◍ 桃李の都と城隍神 城門に謎の仕掛け?
崖道を下り、折り返してさらに下り、盆地の一番外側にある森や耕作地をせっせと越え、城壁に突き当たるまでひたすら歩き……。
やっと今、交通の集約地点にたどり着いた。
目の前の往来は、さながら巣穴近くでフル活動中の蟻。
養鶏を運んでいるのか、左手から来た荷車からは羽が撒き散らされ、右手から来た三輪車からは、沢山の竹籠が、今にもこぼれ落ちそうになっている。
行き交う馬車は天蓋ベッドのような見た目で、貴人を乗せているのか、御者の品も良く、軽快に弾んでいる。
城門付近の喧騒と混沌は、立ち入ることが躊躇われるほど。
荷崩れを起こした大道芸人の一団と、巻き沿いを食ったらしい隊商の物資が路肩にあふれ返り、交通を妨げている。
大都会への入り口を目の当たりにした皐月は、感嘆した。
「なに……、これ」
凸の字型に突き出ている城壁上に、さらに重層の高殿が築かれており、赤紫の軍旗のようなものが各所になびいている。
「李彌殷城の南門にして、最大の鐘楼――奎成楼です」
足元で答え、ブルーは得意げに口端をつり上げた。
「桃の花が咲き乱れる春に、ここから眺め下ろす景色は、また格別ですよ? “桃李もの言わざれども下自ら蹊を成す” ――てね」
桃や李は何も言わないが、花や実を求めて人が多く集まるため、その下には自然に道ができる。同じように、徳望のある人物のところへは、手招かなくても人が集まるということの譬えだが、名花にしろ偉人にしろ、文化発展の要所には欠かせない。
この王都ならではの華麗な交流を求め、踏み固められてきた道の上を、自分たちは今悠々と歩き、京城内へ入ろうとしている。
「昔は入城するにも手形の提示や時間制限がありやしてね、今でこそ京城壁の外側にまで街が広がっていやすが、元来の正式な居住区は、このレンガ造りの京城壁に囲われた内側にあたりやす」
「野宿は相変わらずお勧めできないけど、国内の治安情勢は、比較的安定してると思っていいの――?」
「まぁ~…、城郭には、食糧や軍備の確保以外に、自然災害を防ぐ役割もあるんで、華瓊楽では守り神同然。それなりに平和でも、人間たちの信仰対象としては現役ってわけでぇ……、やっぱり城内の方が安全には違いないかとぉ~…」
妙に鋭いと感じる皐月の視線を、ブルーは引きつり気味の笑みでやり過ごす。
つと、光の差す隧道の向こうから馬のいななきが聞こえてきたかと思うと、正面に三頭の馬が現れた。
通称 “警軍” と呼ばれる武官たちがまたがっている。急行しなければならない事件が発生したのか、通常よりも武装した姿で、鞭を入れながら駆け抜けていった。
すれ違った農夫と驢馬のゆったりした足取りが対照的で、目に止まった。
驢馬が担う麻袋の上には、薄汚れたシャツを着た少年がまたがっていて、彼は城壁を貫通している巨大な隧道の入り口に差しかかると、頭上を仰いだ。
垂直に見上げるほどの大きな枝垂れ柳が、彼の気を惹くようにサワサワと揺れている――……。
「あ…、ああ! そうだ! あの大柳が一種の目印なんですが、南門は “凌能門” と言う装置を兼ねていやす」
「装置…?」
「へい」
ブルーはあらためて意気揚々と踏みだし、付いてくる皐月に続けた。
隧道の向こうから吹き込んでくる風は少し生ぬるいが、嵐のあとの晴れ間に吹きわたる野風の如く、新鮮で瑞々しい――……。
「城門は全部で十二ありやすが、平時は守衛が突っ立ってるだけ。ただ、ある特殊な災害時になると、城内はこの凌能門の機能でもって、あっしらが今歩いてきた土地とは別物になるんで」
城門の内側に入っても、皐月にはその意味が分からないようだった。
ピンクはそうだとひらめき、彼の肩から飛び降て走り出す。
一方のブルーは、観光ガイドを忠実に演じ続ける。行く手には、同じ規模の城門が、もう一つ待ちかまえている。
「ここはまだ、攻め込んでくる敵を一網打尽にする甕城のような空間なんで、正確には、二つ目の門からが京城内になりやす」
「ほら見て~! 旦那~!」
ピンクが『凌能門』と扁額がかかっている真下で声を上げた。
「あそこに、 “魁花” って書かれた呪符が貼り付けてあるでしょ――?」
皐月は頭上を指さすピンクの横にきて目を凝らした。
確かに開口部の天井に、呪符らしき紙が貼ってあるものの、一般的な字体にしては複雑だ。かなり図案化されている。
「この国の字……?」
皐月が怪訝がると踏んでいたピンクは即答した。
「いえ、一種の呪文みたいなものでやんす。これだけじゃ発動しないらしいんですが――」
実はさっきの大柳にも貼り付けられていて、華瓊楽の各都市には、形態や規模に多少の差異はあれど、同じような役割を果たす呪物が至る所に併置されている。
「主に城隍神廟と言うところです。この大通りの先にあるんですが、ちなみに今突っ切ってきた森も、一種の “防壁” なんスよ?」
ピンクはにこっと笑いかけた。
華瓊楽の人家が集まる所には、古くからお堀や城壁を守り神とする信仰があり、本格的に崇められるようになって以降、その神は京城内のすべてを管理監督する “行政官” のような性格に変わった。
人間たちの善悪を偵察し、賞罰を与える正義の化身―――。
「元は農耕神なんですが、街中にいる “あの世の閻魔様” とでも言いますか~……」
地方の城郭においても、迷える人々の拠り所となっており、異国由来の神や呪物が寄せ集められる、多目的な場所でもあるのだ。
「ふうん――……」
今ひとつ感心している風情が伝わってこない相槌だが、ピンクはそんなことなど、毛ほども気にしていない。どこを見ても絵になる街並み、右も左も客足の絶えない繁盛店、それぞれの目的で行きかう旅人。その中にあって浮かれている。
嬉しそうに駆けていくピンクの後に踏みだした皐月は、反面、ブルーに言わせると真摯な顔つきであった。
都のいたる所に点在するという呪符は、独自に施された特殊なバリケード機能を発揮するものだ。
城郭は一定間隔で設けられている監視塔への連絡路でもあるため、都をかなりの高さで巡っている。
このような趣の城郭都市は、諸侯や王が支配する本拠であり、年貢穀物の貯蔵庫として、元来、軍事防衛に適しているが、そんな防壁としての効力をただの森までもが果たすとは、少々解せない話だと気づいたか――……?
皐月はブルーの予想通り、観光と言うよりも調査に来たように辺りを散策しはじめた。
行く手には、周囲の建物より倍高い鐘楼が見える。そこに至るまでの間に、瓦屋根を備えた装飾的な牌楼がいくつも設けられていて、一種の標識になっているのが分かる。
京城内に入ってすぐのエリアは、旅人を休ませるための宿場町になっており、盛んに客引きがされている。
砂漠圏の装いをしている異邦人ともすれ違うが、都民の一般的な着衣は、質素な筒袖や着物の類が多い。
子どものはしゃぎ声がした路地を覗けば、古き良き風景。レンガ造りの建物の軒先で、お茶を片手に囲碁を打っている老人の姿なども見られる。
別の道に出たところで、皐月の足が止まった。
そこは一段と人通りが多く、ガヤガヤと賑わっていた。天秤棒で野菜類を運ぶ、城外の村人たちが行き来している様子だ。
一階部分が商店になった重層の建物が立ち並んでいる。近くの店先からは、食欲をそそる甘辛い香りを含んだ蒸し物の湯気が漂ってくる。
穀物屋の店主は手際よく客の相手しているが、干物売りの老婆は暇そうに、膝上の三毛猫を撫でていたり……。
活気とのん気が絶妙に共存していて、少し笑える――。
視線を注ぎながら左右の店の間を進んでいくと、正面に赤レンガ造りの反橋が見えてきた。
柳の枝がしだれる水路を流れてきて、橋脚の下をゆっくりと潜り抜ける小舟を横目に、皐月は欄干沿いを歩いて行った。
だが、橋を渡り切る前にふと立ち止った。
「ピンク」
欄干から下をのぞき、器用にすれ違う荷船を眺めていたピンクは、ひょこっと耳を立てた。
「はい?」
「あれは――?」
水路沿いの露店商人だ。地べたに座って客と取引をしている彼らは物静かで、神獣を模した置物や、発明品のようなよく分からない道具、籠に入れた鳥類など、雑多なものを売っている。
その並びに、手元の妙な物体と睨めっこをしている職人風の男がいる。
ピンクは皐月の右肩に飛び移ると、何について問われているのか理解した様子で「ああ」と笑った。
「あれは、李彌殷で有名な工芸品でやんす」
「瓢箪?」
「ピンポ~ン! 中に水とかお酒とかを入れて、持ち歩くやつっスよ?」
男は瓢箪に筆で色をつけていた。彼の作品なのだろう。ペイントされた色とりどりのそれらが、膝元に整列している。
確かに見慣れない景色ばかりだろうが、人々の日常は、皐月にとって少し古い異国情緒を感じる程度なのだろう。脇道の怪しい雰囲気も含め、まさに夢の中のように感じているに違いない。
しばらく秩序のない往来に立ち続けた。各店から飛び交う売り声が混ざり合い、人酔いしてきたのか、やや具合が悪そうな顔になってきている。
そういえば、都には食事をさせると言って連れてきたのだった。
ブルーが思い出したタイミングで、皐月からもため息が漏れた。
「なぁ、お前ら、美味い飯をおごってくれるって話だけど、本当に…」
どくん――…
 




