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払雲花伝〈ある花人たちの物語〉【塵積版】  作者: 讀翁久乃
◆ ―――――― 第三鐘 ◇ 障壁 ――――――
143/194

◍ 陵鳥神が語る、千年大戦の勝敗 



   *



「ねぇねぇ。やっぱり加勢しに行ったりした方がいいんじゃないかなぁ~」


 少し離れたところから向けられてくる不安げな声を、男は黙殺する。

 装飾的な西原の小型双眼鏡を両目に当てていた。何を見ているかって? もちろん路盧ロノンに現れた化け物の進行具合だ。

 壽星台閣に報告を上げる速さには自信がある。さすがに、隣にいる “鳥人間” の一族には負けるが――。



「ねぇねぇ。覊流キルぅ、聞いてるかい?」


 覊流は双眼鏡を懐にしまってため息をついた。


「……うるせぇなぁ、衞男エナル。行きたきゃ勝手に行けよ、一人で。あんな超ド級の化け物とやりあって死なねぇのは、お前ら神孫だけ。俺は人間なんだぞ」



 覊流は北西原の馬賊に似た格好をしている。はかまに革靴、襟の留め具を外し、裏地の柄布を見せる独特の黒い衣。その裾をはたきながら、木の枝上に寝転ぶ。頭の上には長銃が立てかけられている。


 隣にある少し低い木の天辺に、つま先立ちしている衞男エナルの背には、ワキスジハヤブサに似た斑様の翼が生えていた。手には芸術的な長槍。白い襟巻をして、袖の縁取りに覊流キルと同じような柄布を使った衣をまとっている。翼さえなければ蜃漠しんばく圏の丹原タンバラ商人のようだ。


 

「心のままに動けばいい。俺はずっとそうしてきた。八年前に故郷を失くしてからな」と、淡白な覊流に、衞男エナルは唇を尖らせる。


「そう言うけど、縛られないって難しいことだよ? 知ってるでしょう? 神代から四千年が経とうという今も、神の血筋にはそれぞれの “務め” がある。あっちに行きたいからって、勝手に役目を放り出すわけにいかないよぉ」


「そんな大層な役目かね。ただの伝書バトが台閣にする報告なら、今頃、お前の部下が秒で済ませてるだろうが。 “陵鳥神みささぎちょうしん” だって一級の戦闘能力を持つ。ましてや “破軍星神府の鉄槌神てっついしん” となれば、国境も界境もなく他人の喧嘩に首突っ込むのが仕事だろう」


 同じ務めを担ってきた同胞が、今まさにドンパチやろうとしてるんだぞ? 


「先祖がともに千年大戦を治めた仲だろう。戦友として遠慮せず、さぁ、どうぞ行ってらっしゃいませー」


「千年大戦は、まだ終わっちゃいない」




 瞼を閉じていた覊流はこれに、片目だけ開けた。


「――――あ?」


 聞き捨てならないことをサラっと、――しかも、珍しく大真面目な声色で言った衞男エナルの横顔を見つめる。


 東南ではあまり見かけない彼の小麦色の巻き髪は、短髪でも目に付く。何より、砂漠地帯にある水辺色の瞳が、ここぞとばかり、天神孫の一派であることを主張しているように思えた。



「まだ終わってない。天軍はただ、退けただけだ。 “彼奴きゃつら” はしぶとい。甘露をたらふく味わっていただけある。独占していた罰として、真の姿を “ある鏡” に封じられ、かつての面影を失っているだけ……」



 覊流キルは頭上に広がる樹冠を見つめ、記憶を手繰った。



「月の聖水を吸い上げて、不老長寿の霊薬を生した世界最初の花木にまつわる話か――? 人間の男が地上にも行き渡るよう約束を取り付けた上で、その花木から、いわゆる甘露を作り続ける労働契約書にハン押したけど、一部の神が反故ほごにしたから、ブチ切れついでに月を打ち砕いて云々(うんぬん)っていう……」

 


「ちなみに、くだんの神々の処罰に使われた鏡の在り処は、誰も知らない。知られるわけにいかない。手に入れられたらまずい相手として、おそらく今もご健在だからね」


「ケッ。しぶとすぎだろ。甘露って、大昔は超貴重だった、ただの清水って説は結局ウソか――?」



 覊流キルはいかにも面倒くさそうに舌打ちする。


 神代と謳われた前世界は、魂の穢れがなす浮力によって、雲上雲下に自ずと選別されるのが理であった。

 彼奴ら罪神に “人間と同格か、それ以下の存在” として、曇天の下、生き地獄を味わわせるために造り替えられた世界だったのだ。だが、龍王がその終焉を招いた――……。



「 “人間に安住の地を与え、共存するため” ……でも、後付けされた言い訳かもしれない。実際のところ、何が目的で破壊行為に及んだのかはあやふや。問うている間もなく、生き残りを賭けた混沌に呑まれた者たちが大半だったと思うよ……」



 天津標あまつしるしの崩壊後、世界の区画は一新された。神代世界樹、龍王、天地陰陽を分け隔てていたそれらが倒れ、善悪はこの化錯界かさっかいの始まりとともに、破軍星神府を創った救世神たちの後継が代々見定めるよりほか、なくなった。


 千年大戦で天軍が勝ち取ったのは、それぞれが按主アヌスとして君臨する新天地。であると同時に、人原じんばらの開墾と繁栄余地、そして……


 かつての盤臺峰ばんだいほうの谷底――黄塵獄こうじんごくに相当する、新たな罪神収容地。

 つまり、彼奴らを完膚なきまでに打ち滅ぼせたわけではない。現世界においても、なるべく時化霊トケビに接するよう地下深くに押し込めているに過ぎず、勝敗はまだ決していないのだ――。



「こちらの “舵星かじぼし” を討ち取られれば、四千年の戦況が一瞬にして覆ってしまうことも有り得る。鉄槌で “潜等もぐら叩き” って実は楽じゃないしさ、人の皮を被っている奴の方が厄介だったりするんだよねぇ」


「それって、俺には “花人のこと” 言ってるようにも聞こえんだけども――」


 衞男エナルは苦笑し、素知らぬ顔で皮肉を呟く覊流キルに言い含める。


夜覇王樹神セレイアス・ランサの意思を継ぐ子孫たちは、特殊な考えがあって “花人” と名乗ってきたまで……。彼らは人原じんばらに溶け込んでいる潜等もぐらとは別物だよ」


 天軍の主力を担った歴史的事実がありながら、まるで自らも甘露の三毒に狂わされた罪神、罪人かのように自国の起源を歪め、救世を贖罪とする軍事国家を築き上げてきたわけだが――



「単に好戦的な一面を正当化するためと解釈するのは、少し無理があると思わない? 君も、生粋の花人の戦いぶりは、こうして何度も見てきただろう?」


「……まぁ。つっても、上に命じられて、半ば仕方なくだけどな」



 嫌々な顔で言う覊流の腰からは、半円状の割符が垂れている。二連の軟玉付きで、台閣の “裏司憲府” ――匕仙房ひせんぼう所属である証とされている。


 城隍神じょうこうしんと連携し、闇を偵察する “夜遊神” を象徴に掲げている組織だ。



「水害、干害、蝗害―――なんにせよ八年前を機に大事なもんを失って、どうしようもなく、彪将ひゅうじょうを怒りの矛先にしてきた奴は、いくらでもいる。だから分からねぇ。なんで俺が見張り役に選ばれたんだか……」


「君はこの国一の銃刑執行人だろ? 見込んでいるのさ。他の者たちとは違って、その眼はけっこう冴えてるから」


「そうかあー? 実はなぁ、白でも黒でも面倒くせぇもんは暗殺っちまうかと、何度か彪将のこと、本気で狙ってみたことがあってよぉ。――ま、ことごとく無視されてきたんだが、どうも気に食わない。あいつも上も、監察たる俺の器を試してやがる……」



「それで――? 今のところの君の見解は?」


 衛男エナルは面白そうに口元だけで笑う。

 そんな彼のことを含め、覊流はまったくもって面白くないのだった。


「分からん」


 萼国きょうごくがやってきたことは内実、俺らや破軍星神府と変わらない。独立しているように見せてきただけ。


 そのような体裁にこだわる理由も不明。花人の歴史を研究し、紡いでいる常葉臣ときわおみとやらの領分だろう。


 彪将は花人という民族を、我が身をもって代弁しているような奴だ。疑わしい点がいくつもある。だが、妙に堂々としてもいる――。




「ありゃ、針の筵に座らせたくらいじゃぁ、なに抱えてても吐かねぇよ。眉間に銃口向けりゃぁ、自分から頭突きしてくる。んで、いつも通り煙草吸って見せるぜ――? たぶん……。」



 蓮尉れんじょう晏やづさと内通しているかどうかも、八年費やしたってさっぱり。

 場合によっては白とも黒とも言えず、有罪スレスレの無茶を積み重ねてきている気がする。


「奴は自分が守りたいもののためなら、己を厭わない性格。――俺は案外、あの()()()()が一枚噛んでいると思ってる……」


 衞男エナルは軽く目を瞠った。

 

「ほお――?」


 覊流キルの脳裏には、淑女ながら芯の強さがうかがえる玉百合の横顔が思い出されていた。


「彼女はうてなの次代元首という身分でありながら、ずっと彪将の側に寄り添ってきた。奴が失った信用の穴を塞ぐためだろう。手駒としてよっぽどかわいいか、もしく、こうなったことに何かしらの責任を感じているか――」


 彪将は玉百合姫のために花人としての一線を侵した “黒” ――。反派閥に付け入る隙を与え、うてなに居場所を失い、華瓊楽カヌラという死地に送り込まれた。


 だが “白” に転じる可能性と希望がないわけじゃない。



「うんうん。いい線行ってるよ? でも、正確にはハズレだ」


 衛男エナルは腕を組んで、しきりにうなずく。絡んでいるのは玉百合姫だけではない。彪将殿と精神的支柱を担い合える相手は、言うまでもないが、かなりの実力者――。



「彼を “白に塗り替える力を持つ大物” は、他にいる――」



「~~……。そもそも知ってるなら教えろよ、面倒くせぇ。そいつが “黒幕” ってか?」



「何にせよ、 “幕開けを司っていること” は確かかな。――さて。僕はこれから牝爛ヒンランに帰らなくちゃいけないんだ。鳥妖の畢方ビーファンが出たらしい。人間じゃ仕留められないから、天から串刺しにして焼き鳥をふるまってくるよ。じゃあね!」



「おいコラッ! 肝心なこと放っぽり投げて逃げんじゃねぇッ」


「逃げるわけじゃない。言っただろう? 僕には僕の務めがある。覊流キルもよく考えて行動してねえ~!」





 *――心のまま、動きたいように動けばいい。お前は人間だろ……




 その引き金を引きたいなら。

 ましてや、それがお前の務めなら――。




「チッ。どいつもこいつも……」


 いつぞやの、真っ白な髪をなびかせる背中を忘れようと、覊流は頭を掻きむしった。ひとをお気楽自由人みたいに言いやがってッ。




 *――鉄槌で “潜等もぐら叩き” って実は楽じゃないしさ、

    人の皮を被っている奴の方が厄介だったりするんだよねぇ




 花人には確かに、人原じんばらに潜り込んでいる潜等もぐらと見なせなくない一面がある。衞男エナルは別物だというが、全員がそうとは限らない。

 そもそも、一点の曇りもない善神の末裔だと胸を張れないから、公然と破軍星神府に属すことができずに来たのではないのか?


 そうだとしても、この世界の平定に務め、あくまでも鉄槌を振るう立場であるなら――




 覊流はため息をついて、再び懐の双眼鏡を取り出した。

 はてさて、厄介を強いてお出で下さいますかな?



「人の皮をかぶった “新救世主殿” ―――」






【破軍】北斗七星第七星の名。剣先星。


【舵星】北斗七星の別名。


【三毒】怒り・無知・欲望のこと。


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