◍ 花と火 越境の使者
*
花火が打ち上がっている――。
本当なら今頃、きれいと目を輝かせて、感動の絶頂にあったはずだが、ただ、打ち上がっているな。としか感じない。あいつがこの世界にいないから――……?
夏祭りの由来は、おおよそが蝗害や水害から守られるようにという、豊作祈願であるらしい。この楠生神社も例に漏れず、今年も無事に終了する。
華瓊楽はちょうど稲刈りの季節だと聞いた。
あっちのお祭りは、楽しいのかな。たくさん収穫できたかな。
私には関係ないか。
「一人で見る花火って、こんなにつまんないんだ……」
色がついた光が、弾け飛んでいるだけ。
鮮やかに咲いては散る儚さも、開くまでの期待も特にない。盛大な夏の音や、食欲をそそる香ばしい夜風より、音も香りもなく漂っている蛍の光を味わっていたい――。
楠生神社の隅にある池の畔で、茉都莉はどこか遠く感じる歓声を聞き流している。
今日は色々なことがあったのに、ろくなことは何一つ打ち明けられず、尋ねられもしないままだったな。
*――生憎、俺はお前みたいなタイプのお節介じゃないし、誰にすがられようと、何を拝まれようと、絶対に断れないほどのお人よしでもない。言うだけ言ってみればいいだろ……
なんのお願い――?
一緒にお祭りに行きたい――……。
ダメだと言われても仕方ないことだけ、ようよう口にした。自分でも子供みたいだと恥ずかしくなるほどの小声だったのに、皐月はちゃんと聞き取って、叶えてくれた。
でも、大満足とはかけ離れているこの気持ちは、なんだろう。
*――華瓊楽の地上は今、稲刈りの季節だよ。
空の高いところは寒いから、もう紅葉が彩ってる……
とても手が届くような高さには無いが、
代わりにちらちらと降ってくる―――。
「…… “世界樹” ……」
気が付くと、茉都莉はこの場の誰も興味がないだろうワードを呟いていた。
皐月はまだきっと、夢にも思っていない。私が “天梯” や “天柱地維” などと呼ばれるそれについて知ったこと。
連理の枝が見えるあの萌芽神社の御神木が、無関係ではないように思えて、不安で――
“見える者同士だということは、二人だけの秘密” ――……そう約束した日の会話を、今日ほど思い返したことはない。なのに、肝心な時、あいつは側にいない。何故、他人に知られてはならないのか、
“別れることになる”
どうしてかくらい、いつだって――……、訊けたのに。
「残念だったわね」
ふと、苦笑気味に話しかけられ、振り返ると、少し首を傾けた薫子が立っていた。
「皐月のことが、そんなに気になる――?」
茉都莉は即答できずにうつむく。
何故ここに――。薫子はこの上、自分から何を聞き出したいのか。
池の水面に揺らいでいる情けない顔を見つめ、考える。
皐月と同じように、これからのことについて釘を刺すつもりか――?
「――……私、どんなことでもいいから、知りたいと思ってきました。小さい頃の皐月は、今よりもっと無口で、なに見てるのか、よく分からない時があって……」
でも、悪い奴じゃないって分かったから。
だから、誰よりもよく分かってあげたいと思ってきた。そんな気持ちが、あいつにとっては鬱陶しかったり、正直、有難迷惑だったりしたのかな――……。
「なぁ~んて」
茉都莉は一番重く聞こえてしまいそうな部分だけ、努めて軽やかに笑い飛ばした。
昼間、梯梧の並木道で、神馬の練り歩きを共に見送った後、皐月は “もう時間がない” と。行かなければならないと歩き出しながら、別れ際、こんなふうに付け足した。
*――ああ、そうだ。一つだけ言っておくけど……
何も心配しなくていいから。何もしてくれなくていい。
ただ、……待っててくれれば、それで――……
「――……ふーん、なるほどね」
薫子はやや間をおいて、そんな感想を返した。
今の茉都莉にその言葉の機微を読み取る敏感さはなく、ただ、隣に腰を下ろされて、同情されているのだと感じた。
「花人のこととか、華瓊楽のこととか、危ない目に合わないかとか、色々知りたいけど……、なんか、皐月の顔見てたら、困らせちゃうだけな気がしてきて」
ただ、送り出すしかなかった。
「茉都莉ちゃん」
いきなり豊満な両胸に、ぎゅうぅ~~ッ! っとされて、茉都莉は薫子の顔が見えなくなった。
「エっ? ど、どうしたんですかっ? えええっ?」
なになにっ。なんか喜ばれてる? いや、慰めてくれてるのか。いやー……??
実は、どちらも正解であり、不正解だ。薫子は意を決した顔をしていた。
決めた。
「私が連れて行ってあげる!」
「んっ!?」
何処へ。
「茉都莉ちゃん、あなた、常葉臣になりなさい…!」
「ときわ……おみ……?」
特大の花火が上がって、お互いの顔を明るく見せる。なんだかよく分からないが、何故だか、きらきらと花火よりも煌めくものが視界を明るくした気がした。
薫子は一際大きい歓声が落ち着いてから続けた。
「 “会わせたい人” がいるの。きっとすぐ仲良くなれる。あなたと同じ悩みを抱えて歩むことになるはずだから」
「私……、関わっていいんですか? 花人に。これからも。ただの人間なんですよ?」
「そうね。それじゃあまず、茉都莉ちゃんには、龍王の話から知ってもらった方がいいかしら」
「龍王……?」
――――【 天地の “結霊使い” と功罪 】――――
薫子はうなずいて、夜咲きの白い睡蓮が浮かんでいる水面に視線を落とした。
「花人の歴史と切っても切れない関係にある、伝説の水神であり、 “越境” の象徴よ。昔々、龍王は天と地の境を守護していた。神々の中で唯一、雲下に暮らす人々との交流があった。夜明けを知らない常夜の地上を、燭をくわえて照らしまわったり、わずかだけど雨を降らせて水を恵んだり……」
史上最大の戦火と、大洪水も齎した。それは、悪行であって、善行であったとも言い伝えられている――。
「すべては、白か黒かしかない世界を変えるため。八雲によって隔てられていた天と地を統一するため……」
「そんな昔話が、あっちの世界にはあるんですか」
「 “世界” と言うより、イメージ的には土地ね。茉都莉ちゃんがよく知っている安全な土地と土地の間に、謎めいた古の土地が隠れているだけ。この世の地図は、どの国のものも正確じゃないの」
薫子は唐突に、「そうだ、私たちも花火しましょ」と、ジーンズの後ろポケットに突っ込んでいた小袋を引き抜いて見せてきた。
線香花火だ。茉都莉はぐいぐいと勧められるまま、その一本を摘み取った。
薫子が指先をこすると、わずかながら火の粉が出てきた。
「そういえば花人って――……、火も熾せるんですよね」
線香花火の先をそこに近づけながら、茉都莉はどこか弱々しく笑った。
久しく見ていないが、知っているという口ぶりだった。だが、楽しい思い出話が聞けるわけではない気がして、薫子は同調するように、静かに語り部を続ける。
「水と森が崇拝の対象なら、花人にとって炎は、はじまりと戒めの象徴……」
意外かもしれないが、水よりも連想されることが多い。現に、花人の起原説にも、凄まじい火の海が描かれる。
欲望と怒りと愚かさに呑まれた人間たちが、花神の楽園に火を放った。そこに眠る月花の甘露を独占するためだ。
ゆえに、焼き払われた花と同じ痣が身体に現れる一族を “火種花の血筋” と言う――。
「華冑王家を名乗っている者たちのことよ。私はその末裔であって、炎を扱うから、自分で言うのもなんだけど、けっこう怖がられてるの」
「……あっちで過ごしてる皐月は、どんな感じですか? 薫子さんは、どんな印象を抱きました?」
薫子は自分の膝に頬杖をついて目を据える。
「正直言って嫌な奴よ? 茉都莉ちゃんには悪いけどね、私はまだ、彼の第一印象を覆すほどのものを見ていない。よく分からないわ」
茉都莉は急に刺々しくなった薫子の態度から、皐月が彼女らに相当の拒絶反応を示したのだと察した。申し訳なくて苦笑いしか返せない。
「でも……」
「――?」
「知らないままでいたくないのよ。私も……」
闇から漂って来る香りだけを頼りに、今までずっと、手探りで探し求めてきた答えを――
「 “ある人の、死の真相” をつかみたいの。そのために使えそうなものは、なんでも味方に付けると決めた……」
薫子の声が意味深に低くなる。
彼女の真剣な瞳に吸い込まれそうな感覚を覚えているうちに、茉都莉の膝元で弾けていた線香花火が、これから起こる何かを象徴するように
ぽとり。――と落ちた。