◍ 救世主の草野球チームには、……巨人がいる
秋の空は高い。
「母ちゃん、あれなにー?」
「こら、指さすんじゃありませんっ!」
「あれは何だい?」
「アレって言っちゃ失礼だよッ、あんた!」
「え、なんで??」
都のあちこちで、先日の路盧攻防戦をよく知らない子どもや旅人が、そんな疑問符を投げかけては叱責を食らっている。
李彌殷の北城外にある獅登山の裏――雉鳴き谷の辺りから、突如、延べ棒状の山が突き出して五日が経った。
この超細長くデカい山は西側に彫刻されたような凹凸があり、影を落としたその部分がなんとなく……ではなく、けっこうはっきり痩せこけた人の顔に見えるので、余計に騒がれている。
「盤猛鬼人の “オドさん” っていうらしいよ?」
× × ×
もう一つ話題となっている光景がある。
秋の空は高い。
打ちあがった白い野球ボールも、高々と弧を描いたが、結果は残念だった。
河原にそびえたつ巨人が、頭に当たって跳ね返った豆粒のようなそれを、手の中に収めた。
「はいアウト。ピッチャー交代」
「だっせ~、イチ兄ぃ」
大人げなく、豪快にフルスイングした格好で固まっていた嘉壱は、とりあえず巨人の頭にたんこぶができなかったことに安堵した。温厚な奴でよかった。
「いやややや…ッ!! 良くねぇッ! やっぱダメだろ!? おかしいだろあの外野手、もはや選手じゃなくて場外ホームラン阻む壁だしッ!!」
「さりげなく風起こして飛距離伸ばすズルしてる奴が、うちの立派な戦力にイチャモンつけないでくれる――?」
抗議し返してきた相手を振り向き、嘉壱は舌打ちした。相手チームには、厄介な守護神が付いている。
一人は先日の路盧防衛に加勢してくれたオドの息子――欽厖。
そして、もう一人はコイツ……。
「欽厖~、次の打席、お前からだぞー」
“須藤皐月” という人間の皮を被ぶった猫目タヌキ。自称十七歳の健全な男子高校生、括弧、文明社会の超最先端育ち、括弧閉じる。
元来、花人の中でも甚大な生命力の持ち主で、椥の珠玉なる呪物を宿すことにより、南壽星巉の現世界樹を遠隔的に養っているという。
そんな自覚は一切ない、知ったところで知ったこっちゃねぇだろうと思いきや、なんだかんだ、華瓊楽の現状を探り、成り行きを注視し、自分が出張るべき時は、周囲が静止しても自ら進み出るから不思議。
破壊力が半端ない人外の力をコントロールできず、あくまで、人間としての生活に安寧を得るためと、修行する提案にも応じてきたが――、
嘉壱は、それがすべてではないだろうと睨んでいる今日この頃である。
まだまだ底が知れない奴。そもそもこいつは、この南海の命運を握っているキーパーソンという以前に
萼の国家機密――、を抱えているのではないかと…
「てかお前は何様っッ!?」
腕を組み、足を組み、小岩に腰かけて「俺様」な顔をしている皐月は、一応相手チームの三番打者、兼、監督であるらしい。
虚弱体質のそこはかとない美しさと、ムカつくほど真逆のふてぶてしい性格を併せ持ち、指通りのよさそうな長い黒髪、白魚の肌、切れ長に近い猫目、起き抜けのようなだらしない着こなしは相変わらず。
嘉壱はビシッと人差し指を向ける。
「千年大戦に使われた主戦力の一つを、たかが草野球に投入してるお前が反則だわッ、ていうか、場外どころかあの巨人に、地の果てまでホームランさせようとしてるお前に引いてんだよ…っ、俺はむしろっッ!」
皐月は面倒くさそうに耳垢をほじる。
「じゃあ、どのポジションならいいわけ? ピッチャーになら任命していいわけ? お前の腹に当てさせるけどいいわけ?」
「ただのデッドボールで済まねぇかんなソレッ。言外に俺の殺害予告してるだろうがそれっッ!! って、サインすんじゃねぇッ…!!!」
皐月のジェスチャーに、「うん」とうなづいた欽厖がのしのしやってくる。あわわわわ…っッ。嘉壱はすかさずサイン取り消しを求む。やってられっか畜生ッ。
「てか、なんで勝手に他人の愛鳥まで手懐けてんだあッ!? よく召喚できたなあッ。そんでもって、なんでお前もすんなり懐いてんだおいコラッっ、無視してんじゃねぇぞ央嵐ッ」
皐月にピトッと頭を寄せている甲冑姿の大青鳥は、
「ぐわああッく。(うるせぇッ)」
すっかり寝返った奴の反応をした。
「うるせぇ…っッ!? 戦闘鳥のくせにアヒルみたいな鳴き方したがってッ、名門菊嶋の使役とは信じられない笑いもののお前でも、ありがたく譲り受け、喜んで世話してきたご主人様は俺だろうがああっッ!」
「とにかく、欽厖も、央嵐も一緒に遊ばせなきゃ、こいつらが黙っちゃいないからな。ほら行け」
皐月に指示された少年少女が前に出てきた。
「欽厖と、央嵐がいた方が楽しいッ」
「仲間はずれダメッ」
「サツキ兄ぃのこともだよ!」
「そもそも、イチ兄ぃたちに仲間はずれにされてるってから、代わりに俺たちが皐月と遊んでやらなきゃならない羽目になってるんじゃないか」
皐月の口端が、子どもたちの背景で笑っている。
「怖怖怖…っッ! ぅわ、こいつガキども洗脳してやがる。俺たちの仲間だって認めないのはお前だろうがっッ」
「お前たちの誰が、いつ、俺を認めてくれた――? 飛叉弥だけだろ。あの人はあの人で一方的過ぎるところが問題だけど、俺はちゃんと事実を教えてる。聞いてくれ、子供たち。萌神荘の連中は、この間も俺を無理やり召喚したくせに、最後は使い物にならないから摩天に帰れって厄介払い…」
「まだ鼻垂らしてる奴が草野球なんかして遊んでるくらいなら、誰だって何度だって言うわッ。とっとと帰れ風邪っぴきッ」
「皐月、まだ風邪治らないの――?」
皐月が華瓊楽ではじめて知り合いになった少女――ひいなが、ここで心配そうに首を傾げた。
「うーん。実は、生まれつき、何かにつけめんどくて、全然やる気しないんだよねぇ。逸人先生、俺、ホントは何の病気だと思う――?」
呼ばれて子供たちの間を縫うように進み出てきた豆粒少年――逸人は、今も魔女医・智津香の診療所を手伝いに行っている。が、通り道にこの葦原を整えた河川敷があるため、皐月が華瓊楽に滞在している間は、彼の遊びに付き合うことも許可されている。
そもそも、大して当てにされていないのだ。働きたければ勝手に来ればいいし、来たくなければ来なくていい、だとさ。
そんな智津香が、昨日は薬草の図鑑を貸してくれたが、草むしりの仕事を正確にこなして欲しいからだと思う。絵図を眺めているだけでも、色々と読み取れる知識はある。
逸人先生は真顔で診断を下した。
「強いて言うなら慢性五月病。生まれつきなら先天性。後者はつまり、ただのなまけ者」
「いっそ賢くなったな、お前……」
皐月は褒めているわけではない。この可愛げのなさ、どうしたもんかと言いたいのを逸人も分かっているので、半眼でじっと見つめ返すだけだ。
嘉壱は単純に関心している。
「逸人を見習えお前らっ!! この猫目タヌキの見た目とか、子ども以上に世話焼ける部分とかに惑わされんじゃねぇぞッ」
「一番惑わされてるのイチ兄だろ」
「奇遇だな逸人ッ、実は俺もそう思ってんのおッ!! なんか最近、こいつが怖えぇんだよ俺ぇっッ。普通に草野球のメンバー入りさせられてるしッ。これって実はただの序章で、なんか知らない間に変な世界に引き込まれたりとか、もう後戻り出来なくなる展開とかありそうでぇっ。距離感合ってんのかこれ!? このままの距離感で大丈夫なのか俺ぇぇ…!」
皐月が回答する。
「そこは気をつけてね」
「ヤバい気しかしねぇええぇぇ…!!!」
両肩をつかまれ、足元に泣き崩れられても、逸人に嘉壱を救う手立てはない。ないこともないが、皐月本人を前に言うのは憚られるし、言うまでもないほど簡単な話だ。
関わり合いになりたくないなら、今からでもいいので、この存在を無視すればいい――。
逸人はちらりと皐月を見る。
だが、自分は他人をとやかく言えた立場ではない。頭数が足りないからと誘われ、まんざらでもなくピッチャーとやらを引き受けてしまった。こいつと縁を切る資格もない。皐月は……、
芽を出すことを知らなかった豆粒に、
陽を当ててくれた相手なのだから――……。




