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払雲花伝〈ある花人たちの物語〉【塵積版】  作者: 讀翁久乃
 越境画師・蒐【 秘密の匂わせ裏話2 】
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◍ 花笠の主、現る


 *――よし。上出来、上出来


 金粉を散らす蕊に、筆先で艶やかな赤い衣を一片一片まとわせていくと、見事な椿の花になった。

 しゅうの紺色の袖越しに描き連ねられ、青緑の葉が重なり合って光と影を生み、なかなか重厚に仕上がったと思う。


 手前に向かって迫り出している枝は、龍のように生き生きと太く。

 岩を鷲掴みにしている根は荒々しく。

 間を縫って流れ落ちる清水は対照的に。品のいい老婦人の白髪を思わせつつ、最後に飛び交わせた燕は、黒い尾を跳ね上げて春風を可視化。



 *――今回はこの辺で勘弁してやろう


 *――それは鏡竹紙かがみちくしのセリフだと思います



 樹齢千云百年の大椿だ。そんな代物の特大画を、日が暮れる前に完成させられるようになっただけ蒐が上達したのかもしれないが、仁華ジンファは呪縄で道具を束ね、小さくして、さっさと片づけをしながら突っ込んだ。




   *   *   *




 仕上がった画が乾くまでの間に遅めの昼食を済ませ、いよいよ花笠はながさぬしのもとを訪れようという渓谷の途中、鮮やかな紅紫色が視界にチラつくようになった。

 谷底の川辺に咲き始めたばかりの三葉躑躅みつばつつじだ――……。


「――師匠せんせい、燕といったら柳の枝に止まってる画の方が、よく見かけると思うんですけど……」


 仁華も伊達に蒐の助手を務めてきたわけではない。芸閣うんかくの作業場や、地下の在庫収納部屋の掃除中、資料を目にすることはある。


「柳に燕は、静と動を表す。絵師が好む定番の組み合わせだからなー」


「このあたりには、三葉躑躅が咲き始めています。今が旬の景色なら、蔵不磨国くらふまこくの桃林とか、うてなの関門前に広がってる蕪領ぶりょうの菜の花畑とか……」


 他にも色々あるだろう。仁華は先ほど抱いた疑問を口にした。


「なんであの赤椿を選んだんですか――?」


 蒐はなんということはない調子で返した。


「花笠の主に所望されたからだよ。次の春は、常磐に根差した大椿の画が見たいって」


 このあたりでは、萼に近くなればなるほど、盤臺峰ばんだいほうの岩――常磐を多く含む地質となる。

 神代と謳われたその昔、不老不死の天神らが暮らしていた霊峰の岩石だ。産霊ムスビが豊富なため、時化霊トケビの影響を受けにくく、時の流れ方が周辺と違ったり、様々な産物が規格外に大きく育ったりする。


 萼では各世界樹のように、根で常磐を抱えた樹木が珍しくない。

 桃、桜、梅、椿――。春の花木に限らず、紅葉も松も、平地よりもむしろ岩上に生えている。


「花笠の主は、萼と手を結んできた神々の中でも古株だ。土霊ドリョウの魂魄から成った土鬼だから気になるんだろ、萼近辺の木々がちゃんと育っているか。あそこの大椿は、界口から悪いモノが出入りしないよう魔除けを担っていて、地下に異常があれば、すぐ見た目に影響が現れる標木なんだ」


 仁華は納得がいくと同時に、少し足取りが軽くなってくる気がした。


「立派な枝振りに描けて良かったですね」


「ああ。なにせ、鏡竹紙は嘘つかないからな。とりあえず、この画を見せれば安心してもらえるはずだ――」




   ×     ×     ×




 そんな話をしながら、渓谷沿いに上るつづら折りの崖道を歩き続け、ついに仁華は、花笠の主の住処にたどり着いたのだった。

 この後、口から魂が抜け出てしまうほどの衝撃的ご対面を果たすことになるとは想像もせず



「――……うはぁ…!」


 到着するなり、はしゃいだ。

 こんなにも、体の奥底から感動があふれ出てくる絶景は滅多にない。

 蒐に付き合って各世界各国、春夏秋冬、かの有名な、と、もてはやされる景勝地もいくつか巡ったが、いやいや、ここも負けていないではないか。


 仁華は時が止まったような感覚に陥った。

 桃源郷に例えられる真澹しんたんの濃密な春景色とは違う。鄙びた風情はなく、拓けた視界いっぱいに、白い花が満開となった巨木の枝が揺れている。

 そよ風が吹きわたり、雲のような樹冠に新芽の色がちらちらと覗き見え、神聖な気に満ちていた。


「 “谷神こくしん” って知ってるか」


「え?」


 振り返ると、蒐が子どもを見守る親の眼をしていた。



谷神(こくしん)は死せず。これを玄牝(げんぴん)()う』


『玄牝の門、これを天地の(こん)と謂う。緜緜(めんめん)として(そん)する(ごと)く、これを用いて()きず』



「万物を養う神――産霊神ムスビがみの体現とでも言おうか。谷間の神はあらゆるものを生み出す門。姿かたちはともかく、その働きは総じて、尽きることのない母性のようなもの」


 言われてみれば、ここは山の狭間。とりわけ大きな山を背に亀の甲羅状の大岩が鎮座していて、木はそこから生え出ている。


「花笠の由来はこれだ。梨の花に似てるが、 “栄麓香えいろくこう” っていう神代花木の一種。まぁ、たぶんだけど、梨の遠いご先祖的な?」


「神代花木? 植物にも祖先ってあるですか?」


「もちろん。草花にだって、神にだって系譜ってもんがある。俺やお前にだって親はいる。ただ、 “種姓すじょう” が複雑なだけで…」


「……?」


「まぁいいや。とりあえず行くぞ」



 苔むした巨岩には、所々に穴が空いているようだった。

 だが、界口ではない。正面の洞門から中に入ると、その穴が天窓のように幾筋もの光の柱を落としていた。


 時おり、栄麓香の飛花が、きらめきながら舞い込んでくる。



「花笠の主ぃ〜、生きてますかねぇ。 しゅ…、あ〜、蘇芳すおうです」


 “スオウ” ……?


 仁華は聞き逃さなかった。蒐が “スオウ” などと名乗ったことはない。

 草冠に「鬼」と書く「蒐」は、蒐集家という一面から取った偽名だろうと気づいてはいたが、もしや本名は “蘇芳” なのか――?


 蘇芳は西方でも見かける花木だ。春になると、赤紫の粒状の小花が、細い枝にびっしりと付く。

 

 せっかくの機会に、はっきりさせたいところだが、どうも間が悪い。

 簾状に立ち塞がる栄麓香の根をかき分けるたび、薄荷はっかのような、鼻にスーっとくる香りが立つ。


 抜け出た場所は、洞窟の拓けた空間に造られた祭場だった。

 仁華はいよいよ不安になった。このような神域に、何処の馬の骨とも知れない自分のような余種が踏み入って、本当に大丈夫か……?

 いつ、ぬしの怒号を食らってもおかしくないことを思うと、生きた心地がしない。



「お前はその辺でちょっと待ってろ」

 

 主を探し回る蒐とは逆方向――左手の岩壁に沿って、三丈(十二m)はあろうかと言う縦長の石碑が聳え立っている。

 仁華の足は、不思議とそちらに吸い寄せられた。


 ここだけ、とりわけ強い陽光が差し込んでいる。

 華奢な栄麓香が左右に育っていて、後ろに、木の倍の高さの黒い角柱が二本、佇立している。


 角柱の素材は御影石……? いや、黒曜石だろうか。黒光りしている奥に青味が透けて見え、海底のような色だと思った。海底など、目にしたこともないのに――……。



「こういうの、なんて言うんだっけ――……。確か、……華表かひょう?」


 一般的なものとはだいぶ特徴が違うが、軍門や神域に立てられる一種の標柱には違いなさそうだ。

 その間を抜け、半ば蔦に覆われている石碑の前まで来た。


 石碑は表面が白っぽくざらついていて、何の変哲もない一枚岩としか思えない。ただ、文字が刻まれている様子がないのが、逆にいぶかしい。


 石碑は踏み石のような岩板に据え付けられており、この岩板が祭壇を兼ねている。銀杯やら、果物などのお供え物を盛る高坏たかつき、燭台、香炉などが並べられていて、いずれも中は空っぽ。


 賽銭箱こそないが、仁華はこういう場に歩み寄っておいて、何も捧げずに離れるのは如何なものかと思った……。



「そうだ。背嚢リュックの中に!」


 道すがら摘んだ山菜を詰め込んでいたのだった。

 だが、引っ張り出した蕗の薹の束を見つめ、しばし悩む。触らぬ神になんとやら。余計なことをしない方がいい場合もある……。


 もう一度、本尊の顔色をうかがうつもりで石碑を見上げていった仁華は、先ほどまではなかった文字が、浮かび上がってくる瞬間を目にした。


 え……?


 どんどん上に向かって、浮かび上がっていく。濃く、はっきりと。


「なな…っ、なんでなんでッ!? 私何もしてないですよッ!? もしかしてコココこれっ…!? お供えをすると字が読めるようになる仕組みだとか…ッ!? ちょ、蒐師匠(せんせい)ッ!!」


 何処行ったあいつッ。



《 華表に当っておる光の強さや角度が、条件を満たしたんじゃわい 》



 仁華は目をぐわッと見開いて絶句した。

 老父のしわがれた声が降ってきた天井。逆光で見えにくいが、石碑の天辺より高いそこに、とんでもないものが出現していた――。



   *



 自然界の様々な精魂から誕生する “鬼” には、それぞれの姿かたちがある。花人の根本は花鬼。草花のさがを継いでいるに相応しい美男美女で、彼らのように水と聖樹を崇拝し、森に潜む鬼神は原初夜叉族と見なされる。


 神代崩壊後、派生は加速化し、各世界各国でその土地土地の夜叉族へと変わった。

 龍族もそうだ。千年大戦にて、天兵側の主力を担った種族の多くが、似たような歴史を刻んできている。


 そして、この巨大な “顔だけの鬼” は――――


「ば…っ」



 盤猛鬼人だ――。土に同化する性質を持つ。ゆえに、天井の四分の一を占める特大のお面に見えて、これは飾り物ではない。まさに、生きた化石のような巨鬼のご尊顔そのもの。

 

「ぬ……、ぬし。蒐師匠(せんせい)、コココッココっ……」


 恐怖であごが震える。西方にもいた。

 大地を掘り下げて造られた、迷宮を成す石窟都市の中、西に棲む盤猛鬼人は、主に砕石の労働力として、今も重宝されている。


 筋骨隆々の肌は灰茶色。四肢に乾いた泥で幾何学模様を描き、髪を編み込みにしたり、骨や玉の装飾品をつけたりしていた。

 まさに、その盤猛鬼人の特徴を具えてはいるが、今、見上げている鬼は禿頭だ。角は短めで内側に反り、襟足に残っている髪はほつれた注連縄しめなわのよう。


 長い髭は蓑亀の背に生えている緑藻に似ていて、落ち窪んだ目元は黒い穴にしか見えない。

 なんと言っても、皮膚が盛り上がり、引き攣れているその面容が、仁華には血管だらけのブチ切れ寸前にしか見えなかった。

 

 ギザギザの歯が上下に開き、なにか言おうとしている。


《 娘、おぬ… 》


「ギやあ゙あ゙あ゙あ゙あああああああーーーーっッッッ!!!」


 とりあえずごめんなさい。仁華は気を付けッ、の格好に体が固まったまま、白目を剥いてひっくり返った。


 …………死んだ。



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