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払雲花伝〈ある花人たちの物語〉【塵積版】  作者: 讀翁久乃
 越境画師・蒐【 秘密の匂わせ裏話2 】
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◍ 画の中の旅先と目的


 翌日―――。



「おし。でーっきた、とぉ」


 しゅうは散髪を面倒がって髪を伸ばし気味にしている。撫でつけるように首の後ろで束ねなおしたが、横髪はやや長さが足りないので、いつもほつれ落ちる。


 だが、仁華ジンファと違って人が避けたがるほど放任な身だしなみでは無い。紺色の短衣の袖や、黒いズボンを叩いたり引っ張ったりして、出かける時はそれなりに気にする。


 金の耳飾りはまじない的な意味がある装飾品なので、基本付けっぱなし。

 最後に、編み上げ靴の紐を結んだ。


 色調だけで言えば、なんとなくうてなの花人を思わせる装いで、画材を入れた蓋付きの竹籠を肩に掛け、すくっと立ち上がる。

 他人ひとの身なりを整えるのに一晩かけておきながら、自分は朝食後、ものの数分で支度を終えた。

 

「いざ、参りますかねぇ」



 蒐が踏み出そうとしているのは、お堂のような観音扉の向こう。書架の間にはめ込まれた平面的な造りで、中に一幅の山水画が掛かっている。

 背景として新緑萌ゆる山がそびえ、細い白糸のような滝が描かれている。


 ここは、越境画の所蔵庫にしている芸閣うんかくの地下だ。

 画は使用しない限り、雲、動植物、水が流れ落ちる様まで動いて見える “半動画” という点をのぞいて、あくまでもただの掛け軸だが


「参」


 何度見ても摩訶不思議。呼びかけると波紋を打ち、水鏡に変わる。

 春の光と影、馥郁たる花枝に織りなされ、実際のそこは、眩しいほど生き生きとしているようだ。少し生暖かい風が吹き込んできた――……。



 背嚢リュックの肩紐をにぎりしめ、おずおずと螺旋階段を下りてきた仁華ジンファの前髪もそよぐ。


 昨夜の時点では半信半疑だったが、目覚めると、確かに別人のような金髪娘に生まれ変わっていた。夢を見ているのかと思った。



「――ほら、師匠せんせいが言った通りだろ? おめかしすれば、女子じょしの足は自ずと外に向かう。綾羅りょうらに見立ててもらった服だし、似合ってるのは間違いない」


 綾羅とは近所に住む古着屋の女主人だ。情念が籠った曰くつきの衣や、端切ればかりを蒐集している。


「……。あの、念のため聞きますけど、裏地に血文字とか書かれてたやつじゃないですよね、コレ」


「だとしても、お浄め済みだから譲ってくれたんだ。どうよ〜、今どき女子になった気分は〜」


 髪をきちんと一つに結い上げ、頭頂部でお団子にして、淡黄の衣に抹茶色のくんを合わせた姿は、もはや貧乏神や疫神の風体とは程遠い。

 だからと言って女神に生まれ変わったわけでもないのだが、蒐にとっては十分なようで、あごに手を添え、ニヤニヤしている。


「そっ、そんなことより、今回はどこに行くんですかッ?」


 自分でもまんざらでもないと思っていることを見透かされているのかもしれない……。仁華ジンファはそう想像すると、自ら行先の話題に切り込まずにはいられなかった。









          ――――【 判明 】――――



「その前に、はっきりさせておきたいんだがー……、お前、この間から、要朗ようろうにあれこれ聞いてるだろ」


「ぎくっ」


 要朗とは仁華ジンファがよくお使いに行かされる骨董屋の店主だ。

 先日、ちょうどその機会があったので、ここ最近の出来事と、それに関する色々な不安を打ち明けたりした。

 蒐と一緒に暮らし始めてだいぶ経つのに、自分は相変わらず、無知であると――……。



「今の距離感じゃ不服――?」


 まるでその時の会話を聞いていたかのように、蒐がぺらぺらと仁華の心の中を言い当て始める。


「大人になるにつれ、あんなことや、こんなことも知りたくなってきたわけ? もっとお近づきになりたい? それってつまり、師匠せんせいのこと…」


「嫌いです」


 仁華はさっさと掛け軸の中に足を突っ込む。水鏡の画面が一際大きく波紋を打った。伸ばした手のやりどころを失っている蒐を置いて、よいこらせと先に越境を果たした。


 越境画とはこういうものだ。たった一歩踏み出すだけで、描かれている景色と同じ場所に到着できる。閉塞的だった空間から、一気に草木の香りが頭上に広がり、開放的になった。


 ここが何処かまでは分からないが、渓谷沿いの山道はつづら折りで、一本のまま上っているようだ。朝露に煌めく手つかずの自然の中、種々の花木がのびのびと春を謳歌している。


 鶯のさえずりがあっちにも、こっちにも。

 ところどころ、小さな滝を造っている沢の音も心地いい――。



「あ、わらびが生えてる! 向こうにはふきとうもありますよ…!」


 山菜採りに来たわけではないのだが、思わずはしゃいで走り寄った。

 そんな仁華を背に、蒐は越境画を閉じる作業をする。手をかざすと、糸が切れた凧のように翻り、飾る前の巻物の形に戻った。


「その辺に生えてる山菜みたいに、ちょっと探せばすぐ見つかるものなら、こんな苦労しないんだけどな――……」


「え?」


「あんま詳しく聞かせたこと無かったけど、俺は “ある花人” を捜してるんだよ。そいつに何があったのか――、真実を知りたい。しろか、くろか……」


 仁華ジンファは唐突に打ち明けられ、少し戸惑ったが、なんとか頭の中にあるなけなしの予備知識と結びつける。


「旅に出るのは人捜しのためってことですか? そんな事情に目をつけて、あなたに越境画を増やす仕事を与えたのが例の……」


「そう。 “筆頭様” だ」 


 蒐が思い浮かべているだろうその後ろ姿が、仁華の脳裏にも過ぎった。

 腰に届くほど長い黒髪を悠然となびかせて佇む、黒衣の青年―――。


 うてなには、公に活動している花人とは別に、諜報活動から粛清までを担う者が属す地下組織があると聞いた。それが奥座衆おくざしゅう

 要朗曰く、地方担当を野守のもりといい、蒐は奥座衆であって、実は辞めたのではなく、民草に紛れている野守であるらしい。


 筆頭様はそんな蒐の絵を買い取りに来るがてら、以前はちょくちょく様子を見に来ていた。


「あの人、超~面倒くさがり屋だから、一石二鳥、三鳥、とにかくまとめて厄介事を処理する能力がずば抜けてて……」


 瞬間移動を可能にする越境画は、世界各国に部隊を派遣する花人のような傭兵集団にとって、この上ない便利道具だ。元来、他の畵仙がせんから買い取ってきたものをいくつか所有していたが、その者が、寄る年波に勝てず隠居すると言うので、道具一式を譲り受けたと聞いた。



*――くれぐれも、粗末に扱うなよ……?



 一通り説明を終え、そう言って差し出してきた対面の主人と、信じられない思いで受け取った当時の自分が、蒐の瞼の裏によみがえる。あれから何年経っただろう――……。


「越境画は使い方によっては兵器になるからな。闇市なんかの変な所に流れるくらいなら、押さえてしまうべきだし、ちょうどその頃、色々あって、俺は自分の務めが分からなくなってた。いわゆる半グレ状態ってやつで…」


「へぇ~。先生にも非行少年だった黒歴史があるんですねー」


「今も更生中のお前が笑ってんなよッ?」


 山菜を背嚢リュックに押し込みながら共に歩き出した仁華に、蒐は呆れる。元泥棒猫一匹の養い方にも頭を悩ませているのだから、自分は到底、多くの寄生木ほよを抱える大樹になどなれない。


 奥座衆筆頭の務めには色々あるが、部下に堕ちかけの奴がいることや、叩けば埃が出まくる脛に傷持ちがいることは珍しくなかった。

 奥庭の大樹大花というのは、そういうものらしいが、行方不明となってしまった現主げんあるじは、何かと話題に事欠かない人だった。

 歴代の中でも群を抜いた変わり者、まさに、奥庭を代表する一番の問題児であったことは間違いない――。


「俺なんて、あの人から言わせれば狂犬のうちに入らないと思う」


「だから野放しに?」


「まぁ、俺は元々、筆頭に反抗的だったわけじゃないし、むしろ、唯一の味方だと思って甘えまくってたから……。信用してくれてるんだろ。現に今も越境画を通して自分の目的を果たすと誓った思いに変わりはないけど、手を貸せと言われれば喜んで貸すだろうな」


 あの人が望むなら、今すぐ第一線に復帰してもいい。



「――……」


 なんだか、知りたくないことまで知ってしまった気がする。仁華は繰り出す足先に視線を落とした。



「なーんちゃって……?」


 顔を跳ね上げると、蒐が口端をつり上げて見せている。これだ。仁華が苦手な顔――……。


「そう暗くなるなよ~。弟子にしたからには、お前ひとりの面倒くらい、最後まで看てやるし?」


「……――弟子じゃなくて、確か助手でしたよね、私」


「そうだっけ」



 蒐がこの仕事をはじめたのは、筆頭様が行方不明になる前だ。つまり、蒐が越境画の制作という名目を使い、世界各国を捜し歩いている相手は別にいる。

 しろくろかを見定めたいということは、その人物に掛かっている嫌疑は、やはり “足抜き” ――なのだろうか。 



「……ま、今となっては? あの人の捜索も含めて、ってことになってるけど、今回の旅の最終目的地は “花笠はながさぬし” の所だ」


「花笠? 誰ですそれ」


 なんだか綺麗な名前だと思い、この時の仁華は至極単純な想像をした。

 いつも薄紗を巡らせた編笠を被っていた筆頭様は、そのつばに添えた手だけでも、美しい青年だと分かる人だった。

 仮面も付けていたので、顔は知らない。だからこそ、まだ見ぬ花笠の主とやらに、筆頭様のような人物を思い浮かべるのは自然なことだった。


 花枝を添えた帷帽をかぶっているのだとしたら、きっと、目を見張るほど麗しい貴人に違いない、と――。



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