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払雲花伝〈ある花人たちの物語〉【塵積版】  作者: 讀翁久乃
◆ ―――――― 第一鐘 ◇ 道のり ――――――
18/194

◍ 太隠は市に隠る | 救世主、弱い者いじめを目撃


 小さな黒い柿のような “山竹果マンゴスチン” 

 イガイガしている瓜に似た黄緑の “波羅蜜パラミツ”  

 赤いベルが連なったような “水蓮霧ミズレンブ” に

 黄金のライチのような “龍眼ロンガン” ―――

   



 南城市・方槊(フォジョン)街で、(ファム)燦寿(さんじゅ)ご老体は葦簀(よしず)の下、この日も福六寿の置物のように、無言で色とりどりの果物に埋もれていた。

 たわいのない会話をし、行き交う人々の弾ける笑顔を、ただ道端の地蔵同然に細い目で見守り、のほほんと過ごす。それが日課であって趣味なのである。


 陶器を売り物にしている隣の少年は、客が来ないことをちっとも気にしていないその様子に呆れていた。


「生きてんのか? じいさん」


「ふぉっホっホ。()きなんぞくるものか。川の流れと同じじゃよ。昨日と同じ水のようで、同じ水ではない。それが諸行無常と言うもの」


「なんの話してんだよ……。こっちは、 “生きてんのか” って聞いたんだぞ?」


「む? どこへ行きたいじゃと?」


「~~~……。」


 不思議そうな顔を向けられた少年は、品物を前に膝を抱えたまま、長い沈黙を返した。


 非凡な隠者は山野に隠れず、かえって、市中の俗世間の中に、超然と暮らしているものだというが……、これでは話相手にもならない。暇つぶしにと思ったのに。

 どうせ聞こえていないのなら、嫌味でも言ってやろうか。そう思いながらも、今ひとつ気乗りせずにうつむく。


 つま先には、いつの間にか黒蟻(くろあり)の行列ができていた。

 それをじっと見つめる。

 自分は物見遊山で訪れた客にしか寄り付かれないため、悔しいことに、ただ座っているだけでも、燦寿の店のほうがまだ売れ行きがいい。

 その上、ここ数年の著しい治安悪化が原因で、観光客はいないわけではないにしろ、めっきり減った。

 それでも今は、暴動で死んだ父親が残したものを、意地でも売るしかないのだ――……。



「俺も……じいさんみたいにヨボヨボになるまで、こんな胡散臭(うさんく)せぇ骨董売りを続けるしかねぇのかな」


 膝頭に呟いたのは、聞かれたくない弱音であって独り言だった。


「なんじゃい。らしくないのお」


 少年は顔を跳ね上げた。年寄りの耳は、どうやら都合の良いものらしい。


「骨董なんぞ売り物にしてるくせに、ワシや周りの大人より、よっぽど商売上手じゃろうに。お前さんのことを見ている者は見ておる。亡くなった親父殿も、ここの商人たちも――……。だから、自分にできる精一杯のことをして終えるのなら、今日のような日とて上出来じゃ」


「――……、そうかなぁ」


「そおじゃとも」


 燦寿はもともと垂れている(まなじり)でさらに弧を描き、柔和に笑いかけてきた。

 その口元を覆う真っ白な長いひげが、葦簀(よしず)の隙間から差す初夏の日差しに透けて、なんだか不思議な存在感を放っているように見える。

 ふと、我に返った少年の視界の隅に、見覚えのある顔が――。


「じいさん」


 同じ方を見るよう目配せで促すと、燦寿(さんじゅ)は「む?」と片眉をつりあげた。いつの間にかそこに現れていた人物は知り合いなのだが、燦寿はなぜか怪しげなものを見定める目で、しばし黙った。



     |

     |

     |



「――これこれ。お前さん、こんなところで何をしておる」


 皐月はピタリと、Tシャツの襟元をはためかせていた手を止めた。


「え?」


 燦寿は返ってきた反応が解せなかった。(市場で呑気に買い物なんぞ、一人ではまずもってあり得ない奴が何用か……) (いぶか)りながらも、とりあえず挨拶代わりに会話を続けた。


「珍しいのお。ここは管轄外じゃろ。方槊(フォジョン)夕餉(ゆうげ)の買い出しにでもきたんか? 今日は前々から、いろいろ忙しくなるとゆーておったではないか。どうした」


「え? なに、じいちゃん。もしかして俺に話しかけてる?」


(む――?  “じぃちゃん” ……?)


 燦寿は弛み切っている(まぶた)をこじ開けた。

 軽い衝撃を受けた余韻の中で、鼓膜の内奥に、ふと鼻で笑う若い男の美声が蘇ってくる。

 



 *――じゃあな、じじい。長生きするのも程々にしろよ? 

 



(やや、なんだか知らんが、このか弱い年寄りに向かって、以前から鞭打つような物言いいしかできん奴が、これはある意味 “鬼の霍乱” ではないか――?)


 燦寿(さんじゅ)が固まっていると、皐月が鼻から息をついた。


 仕方がないなぁ、とぼやく声が聞こえてきそうな不機嫌丸だしの顔で歩み寄られ、燦寿の傍らの少年は、「ゲ…っ」と身をこわばらせた。


 何故って……、相手は自分たちのような貧民が真っ先に平伏し、極悪非道の悪党も、我先にと許しを乞うほど恐れ多い人物である。「ワシから見れば、まだまだ青瓢箪(あおびょうたん)のようなもんじゃい」――などと、どこ吹く風で言えるのは、当代最高齢を自負している燦寿(さんじゅ)くらいだろう。あからさまに刺々しい彼らのやり取りを知っている者としては、ハラハラせずにいられない。


 だが、すぐにその緊張は解けた。どうやら自分たちは、とんだ人違いをしていたらしい。


 近寄ってきたのが、世にも珍しい珍獣であるかのように、少年が好奇心をあらわにながらも黙って見守る中、同じように気づいた燦寿(さんじゅ)は、それでもまだ信じられず、ずいっと首を突きだした。


 皐月は少し居心地が悪そうに身を引いた。

 果物の山越しに、お互い、しばらく向かい合ったまま静止を続け――


「……はあ、こりゃ驚いた。ワシとしたことが、ついに眼まで衰えてきおったようじゃ。いやぁ、すまんの~。あまりに知り合いと似ていたもんでな、そのぉ…」

 


  ぐるきゅぅ~


 

 自分の腹を見下ろす皐月に対し――


「ぶっ…」


 燦寿(さんじゅ)の隣で、少年が蛙のように頬を膨らす。


「ぶヒャヒャヒャヒャヒャヒャ…っっっ!!」


 盛大に吹きだした彼につられて、燦寿も口元を波打たせた。



 

  ぐー、るるぅ~。ぐきゅ~? ぐむうぅぅ……




 主人をさしおいて、こんなに良くしゃべる腹の虫と出会ったのは初めてだ。


「ぶはははははは…っっ!!」


「……おい。ゲラゲラ笑いすぎだから」


 良識ある大人なら、こういう時、すかさず(たしな)めて欲しいと書いてある顔で、皐月はバシバシと膝を叩きまくる涙目の燦寿を睨む。

 笑い転げる少年を渋々といったふうに自ら制した。何事かと足を止めている背後の人目を気にしつつ。



「いや、すまん、すまん 。にしてもお前さん――」



 苦笑程度に落ち着いてきた燦寿は、さすがに申し訳なく思い、居住まいを正した。


「相当腹が減っておるようじゃのお」


「そりゃーもう、泣きたくなるほどの長旅だったもんでね」


「まさか一人旅か? 随分とシャレた装いをしておるようじゃがぁ……」


 皐月はパーカーを小脇に抱え、Tシャツの袖をたくしあげたラフな自分の格好を見下ろした。米神の辺りをポリポリと掻く。


「あー…、まぁ……」 


 言いにくそうな様子を察して、燦寿はつと腰を浮かせた。とりわけ色の良いりんごに手を伸ばし、傷がないことを確認し――、


「ほれ、美味いぞ? よければ持って行きんしゃい」


「え?」


「これならば、歩きながらでも食べれるじゃろ? 悪気があってのことでないとはいえ、初対面のひとに無礼が過ぎましたからな。そのお詫びもかねて」


「いいの?」


「うむ」


 皐月は渡された “りんご()()()” ……のような、不思議なそれをもう一度見つめてから、上目に軽く会釈してきた。



「採れたてじゃ。お主には……、特別に “これ” もやろうか――?」



 燦寿が差し出して見せたのは “龍眼ロンガン” の実だ。

 皐月はしかし、物珍しそうにしただけで、少し笑うと首を横に振った。

 

「そうか……?」


 燦寿(さんじゅ)は笑顔を保ったまま、わずかに持ちあげた瞼の下から、さりげなく真摯な眼差しを注ぐ。

(年は――……十六、七といったところかの。まだ若いようじゃが、遠目に見たときの印象より、今のほうがむしろ “やつ” によく似ておる気がするわ……)

 見れば見るほど、この少年の背後に、 “酷似したもう一人の輪郭” が重なって見えてくる。


「まったく、本物は一体どこで何をしておるのやら…」


「え?」


「あ、いやな……」


 燦寿(さんじゅ)(ひげ)をなでなで、軽く咳払いをした。(念のため、これから何処へ向かうつもりか、問うてみようかのお――……?)


「ちなみに――」と切りだしたとき、店の前の通りがにわかに騒がしくなって、遠くで男の怒声が上がった。


「この野郎ッ!」


 右手の方からだ。


「な…、なんじゃ?」


 燦寿は目を剥いた。

 市場の賑わいとは別のざわめきが、数軒先の四辻に凝っている。


 機敏な動きで振り返る大人たちの間をかいくぐり、人垣を突き破ってきたのは数人の子供だった。


 随分な慌てようだ。

 漠然とそう思っていると、ちょうど店前から、二軒ほど通りすぎた辺りで立ち止まった。


 息を弾ませて後方をうかがう全員が、まだ十歳前後の幼さで、うち一人の坊主頭をした少年は、右手に卵の入った手籠をつかんでいる。


 先ほど怒号を上げた男から奪い取ったものだろうか――……。いや、奪った相手とは、もっと距離があるはずだ。でなければ、こんなところで立ち止まったりしない。


 なんにせよ、どこかの強面の商売人が追ってくるとばかり思っていた。それは皐月も同じだったらしく、燦寿は次に現れた予想外の追っ手に、彼の片方の柳眉(りゅうび)がピクリと跳ねあがったのを見逃さなかった。










       ――――【 善人で間違いない案内人 】―――― 




「ハハっ! や~い、ひいなぁ! そんなんじゃ、いつまでたっても取り返せねぇぜー? これ」


 へとへとになりながらもやってきた姿を認め、少年は頭上に突きあげた手籠を振って見せた。


 辻を越えたところで、ひいな少女はついに息苦しくなり、立ち止まってしまった。挑発されてもすぐには言い返せず、ただ喘ぐばかりだ。


「さっさと来いよ! ノロマのひいな!」 


「の…っ、ノロマじゃないもん……っ!」


 一段と強い口調で悪態をつかれ、カッとなった。


 小豆色の(スカート)を両手で握りしめ、呼吸が整わないまま再び駆けて行くと、少年たちは舌打ちした。


「…チッ、思ったよりしつこいぜ?」


「そんなにこの卵が惜しいのかよ……」


「返してッ!」


 前につんのめりそうになりながらも、ひいなは自分の頭上で泳ぐ手籠を捕まえようと、果敢に飛び掛る。


「おおっと」


「ははは!」


「返してってばぁ…ッ!」


「ヤダって言ってるだろ⁉」


「どうして意地悪するのっ? お願い! それはお母さんに食べさせようと…っ」


 

  ぐちゃっ――…

 



 ひいなは息を呑んだ。反射的に自分の足元を見下ろした格好のまま、体が動かなくなった。



「ちょっと金持ちだからって、いい気になってるからだろう…ッ⁉」



 坊主頭の少年に、腹の底から怒鳴り声を浴びせられた。

 忌々(いまいま)しげに歯を食いしばり、「いい気味だッ!」と籠を足元にたたきつけて、彼らは走り去っていった。


 怒りからなのか、ショックからなのか、自分でも訳が分からない感情を噛みしめた下唇が、小刻みに震えだす。

 ひいながへたんと座り込み、地面に汚らしく広がっている生卵の殻に指先を伸ばそうとした時、どこからか、ひそひそと声が聞こえてきた。


《 …… “ひいな” って――? 》


《 ほら、壇里(タリャン)村の… 》


《 ああ…… 》


 気にしながらも、過ぎ去って行く大人たちの中、ひいなは裙のひだを両手で握りしめた。

 喉に固く詰まってくるものがある。

 泣いても意味はない。自分で立ち上がらなければならないのに。

 どうしようもなく口が――、歪んで……


「――…っ。………」


 その時、膝元に伸びてきた人型の影に、ひいなはハッと(まなじり)の涙を散らした。




「食べ物を粗末にするのは良くない――」




 逆光でその人の顔は陰っているが、誰かはすぐに分かった。さらりと前に片寄った長い黒髪が、まるで絹のベールのように、みじめな自分の姿を覆い隠してくれて――




 手が差し伸べられてきた。




「卵の敵討ちだ。今すぐ追いかけて、飛び蹴りでも食らわせてやればいい……」


 穏やかだが、感情のみえない声だった。

 ひいなは、なんとなく下を向いた。


「そんなこと―――……、できないよ……」


 ひいなを呑み込んでいる影の主は、そっと鼻から息をついた。


「だったらほら、立って。後ろ向いて? そう。腕上げて万歳…………よし、前も」

 

 ひいなは支えられながらも、自分の足で立ち上がった。その都度短く支持された通り動き、再び向き合ったところで、両膝の砂をはたいてくれている相手の頭をじっと見つめる。


「ありがとう――……」


 小さく唇を動かすと、ゆったりとした時が流れ、やや間を置いて黒い頭が喋った。


「俺も昔、よく怒られたから。別に、泥遊びしたわけじゃなかったんだけど……」



 名前は?



「え……?」


 土埃をはたき終えて立ち上がった彼を見上げ、ひいなは大きく目を瞠った。



「 “ひいな” って言うの――?」



 少しオロオロしながら、ひいなは視線を上下させる。そして、目を皿のように瞠り、あらためて相手の顔を見つめた。


「びっくり……、サヤ兄だと思ったけどぉ…………お兄ちゃん、だあれ?」


「 “サヤ兄” ……か。色々な呼び方されてるんだな、 “花連(かれん)の旦那” って。あのさ、その人、もしかして警察官か何か?」


「けーさつかん?」


「悪るさする奴を見つけたら、捕まえる人のことだよ。さっき、すぐそこの果物屋のじいちゃんに “管轄外だ” って、ここにいることを不審がられたんだ。会う人会う人、みんな俺を別の誰かと勘違いする……」


 サヤ兄にそっくりな少年は渋面をつくって、チロリと視線を横へやった。

 いきなりすがりつかれ、助けを求められるかもしれないことを思うと気が気でないらしい。

 ひいなは申し訳ない気持ちで苦笑いした。


「アハハ…、ごめんなさい。似てたから間違えちゃったけどぉ……、そうだよね。サヤ兄は普段、こっちにまでお買い物に来ないし、今日もお勤めがあるはずだもん」


 確かに本物はもう少し背が高くて、体格もがっしりしている。話し方や所作にいたっては、目の前の彼とはまったく違うように思えてきた。


「お兄ちゃんは、なんて名前?」


「俺――? …ああ、 “皐月(さつき)” っていうんだけど」


「サツキ?」


「そう」


 皐月は誤解が解ければそれでいいと思っているようだが、ひいなは、じっと思案顔をして黙り込んだ。


「その格好ぉ……」


 眉を寄せた顔をあげて、両耳から垂らした三つ編みと、お団子頭を傾ける。



「もしかしてぇ…… “八曽木(やそぎ)” ってところから来た人?」



「あれ、なんで分かるの?」



 軽く戸惑う皐月に、ひいなは屈託なく、にこりと笑って見せた。



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