◍ その少年、広目につき。龍を従え悪を裁く者
「 “かの少年” の正体を明らかにして見せると仰いましたが……」
巨大蛞茄蝓の咆哮が轟いている。それが止むのを待って、黒同舟十悪の一、髑髏の宋愷は続けた。
「そもそも、自ら化けの皮を剥ぎ取ってくれるような相手ではないと思うのですよ。 “闇の花” というのは――」
今まさに話しかけている相手こそ、その類いだと思っている宋愷だが、いつも通り受け流されているため、遠慮なく話し続ける。
前回より大舞台にしなければ、 “須藤皐月” の素性に対し、確信を得るだけのものは拝めないだろう。半面、このようにあまりにも観客が多い舞台では、むしろ、二の足を踏ませてしまうのではないか。
自分が長年苦労して増産にこぎつけた魔薬・ケリゼアンを大量に消費することになった今回の路盧襲撃。失敗に終わった日には目も当てられない。
宋愷自身も、この後に一世一代と言える計画を控えているため、ダラダラと付き合ってもいられない。
手前にある小岩に腰掛け、小休止中の相手を斜に見下ろしているだけの相変わらずの現状に、ついため息がもれる。聞いているのかいないのか――。
「とにかく、研究成果の最大値を確かめられる展開にすること。それと、この私に、花人のずば抜けた産霊技を見せつけるのが条件だったこと、お忘れなくですよ? 左蓮さん」
再び上がる咆哮を聞きながら、左蓮は仕方なそうに口を開いた。
「相応の演者は用意してやった。目には目を、歯には歯と言うのを相手が承知していれば、いずれにせよ拝むことができるだろう。神代を象徴したとてつもない生命力を誇る化け物が、お前の夢と希望を膨らませる存在として、生き残っている証拠をな」
「宗主様の夢と希望でもあります。世界樹の養い手である天壇按主は、あなた方、夜覇王樹の民が歴史の闇に葬った、月花の甘露に匹敵する霊薬を保有している可能性がある……」
摂取したり、何らかの形で体内に取り込んでいれば、按主らの身体は、半ば不老不死の霊薬そのものと言えるのだ。
かの少年は前回の一件で、九天九地の引き合いを起こして見せた。天壇按主でないとしても、これが “各世界樹と一心同体に近い存在” であることを示す証拠なら、彼が何者なのか――
「 “誰の脈持” であるのか、見当を付けることは容易い。もう目星はついているのでしょう? 四か月前のこと以来、宗主様が生きたまま捕えたがっているのも分からないではありませんが――、果たして、その目的は、不死の研究をしてきた私と同じなのでしょうかねぇ」
わざとらしく不思議そうに言いながら、探りを入れてくる宋愷を鼻で笑い、左蓮は立ち上がった。
崖の先端まで進み出る。懐から取り出した青梅ほどの大きさの水晶玉に景色を映し込み、左目をつむった。
「神代に執着している者の考えになど、私は興味ない。なんにせよ現実離れしているからな。ただ、未来がどう動くかは、この目で確かめたいと思っている。どうやら相手も、一歩踏み出だす決心をしたようだ」
「?」
宋愷は胡散臭い左蓮を睨んだまま真横に歩み出て、譲られた雲母混じりのその水晶玉を片目でのぞく。
敵陣の様子をうかがうための遠見石である。質が良ければ、秀逸な西原製の望遠鏡より良く見えるという、これは紛れもない萼産出の一級品。
何が起ころうとしているのか分かった宋愷は、熟れた柘榴のような歯茎と歯を、にぃっと剥き出した。
「おやおや――。いつの間に現れたのでしょう、あの少年」
――――【 凌能門の発動者 】――――
「飛蓮さん…ッ!」
息も絶え絶えに知らされることなど、喜ばしいわけがない。
皐月は呼ばれた本人でもないため、眼前に広がる炎の海の向こうを見つめたまま振り向かない。
一体、どうするつもりやら――。彼との話を詰めたいところだが、とりあえず飛蓮は、走り寄ってきた兵士の報告を聞く。
「どうした」
「燦寿様が、路盧城郭の凌能門の発動に、思ったよりも時間がかかりそうだと…っ」
「ったく、これだから年寄りどもは当てにならん。立ち上げもろくにできんとは」
飛蓮は額を覆った。
八年前の砂漠化進行以来、どんな小さな街であっても、対抗できる力を持つ神仙を配置するよう促してきたが、豪族の山城規模で、重要な商業地にも当たらない路盧県城の守備力は最低限。実は按主は燦寿だけでなく、彼と同じような老いぼれが支えあい、ようやく神一柱分の務めを果たしている。
「我々が防ぎ切れていない蝗の化け物が、燦寿様たちを襲っているんです!」
「くそッ、こいつめ!」
空から蜂のように襲撃してくる巨大蝗が、こうしている間も火器衛兵らの体力を消耗させていく。
火炎放射器を振り回している若い彼らでさえ苦戦し、焦りの声を上げるのだから、燦寿らはあっぷあっぷ状態かもしれない。
それをなんとかしようと、菊羽が動いた。双剣を抜いて、回し蹴りのような素早い剣舞の型を一つ、そして、その勢いのまま右足の踵を地面に振り下ろす。
「出番だ、央嵐…ッ!」
近くにいた兵士らが、思わずたじろぐほどの爆風が起こった。
甲高い鳥獣の鳴き声が突き抜け、頭上を見上げると、大きな影が羽ばたきながら降りてきた。
縹色の細長い布を天衣のように漂わせていて、どこか神々しい姿だ。
鈍い金色の甲冑をまとった、日の光を弾く青い鷹。萼に君臨する驍騎将軍の一人、騎鵬大将軍が飼い慣らす冠拏鷹の雄だ――。
「へえ……」
皐月は肩越しに視線を注ぎ、感心したような一言を意味深に漏らした。
気づいていない菊羽は、愛鳥の央嵐に飛び乗って天衣の手綱を引く。
「目障りな羽虫どもを風渡伏で一掃してやれッ! お前がこの空を征するんだッ!」
返事はしないが、央嵐は菊羽が言い終わらないうちにホバリングから超高速飛行へ移った。化け蝗を追い回し始め、菊羽が放つ三倍の風刃で、目立っていた蝗雲を二分、三分割にし、雨のように死骸を降らせる。百人力とはこのこと。
菊羽はやっぱりすごい――……。梨琥は今でこそ冷静にそう思うだけだが、彼と知り合った当初は、羨望さえ抱いた。
央嵐は元来、菊嶋前当主の愛鳥だったと聞いている。代々菊家の長を輩出してきた菊嶋の後継ぎ候補に、葎生まれが食い込んだだけでも大注目されたものだが、形見分けのような恩寵を得た当時の箔の付き方は半端なかった。
対黒同舟花連結成までの紆余曲折を思い出しているうちに、梨琥にも再び闘志が湧いてきた。
「凌能門が発動できない可能性があるなら、僕は城廓と城内の蟄仙洞を増強しに行く…! いいだろ!? 飛蓮!」
菊羽のように戦闘能力が高いわけでないなら、常に最悪の事態を想定して、自分に出来ることをするしかない。
梨琥の強い眼差しに、飛蓮は「どうせなら、お前が最後の砦になるつもりで行け」と答えた。
梨琥はうなずいて走り出した。
「ちなみに――、この連山防壁は誰が?」
皐月はさりげなく飛蓮に視線を流した。
「俺じゃないって答えを期待してるのか?」
飛蓮は自嘲気味に鼻で笑う。
「そうさ、梨琥の奴が一人で築き上げた。あれでいて喜梨当主のイチオシだからな。たった七人で持ちこたえて来た部隊の一員なだけあるだろう。お前はどうする」
皐月にはさきほどからずっと、気になっている所がある。
「とりあえず、二時の方角に見えるあの山に、一発見舞ってやろうかな……、お前さえ良ければだけど」
「――……」
飛蓮は少し間を置いて、煙草を指に挟んでいる右手をゆっくりと口に持っていった。一考したが、結局何も言わない。看過する姿勢を示した。
× × ×
「来るぞ」
「はっ?」
左蓮を振り向き、宋愷は慌ててもう一度、遠見石をのぞいた。
「…っ!?」
皐月がいつの間にか顔を正面に――こちらに向けていた。その口端が、フ、とつり上がったのを見た瞬間、宋愷はあごを落とし、目をむき出した。
「ぬぁ…っッ!!!」
そんな馬鹿な。天を振り仰ぐと、日雷が落ちてくる気配がした。
咄嗟に近くの岩陰に飛び込んだ刹那、
「疾ッ!!」
左蓮が突出させた大波のような土壁が、頭上を覆った。
閃光はほんの一瞬。
ズドンッ!! と踏み抜かんとしてきた衝撃も恐ろしかったが、落雷から数泊後、宋愷の肝はさらに縮み上がった。
雲上に棲む巨鬼が、大岩並みに大きい社殿の鈴を引きずって歩いている――。そんな心象をもたらす音が、空で轟いている。
ただの落雷の余韻に、神代の情景が思い浮かぶなんて初めてだ。遠ざかっていくまでは、ひたすら平伏したまま震えているしかない。
「まま…っ、まさかこの距離で…っ!? 裸眼にもかかわらず我々の姿を捉えたというのか、あの少年…!!」
夜叉が長けているのは、暗視だけではないのか。
「あいつは “広目” ―――未来をも見通す目を持っている、龍王と同じ、千里眼の覚醒者だ。おそらくだが……」
萼の黒い神判
「…………な…、なんですって?」
左蓮は今、とんでもない名前を挙げている。口にするのも恐ろしく、憚られる人物の “吼名” である。
「その目は真実を含め、あらゆるものを見抜く。龍を従えて悪人を罰し、邪鬼はことごとく踏みつけると言う……」
神像は武将。手には鬼門の検閲を司る門神と同じ索を持ち、時に閻魔の如く巻物と筆を握る。
「北紫薇の北東と、そこにある財を護ってきた夜叉たちの先導者は、舵取りだけが務めじゃない。広目とは、もう一つの裏の顔――、とでも言おうか。破軍星神府の鉄槌神らと同類でありながら、そこに属してこなかったのは、鉄槌神らをも俯瞰し、監視下に置くためとされている。本当のところは誰にも分からないが」
萼においても、その務めは “監察”
「そして――― “裁判” だ……」
「…………ちょ、ちょっと待ってください? 舵取り役? とと、言うことはつまり…、ハハハ」
冗談でしょう。こんなところに出張ってくる玉か?
九天九地の引き合いを起こしたとあれば、世界樹の人身――天壇按主、もしく、夜覇王樹神の縁者、しかも、かなりの脈持であろうと自分も予想はしていた。
だからと言って、須藤皐月の正体が “かの人物” とは限らない。
「ああ。 “奴本人” と言えるのかは、はなはだ疑問だ。背格好が違うし、どう見ても五歳以上若いからな……」
「では、どうして彼だと思うんです? まさか! 月花の甘露との関係がっ!?」
宋愷は俄然早口になった。頬をホクホクと紅潮させるその様子は、椅子の上に膝立ちになって、夕食のメインを急かす子供のようだ。半ばミイラ化している九十過ぎの爺のくせに――。
「不老不死の秘術でもあるんですか!? なぜ急に、そこまで教えてくれる気になったのです? ――あ! 分かった、遺言ってやつですね? 自分がもうすぐ彼に処刑されるから? ハハハ…ッ!」
そういうことなら喜んで承ろう。宋愷は冗談のつもりで言った。
「いや――、これもおそらくだが……」
左蓮は紅唇をつりあげ、憫笑に近い薄ら笑いを返した。
「お前が私よりも先に、処刑されるからさ――」
ひくっと。宋愷は思いがけない返答に息を止め、半顔の筋肉をひきつらせた。




