◍ 夜明珠の瞳。つまり彼は…?
《 ォオオオオオオオオぉぉ―――――――……ッッっ!!! 》
巨大化け亀――父が大口を開けて、地鳴りを伴う咆哮を上げる。
その左半身に突き刺さった無数の氷柱が、一斉に砕け散った。
こんなものは効かない、と言うように全身を振って身構えなおす。
吼えなければ、草木、苔、藻まで生やした川辺の巨岩にしか見えない。これは土鬼が使える変化の姿の一つだ。四つん這いの全身が迷彩色の毛皮で覆われているようなものなので、介蟲の亀というより、毛蟲と表するべきかもしれない。
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「大丈夫か、飛叉弥」
李彌殷の南東地点に潜んでいた父は、無駄に人間の住処を踏み潰さないよう、現在地を確認しつつ、地中に浸透しては突き出し、浸透しては突き出し。
後を追ってきた自分は、八十跳びめの着地でようやく見参できた。てっきり驚かれると思っていた青年巨鬼――欽厖は、呼びかけても、男からなんの反応もないことを訝しんだ。
肩越しに見た限り、鐘楼上に佇んでいる様子に変わりはない。無事なら別に構わないのだが、飛叉弥なら、突然の派手すぎる再会でも喜んでくれると思っていた。
まさか、忘れられてしまったのか? ――いや、もしや……
飛叉弥ではないのか。
男がそよがせている長い髪は見事な漆色で、ほぼ直毛。武装状態の彼は、確か本来の白髪に変化したはず。
しばらく見ない間に、若干、線が細くなったようにも感じる。構えている武器も片刃の東扶桑式という点は同じだが、直刀に近く、柄頭に環状の装飾がある。飛叉弥の得物ではない。
「飛叉弥……?」
「俺は飛叉弥じゃないよ」
「?」
そう言われても、他の誰とも思えないほど、ぱっと見はよく似ている。
欽厖はちゃんと確かめようと体を向き合わせ、太い人差し指を立てた。
いち、にぃ、さん、と男の身の丈をそれで測り、「確かに少し小さい……」と悲しい顔をして見せた。
「でもお前、人間と違う。花人なんだろう―――?」
「――…………」
男はだいぶ間を置いたが、伏せ気味だった顔を上げ切ると、その眼差しをたくましいと感じさせるほど強くしていた。
「ああ――」
なにやら覚悟したようだ。声にまで芯が通っている。
黒布で下半顔を隠した様子は鴉。――だが、横髪がなびく左目じりに、滅紫色の華痣がのぞいており、艶やかな雰囲気もある。
体のどこから始まって、どれほどの範囲に及んでいるのか、花相の全容は如何せん露出が少ないため分からない。
左耳に日食を模したような金銀装飾を垂らし、丈の長い衣をまとっている。軍服に似た意匠で、おそらく、彼らが “梟者” と呼んでいる狩人としての格好だと思う。
ただし、よく知られている夜深藍ではなく、漆黒を基調とした特殊な印象のものだ。なびく裾の内に、黒い褲と軍靴をはいており、弾帯のような腰帯には、匕首が装備されていた。
高官の風格を漂わせているにしては、若すぎる点がやや妙だが、瞳の色は紛れもなく、萼に由来する “神孫” であることを示している。
造世神霊の紫眼。―――いや…
「 “夜明珠の色” ……」
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欽厖は見なかったことにする方が身のためと心得ているらしい。得心がいったように呟くと、目をそらして前に向き直った。
男は欽厖の出現で、思わぬ収穫を得た。一時的とはいえ、きちんと “それに見える七彩目” を取り戻せていると分かったことだ。
異色の瞳も、華痣も、すべて花人としてのルーツを示す特徴であるため、自分が “須藤皐月” である以上は、隠さなければならない――。
その手段は強力な何かで抑制するか、霊応を意図的に消耗するしかなく、南世界樹の養い手にされている今の状態でも、いざ戦闘となると加減が難しいのだ。
大部分の造力を凌能門の発動に注ぎながらであれば、変化も攻撃技の威力も、適度に抑えられると思った。結果としてはそうでもなく、化けの皮を剥ぎ過ぎた感が否めないが、まぁ、この七彩目が健在と分かったのだから、今回は良しとさせてもらおう。
偶察石―――またの名を、萼では “夜隠月石” という鉱石に例えられる瞳。闇に内包されたような色のこれは、いわば不完全な状態に過ぎず、七色の遊色を併せ持つ紫眼に変質させる者が現れることは、千年に一度、あるかないか。
*――……どうたのや。今日は一段と元気がないのぉ……
“その瞳” のことで、また何か言われたのか――?
神代の生き残りと言われる強力な霊応と純血――夜覇王樹神の脈持に加え、 “竜氏” でもあるという究極の器を磨き上げなければ、発現しない。良質のまま維持することも困難を極める。
竜氏とは、かの龍王の宿命を遂げるかもしれない才者だ。天地を結び、平定を司る反面、破壊をもたらす者。
それでも―――
*――この命ある限り、待っているよ……
男はかつて、自分の訪れを待ちわびてくれた “友” を思い出し、少し笑った。
「懐かしいな、――……盤猛鬼人」
欽厖が再びチラ見してきた。
「お前、欽厖と父のこと、知ってる――?」
「お前たちの仲間なら知ってる。幼い頃、よく遊んでもらったよ」
死神と忌み嫌われていた自分にとっては、涙が出そうなほどありがたいことだった。
男は伏し目がちに語る。
「手招きしてくれる理由なんてどうでもよかったから――……、そいつが誰だろうと、どんな悪だくみを秘めていようと」
だからこそ有難かったのだ。あの、温かく潤んだ榛色の瞳は本物。立派に育つよう支えてくれた、恩人の一人。
欽厖は聞いているうちに、なにか思い当たる気がしてきたらしい。
「飛叉弥、欽厖に、お前の話したことある、――かも? お前、飛叉弥、知ってる。なら飛叉弥、何処いるかも知ってる?」
「たぶんあの辺で埋もれてる」
男がくい、と顎で指し示したのは、欽厖が参上する際、最後の一歩の踏み切りにした地点だ。天然岩の防壁が一部崩れていた箇所で、跳躍するための踏み台にちょうど良かったのだろう。
「……。」
「大丈夫だよ。お前が来る直前に、敵にやられて元々埋もれてたから」
「……それ、結局大丈夫じゃないと思う。おかしい。飛叉弥、そんなに弱くなかった」
「欽厖だっけ? お前の記憶は正しい。そもそもあの二人、本気で殺り合うつもりがあるのか、俺も甚だ疑問なんだ」
「?」
「――なんでもない。知り合って早々悪いけど、ひとつ頼みがある欽厖。飛叉弥の奴を助けに来てくれたってことは、 “破軍星神府の傘下” なんだろ……? 実は少し前から、お前たちがここに向かってるのが視えてたんだ」
欽厖は首を傾げた。
盤猛鬼人が、世界秩序を担うその組織の鉄槌神に名を連ねてきたことは否定しないが、駆けつけることができたのは、元来、飛叉弥にすがりたいことがあって、会う機会を見計らっていたからだ。
目の前の化け物退治に関わるのだとすれば、一体、何をどうしろというのか――。
〔 読み解き案内人の呟き 〕
【 夜明珠 】
当作者の創作石ではない。
「よあけだま」と読ませたが、正確には「イェミンジュ」。
別名は複数あり、暗闇(夜)でも光る伝説の真珠と言われ、
古代、王族間で珍重された。
実在の天然石で言えば、フローライトに当たる。
和名は「蛍石」。
火で熱すると発光し、飛び散る。
蓄光するため、闇の中でも光るのが特徴。
“カラーチェンジフローライト”
(光の当たり方で、色が青から紫に変わる個体)は奇石。
グラデーションに富む世界有数のカラフルな石とされ、
色ごとに異なる力が宿っているという。
ひらめきを助け、悩みや迷いのある者を導く――のだとか……?




