◍ 天の柱囲
見開き気味の紫眼の中の光彩が、七色に爛々としている。
翻した刀の柄を逆手に持ち替え、見据えている足元の一点を目がけ、放す。
「立成―――」
この刀の銘は “闇刀黎現一条” ―――本来の自分が佩いている得物とは別に、個人の宝物庫に収めていた。
一種のお守りのような意味合いで貰った代物のため、あまり人目にさらしたことは無い。
肉体は「皐月」となった今も、宝物庫の鍵になっている “血” がかつてと同じお陰で、変化と同時に召喚することが出来た。
本当は顔を隠すための面と手甲も装備するべきだが、それは契約をした “ある特殊な生き物” の外皮と爪の転現。本人同士の許諾の下でしか身に付けることができない、いわば特有の武装だ。
あくまで死んだと噂されているはずの人間が、化けて出たか、狐狸の変化と受け取られる程度ならともかく、あからさまに本人であることを証明する出で立ちで現れるのも、如何なものかという現状。
身内だからこそ、まだ、自分が生きていることを知らせたくない相手もいる。
もっとも、この路盧県城の命運を預かっている時点で、敵の中には確信を得ている奴もいるだろうが―――。
「大現形――天突天網樹」
皐月は声色を一段と低くした。
「 “天の柱囲” ――――」
× × ×
「な…っ!?」
菊羽、梨琥、燦寿、礼寧、雅委、護坤、慧珂――
全員が息を呑んだ。
× × ×
「皐月ぃぃいいいーーー…ッッ!!」
その瞬間、萌神荘ではひいなが泣き叫んでいた。
寄り添っている逸人はびっくりして、何がなんだか分からずに戸惑ったが、独特の地鳴りがしてきたことで察しがついた智津香は、窓を開け放って舌打ちした。
東の空に、七年前と同じものを見たのだ。
× × ×
「ウソだろ…っ!?」
萌神荘近くの森。
一番高い木に駆け上がった青丸も、それを目にして絶句した。
うんしょ、うんしょと、ようやくよじ登ってきた蕣は、小脇に青紫の花束を抱えている。竜胆である。
皐月が風邪で倒れたことも、彼を巡って、啓と嘉壱が言い争いになったことも、その後の不穏な流れも、すべて庭の茂みから盗み見ていたため知っている。
まったくもって、我れがご主人様は言うこと成すこと、周囲が呆気にとられることばかり。いきなり勝手な真似をするから、振り回される嘉壱がキレたり、啓が気に食わないと思うのも無理はない。
一見自分本位なようだが、先を読んで、色々なことを考え合わせて、最良の言動を取っているのだろうという青丸の分析は、蕣にはよく分からなかった。
青丸が正しいとすれば、皐月は計算した上で他人を怒らせ、反感を買っていることになってしまうからだ。
わざわざ嫌われるような真似をして、仲間外れにされたがるなんて、変り者過ぎる。そんな計算になんの意味がある?
というか――……、どんな気持ちなのだろう。
蕣は心の視界がモヤモヤしたまま、東の方角を見晴らした。柄にもなく小難し考え事をしながらであったためか、その異様な光景をすぐには理解できなかった。
「ぬなな…ッっ!?」
今ようやく目を剥いた。と同時に、体毛が青丸のように青ざめるかもしれない勢いで、血の気が引いていくのが分かった。
皐月のために摘んだ竜胆を、蕣はごっそり落としてしまった。
実は、抜き足差し足、萌神荘に出入りしている青丸と蕣は、飛叉弥が黙認してくれるようになったここ数か月で、玉百合姫にも認めてもらい、かわいがられている。
先日、彼女の居室に生けられていた花が竜胆だった。
他の花がみな、霜にやられて枯れてしまう秋の野に、竜胆はそれでも咲き続ける。薬になることから、病にも負けないという意味で、花言葉が “勝利” なのだと教わった。それを――
× × ×
「玉百合様――……」
歩み寄ってきた五十鈴が傍らで腰を下ろし、寄り添ってきた。
祭壇風に設えた床の間の前――。自覚はなかったが、険しい顔をしていたのだろう。玉百合は見つめていた竹筒の竜胆から目をそらし、五十鈴に自嘲めいた笑みを返していた。
「分かっています。皐月と飛叉弥なら、きっと大丈夫――……」
彼らはこれ以上ないほどの玉樹。
金枝玉葉の “天柱地維” なのだから――。
――――【 城隍神 】――――
鐘楼から左右の城壁伝いに、地雷のような爆発の連鎖反応が起こっていく。
弾丸の雨となって襲いかかろうとした大量の蛞茄蝓を阻むそれは、疾風の速度で駆け抜け、花火の勢いで伸び上がり、天まで達するかと思いきや、上空で湾曲した。龍の如くうねる巨大樹の幹だ。
城壁よりも遥かに高い。――高い。その梢の行方を見上げ続けた路盧兵士の中には、思わず尻もちをつく者もあった。
「な…、なんという……っ」
恐ろしい光景。
南側一辺だけではない。南から東、西、そして、最終的は北側にまで噴き出した。巨大樹の防壁は最大限にそそり立った津波の様相から一転、城郭内にいる者たちの頭上を覆う、半円球の天幕へと変貌していく。
「結べ――。天つ柱の吼える番神……」
皐月は前方に残っている火の海と蛞茄蝓の半身を睨み据えたまま、低く命じる。そのまま別の詠唱をはじめた。こちらを一瞥もしない彼の姿が、青々と茂っていく樹木の壁の向こうに塞がれて見えなくなっていく。
「皐月…っッ!!」
叫ぶ燦寿を梨琥が引き戻す。
「危ないッ!」
樹冠を突き破ってきた蛞茄蝓数体が、ボドボドッ! と降ってくる。多くは密になっていく枝葉の編み目に阻まれ、侵入し損なっているようだが、突破してくるものもあるようだ。
「燦寿さま、今のうちに退避しましょう…ッ!」
「しかし…っ」
「大丈夫です。見て下さい」
梨琥は燦寿を説得するため、まずは自分が冷静になる必要性に気づいた。地面を這うそいつらをじっと見つめる。
梨琥の真剣な横顔から視線を移した燦寿は、感嘆を漏らした。
「これは……」
侵入を果たしたというのに、その蛞茄蝓たちまでもが、自ら城郭の外を目指して行く。城壁沿いの巨大樹の壁へ向かっている。化け蝗たちもだ。
「おそらく、外側でも同じことが起きています」
× × ×
欽厖は城郭前の連山防壁の陰にかがんでいた。
蛞茄蝓まみれになることを回避しながら、背後に巨樹の壁がそそり立ったのを見て目を輝かせる。
「おお…! すごい。黒飛叉弥、やるぅ! よし、欽厖もッ――」
黒飛叉弥に頼まれたことがもう一つ残っている。立ち上がった欽厖はぐるんぐるんと振り回した棍棒を、足元に叩きつけた。
「 “夢の淵狩り” …ッ!!」
桜色をした怪しげな瓦斯が、地面の割れ目から立ち上り始めた。
金粉混じりで、目がチカチカするほどきらめいている。
妓女が焚きしめる香のような――、綿菓子のような甘い匂いもする。
ようやく飛んで戻ってきた菊羽は、吸ったらヤバいと直感し、鼻と口を肩で押さえた。
「金髪ッ!」
一生懸命羽ばたいて瓦斯を寄せ付けないようにしていた央嵐と一緒に、呼びかけてきた欽厖を見下ろす。
「俺かっ!?」
「盤猛鬼人の幻術、幻惑地帯造る術ッ! 風でこの瓦斯吹き上ろッ! 天網樹の上まで――! 加減を間違えるなッ!?」
お安い御用だが、なぜ――と解せない顔をした菊羽だったが、数泊して路盧をすっぽりと覆ったこの巨大樹のドームが、ただの防壁として召喚されたわけではないことに気づいた。
「そういうことか…ッ! よしッ!!」




