◍ 晴れて新隊長に…?
八年前の旱魃を機に、国土を見る見る蝕んだ砂漠化。
あたかも神代崩壊前の雲下の如く、人も獣も餓鬼となり果てるしかなかった不毛の大地に、一条の光が差し込んだ。
万物長養の力を持つ花人の国からの援助である。救世主として迎えられ、神仏の如く華瓊楽国民から崇められた彼らだが、今は一部から復讐心を燃やされる対象であったりもする――。
―― * * * ――
「皐月、ちょっと来い」
土手上から、ふいに呼びかけてきたのは、くせの強い白髪を背に流した青年。前髪を軽くかき上げている。
きっちりした東扶桑の着物姿だが、これでも華瓊楽滞在中の彼にとってはラフな部屋着スタイルだ。
見た目からして、性格は明らかに硬派。眉間にしわを寄せた吊り目気味の強面。皐月と瓜二つなのに、年中寝ぼけ目の彼と正反対のこの青年は、対黒同舟花連――、砂漠化を防ぐために派遣された花人たちの隊長殿。
「ヒサヤ鬼ぃだ~、ひさしぶりー」
「おう。元気でやってるか、留孫のガキども。てか、いつも思うんだが、なんで俺だけ “鬼ぃ” なんだッ。呼び方! 取って食われたいのかッ」
そういうことを言うからだと思う……。逸人は心の中で突っ込む。
留孫のガキどもと総称された子供たちは、楽し気な悲鳴を上げて逃げ出した。
留孫とは萌神荘が所有する山の麓に作られた難民村だ。逸人も似たような集落に暮らしているが、花人がすべての元凶と言えなくもない砂漠化の背景が明らかになった今も、留孫の人々の態度は変わらないという。
難民は、疫病を運ぶ媒体として、ひどい扱いを受けた時期がある。彼らは、花人より恐ろしい人間の鬼面を知ってしまった。素通りされるだけならまだマシだった。
ひいな少女は両親と共に手を差し伸べる側であったが、やはりそれなりの恐ろしい目にあったらしい。
逸人も傷ついた。家族を捨てて出て行った父親が、未だに許せないでいる。だからかもしれない。
他人を平然と蹴落とした人間より、誰に言われるまでもなく、自分の責任として華瓊楽の復興を背負い込んできた飛叉弥の方が、まだ “心” があると感じる。
鬼か人か、何者であるか、誰のせいでこうなったのか、元凶の中心人物は、
事の真相は―――、さておき…だ。
「なに。ようやく引き留めた理由を明かしてくれるわけ――?」
皐月が土手を下りてきた飛叉弥に、目だけ向けた。
嘉壱は、皐月から飛叉弥に顔を振り向けた。
「なんだ。こいつがただ、ムダに長居してたわけじゃねえのか」
「俺が押さえてた。ちょっと付き合ってもらいたいことがあってな」
飛叉弥が言うその用件に、いくつか心当たりがある皐月だが、引き留められていた状況に見合うことは一つだけだ。
「欽厖が遠路はるばる、あんたに会いに来た件について……?」
「いや。とりあえず、その寝間着同然の服から着替えてもらおう」
何処に連れて行かれるんだ――? 逸人は当人でもないのに、なんとなく気になった。
ため息混じりに立ち上がった皐月と目が合って、はじめて、じっと見つめてしまっていたことを自覚した。
鼻で笑われた。
「――またな? 豆チビ。背が伸びるにはどうしたらいいかも、勉強した方がいいぞ」
ムッと頬を赤らめた逸人は去っていく背を見送り、あらためて思う。
花人によって人生を狂わされた。良くも悪くも。そんな自分たちがするこの世界の “善悪” の線引きは、たぶん以前にも増して、難しくなった――……。
―― * * * ――
華瓊楽暦・一六三十四年――、清豊明八年。十月三日。
王都・李彌殷から目と鼻の先にある路盧県城は、変異した化け蝗の大群と、巨大蛞茄蝓の襲撃を受けた割に、ほぼ無傷。死骸の掃除も必要なく、すでに日常を取り戻している。
なにせ、すべてが新救世主殿の荒業により、天高く突き上げられ、地下深くに引きずり込まれた。
その美しくも残酷な轟音を伴った大転景は、多くの者に “神代崩壊の瞬間” という言葉を想起させたほどであった。
古を知る神仙らは「こんな程度ではない」と評したが、南世界樹の壽星桃が倒れて以来、守護神らしい仕事をしたことがない康黛紅狐仙まで動かした出来事には相違なく、皆が一様に驚いた様子でいる。
新救世主殿と康黛紅狐仙が、実は当に密談を交わしていたとは知る由もなく。
なぜ、力を貸す気になったのかは、彼女のみぞ知る。
とりあえず、 “また逢う日” のためだろうと解釈した新救世主殿だが、連れてこられた場を見渡して、一つの確信を得る。それは今日ではないらしい、と……。
× × ×
厳粛な空気が張り詰めていた。大仰な咳払いを一つ、胸を張った進行役が、手元の巻物を読み上げる。
「では……、時間も押しておりますのでぇ、これより対黒同舟花連隊長より “新隊長” 殿へ、部隊章の授与をして頂きます」
もうどうでもいい。こういう儀式めいた行事は、無駄に長いから嫌だ。
「ぐぅーzzz…。」
「バカっ、これからなんだぞ本番はッ」
コバエの羽音のような声にド突かれた。肩越しに睨んだそこで、嘉壱が目を開けッ、目をっ!! というジェスチャーをしてくる。
金に輝く半端なロン毛と、青翆玉の瞳が特徴。夜深藍と呼ばれる深い藍色の軍服に似た出で立ちは、梟装衣という。丈は短く、細身の褲に軍靴を合わせ、鷹匠のような技術を持つ彼の場合は、革製の手甲をしている。
嘉壱と同列、または後列に、他のメンバーもそれぞれの梟装で立て膝をついているのだが、いかにも迷惑げな顔だ。
針のような視線を注いでくる彼らに対し、皐月は遊び半分、「べー」と舌を出して挑発したが――、
「前を見ろ」
たしなめてきた傍らの飛叉弥に、首をひねり戻された……。
「いいか? お前はこれから、この花連の顔になるんだ。そんな仏頂面では落ちない評判も落ちるだろうが」
「……。八年前の時点で、すでに落ちようのないところまで落ちてると思うけど」
「ここ最近はお前のせいなんだよおっッ。俺はあくまで、これから色々苦労するだろうお前のためを思ってだなぁ~」
「よく言うよ。ひとに全部押し付けて、どうせ内心では浮かれてるくせに」
「そ、そんなわけ…」
笑っているが歪んでもいる口元を横目に、皐月はフンっとそっぽを向いた。
「これ、そこの二人。この期に及んで、何をゴチョゴチョ揉めておる。いい加減にせぬか」
「ですがッ」
「だって」
こいつがっッ、と同時に互いを指差した瓜二つの二人は、声のしたほうを振り仰いで固まった。
それまで空いていた中央――華瓊楽奎王のための席に、いつの間にか、煌びやかな格好をした男がふんぞり返っている。頭の左右にはみ出すほど大きい冠帽は黒く、つばが横向きにした舟形で、かぶり口に金装飾が光る。髪は一部を頭頂で髷にし、残りを背に流している。
彫金技術の集大成が施された椅子に、よりによって片胡坐をかきながら、精緻な龍紋があしらわれた袍をまとう男は、その赭黄色の輝きに負けないくらいの明るさをもって、身を乗りだしてきた。
「よ~お! 待たせたな。いやいやー、昨日調子に乗って遊びすぎたせいか、目が覚めたら、もうこんな時間ではないかー」
顔の前に何本も下げられている旒と薄紗が邪魔で、面容は分からないが、豪胆な人物であることは間違いなさそう……。
「中枢ッ!!」
「ん? ああ、分かっておるおる~。ここは公の場だと言いたいのだろう? だが、今さら改まるというのもなぁ」
この国の官人たちは、国王を “中枢” と呼ぶらしい。怒気交じりの大音声で……。
殿内が一気にざわめき始めた。
「まさか “アレ” が……?」
特に興味は無さそうだが、尋ねてきた皐月に、飛叉弥は賢明にも無言を通した。
そもそも、ここ数十分の滞りは、あの男の身支度が整わなかったために生じたものだった。
「周りもよく見てみろ。たとえば、玉座のすぐ左下の席……」
飛叉弥の小声に、皐月は小首を傾げた。言われるがまま、さりげなく視線を滑らせていってみると、厳めしい老人の顔ぶれの中に、一人のほほんとお茶をすすっている姿がある。
「ああ」
「市場でも何度か会っているだろ。物好きな爺さんでな。璧合院の元老――ようは、あそこにいる国王様のご意見番にあらせられる。白神狼燦寿太仙老だ」
視線に気づいた燦寿が笑みを深め、会釈するようにうなずいた。
「どういう導き方したら、ああいう王が誕生するのか聞いていい?」
「……。今は止めとけ」
失礼な潜み音が交わされているのを知ってか知らずか、王として祭り上げられている男は、堂々とした構えを変えない。
「南壽星巉の中心、華瓊楽王国へようこそ。ちなみに南海にいる人原王すべてを代表する “奎王” でもあるから、人外民族との交流や商業絡みの問題なら、先陣切って取り組むぞ」
「奎王……」
呟く皐月に、奎王はうむ、と力強くうなずいた。
ぐるりと見渡せるほどの広い講堂。天井は吹き抜けのような形状になっていて、壁面には厳かな山々が描かれている。
奎王のさらに頭上は光に溢れ、白く霞んで見える。このまま雲際に導かれるのではないか――。ずっとそこだけを見上げていれば、そういう取り留めの無い気分になってもおかしくはない。
この議場は、清庭臨砦殿。
奎王を頂点として、白石を彫刻した重鎮たちの議席が中央奥にあり、室内にも拘わらず、巨石群がすり鉢状にそそり立っている。
そこに、明らかに只者ではない各々が座し、空間の中心――こちらをじっと見下している。
彼らは整然と居並んでいるわけではなく、適度な間隔で互い違いに位置していたり、石柱と言ってもいいほど隆起している高みに胡座していたり――。
自由奔放なのは、これが神代における神々の集会場を模した形だからだ。岩場の所々に、松や真柏など常緑樹の盆栽が置かれ、幻覚ではなく、驢馬や大亀、虎、大鳥……、様々な動物を伴っている。
燦寿のような老爺から、雲をまとった天女風の貴婦人、甲冑姿の武将、翼や角が生えた人獣鬼神もいれば、まったくもって得体の知れない、喩えることすら難しいものまで、その数たるや―――
「……驚いたか? だが、少なくともこれだけの期待を、お前は背負っているということだ。我々は、お前が来るのをずっと心待ちにしていた。須藤皐月――」
「さぁ、もう少し前へ」
後ろから近づいてきた足音は、玉百合のものだった。手を差し伸べて、「一緒に参りましょう」と微笑む彼女は、やはりどこか嬉しそうに見える。
ついに来てしまった。もう、後戻りはできない。平凡な暮らしは、一体どこで狂ってしまったのか。いや……。
大樹大花にだけ許されている丈長の梟装衣をまとっている皐月は、膝を押して立ち上がった。
そんなものは元より、なかったのかもしれない――……。




