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払雲花伝〈ある花人たちの物語〉【塵積版】  作者: 讀翁久乃
◆ ―――――― 終鐘 ◇ 明白 ――――――
163/194

◍ 眠れぬ夜の真実



   *



  ことん、と



 鹿威ししおどしの音が、朝霧の薄れ始めた森に響いた。

 近年稀に見る超弩級の神代種が巻き起こした攻防から、一夜が明けた――。







         ――――【 振り込め詐欺 】――――



「だーかぁら~……、何度も言ってるだろうが。まったく、物分かりの悪い奴だなぁ」



 *――取立て屋がうるさくて、もう耐えられん



「前回、俺に請求書渡しただろ……。あれ。あの借金のせいであんたは、毎日眠れない夜に悩まされていた。そうだったよな」


「だーかぁら~……」



 これで何回目になるだろう。相変わらずの二人は飽きもせずに、同じやり取りを繰り返していた。

 いや、飽きるとか飽きないとかそんな問題じゃないのかもしれないと、嘉壱は内心で思った。少なくとも、この少年に関しては――。



 皐月は、二週間前に通されたのと同じ部屋で、同じように茶器を茶卓に叩き戻した。

 

  ダカンッ!!



「…………。」


 先日と違うことがあるとすれば、そこにもう一人、嘉壱以外の “同席者” が加わったことだ。

 いや、正確には個人的な話があってやってきただけだったのだが、どうにも抜け出せない状況になってしまった。

 嘉壱なんて、先ほどからずっと正座したまま顔を伏せている。そんな様子を背に、新たな同席者――柴は半眼になっていた……。


 やはり、自分の見当はハズレてはいなかった。うてなの白い激昂とあだなされるほどの飛叉弥に、むしろ憤怒の炎を燃やせる相手。

 以前は直に見たわけではなかったため、まさかと疑ってもいたが、目の当たりにすると色々な疑問が腑に落ちてしまうことが、今は逆に如何なものかと思えてくる……。



「あんた、そんなに俺に首()ねられたいわけ――?」



 不快そうにつりあがった片眉に対し、飛叉弥も負けじと片眉をつりあげた。

 こちらは面白そうに。声のトーンが一段と上がった。


れるもんならやってみろと言ってるだろうが。少なくとも、あの後の記憶がスっカラかんだなんて抜かしやがる今のお前に、一応元祖救世主の俺が負けてたまるか」



「~~~……」



 そう、あの化け蛞茄蝓カナムと決着をつけた後、皐月は例の如く眠りこけて、鐘楼の屋根から落下した。




     |

     |

     |

     :

     *




 駆け付けたのは菊羽ツェンウェイだった。


「おい大丈夫かッ!? 起きろ皐月っ!! 狸寝入りしてんじゃねぇぞ…ッ!」


「本日の営業は終了しました。なんか色々説明するの面倒くさいからあと任せたグぅーーーzzz。……」


 抱き起こして揺すっているうちに、その特殊な武装は解けていった。

 はじめは本気で心配したが……。心配なんかしてやるんじゃなかった。



「僕が運んであげようか――?」


 

 ハッと、菊羽ツェンウェイは顔を跳ね上げた。敵だったら顔面蒼白になる場面だったが、瓦礫の山の上に見たその姿は、面白そうに笑んでいる翼人だった。

 陵鳥神族みささぎちょうしんぞくの青年だ。なぜこのタイミングで、こんなところに――。

 敵ではないにしても、ある意味ヤバいと思い、菊羽ツェンウェイは安堵したのも束の間、焦らされた。



「だ…、大丈夫っす。こいつはまだ死んでません。寝てるだけです……。たぶん」


「そっか寝てるのか~。残念」



 どういう意味で――? とは、怖くて聞けなかった。

 いつから居て、どこまで見ていたのか知らないが、鉄槌神でありながら、陵鳥神族の別名は戦場に降り立つ “むくろ喰らい” ――。皐月の場合は死んでいなくても、彼らに寄ってたかってつつかれてしまうだろう要素があり過ぎる。


 自分は無知に等しいが、「色々説明するの面倒くさい」という皐月のセリフからして、この場は上手く切り抜けるべきと察するのは容易かった。

 何がどうなっているのかよく分からないながらも、読める空気は読みたい――。


 同じような思考を巡らせたのか、青年は槍を杖代わりにして立ち上がると、勇壮なワキスジハヤブサの大翼を広げた。


「じゃあ “またね” って言っておいて~!」




     |

     |

     |

     :

     *




 飛叉弥は深々とため息をついた。

 都合の悪いことは全部、寝てやり過ごすか、忘却の彼方に葬ろうとする皐月の現実逃避癖は、いいんだか悪いんだか……。


 屋根から落ちたと言っても、その寸前で菊羽ツェンウェイの風が受けとめたと聞いたから、別に頭を打ったわけじゃないと思うのだが。

 衛男エナルらしき陵鳥神みささぎちょうしんが詮索に来たらしいことを考え合わせると、もしや、屋根から落ちたのは、不都合な記憶を失くそうと、自ら頭を打ちまくったせいなのだろうか。だとすれば、アホ過ぎて哀れだが……。



「てか、今はそんな話、どうだっていいんだよ。色々な現実から逃げてきたのはどっちだ。もう一度、分かるように説明してもらおうか」


「だーかぁらぁ~……」





   ×     ×     ×





「ぇえ…っ!? ちょっとそれ本当なの啓ちゃんっ!」


 妙に賑やかな母屋から、満帆は信じがたい事実を打ち明けた同胞へ顔を振り向けた。


 池の淵でしゃがんでいる啓は、拾い上げた小石を投げ込んだ。


「……本当だよ。僕はてっきり、弱みでも握られてるんだと思ってたけど」


 よりによって、あの少年が、飛叉弥の私事で発生した借金を、わざわざ肩代わりするなんて。


「都の再建費が百二十万程度で済むわけないでしょ」


 いや、百二十万でも相当な大金だが、あれは飛叉弥行きつけの酒屋のツケが溜まって、さらにそれがちょっとした口論をきっかけに、結果として六倍に化けた金額だ。





   ×     ×     ×





「――いやな? このオヤジがまッた心の狭いオヤジで。今日こそはッ、とか言ってキレやがって、酒代払うのと塩撒かれるの、どっちがいいと脅すもんだから、俺もつい “ブチっ” ときっちまってぇ……」



 *――上等だハゲぇッ、塩なんざ痛くも痒くもないわああぁッっ!!



「みたいな感じで、「てい」っと軽く吹き返したつもりが、家具のみならず屋根とオヤジまで吹っ飛んじまったという次第で…」


  べしっ


 皐月はムカつく満面の笑みに饅頭まんじゅうをブチ当ててやった。

 いい加減にしろよと訴えてくる眼光に、飛叉弥は半眼になった。


「そんな眼で見るな。俺だって反省して、なんとか責任取ろうとしたんだ。それで、サラ金にちょっとばかし借りて、賄ってもらった」 


 一時的に。



 聞けば聞くほど目元を覆いたくなる話だが、李彌殷リヴィアンで飛叉弥に金を貸したがる所は、まずもってないという。毎夜うるさかった取り立て屋の声も、がなり声ではなく涙声。後、蹴散らされて悲鳴……。



「……最悪だ。あんたが俺に仕掛けたことは、架空請求型の振り込め詐欺ってやつだからね?」


「再建費に関する本物の請求書が欲しければ、台閣に発行を頼むが」


「余計なことするな。そして、もし来たら燃やしといて」


「お前も踏み倒す口じゃねぇか」


「うるさい。あんたはこの国の元祖救世主のくせに、飲み逃げと器物損壊、傷害の常習犯でもあるってことでしょ? 左蓮と斬り結んでから、二人きりで乳繰りあってたか何してたか吐かないことと言い、なんといい、さすがに伏せておいていい事案じゃない」


「フンッ。報告でもなんでも、うてなになら面白おかしく勝手にしてくれて構わん。ただしこれも、出来るものなら――な?」


「じゃしてくる。五十鈴さんに」


「ぶフ…っッ!!」


 飛叉弥は口にしていたお茶を噴き出した。


「おいこら。待て待て待て待て。いや、おかしいぞ。なんで報告先があいつなんだっッ」


「なんでそんな必死で止めんの」


「いや分からん。分からんが、体が勝手にお前の口を封じようと…」


 部屋の出入り口で、にわかにプロレス技の掛け合いが始まった。

 廊下に出ようとする皐月と、引きずり戻そうとヘッドロックする飛叉弥が一進一退を繰り広げていた時――



「ごめんくださぁ~い」


 中年女性の声とは不釣り合いな足音が、スタタタタッ! と庭を突っ切ってきた。

 

  ひしっ


 一目散に駆け寄ってきたかと思うと、大ジャンプしてしがみついてきた少女に皐月は首を傾げる。


「あれ、ひいな――? どうした。今日はまた、いつにも増して唐突…」


「なんだ、ちゃんと生きてるじゃないかよ」


 生きてる? 誰の心配をして来たのだ。生きてちゃ悪いか。

 皐月はムッとしたが、ひいなに付いてきたらしい豆粒少年の顔は、二日ぶりに見ると、なぜか心底嫌そうというより、くたびれていた。


逸人いつと。……とぉ」


「すんません、お取り込み中だったでしょうか」


 初めて会う飛叉弥にも視線をやりながら、おずおずと逸人の後ろに立ったのは、白粉をはたいていない普段着の宵瑯閣しょうろうかく酌婦――妙季たえきだった。



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