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払雲花伝〈ある花人たちの物語〉【塵積版】  作者: 讀翁久乃
 越境画師・蒐【 秘密の匂わせ裏話2 】
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◍ 金装飾と蘇芳の意味


 一瞬あの世に逝くかと思ったが、仁華ジンファの肝は案外強かった。


 十数分後


「し……、失礼しました」


 自力で蘇生し、お詫びとご挨拶を兼ね、あらためて土下座。

 だが、お相手が寛大な心の持ち主で、先ほどから気の毒がってくれている。


「お主はまだマシじゃーよ。こやつの初見なんぞ、目を覚ますのに半時以上かかったからの」


「…ッ!?」


 仁華がガバッと顔を振り向けた横には、何故かやさぐれた立ち方をしているしゅう――。その表情はよく見ると心底つまらなそうだ。


「大方、自分の情けない記録が塗り替えられることを期待しておったのだろう。あえてお主を一人にした。まったく……、いくつになっても悪餓鬼で困るわい」


 許せん…っッ!! 仁華は蒐の尻に、居合斬りのような蹴りを入れる。



「~~……、それより斎鐵さいてつ様、どうです? その画」


「ん――?」


 蒐が尻を撫でながら見上げた対面――、石碑の前に顕現した巨体は、老体とは思えないほど引き締まっているが、人間で言うところの狭小住宅暮しが長いせいか、かなりの猫背。


 これが花笠はながさぬしこと、東方盤猛鬼神――斎鐵さいてつ

 鬼人ではない。神格の中でも高い位を有する、純血に限りなく近い鬼神だ。


「あぁ! 想像していたよりも立派で驚いたわ」


 斎鐵さいてつは左肩を少し動かし、背後の石碑に掛かっている画を一瞥して笑った。


 亡霊のように暗い影を落としていた眼窩には、仁華の気持ちを和ませる、かわいいおじいちゃんの目が隠されていた。

 ブチ切れ寸前の血管バキバキに見えた面相は、岩をも溶かす戦火によって大火傷を負ったためのものだとか――……。特にひどいのは右の側頭部から額に掛けてで、今は笠をかぶり、仁華が気にならないようにしてくれている。


 西方の岩壁彫刻の一種、磨崖仏まがいぶつ並みの巨躯に施されている描画ペインティングは、自然豊かな文化圏らしい唐草模様で、装飾品は金。どことなく花人の特徴に似せている気がする。

 その主様の後ろに飾ったのが、大椿と飛び交う燕の特大風景画だから、つくづく圧倒される光景である。



「こっちの田園風景も――、あと、そっちの港町の画も気に入った」


「大椿の画だったら差し上げますよ。まだ越境画になってないんで」


 蒐は芸閣うんかくに所蔵していた蒐集品コレクションの中から、いくつか別界国の風景画も持参した。

 主様にあれこれ説明している通り、越境画は鏡竹紙かがみちくしに絵を描いただけでは完成しない。仕上げに、 “越境の呪力を持たせる作業” が必要なのである――。 


 仁華ジンファはしばらく、二人の談笑を蚊帳の外で聞いていたが


「まさか、蘇芳の坊主に妹分ができるとはな。仁華――やったか?」


「は、はいっ!?」


「こやつの主人から聞いとるよ。そうかしこまらずとも良い。行方をくらます前、あれは多方面に色々と、根回しをして歩いたのや」


 結局、ここでも筆頭様様だった……。蒐は黙って、彼の用意周到さに対する感謝を噛み締めた。実は、物陰に隠れている間、斎鐵さいてつがマジで仁華を追い出そうとしたらどうしようかと、内心ハラハラしていた。


「せっかくだから、久々に外へ出てみようかのぉ。栄麓香も満開だろう。どうだ仁華。行くか――……?」


「――……」


 仁華はこの時、確信した。

 会ったばかりで何も知らない。でも、斎鐵さいてつが筆頭様の味方であったことは間違いなさそうだと。

 話しかけてくる斎鐵の柔らかな雰囲気は、引っ込み思案な子どもを、そっと促すようで、いつぞやの筆頭様とよく似ていた――。





   ×     ×     ×





 表に出ると、風が吹きわたり、栄麓香の歓声を聞いているような錯覚を起こす。


 足元の若草の中に、また何か見つけたらしい。ぱっ! としゃがんで摘み取ろうとした仁華ジンファが、ハ…ッ!! と目を見開き、振り向いてきた。

 蒐がうなずいて見せると、耳が生え出そうなほど嬉しそうに笑って摘み取り始めた。



「時に――、仁華が挿している簪は、もしや、お前が与えたものか?」


「あー、やっぱり気づきました?」


「気づいて欲しかったんじゃろ? どういう仲か説明する手間が省けるからの。わしは、お前たち花人が物に言葉を託すことを知っておる。約束に、とてつもなく忠実であろうとする性格も――……」


 岩上に座した斎鐵さいてつは、栄麓香の花の雲の中で、編笠をかぶっている頭を少しだけ上向けた。

 谷合の空は狭いが、だからこそ、この青さ、陽光は尊い。



 *――はい、これ――……


 

 積もり積もった細石さざれいしのような記憶。そこに埋もれることのない無垢な幼子の声は、思い出すたび、ふわふわと降ってきて、胸に染み入る。

 斎鐵さいてつは現実に返って、前に向き直った。

 

「花人が鉱石を身に着けるのは、装飾品というより呪物としてだ。中でも金装飾を基本として重用するのは、太陽の恩寵得られると信じられているため……」


 四生界と呼ばれた神代後期、雲上に暮らした天神以外が、日差しの温かみを感じることは許されなかった。

 今、あらためて太陽を象徴するものを他者に与えるということは、すなわち、 “分かち合う間柄” であることを示す。


常葉臣ときわおみにするつもりなのか……?」



 決して軽い調子の問いではない。

 蒐は三泊ほど間を置いて薄く笑った。



「――……、いえ。ただ、俺が勝手に誓っただけです」


 仁華あいつが道に迷うときは、俺が導き手になってみせる。

 自分たちは、 “善か悪かわからない者を親に持つ” 似た者同士だ。


「俺の場合は筆頭だけが頼みの綱でした。誰よりも深い闇を抱えながら、あの人がどうそれを切り開いていくのか、どんな答えを見出すのか興味深く、道を踏み外しかけた花人たちは皆、魅了されてきた――……」


 筆頭が盲目ならば、俺たちは同じ穴に落ちる。悪道に踏み入れば、同じ穴のムジナとなる。


「それでいいんですよ。どうせ自分一人では前に進めない……。現に、あの人がいなくなった途端、どう歩いていいか分からなくなった。だから俺は、筆頭の真似をすることにしました」



 先のことが何一つ保証できない盲人とて、懸命にあがく姿を見せれば、誰かの希望になれる。



「そうやってお互い、手を取り合って歩んでいく関係でありたい――……。仁華に簪を渡したのは、そんな勝手な願望を抱いたからってだけです」


 斎鐵さいてつは難儀なことだと言うように、鼻から息をつく。


仁華ジンファの瞳は、見たところ緑と黄土色の間……。わしの瞳もそうやが、榛色はしばみいろ土霊ドリョウ木霊コダマの霊応が強い証」


 名のある山の按主アヌスか、木石から生じた強力な魑魅すだまに多い。いずれにせよ、ただの余種ではない可能性がある――。


「あいつは俺に拾われた理由を、ただ単に、哀れまれたからだと思ってるみたいですけどね」


「まだ知らぬのか? お前が蘇芳の華痣はなあざを背負った、 “蘇芳原家すおうばらけの花人” であると……」


  西の文化では、疑惑、裏切りを象徴する花。

  東では一転、 “豊かな生涯” という言の葉を与えられている縁起の良い花だ。

 その歴史は古く、奥庭が創設された当初から諜報活動を担っていた “裏華冑” の古株の一家である。野守に属し、とりわけ西方を見張っていた。


 だが、西といえばむぐら……。二千年前の内部分裂の末、うてなを開国した王家勢力・東天花輩に対し、賊軍となって落ち延びた反勢力の潜む地だ。

 関わり方を間違えれば、容易くあちら側に染まる――。



「筆頭はともかく……、 “先代” が還らないのは、やっぱりそういうことなんですかね」


「馬鹿なことを言うな。お前が信じなくてどうする……」


 斎鐵さいてつは、仁華が野の花を夢中になって摘んでいる様子をじっと見つめる。


 むぐら生まれに対しても、警戒が怠れない反面、思い込みがあってはならない。今も、反勢力の末裔という根強い偏見があると聞くが、徒党を組んでいたとして、二千年も前の野望や思想を受け継いでいる者が、はたしてどれだけ見受けられるだろうか――。


 数十年前、うてなはある出来事によって次世代を担う若手の大樹大花を大量に喪った。むしろ、野に逸材があれば拾わずにおくのは惜しい話。

 奥庭の花人が野を見回る目的は、未然に反乱分子の芽を摘み取るためばかりではない。未来を担ってもいる。



「確かにそんな立場を利用して、悪事に手を染めようとすれば出来ないこともないが――……、ただ、これだけは言っておくぞ? 奥座衆は、萼建国を決めた “蓮暁寺家れんぎょうじけ” の王允を大樹として、今日まで続いてきた組織だ」


 たとえ常夜を彷徨う苦難にさらされようと、地獄に等しい底辺の育ちだろうと、清く正しくあろうと己を律する者が、青天を仰ぎ見れないまま死ぬのを良しとしない。


「お前の大樹大花である当代は、少なくとも、はっきりするまでは見限ろうとせん男だ。あれの支柱に育つことを決めた寄生木ほよなら、日の下に出るその時まで這い上がり続けろ」


「その土台になってくれていたあの人がいないんです。伸び悩むなと言われても、……無理っすよ」


 蒐は腕組をしたまま、足元の小石を蹴飛ばした。

 よくない態度だ。弱音を吐きたいのは、足腰弱り、あとは崩れ落ちるのを待つばかりの老いぼれの方だというのに……。



 *――待っているよ……



 斎鐵さいてつは大切にしまってある痩せっぽちな幼子との思い出の中から、今目の前のヘタレ気味な花人に、肥やしとなる言葉を探した。



蓮葉はちすばの、濁りにまぬ心もて、何かは露を玉とあざむく――」


「え……?」


「蓮は、なぜ濁りに染まらない清らかな心を持ちながら、葉の上に置いたただの露を玉と見せて人をだますのか、という意味じゃ」


 よいか蘇芳の坊主、いや


「越境画師、蒐畵僊しゅうがせんよ――」



 真実は隠れはしても、失せはせぬ。

 世界の見え方と解釈は、皆一様ではない。

 常にそこに、希望があると思え。記神は、鏡竹紙のように、真実のままを伝え残そうという媒体が必要だった半面、ある時、それが不都合になり、真逆の力を求めた。


「物事は許される限り、都合の良いように歪めて見ることも必要なのや。岩室に籠っているただの鬼神を、 “かの亀神と見なせ” というのは、さすがに無理があったと思うが――」


「……?」



 *――この命ある限り、待っているよ……



「長生きして、支え続けてみせると、信じさせたかったんじゃよ――……。棗菓子なつめがしをくれた礼にな」

 



                         ◆   ◇   ◆





〔 読み解き案内人の呟き 〕


【 蘇芳 】

花言葉は「裏切り」「不信」の他、

春に沢山咲くことから

「高貴」「喜び」「目覚め」「豊かな生涯」などがある。

ネガティブな花言葉は、

欲に目がくらんだせいで、師を喪うことになった弟子が、

後悔の念から、この花木の下で命を絶ったことに由来する。


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