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払雲花伝〈ある花人たちの物語〉【塵積版】  作者: 讀翁久乃
◆ ―――――― 終鐘 ◇ 明白 ――――――
153/194

◍ 生え替わる…? 苔と歯 




   ×     ×     ×




  ズズゥ…


 妙な重低音が聞こえた気がして、満帆は振りかえった。

 山端ににじむ青金色が眩しい。近頃、いや増して日が短くなった。

 肩越しに、しばらく見つめ続けてみたが、何もない。折り重なる山々の合間で、とんびが凧のように風に乗っているだけ。



「――どうした?」


「ううん。別になんでも。……ただ」


 首を横に振って、満帆は少し先に立ち止まっている彼らに走り寄った。


「本当に、私たち三人も都を離れちゃってよかったのかなぁ……って」


 不安げな顔をして隣に並んだ満帆を、柴が横目に見下ろす。


「なんだ。そのことなら仕方ないだろう。本当ならとっくに済ませてあるはずの調査だし、近場に集中しているとはいえ、手分けして複数のポイントを巡らなきゃならなかったんだ」


「それは、そうなんだけど……」


 歩き出しながら、満帆は口を尖らせた。爪先に出くわした小石を蹴飛ばす。


 そもそも、自分たちは二週間後にひかえている任務のため、一丸となってこのような出張調査を片付けていた。

 が、路盧ロノンでの蛞茄蝓カナム大増殖が途中で取りざたされ、人員を裂くことになった。

 ともすればただ駆除するだけに終わるかもしれんと、飛叉弥が都に近いそちらの件を担当することで、なんとか折り合いをつけたのだ。

 左蓮が関わっていた場合、少なくともそこに飛叉弥が居合わせていなければ、話しにならない。


「……まったくもぉ、こんな忙しい時に。薫子ったら、なんで帰ってこないんだろ」


 飛叉弥が欠けるよりはマシなのかもしれないが、お陰でこれが二度目の出張となった。今回は比較的、李彌殷リヴィアンに近いということもあり、渋々引き受けたが――……。




「あったぞ」


 ふいに立ち止まった背中に顔を見合わせて、柴と満帆は走り寄った。

 ここが最後のポイントだ。横に細長い洞穴の中に、一見清らかな水が、ぴちゃぽたと滴り落ちている。

 眼鏡のレンズの下で不快感をにじませるいさみに対し、柴も岩壁にへばりついている青苔を摘み取ると、眉をひそめた。


「……間違いない」


 三人は李彌殷から西に四里(十六キロ)を超えたところにある山間を訪れていた。


「……実は、第五外周地でこの前、井戸水の使用制限がされたらしくてな」


「それって……、あの逸人とかいう子が暮らしてる辺り?」


 満帆はいつにも増して、不穏な話の流れとなることを予感した。


「つい先日、物乞いの年寄りと男児一人の怪死が報告され、男児に暴行を受けたような皮下出血が見られたことから、念のため、台閣はケリゼアンの薬害を疑った。以前なら貧民を標的にしたよくある傷害事件で片づけただろうが、これではっきりした……」


 柴は持ち帰るため、さらに苔をむしり取る。岩肌がのぞいたそこを数泊見つめているうちに、奇妙な現象が起こる。苔が早くも生えそろった。


「この辺りはさらし野村すらない荒山だが、実は、知る人ぞ知る名水が手に入る。昔、口にした年寄りの歯が生え変わったなんていう信じられない噂があって、未だにここの水で薬草を煎じ、愛飲している者がいるそうだ。もっとも、それは、八年前に第五外周地への移住を強いられた甦臨ソリン県出身の住民に限られると聞いた」


「第五外周地の共同井戸や土壌に異常はない。犠牲者の共通点は、ここから水を持ち帰って飲んだこと」


 勇が結論を言う。男児はちょうど乳歯が抜けたばかりで、接触があった犠牲者の誰かから、すぐに歯が生えるなどと冗談半分、水を分け与えられたのだろう。


 これまで、いざす貝を含め、黒同舟に関連のありそうな事案が発生すると、自分たちは現地へ足を運んできた。

 臨時部署を設けてくれた奎王けいおうの側近――朝灘あさなだの協力の下、他機関・部隊との連携が図られ、朝灘はそれらしい案件に目を留めては、花連に調査権を与えてきてくれた。

 事の引き金になった花人(自分たち)を快く思わない者たちがいるためで、そんな部分の解消に努めてくれる彼からの信頼を裏切るような展開は、避けたいと思う。



 *――遅くとも、十月の半ばまでには出向けるよう図って欲しい……



 場所は史戴しだい郡、伏禧ふくれい県――、茶万チェマン村聚そんじゅ。 



 *―― “例の男” は黒同舟に属している可能性がある。

    今回のことが上手くいけば、もしかしたら

    捕らえられるかもしれない……



「実は……」


 と、漏らす柴の話は、これに別角度で関連している。


「今朝から壇里タリャン村周辺にも、断水の御触れが出されているんだ。用水路を含めてだから、長引けば農村には堪える。今頃、ひいなが心配して、理由を知らないか、萌神荘に聞き出そうとしに来ているかもしれない……」


 彼女は幼いが、病気がちな母親・千春チシュンが困ることがあれば、物怖じせず奔走する。引き止めたり、説得する間もないほど、行動に移すのが早い。

 過日の件で攫われ、人質に利用されて以来、危なっかしいと思っているが、この国の子どもは、大人が思っている以上にたくましくもある。

 柴は逸人とも触れ合っているため、最近はその実感が増している。躊躇いなど見せず、なんでもやるのだ。

 

「どの道、千春には近く、ケリゼアンについて打ち明けなければならないと思う。何せ、茶万チェマン村は……」


 曇った顔の柴が言わんとしていることを、勇は分かっている。採取した苔を、剣呑な面持ちで瓶詰めにする。


 満帆ももちろん、柴の話を聞いてはいた。だが、なんとなくさっきから、東の空が気になる。感じたことがない雷霊イカヅチの興奮。色めき立っているような――




  どすっ


 いきなり背中にぶつかってこられ、柴は肩越しに小首をかしげた。


「満帆?」


 返答はない。後ずさってきた格好のまま、満帆はその場にカクリとくずおれた。


 おもむろに上げられてゆく右手の指先を追って、彼女に倣い、東の空を仰いだ柴と勇に戦慄が走る。

 二羽の鳶が円を描きながら、降下して行く。その遥か彼方から、この胸を突いてくる感覚が一つ――、隔たりのない空を伝って


「……知ってる」


 まるで、血だまりが脈打つかのような。過去に一度、その力が解き放たれた際、味わったのと同じ……

 満帆は途端に泣き顔になって、頭を左右に振った。

 うそ、嘘だ。


  ドグン…


 大地から天に跳ね上がる、すさまじい大現形だいげんぎょうの波動が見えた。それは仲間の誰かが、命懸けの交戦を強いられたことを意味する。


「まさか…っ」


「飛叉弥……っッ!?」


 勇と柴は思わず駆け出した。






   ×     ×     ×






「ひいな……?」


 萌神荘でも空気が一変していた。突然、椅子から落ちかけた彼女を、逸人が支えた。

 智津香も急に立ち上がった。早足で蔵内に巡っている階段や梯子をいくつも上り、たどり着いた小さな両開き窓をぶち開ける。



「知ってる……」


 かすれ声を漏らした少女の唇が、わなわなと震え出した。

 嫌だ。やだ、やだよ…っ、お父さん――…っ。


 智津香は、顔中のシワを深くして舌打ちした。

 東の空に。


「皐月ぃぃいいいーーー…っッッ!!」


 ひいなはびくっとした逸人の前で、火が付いたように頬を紅潮させ、わんわんと泣き出した。




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