ! 》

《 せっかく歓迎してやろうというのに。なちゅー罰当たりな…… 》


 たちまち喧々囂々となった殿内。


「いっそ、見事と言うべきでしょうなぁ、中枢……」


 燦寿がお茶をすする音を、長々と聞かせてくる。睿溪えいけいは頬杖をついた影で、口端をひくつかせていた。


「申し訳ありません…っ」


 今にもベソをかきだしそうな玉百合が走り寄り、見上げてきた。


「あー…、いやいや構いませんよ。二度目ですし、大して驚きもないというかぁ、やっぱりな、といういうか~……」


《 逃すなっ! ここで逃がしたら、もう帰って来んかもしれん! 》


 誰のものともしれない怒号が、飛び交っている。

 八年前――、豊穣をもたらす花人の力を頼って使者を遣わし、うてな屈指の兵が主と二人、はじめて華瓊楽カヌラの土を踏むというその日も、同じようなことがあった。

 都に白昼堂々、盗賊が現れた。世界三大害を次々に被る不安により、各地で国王の弾劾を叫ぶ暴動が起き始めていた頃だった。

 制圧に動いた八方旗営の京衛武官たちを凌ぐ猛々しさで、むしろ手が付けられない白髪の鬼がいると報告を受け、まさかと思った当時将軍の睿溪自ら、その場に駆け付けた。

 乾いた発砲音がした。あってはならない間違いが起きてしまったのかと焦ったが




 *――オラオラあああぁッ、

    善悪みな共々、今すぐ俺の足元に正座して見せろぉ。 

    ハッハッハっッ。

  


  バキュ、バキューン!


 


 もれなく正座させられた……。睿溪がはじめて聞いた救世主の第一声は巻き舌気味で、盗賊の親玉に勝るとも劣らない凶悪な高笑いを交えていた。

 事態鎮静後、ちょっと他より良い武装をしていた男が睿溪だと知るやいなや、銃を打ち捨てて、そのまま逃亡するという前代未聞の救世主に、一同は唖然とした。



「……誰だって、お前様のようなちゃらんぽらんが、国王の縁者だとは()()()()()()だろうて」


()()()()()()()()、の間違いだろう? それを言うなら、俺だってあいつが蓮王家の血筋とは信じられなかったが、きちんと冷静に取り計らったではないか……」


 今や、この「ちゃらんぽらん」を中心に、華瓊楽の人原は治まっている。だが、こうしてあの者らを見下ろす位置に座しても、 “私” という一人称を使うのは、ただの人間代表に過ぎないことを弁えているからだ。


「あなたと同じ気持ちでいるのですよ、玉百合姫――……」


 玉百合は、殿内の怒声を一身に感じているように、深々と頭を下げた。


「お許しを。ただ、彼らが本気で人を害することはない……とだけ、主として、この玉百合に弁明させて頂きたく――」


 ちなみに飛叉弥はあの後、大切な主を置き去りにしたことに気づいて自首してきたが……。


皐月(あいつ)は戻ってくると思うか? 燦寿」


「あり得んでしょう。何せ、仲間を踏み倒しての逃走劇ですからな」


 二人が苦笑気味に眺めている真下の広場は、未だに大騒ぎだ。


 皐月は閉ざそうとしている扉と、追いかけてくる烏合の衆の向こうで、飛叉弥が場違いな微笑みを浮かべていることに気づいた。確かに、こちらを見つめている――。


「覚えとけ……」


 自分の人生がハチャメチャになったのは、すべて、お前のせいだ。

 凍り付いたように縛られてきたのも、

 それが溶けだす時を迎え、再び巡り出すのも――……。


《 待てい! そっちは……っッ! 》

 

 皐月は問答無用で扉を蹴り閉ざした。


 飛叉弥は、深々とため息をついて、けれども口元の笑みは消さずに呟く。


「覚えているとも――……」


 お前との約束、今日まで一瞬たりとも、忘れたことなどなかった。

 


 *――絶対に……っ


      

 また会える。だから、一つ約束をしよう。

 励ますように両肩をつかんで、膝を折った。今度こそ、共に戦う時は、共に散り逝こうと。

 


 *――この桜の雨のように……。そう、こんなふうに……


 

 七年前の春。懐に収まるほど小さくなった彼に

 そこに残る面影に、誓い直したのだから。




 *――なぁ……、 “龍牙(りゅうが)” ――…っ……

 





       

   ―――― 散り遅れた誰かが、

         そのまま取り残されることのないように



                    手を、取り合って ――――

       




 

                           ◇  ◆  ◇




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