◍ 死神の子と棗菓子 | 引き寄せたのは…結び巫女?
* * *
「はい、これ――」
小さな、小さな手が掲げて見せてきたものを、栄麓香の花笠の中から覗き込んだ。
目が悪いせいか、小さすぎるせいか、それが何かはよく分からなかったが、心の籠った物であることは間違いなかった――……。
自分の務めが分からないと悩み、
昔話をもっと聞かせてと、希望を見出そうとする目をして、
また、会いに来てもいいか――。そう、遠慮気味に問うてきた。
*――ああ、いつでもおいで……
愛おしかった。精一杯この気持ちが伝わるように微笑みかけて以来、 “死神に愛されているという呪われた子” は、しばしば蓮の揺籃を抜け出し、会いに来るようになった。
萼の真の王―― “奥王” を養育する蓮壬家のことである。
死神の影を打ち払って見せようという穏健派の要だが、如何せん、当主はまだ十代半ば。文武両道、百戦錬磨の元老たち相手に余裕をかませるわけもなく、渦中の幼君がまた、それを察してしまう敏い子だから、配下らはむしろ、手を焼いていると見える。
確かに、今は童女のようなかわいい顔をしているが、近い将来、父方、母方、どちらの牙を剥いてもおかしくはない。
それはつまり、萼の表か、裏の顔を担うということだ――。
「この間、約束した棗の焼き菓子」
「ん? おお~、それを持ってきてくれたのか!」
「奥には、棗大楼っていう大きな厨房があるんだ。そこで蓮茶も作ってもらったよ?」
吹けば飛ぶような豆粒大の菓子だった。
雀の涙ほどの茶。
だとしても、こんなに味わい深いものがあるだろうか――……。
「そういえば、棗は一日三つ食べれば、年をとっても元気でいられるとゆーておったなぁ。本当か~?」
わざと大げさなそぶりで疑って見せた。子どもらしくムキになったり、得意気になって欲しかったのだ。
最近は、萼と協力関係にある神々すらも、この子を死神そのものと恐れ、蹴散らして、追い返すと聞く――。
* * *
それからしばらくして、また二人だけのお茶会をした。
空はどんよりと鉛色。
すっかり死神呼ばわりされるようになった子は、自身が今にも死にそうなほど痩せて小さくなり、以前より無口になってしまった。
どうした。何があった。
何を言われた?
ほれ、元気を出せ――。そう、どんなにおどけて見せても無駄だった。膝を抱えたまま、ただ、そばでじっとしているだけ。
「……なんでもない」
「本当か?」
「ほんと。でも……」
また、会いに来ていい――?
空まで泣かせそうな、かぼそい問いかけだった。
以前と同じようにすぐ頷いてやるつもりが、飲み下さなければならない諸々の感情があって、震える下唇を噛みしめてからになった。
「ああ!」
遊びに来るくらい、何を遠慮する必要がある? わしの寿命は、どんな大樹大花に吸われても、そう容易く尽きたりせぬわい。
だから、いっぱいいっぱい食べるんじゃい。痩せっぽちのチビ助なお前が、今に沢山の寄生木を抱えて、大輪の花を雲のように咲かせる、とてつもない肥料食いになったとしても――……。
「わしは、かの神代大天柱を支えておった “盤猛亀神” やぞ!」
死神の子はびっくりしたようだ。夜明珠の目を丸くした。
ようやくクススと少しだけ笑った後、わざとらしく半眼になった。
「……それはウソだよ。この間、下っ端だったって言ってたじゃん。千年大戦の時も、逃げてばかりだったから生き残ったんでしょ?」
「違うわッ。ぅっ、生まれてこの方、ににっ…、人間とは交わっておらんッ。しょしょ、正真正銘の神代の生き残りなのやから!」
「ほんとに、……ほんと……?」
「ああ…!」
半ば必死な自分に、あの優しい死神の子は、なんと返したのだったか――……。
「そっか。じゃあ――……」
* * *
わしは、懺悔しなければならない。まだ聞かせていない、昔話がある。
天地を支える我が身の血肉になってくれ。この子にならそう頼まれても、喜んで頷いたと思う。
なのに
*――じゃあ、また、棗菓子を持ってくるよ……
*
――――【 花言葉:あなたは私の悩みを軽くする 】――――
「お前の両親が、萼の大地に還った日――……、瑞雪が降り続き、その年はとてつもない豊作となった」
後に “銀天の戦い” と呼ばれる。正真正銘、 “この国から生まれた史上最凶の死神” 相手に、近年最大の大天柱と目されていた当時の萼の鎮樹王将らが、次々と切り倒された。
そこに、生きる伝説と謳われてきた常磐の如き老将が現れ、ここぞという時、どう戦ったと思う――?
先陣を切って盾になり、命を差し出すことが、最後の務めだった。それくらいしか能がないにも拘らず、実際には、若い者を犠牲にして生き残ったのだと、教えてやらねばならなかった――……。
なのに
「棗菓子、どんなに嬉しかったか――……。長生きして欲しいだなどと。だが、同時に自分の罪深さを思い知らされた」
老人のため息が降ってくる。
萼暦、二一〇二鐘年、春――。
光陰矢の如しで、大椿の画を飾ってから、季節ごとに新作を持ち込み、春の画を見せるのは、これで十三回目。
所どころ日が差し込んでいる、広い洞窟内。
苔生した祭壇のような岩肌に、また新たな一幅の山水画が飾られた。
萌木色の山を背景に、枝垂れ桃の枝にとまった番いの燕が描かれており、枝をしならせて戯れている。
ご存じ――。この画は、中の描画が動くのである。
「蒐よ……、あやつはまだ還らぬのか――?」
「――……」
石碑に飾り終えた蒐は、梯子代わりになってくれていた手の平から飛び降りた。
まほろばと呼ばれる地では、男は十三歳、女は十二歳から三年に一度しか年を数えない。地盤に含まれる常磐の質にもよるが、数年の時間経過を感じて、ようやく外界の一年に相当する経年劣化が起きる。
しかし、この厳の神とて不死身ではない。
いい加減、本気で弱音を吐きたくなるのも分かる。
「今頃、どこで何をしているのやら……」
「ついに合流したと聞きました。決着がつくまで、少なくともあと二年……」
「飛叉弥があずかっている華瓊楽の一件、そもそも膠着状態が八年も続いているのは、いざす貝を奪還されたくない敵の側と、新世界樹の養い手を死守したいこちら側の体勢が、拮抗しているからだったな……」
いざす貝は十年に一度、新たなものを吸い取る呪力を取り戻す。それまでは兵器として使い物にならず、ただの封印容器に過ぎない。
一方の新世界樹も、養い手が “不完全な形” にあり、守り人として自立するまでにそれなりの時間を要する――という、厄介な事情がお互いの動きを鈍らせていた。
飛叉弥は思いがけない逆風にも苛まれた。足抜きして以来、行方知れずだった蓮尉やづさが、敵に与していると判明したが――
「悪いことばかりでもなかった。自分を信頼してくれる命知らずの六人の仲間を得て、絆を深めることができた……。この八年は、双方、状況を整理し、必要最低限の駒を揃え、体制を整えるための準備期間だったと思われます」
そしていざ、火ぶたを切るにふさわしい潮目で、こちらは、いよいよ、これ以上ない生粋の花人を投入する。
敵が目の色を変える、新世界樹の養い手、本人だ――。
最終的に、二度と会うことは叶わないと思っていたであろう “あの人” と共闘できることになったのだから、彪将卿にとっては、むしろ、よかったのかもしれない。
「何気に俺が救世主ですよ。陰の。一生感謝して欲しいっすね、ホント。筆頭を捜し出したの、俺なんですから」
「確かに。お前は一生分の手柄を立てた。伊達に越境を司る商売をしてきたわけではないな。わしも感謝しておる」
「――……」
しみじみ言われると、なんか違う……。と照れくさく思う蒐である。咳払いして誤魔化すついでに話題を変える。
「筆頭が龍王と関係の深い血筋だってことに着目はしましたが……、まさか、本当に “結び巫女” の下へ吹っ飛んでいたとは、今でもちょっと信じられませんよ」
所縁がありそうな場所を巡ってみたところ、 “あの人っぽい子供” を見つけた。だが、巫女の姿を実際に見たわけではなく、本当に居たのか、あえて確認はしていない。
「居たら居たで、ヤバいでしょ……? ある意味」
運命や因果応報というものが、証明されるだけでは済まなくなる――。
「失踪者ってのは、闇雲に探して見つかるもんじゃ無いですからね。ここはやっぱり、俺の情報力のお陰ってことにしましょ。各界境間で渡航を助ける商売人の知恵も借りた。 “東南の渡師” に伝手があって良かったです」
御歳三千以上となった――。斎鐵は、先ほどからずっと、石碑に飾られた画の中の燕を見つめている。
なぜか時化霊の影響を受けず、各界国間を往来できる生き物がいて、これを “越境守蟲” という。東南は燕の他、鶴などが主だ。
「龍もかつては天地の越境を司った。結び巫女にも、その力がないわけではない。だが、あやつを雲霧の狭間に迷い込ませたのは、ワシかもしれん――……。だから、何度聞かれても、答えは変えぬつもりじゃ」
いつでもおいで。
死神でも構わん。
わしはお前がありのまま生きられるよう、
この命ある限り、待っているよ――……。
*――……、ほんと……?
*――ああ。お前がありのまま、心のままに生き続けられるよう……
怒りも憎しみもすべて受け入れる。
無知であって良い。己の存在が、己の成すことが、善か悪かなど気にせんで良い。
会いたくなったら、会いに来い――。
「そういえば、仁華は達者でやっとるか。いくつになった?」
蒐はこの問いに頭の後ろを掻き回す。
「あ〜、真澹の時軸も萼と同じくらいなんでぇ、えー……、十九歳くらいっすかね」
「……。それで未だに家政婦、兼、お前の助手か?」
罪な男だなぁ、お前も。斎鐵は画の中の燕の番が、片方飛んで行ってしまったのを見て、やれやれと肩をすくめる。
「俺は聞いた話を真似してるだけですよ」
「誰じゃ……。またお前に、妙な入れ知恵をしている悪い兄貴は」
蒐は半眼の斎鐵に、鼻で笑って見せた。
「彪将卿と、筆頭に決まってるじゃないですか」
あの人たち以上に罪作りな男なんて、いないですよ――。
◆ ◇ ◆
〔 読み解き案内人の呟き 〕
【 棗 】
花言葉は「健康」「若々しさ」「あなたの存在が私の悩みを軽くする」
古くから、一日三つ食べると年をとっても老いないと言われている。




