◍ 弔いを兼ねる者 | 七宝樹の円蓋
「ん――?」
故郷に帰る道すがら、先日、化け蝗の大群に襲われたという台求郡の上空へ差し掛かった時だった。
自慢の隼の翼で、爆走ならぬ爆飛行していた西原の翼人種――衛男は来た方角を振り返った。急ブレーキ。からのホバリング状態で目を凝らす。
自分にも、かの龍王が誇っていたのと同じ千里眼があればいいのだが、如何せん、空気を伝ってくるもので感じ取るしかない。
「ワおッ! なんかとんでもないことになってるじゃんッ!?」
どこから来たか、盤猛鬼人の親子が加勢に向かっている様子だという報告を仲間から受けていたため、自分は故郷の任務に戻る判断をしたが、これはやはり、一見の価値ありかもしれない。よく似ているが、伝ってくる霊応は飛叉弥とは別物だ。
「衛男――?」
「やっぱり彪将殿が追い込まれてるのか?」
「いやッ!」
衛男は左手を挙げて、少し先でホバリングしている同胞らに言った。
「違う意味でヤバそうだから、ちょっと観戦してくるっ! 先に行っててくれ!」
引き止められる前に空を蹴った。背にした同胞らの姿が、一瞬で遠のいた。
皆、砂漠圏の商人のような格好で、背に大翼、手に装飾的な長槍を持っている。
“陵鳥神族” という。
雲上雲下で、世界が善と悪に分けられていた神代崩壊以前、その務めは “魂の送迎” であった。
祖先は貴神の移動手段であり、護衛のようなことをしていた戦士だったが、龍王の乱心が引き起こした神代崩壊後は、 “死者の弔いと墓守” が平時の務めになった。
千年大戦を経て、沢山の天兵が犠牲となり、龍王も、元祖世界樹の夜覇王樹神も散華した。
天地が交わり、常若の世が消失したこの世界で、新たに必要になった務め――、それが “善悪の判別” “裁き” “弔い” の三つ。
陵鳥神は破軍星神府の鉄槌神に属し、主に弔いを担ってきたのだが、花人と同様、世界を股にかけ、代理戦争に興じることがある。
骸を食らいに現れる悪魔と恐れられていた時代もあり、内部分裂も幾度か起こった。花人とは、かなり近い足跡を刻んできているのだ。
「死人が出てなきゃ、僕なんてお呼びじゃないだろうからなぁ~……。う~ん、怒られるかなぁ。いや、死人が出てればいいわけで……。いやぁ~」
いけない、いけない。つい、不謹慎な思考を巡らせてしまう。
華瓊楽が各地で復興に追われてきたこの七年間、飛叉弥は己に対しても、すさまじく鬼だった。
本来の務めを疎かにしてまで来るな、と怒られて以来、正式な任務以外では顔を合わせづらくなってしまった。
売り言葉に買い言葉で、「じゃあ、死んだら呼んで下さい。僕が迎えに来ます」と言ったら、「おう。当分必要ない」と返された。
これでは本当に、ご臨終の際でなければ、会えないままになってしまう……。
「でもぉ、会うとなると覊流がいい顔しないしなぁ~……、彪将殿も白黒はっきりしない時あるしぃ~、居合わせるタイミング間違えられないしぃ~……」
鉄槌神と言っても、振り下ろすのは多くが金槌ではなく、みな、各々のやり方で得物も様々。ちなみに、空から落とすこの長槍の破壊力は、地形をも変える。素手でやりあうケンカ程度の諍いだと逆に厄介で、衛男の拳は餡麺麭と一緒だ。あの二人の殴り合いを止めに入ろうものなら、たぶん秒で死…
「おおおおっッ! そおだっ! なにも相手が彪将殿である必要はない! 僕は “新救世主殿” に会いに行くッ。彼との方が絶対に気が合うはずッ!」
内輪もめ嫌い。仲良くしよっ、みんな。
「いざッ! 平和主義者の苦労を分かち合いにぃ~!」
この時、積極的に路盧へ向かい、到着を楽しみにしていたのは、間違いなく衛男だけだった。
途中の道で止められている商人も旅人も、止めている邏衛兵も、蟄仙洞の入り口に詰めかけた周辺の村人たちも皆、足を震わせていた。
当然だ。路盧の方角から伝わってくる “神威” は、そこが一種の神域――、人間ごときが不用意には立ち入れない、一級の戦場と化していることを示している。
――――【 春秋の宵 】――――
「天つ柱の吼える番神……」
巨大蛞茄蝓は、当初の半分――丘陵程度の大きさになっていた。天網樹に飛びついた上半分ではなく、こちらに司令塔部分が残っているかもしれない可能性を考えると、やはり全てを “天網樹” に引き寄せるか、別々にでも殲滅する必要があるだろう。
皐月は回し蹴りのような舞いを一つ、逆風に似たあり得ないほどの空気抵抗を受け、足が軋むのを強いて決める。
「 “望天吼” 」
スパンッ、と。神代巨鬼が振るった太刀風並の風削が、盤猛鬼人――父の両脇を吹っ飛んで行った。
父はしかし、振り返りもしなけば、驚嘆もしていない。
望天吼という風霊技――、見たのは久しぶりだが、知ってはいる。
本物の神代の生き残りか、それに相当する純血の末裔でなければ、並の鍛錬なしには放てない大技だ。
空に向ければ、放ったとほぼ同時に雲を真っ二つにして見せる。
ゆえに、回避することはほぼ不可能。できるなら、近くにいる仲間は一旦静止し、余韻が収まってから戦闘を再開する方が無難であるという――
「乱」
化け蛞茄蝓に当たる直前で、望天吼が細かく分裂した。
さいの目切りにされた寒天状の巨体が崩落する。
《 地突ッ、星落…ッ! 》
父がすかさず言い放つ。頭上に浮遊させていた岩石を、角切り蛞茄蝓目掛けて打ち込みまくる。
「大星落 」
皐月が続く。軌道が逸れた望天吼の一撃が、とりわけ高い石柱の天辺を切り飛ばしていた。それを人差し指と中指で指し示し、今度は腕が軋むのを強いて、振り下ろす。
「刹」
父が落とし途中だった岩石に、凄まじい落下速度で追いついたそれが衝突。
《 ぅお…ッ!! 》
巌の鎧をまとっている父も、その衝撃波には思わず伏せた。
《 飛叉弥あぁぁッ、正気か貴様ッ。もう少し加減しろおおッ! 》
飛叉弥じゃないが、もう面倒くさいので無視。やっぱりこのまま飛叉弥だってことにして、何をどう木っ端微塵にしようと、全部あいつのせいにしてやろうか。いつまで一服しているつもりか知らないが、出てこないし――。
皐月はそんな魂胆を胸に秘め、常温放置した水のように温度感のないいつもの声で言い返す。
「事前にフィールドは用意した。ここ一体にある石柱群、全部好きに使っていいから、今はやりたいようにやらせてくれ。これでも加減の仕方をつかもうとしてるところだか…」
《 なにぃぃいいーッ? 遠くてよく聞… 》
いいやもう。
さて――、蛞茄蝓は死んだだろうか。今の拳骨の連打で司令塔部分を潰せていれば、合体したり分裂したり、攻撃形態になることはもう無いはず。
あとは無抵抗なただの木食い虫として駆除するだけになるが、どうもまだ油断できそうにない。
振り返らなくても分かる。背後の天網樹に群がっている雑魚どもの、まぁ、食欲旺盛なこと。それはもう “月花の甘露” を貪っているかのようだ。
当然である。
皐月は意識を再び前方に向ける。東の空は澄んだ紺色に染まり、直に月が昇る。
背中側から髪をそよがせる風に、濃密な甘い香りが混ざりはじめていた。
おそらく金木犀の花が満開になっている。だが、天網樹は黄金の実もつけている。これはおそらく、鈴なりの柿。
そして、赤や金の星屑を降らせている――。
× × ×
「紅葉……? いや、楓の葉か?」
「違う、お星さまだよ…っ! 宝石みたいな!」
「じゃあ、あの緑色に発光してるのは……、みんな碧玉の管玉かっ!?」
違う――。
「金の蛮桃が生りてるよ母さんッ!」
違う。平たい桃――蛮桃に見えているそれは柿。碧玉の連なりに見え始めたのは、ただ見上げ切れないほどデカくなっただけの青竹だ。
しかし、人間の目には、その樹冠が見事な桃色に染まって見えているらしい。
「花見も同時に楽しめるなんて…! 俺たちは一体どうしちまったんだ!?」
「七宝樹に囲まれてる…っ。ここはもうあの世なのかっッ!?」
違う――。
路盧城郭内の人々は、蟄仙洞から呆然と歩み出てきていた。恐怖よりも怪しさ、怪しさよりも信じられないほど美しい夢の光景を目にしている興奮が勝って、わらわらと街道に出てきては、天を食い入るように見渡す。
「嘘だろ……? 桃の花が」
「壽星桃の花が満開じゃないかぁっ!! 万歳ぃいいい…っッ!」
「壽星桃が……っ、天壇の壽星桃が生き返ったんだああぁ…っ!!」
子供も大人も天を見上げ、両袖を広げて、くるくると舞う。
秋であることも忘れて。晩春の花天月地に遊ぶ天人にでもなった気分で、全身に薄紅色の飛花を浴びる
夢を見ている。
――実際には、毒々しい紫紺の蛞蝓と巨大な蝗が、目を覆いたくなるほど大量にへばりついて蠢いている空間だ。そこに閉じ込められている状況とも知らず。
「恐ろしいの……、この国の新救世主殿は」
もっとも、一番狂喜している愚か者は、完全な盲目となった蛞蝓と蝗たちだが。
燦寿はつい本音を呟いた。
梨琥は何も返せなかった。聞いていなかった。
七年前――飛蓮が暴動を治めるために召喚した天網樹とは違う。
薄紅色の霞を羽衣のようにまとった、怖いほど幻想的なこれが、その本性を現し、次に牙を剥く時―――
おそらくここは一瞬で、地獄に変わる。
〔 読み解き案内人の呟き 〕
【 望天吼 】
竜生九子の一種という説がある。
獅子に似た姿で神殿の柱などの上で吠え、
天意・民意の交信と監視を司る。
朝天吼、蹬龍とも。




