◍ 悪夢の象徴
つと、皐月の顔がこわばった。
かすかに揺れている黒い瞳の奥をのぞき込むようにして、ピンクが瞬きする。
「旦那――?」
皐月は服の上から、さりげなく左胸のあたりを押さえた。その表情は戦慄を覚えているようだ。
「 “あれ” は――……、なんて言うんだっけ」
愕然と尋ねてきたわりに、皐月が美しく壮大なものを見つめている事が分かった。
ピンクは愛らしい目をパチパチさせた。
市街の先に高台がある。都の北中央。森が底上げされたような土地で、黄瑠璃瓦の屋根が沢山見える。
峻峰を背に輝いている宮殿や、断崖から噴き出ている滝にもインパクトがあるだろうが、皐月はその上空――、白い雲の中に見え隠れする、仏塔のような高閣に目を奪われているらしい。下界に下りてくる道すがら、いくらでも眺めることができたはずだが――……。
「 “壽星台閣” ですよ」
答えたのはブルーだった。背後から皐月の右隣りに歩みでてくると、同じところを見張るかすように仁王立ちした。
「この国……いや、世界の心臓部と言っても過言じゃねぇ。あんたが今いるのは、神代崩壊後にできた海上の超大陸――南壽星巉の中心地だ。あそこは、南海で最も重要な権力が集結している最大の政治機関であり、大神殿でもある」
台閣にはどんな力が働いているのか、常に天から雲が巻き取られるようにして、あんなふうに外周を一定の速度で巡るんでぇ――……。
雨の日も風の日も、例え嵐が来ても雲間ができ、差してくる光を浴びて存在感を示しつづける。
「あの北中央の山を、李清頂と言いやす。山腹の絶壁にへばりついているのが、賢君と誉れ高い、当代の国王が御座す鱗彩宮。ちょい下の丘陵に元老、麓一帯に官僚居住区が広がっていて、背景に壽星台閣――てな構図ですね。さっきあの崖上で教えたばっかりですぜ? もう忘れちまったんですかい?」
チロリと目を向け、ブルーはさあらぬ体で畳みかけた。
「それとも――、何か特別、気になることでも……?」
皐月は口を閉じたまま、台閣をじっと見つめている。いつまでそうしているのだろうと思っていれば、意外とあっさり、あきらめた風情でため息をついた。
「火の――…………いや、なんでもない」
横目でうかがうブルーの内心に、再び疑念がわいてくる。
皐月は簡単な質疑応答を交わすと、すぐに何事もなかった顔をして歩きだす。まるで、話が膨らむのを避けるように。
だが、今のは反応に時間がかかりすぎだ。相当重大な部分に思考力を注ぎ込んでいたらしい。自覚はないのかもしれないが……
随分と、頭のキレが良さそうな面もするじゃねぇか――。
ブルーは金色の両目を、ついと細めた。
「なあ、あんた……、さっきから何を…」
「ああああーーッッ‼」
言いさして、ブルーは突然の叫び声にぶっ飛ばされ、思わずむせた。
「なっ、なんでぇいきなりぃッ‼ 助坊テメぇ、びっくりさせるんじゃねぇ‼」
皐月の肩から飛び降りたピンクは、ブルーの怒号を振り切って、人々の足の間を器用にすり抜けていく。
電光石火のような、目にも留まらぬ素早さだ。
わけが分からず、向かって行った通りの先に再び姿を現すのを待っていると、しばらくして、ピンクはバネのように高々と弾んで見せながら、短い両腕を振ってきた。
「ほらぁーっ! なんかそれっぽいのが見えたと思ったら、やっぱりありましたよ兄貴ぃ~っ! 目的の店でやんす! 早く鑑定を頼みましょうよぉーっ!」
小さな体が、雑踏の中から抜けでては吸いこまれ、抜けでては吸いこまれ……。
「どうしたの、あいつ」
“目的の店” とは食堂のことか。ひょっとして、ピンクも相当腹が減ってたのか?
「急に元気になったじゃん……」
てっきりそこにいるものだと思って喋っている皐月を残し、ブルーは猛ダッシュしていた。
「あれ。ブルー?」
忽然と消えれば誰だってそういう反応をする。
「旦那ぁ~~っ!」
地べたに這いつくばって探してくれている姿に、ブルーは声を張った。
体を起こして、皐月は「ん?」と眉根を寄せてきた。
口いっぱいに胡桃を詰め込まれ、顔を真っ赤にしているピンクを小脇に抱えて、ブルーは行き交う人々の頭を飛び石代わりに先を行く。
「ちぃとそこで、お待ちになっててくだせえ! 必ず戻ってきやすからあーっ!」
「? お…、おい」
完璧なフォームを描いて人波にダイブし、あっという間に姿をくらました。
(2021.04.30 投稿内容と同じ。長文だったため、2022.01.011 分割)




