◍ 白花曼珠沙華、狐と狸の密談を飾る
華瓊楽――。
誰も知らない数日前。
*
この日も、王都李彌殷の歓楽街、翠天平は一般大衆向けともあって昼間から賑わっていた。
ここは丘陵の麓を埋めつくす巨大な飲食店街であり、土産物市場だ。
頂上までの間に、ピンからキリの妓館が乱立しており、日が暮れば、頭上に連なる紅灯と、その明かりに浮かび上がる川面や、種々の並木が幻想を織りなす。
西廓は南に酒楼群、北に異人街や寺院、道観が集中しており、各国の文化や人種が混沌としている。
その一部である花街は、八年前の国家危機を境に、女、子どもの保護、教育機関の役割を担う一面が強化された。
何処の小道に入っても、歌舞の手習いをしている声、二胡や琵琶の旋律が聞こえる―――。
「ちょっといい? そこのお姉さん」
細く暗い路地に入った時だ。足元から視線を上げると、裏通りの酒楼の酌婦にしては、上玉の少女に見下ろされていた。
いや―――、少年だ。長い黒髪をそよがせ、窓枠に頬杖をつく。その手の影で面白そうに笑んでいる。
「今、暇――?」
「あまり暇じゃないよ。各店に花を売って歩いてるところなんだ」
「いつもここを通る?」
「いつもじゃない。たまにだね」
そう言って、女郎花に桔梗、白菊に萩――、秋の花を詰めている手桶を地面に下ろす。
再び少年を見上げ、花売りの女は、蠱惑的な微笑み方をした。
「買ってくれるかい――?」
幸薄そうな容姿には不釣り合いだったが、少年は特に怪しみもせず、クスっと笑い返し、返事とした。
× × ×
女は部屋に招き入れられ、少年が仕事着への着替え途中であることを理解した。
たった数日で、この界隈に一世風靡を巻き起こしている、今噂の踊れる美人奇術師―― “紗雲” に化ける前であると。
「宵瑯閣の女将に裏の顔はない。悪い噂も聞かないのに、どうして男娼がいるのかと思ったら……、なるほどねぇ」
女は花を買ってもらう代わりとして、求められたことに応じた。
椅子に腰かけた少年の後ろに立ち、繰り返し、丁寧に髪を梳かしてやる。
なんということはない。童女がままごとでするように、一部編んで、簪を添えればいいだけの話だ。
「今のところ、紗雲が男だってことは誰にも知られてないから、化粧とか髪結いとかしてくれる協力者がいなくてさ。自分で出来るって言っちゃったし。でも俺、実のところかなり不器用で…」
「通りすがりの花売りに頼むことにしたっての……? あんた――、随分と見え透いた嘘をつくんだねぇ」
女の声はどこか艶っぽく、少女にはない重厚感がある。それがふいに増して、低くなった。
対する少年の態度は、風のない昼下がりの空のよう。大抵のことは受け流しそうだ。
「そっちは化けるのも、化かすのも得意でしょ。化粧を頼む相手として目を付けたのは、あらがち嘘でもないんだよ。いっそ専属の髪結師として会いに来てくれないかな。探り合いなんて手間は省いて、これを機に、色々とお近付きになりたいと思わない――?」
「お近づき……ねぇ」
女は卓上に立てかけてある鏡を調整するついで、少年の右側から身を乗り出した。
小鬢のほすれ毛を一撫でして耳にかけ、わざとらしく白い首筋に指先を添えて見せる。
「どうせなら、もっと楽しいことに誘ってくれるかい? 坊や、十代の見た目によらず、物知りでしょう……?」
鏡の中に映り込んだ女の髪は長く、稲穂のような黄金色だ。
別人に成りすましていても、人間の皮を被っていても、天地、善悪が混ざり合った世の中だろうと、稀代の瞳力を隠し持つこの少年には、女の正体が視えている。
「坊やも化けの皮一枚はがせば、立派な大人の男。ついそそられて来てしまったけど、これはもしや、とんでもない罠だったのかしら」
「ハハ。お姉さんこそ、花売りにしては、その辺の玄人より、よっぽど男を手玉に取るのが上手そうだ。でも、河房で客をとってる鬼女とは違う。女狐のニオイがする」
「そう言うあんたからは、不自然なほどなんの香りもしない。とんだ狸だね。人の手を借りなくても、化けるのなんて造作もないだろう?」
「そんなことないよ。正直に言うと……」
少年は大儀そうに足を組み、腕も組んだ。
次に発せられた声は、女が見抜いた “中身の男のもの” だった。
「――南壽星巉の守り人は骨が折れる。天壇按主がどれだけの霊応を消耗するか、知らないわけじゃないはず。俺は今、色々と事情があって、その消耗が必要な半面、補給も必要なんだ。いざとなったら、猫の手だって借りたいと思ってる」
当代の華瓊楽最強と謳われる産霊神、康狐仙の手が借りられるなら、それに越したことはないが――
「……そちらにも事情があるようだから、しばらくは、このままってことで手を打とう」
ただ、壽星桃が倒れるに至った責任の一端が花人にあるとしても、この肩代わりは永久ではない。いずれは華瓊楽で、しかるべき後継者を樹てる時が来る。
お互い、逃げてばかりではいられないぞ――?
「普段、何をしている? なぜ、城隍神廟や自分の寝床まで留守にしがちなんだ」
「野暮なこと聞くねぇ。極上の “人黄” を持つ男を捜し歩いているに決まってるじゃないか」
女はさっさと払うように作業を終わらせた。
「言っておくけど――、すべて死ぬ直前を狙っている。天に許された範囲内から、逸脱したことはしていない」
「――そう。ならいいんだけど……」
女は次のセリフで、この少年の眼力が、抜きんでていることを実感する。
「もし、何かあっても、一人で無茶をしないようにね……?」
先代の仇は、俺たちが討つと約束する。次なる世界樹を見出すということは、決して容易ではないのだ。
*――よいか、紅……
女は先代の言いつけを思い出すことになり、目を瞠った。
だが、すぐに微苦笑した。胸にそっとしまい込む。
「心得ている――……。そうだ、坊やには、きっとこの花が似合うよ。髪に飾って店に出るといい」
女は傍らに置いていた手桶の中から、一輪の花を引き抜いた。
「白花曼殊沙華。花言葉は知ってるだろう……?」
―――― “また逢う日を、楽しみに” ――――
【 END 】
〔 あとがき 〕
ここまで読んで下さった方、まずはお礼を。
ありがとうございました!
第二幕と第三幕の内容に絡めた【番外編】でした。
さて、第三幕ですが――、
【呼び水版】の方を少し整理・追加してから、
またコツコツ投稿しようと思います。
【連理版】に関しては……。申し訳ありません。
私自身が【塵積版】との同時進行で頭が混乱してしまったので、
お休み中です。積極的に投稿するというよりは、
違うパターンを楽しんで書く “いたずら書き” にしようかと検討中……。
変更内容等あれば《 お知らせ掲示板 》に示しますので、ご確認ください。
それでは。




