◍ 向かう大鬼
路盧から南東に二里の地点。
盤猛鬼人が現れたという突然の報告に、戦慄が走った。
田畑荒らしの目撃情報に次いで、人攫いの嫌疑が浮上してから捜し続けていたが、一体、どこに潜んでいたのか。聞けば一丈六尺にも達する巨体。何故、潜むことができていたのか。
とにかく急行しなければならないが、本格的な戦闘は、特殊武器を扱う劉衛軍に任せればいい。自分たち邏衛武官は、民の安全確保が最優先。城郭外の人々を的確に避難誘導し、蜘蛛の子にしないことだ。
「探勲、急げッ! 蛞茄蝓と蝗の化け物が合流したらしい! この上、盤猛鬼人にまで襲撃を受けたら…っ」
「ああ! 分かってるよ…!」
もたつきながらも馬に飛び乗り、駆け込んでくる行商人らと入れ違いに東城門を走り抜ける。
李彌殷から路盧の間は約一里半。各所で警鐘は鳴らされているが、街道を行き交う人々の中には、まだ状況を知らず、それぞれの目的地を呑気に目指している者もいるだろう。慌てすぎて怪我をし、動けなくなっている姿の想像も過る。
籠城戦となるまで幾ばくも無い。今に逃げ場を失ってしまう。最悪、途中の適当な蟄仙洞へ押し込み、探勲らも共に籠もることになる。
「畜生っ。俺、四か月前にも似たような体験してるぞっ! おかしいって最近っッ!」
探勲は馬に鞭を入れながら、泣き声交じりに回想する。まさかとは思うが、今日は化け物どものが集う日なのか。だとしたら、あの少年も現れるのだろうか。
「あの少年!?」
「いや、こっちの話っ!」
前を向けと、探勲は先を走る同僚に声を張り返す。
さっそく、分かれ道に差し掛かったところで、路盧へ向かおうとしている荷馬車と遭遇した。手綱を握っている老父は、目の前を転びながら走り去る人々に、何があったのか尋ねようとして出来ず、戸惑っている様子だった。
そんな年寄りを見つけては指示を出し、足をくじいた子供がいれば助け起こし、探勲らは爆撃のような音がもっとも近くに聞こえるギリギリのところまで来た。
頭上は森の木々に覆われていて、化け物の姿も、位置も見えない。
何が、何体、どこまで迫ってきているのか分からず、反って焦りが増す中、路盧の最外周地に住む貧民たちの誘導が遅れていると知り、加勢に行く。
「紅桃港も今頃、大混乱だろうな…っ」
「なに、あのお二方なら上手く制御するさ!」
「四か月前は、将棋倒しが起きたって聞いたがな……」
ふいに上司のことを心配する仲間たちに、探勲も同調してうつむく。
蟄仙洞には、安全な地下道に繋がっているものもあり、そこに逃げ込んだ場合、あわよくば、李彌殷の中央検罪庁に向かうことができる。
常闇の特殊な船着き場――紅桃港に併設されていて、地上に出るための流坂洞が集中している。
さらなる地下へ潜ることもできるため、李彌殷の各所が火災に見舞われた四か月前は、ここに人がなだれ込んだ。
“あのお二方” とは邏衛兵が守護神としている “左右門神” のことだ。
門神は鬼門や関所での検閲、罪人の幽閉を司っていることから、城門をはじめとする重要建造物の開閉を操作するのも務め。
神代崩壊後、破軍星神府に名を連ねてきた神々の中でも、新世界として拓かれたこの化錯界の秩序を体現する存在として、今も欠かせない立ち位置にある――。
ふと、あらぬ方から地響きが聞こえてきた。
「な……、なんだ……」
「おいおいおい…ッ! まさか……っ!!」
耳を澄ましてすぐ、たじろぐほど息を呑むことになった。
その地響き――もとい “足音の主” は、特大の一歩で一気に接近してきた。
どうやら飛び跳ねたようだ。風圧が襲ってきた後、振り仰いだ頭上の樹冠が、大きな手のひらにかき分けられた。
ぬぅっ、と。銀髪の青年巨人が顔を見せた。鬼婆のような乱髪で、肌は褐色。瞳は銀杏色。左半顔に、ひどい火傷痕が見られた。動物の毛皮と骨を連ねた武具をまとっている。想像していたよりもでかい。
「盤猛鬼人…っ!!」
と――――、
《 ゥォォォオオオオオオォォォ―――…ッッ!!! 》
探勲は思わず両耳を手で塞いで縮み上がった。(なな…、なんだあれ。ばばばば…っ、化け亀……!?)
いや。邏衛士たちは地響きを伴う落雷のような怒号を放ち、青空にぐんぐん伸び上がる山を見上げて絶句した。
「かかか…っ、構えろおおおおおおーーーッっ!!!」
姿形はだいぶ違うが、突如、大地を盛り上げて出て来たこいつも同じ盤猛鬼人。しかも、 “神代の生き残り” と言っても良さそうな超ド級だ。
探勲は、猟犬が使い物にならなかった理由を今理解した。青年姿の奴は、ほぼ岩山と化しているこいつと、一対で行動していたと思われる。これはもう、迷彩柄の動く秘密基地同然。
「おおーいッ!」
「なっ…!?」
あり得ないところから男の声が降ってきた。青年巨鬼の頭の上。もさもさの頭髪の中から、紺色の袖が振られている。
「攻撃してはダメだああぁッ! あれは欽厖の…っ、こいつの父親でっ!」
「父親っ!?」
「 “オド” ……おやじのコト。欽厖のおやじ……、オド」
青年巨鬼がモソモソと喋りながら、頭の上の男をつかみ取って下した。
「俺は積四街商圏で茶葉売りをしてる顧元だ…っ! 数日前に行方不明扱いになってると思うんだが…っ」
「無事だったのかっ!」
東方市楼で番をすることが多い探勲が駆け寄り、驚きをもって返す。確かに、高級茶葉の仕入れ人、顧元で間違いない。
顧元は探勲の両腕をつかんで訴える。
「この親子はこうなることを予感してたんだよっ! 本当は別の目的で、遠路はるばる李彌殷を目指してきたらしいんだがっ、数日前、台求郡に潜んでいる時に蝗の大軍を見て、良くないことが起こるって! それで今、加勢に駆け付けようとしてるだけで…っ!」
「加勢っ?」
《 ヒィイイーーーサアアーーヤアアアアアァァッッッ!!! 》
「ほらぁっ!」
「いやややッ、めっちゃ怒ってんじゃんッ!! 少なくとも親父さんはブっ殺しに行く気満々じゃんッ!!」
「無駄に敵作ってんじゃねぇよ彪将さぁぁああーーーんッッ」
「俺もはじめはそう思ったんだが――……っ」
蓮壬彪将飛叉弥、盤猛親子に何をしたか知らないが、恨まれているわけではなかったのだ。むしろ、彼に会いたくて、大都会が苦手なのを強いて、こいつらはちょっとずつ、大地に潜っては出て、出ては潜ってを繰り返し、移動してきた。
だが、いよいよ彼に危機が迫っているかもしれないとなって、忍び足をしている場合ではなくなり――
「こうなったわけか!」
「そういうこと…! 俺も無傷だ! いや、無傷ではなかったけど、ちゃんと手当てしてくれたしさぁ…っ!」
欽厖はただ、飛叉弥のところへ行く上で、人を害するつもりがないことを通訳してくれる味方と案内人が欲しかっただけなのだ。
「親父さんが擬態して紛れ込める山があるのが、台求と路盧の間までで、それで仕方なく、欽厖が李彌殷の外周地まで来て…」
「お前に目を付けた?」
「はじめは取って食われるかと思ったが、この親子がこっちの戦力になってくれる気でいることは俺が保証するよ…っ!」
欽厖は、一生懸命さが伝ってくる顧元の身振り手振りから、彼が役目を果たしてくれたことを理解したらしい。
「……え?」
顧元はふと頭上を仰いだ。
お別れ。という意味か、頭をナデナデされて「……。」となった。(いや、たぶん俺の方がお前より年上……) そう思って半眼になりつつも、まぁ、いっかという気になる。
木漏れ日の中で見る欽厖の目が、少し細められていて優しい――……。
親父は相変わらず、感情を爆発させて盲目的に突き進んで行っているが……。
顧元はなんだか、鼻がむずがゆくなって腕でこすった。
「負けるなよッ!? 欽厖…っ!」
親父を追おうと踏み出す背に叫ぶと、欽厖にも、久々のやる気が漲ってきたらしい。探勲たちが再び耳を塞ぎたくなるような、親父に負けない怪物の雄たけびを上げ、高々と跳躍して見せた。




