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払雲花伝〈ある花人たちの物語〉【塵積版】  作者: 讀翁久乃
◆ ―――――― 第三鐘 ◇ 障壁 ――――――
146/194

◍ 自分の気持ち

 

 李彌殷リヴィアンの警鐘が鳴り響いている。

 それよりも、耳元でホバリングしている蜜虫の方がうるさい。

 西琥珀トマンチェク色の羽根から発せられる鈴の音が速く、梨琥リクからのSOSだということは、応答しなくても分かる。

 皐月が木に上って見ていた方角にある町からだ。それは、昨日まで飛叉弥と共に自分が調査に当たっていた、蛞茄蝓カナムが大繁殖中の


「――……っ」


 くっと胡坐している膝上で、両手を握りしめる。

 嘉壱は柴の診療部屋の前に陣取っていた。自分はここを動けない。動いてはいけない。敵が襲撃に来るかもしれないからと言うより、中にある宝物を――、皐月を外に出さないためだ。

 何せ一人で出歩きたがる。厄介な歩く宝物。

 四か月前もそうだった。今のところ、敵の目的は彼の首ではなく “正体” に迫ることだろう。だから、あの手この手で引きずり出そうとする。

 挑発と分かっていながら、ほいほい乗ってもらうわけにはいかない。

 嘉壱の脳裏にふと、自分の血を流すことを、まるで他人を救う一つの技術であるかのように平然と語っていた無表情がよみがえった。


 

 *――そう怖い顔されても仕方ない。

    前にも似たような忠告したと思うけど――


  ()()()()()()()()()()()、その判断は当然の如く決まり切っているようで、いざとなると、()()()()()()()()ところがある。


 *――もう少し冷めた目で、

    ものを見れるようになったほうが身のためだよ……?



 頭の中の皐月の言葉が、警鐘と一緒に繰り返される。


 じっと耐え忍ぶように座り込んでいる嘉壱の様子を、智津香は部屋の扉越しにうかがっていた。

 難儀な話だ。

 花連は李彌殷リヴィアンの守森壁の管理や、治安を預かっている邏衛兵の補助が普段の仕事。蛞茄蝓カナムの件は通常任務の一環のようで、黒同舟の関与が疑われる事案だったわけだが、新救世主殿が高熱に倒れるというアクシデントが起こった――。



   *   *   *



「って、わけだから。別に、お前の休日を邪魔しようってんじゃないんだ。頼むよ~啓ぃ」


 実は、路盧ロノンに向かう飛叉弥に同行するのは嘉壱で、萌神荘には皐月の番を兼ねて、啓が残っているはずだった――。


「見張ってりゃそれでいい。屋敷から出ないんだから、労働のうちに入らないだろ?」


 今朝、そう手を合わせる嘉壱に返されたのは、思いもかけない答えだった。

 たらいの水を取り替えに皐月のもとを離れた智津香は、回廊の途中、彼らに不穏な空気を感じ取って足を止めた。

 嘉壱の背中越しに、智津香は見た。いつも気弱な苦笑ばかり浮かべる花連最年少の啓丁が、嘉壱をにらみ上げたのだ――。


「……ってことは何? 嘉壱はこれまでずっと、非番同然に過ごしてたってわけだ。そうだよな。妖魔相手にするより、子どものお守りしてたほうが、よっぽと楽だもんね」

 

「な、……何言いだすんだお前」


 驚きに瞠られた目がつり上がるまで、しばし間があった。すぐに反論できなかったのは、あまりにも様々なことが思考回路を詰まらせたからで、嘉壱は言われっ放しのまま受け流すタイプではない。啓の胸先に人差し指を突き立てた。喧嘩売ってんのかッ!? と怒鳴り声が上がるかと思われた時


「……分かった」


 重々しくため息をつき、割って入ったのは、なかなか来ない嘉壱の様子を見に来た飛叉弥であった。


「そんなふうに言うなら啓、今回はお前に来てもらうからいい。休みは後で上手く調整してやる」


 啓は決して、非番がどうのという問題にこだわっていたわけではなかったが、飛叉弥も承知の上で言っていたと思う。それが分からず、時間を無駄にするほど冷静さを欠いているわけでもなかった。

 飛叉弥の後について歩き出しながら、啓はわざとらしく無言で去った。

 ムッと見つめ続けた嘉壱に対し、最後まで彼と目を合わせなかった――。




   *   *   *




「やっぱり動く様子はないよ……、金髪タラシはああ見えて馬鹿じゃない」


 扉前から診察台の寝椅子のもとまで戻り、智津香はそこで寝たふりをしている少年の背中を、べしっと叩く。

 先ほど、木から引きずり降ろされ、ここに閉じ込められてからふてくされている。智津香はあきれ半分、ため息をついた。


「誰にだって “自分の立場や務め” ってもんがある。もちろん、あんたにだってあるだろうし……、感情的にも難しいところなんだろうけど」



 どうすんだい。



 どうするつもりか、智津香が声を低めて尋ねたのは、騒々しい足音と、嘉壱を呼ぶ声が聞こえてきたからだ。

 




   ×     ×     ×





「嘉壱――…ッ、嘉壱っ!」


梨琥リク…!?」

  

 嘉壱はふらつきながら庭を突っ切ってくる姿を目にして、思わず立ち上がった。

 礼寧レネイも一緒だ。彼女はたどり着く前に息を切らし、立ち止まったその場から声を張ってきた。


「馬鹿でかい蛞茄蝓カナムが現れて…っ、蓮哥哥(にい)さんが食い止めようとしてくれたんだけど……!」


「やっぱり左蓮が絡んでた…っ! たぶん召喚者はあの女だッ!」


 頭脳を持った本体は彼女が隠し持っていたのだ。ケリゼアンを与え、飼育可能なギリギリまで肥大化させ、制御ができなくなる頃合いを見て、路盧に解き放った。

 駆除しようと寄せ集めてあった蛞茄蝓が、出現したあり得ない大きさのそいつと次々に一体化している。

 梨琥は嘉壱の目の前まで来て、必死に訴える。


いなごの化け物と一緒に、今、守森壁を食い尽くそうとしてるんだよぉ…!」


 もう、城郭のすぐそこまで迫っている。何故来てくれない。路盧ロノンで退けられなければ、次は李彌殷リヴィアンだ。


飛蓮フェイレンは……、あいつはどうした。あいつに、俺を呼んで来いって言われたのか」


「嘉壱…っ!」


 この同胞が――梨琥がどれほどのものに耐え、賭けているのか、同じむぐら育ちの自分は、それを誰よりもよく理解している。

 いつもいつも、一人では飛蓮を支えきれなくて、結局増援を求めに走ることしかできない。それが唯一、確実にこなせる務めなのだと思うと悔しくて、情けなくて。仲間を見捨てて、その場から逃げだすような自分を振り払うようにずっと。


「――……っ、……」


 嘉壱は目を閉じ、脳内で荒れ狂うものを必死でなだめようとする。だが、


「嘉壱…っ! 飛蓮が待ってるっ! 早く来てよ、ねぇ…っ!!」


「梨琥! 待って、落ち着いて! お頭さまにも引き留められたじゃない…! 彼に今、誰の守りも付かなくなのはまずい。どんな状況であれ…ッ、須藤皐月から目を離すことは許されない…っ!!」

  

 そうでしょ? 嘉壱……。

 

 声をか細くして訴えてくる礼寧に、嘉壱も震える声を抑え、自分に言い聞かせるように答える。


「……あいつを今、一人にはできない。敵が潰しに来る可能性もゼロじゃないし、動かしていい状態でもない。仮に万全だったとして、霊応を使いこなせない以上、無闇に戦いの場にさらすのは危険だ」


「じゃあ摩天に帰しちゃえば…っ」


「いいか梨琥…ッ!」


 梨琥は目を瞠ってびくっとした。


「皐月は怖いとか、義理がないとか関係ないとかッ、実際には微塵も思っちゃいねぇんだッ!! 遠ざけようとしてたのは飛叉弥で…っ、――いや、どっちが最初に逃げたとか、どっちが悪いとかも俺にはよく分からねぇけどッ」


「……何言ってんだよ」


「とにかくッ、誰かがストッパーにならなきゃ…っ」


 噴く寸前の鍋の蓋が、ちょうどこんな音を立てたはずだ。心の奥底で、確かに鬩ぎあうものがある。だが、的確な判断もこの時の梨琥には、すべてが誤答にしか聞こえなかった。

 一緒に来い。自分が求めているのは、だた一つ。


「一緒に来てよ嘉壱ッ! あんな奴…っ、放っておけばいいだろ!?」


 また飛叉弥に無理な注文をつけられているなら、本当は今すぐにでも飛んでいきたいと思っているなら――

 


「素直に、動けばいい……ッ!!」


 ハッと、嘉壱は目が覚めたような感覚を覚えた。青翆玉ウォルスオクの瞳の中で、光がこれほどまでにないくらい、冴えわたった。

 諭し、強いるような梨琥の訴えに重なるのは、いつか人気のない通路で零された、まったく同じ台詞だ。しかし、 “彼” はあえて答えを求めなかった。こちらにとって都合がいい答えを勝手に汲んで、勝手に受け入れて



 *――安心しなよ。俺は別に、何も思わないから――……。

    下手なこと口にして、立場悪くなりたくないだろ、また。

    自分の気持ちに、素直に動けば……

 


 (素直に……動けばいいんだろ?) 心の奥底に問う。誰かがうなずいている。あとは踏み出すだけ。正しいと思う方へ。


「……俺は――……」



 *――()()()()()()()()()()()

    その判断は当然の如く決まり切っているようで、

    いざとなると、()()()()()()()()ところがある。



「俺は…っ!」


 意を決して打ち出そうとした答えは、果たして間違いだとでも言うのか。

 背後で、おもむろに扉を開ける音がした――。

 


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