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払雲花伝〈ある花人たちの物語〉【塵積版】  作者: 讀翁久乃
◆ ―――――― 第三鐘 ◇ 障壁 ――――――
141/194

◍ まだ見ぬ化け物、そして地震



   *

 


 生けた花を放置して数日――、今漂っている臭いは、その花瓶の中に充満する、いやな湿気を含んだそれに似ている。


「……気持ち悪いよぉ、雅委~」


「つべこべ言わずに、さっさと歩けよ、梨琥リク


「そうだわよ。こんな所、いくら自分たちの森でも、あたいだって嫌だわさ」


 だけど、お仕事なんだから仕方ないじゃない。礼寧レネイは革靴の底にへばりついてきたヘドロを見つめて、悲しげに眉を下げた。


「ほらほら、お前ら手が遊んでるぞ。さっさと働けさっさとぉ」


 言いながら歩み寄ってきた飛蓮フェイレンに、三人はうげっと目を剥いた。

 蛞茄蝓カナムを素手で触るわけにはいかない。生気を吸い取る裸蟲だ。ちょっかいを出せば集結して人型となり、襲ってくるものだが、ここ一帯に異常繁殖している奴らは特殊で、司令塔の部位が存在しないことが分かっている。つまり、いじめても無抵抗。それを良いことに、飛蓮は雪だるまの如く集めた蛞茄蝓の塊を踏みつけていた。



「んー? あぁ、これか。意外と弾力があってクセになるぞ? 枕にでもどうだ、礼寧」


 ぽ~ん、と。蹴り上げられたそいつらが足元で弾け散った。

 絶叫する礼寧を、飛蓮はカッカと胸を反らして笑っていたが


「なに遊んどんじゃーあああぁぁっッッ!!」


 その側頭部に、年季の入った杖がめり込んで振り抜かれた。




「――言っておきますが、いい年してよからぬ遊びにほうけているお主が悪いのですぞ?」


 倒れ伏したうてな屈指の鬼将に冷眼を注ぎ、燦寿太仙老は、愛用の杖を、凶器から肩叩きに変える。


「さて、お戯れはこれくらいにして…」


「今のをお戯れで済まそうとすんなっッ。……あ~痛ってえぇ」


 秒で蘇生した飛蓮は、正直、蛞茄蝓カナム以上に気味が悪い。

 雅委は半眼で固まっていた。



「……。どんだけ打たれ強いの、お前んとこの大将。頭ヤバくね?」


「体は丈夫だろうけど、ああ見えてけっこう、心はガラス細工なんだよ? 飛叉弥」


 梨琥りく――こと啓は、本性の夜叉に近い様相となっている飛蓮の見た目からでは想像できないだろう飛叉弥の一面を、苦笑気味に明かす。


 獅子の癖毛は、雪を頂く霊峰の如き純白。黒光りする鷹のような爪と、明け方の雲ひとつない天空の色を発する真紫の瞳――。

 業が深いことを表す、首筋まで伝い上がった克明な蓮紋の華痣はなあざ。膝下まである丈長の軍服はひときわ濃い夜深藍で、弾帯のような革帯を締め、大樹大花にしかない威厳を放っている。

 花人の中でも得意なその容姿から、 “うてなの白い激昂” などとあだ名されてきた彼だが、決して感情抑制が利かないタイプではない。こう言ってはなんだが、本当の鬼だったら、人間たちに大人しく罵倒されてきたわけがないのだ。

 忍耐強いのは無神経とは違う。何も思っていないわけがないからこそ、堪忍袋の緒が切れた時や、心にヒビが入って、極限に達してしまった瞬間がヤバい……。



「三日はそっとしておかないと」


「……。」


「喧嘩とか嫌いって言うかぁ――……、花人だし。思ってることぶちまけるの、苦手なんだよね、たぶん」


 訴え続ければいつか――と思いたいところだが、彼はそもそもうてなの国家機密を抱える帷幕の庭に通じていた男。今や家族同然とはいえ、鍵を持たない自分たちが、呼びかけただけで扉を開かせることができた試しはない。とにかく口が堅い。


「挑発とか、そんなんで、飛叉弥に本音吐き出させる相手がいるとしたら、そいつは飛叉弥以上の闇の花だね」



 底なし沼みたいな懐の持ち主かも。



「ほぉー」


 雅委はなんとなく分かったような、分からないような相槌を打っておいた。啓たち花連のメンバーが抱えてきたもどかしい部分について、である。


 部下らがひそひそ話をしている一方、公私ともに付き合ってきた上司二人は蛞茄蝓カナムの仮置き場を見上げていた。


「塵も積もれば山となる、と言いますが…」


「よくもまぁ、こんなに増殖してくれたもんだ。これだから単細胞は」


「何はともあれ、あとは処分するだけですな」


 燦寿から「ご苦労」と言われた飛蓮は「おう」と短く答えて一服の煙草をくわえた。


 この蛞茄蝓カナムもどきたちの食欲・繁殖能力は、異常に向上してしまっている。証拠は例の成分―― “ケリゼアン” だ。

 四ヶ月前、皐月が初めて華瓊楽カヌラにやってきた日にも、同様の薬害によって変貌・凶暴化した鬼魅きみが、近くの市鎮城を襲撃している。

 相次いでいる樹木の巨木化騒ぎと同様、すでに汚染されている動物を介したり、水や餌となる植物と一緒に、どこかで偶然摂取してしまったのかもしれないが、この蛞茄蝓もどきの件は、そうした例とひとくくりにしてはならない気がした。司令塔の部位だけ見当たらないのは、やはり妙だ―――。



 飛蓮フェイレンは紫煙を吐きながら、いつもより不気味に思える木立の間の静けさを横目に、眦を鋭くする。



「そうじゃ。梨琥りく――」


「? はい」


 召還した土壁で、蛞茄蝓カナムを大量に寄せ集めていた梨琥は、燦寿を振り返った。


「一昨日、台求郡を襲った巨大蝗の件じゃが……」


 その蝗雲が忽然と消えた山の辺りに、お前を案内した村人がおったじゃろう。


「彼が思い出したことがあると言って、夭理ヤオリーに新たな報告を入れたそうじゃ」


「台求郡の按主アヌス様に――?」



 *―― “愚公山を移す” ……ではありませんが、

     話を聞くに、もし本当だとすれば、

     これはその辺の小物が成せたわざではありません。

     燦寿様、どう思われます?


 *――ううん……



 同席していた文獏ムンバク灰歩フイホ女亜ニョアの三大仙も、燦寿と一緒にそれぞれ唸った。

 その内容があまりに解せないため、梨琥も思わず聞き返してしまった。



「山が一つ……、消えた?」


「ああ、あの辺りは似たような大きさ、形の小山がぽこぽこと苔庭のように広がっておったじゃろう。謎の赤い光を見た方角をもう一度眺めてみたところ、そこにあったはずの山が一つ、無くなっていることに気づいたそうじゃ」


 お前は土霊ドリョウ使い。本当に何も感じ取らなかったのか? 


「雅委、お前も」


 事に乗じて、当時、礼寧レネイとの追いかけっこや競走にはしゃぎまくっていた雅委には、あからさまな疑いの目が向けられた。


「~~……お言葉ですけどねぇお頭、俺ら、別に遊んでばかりいたわけじゃないですよ?」


「まぁ、あの薄気味悪い山岳の村を調査してから、若干嗅覚の調子が悪い気はするけどねぇ」


 礼寧が人差し指の爪で鼻先を掻く。


「そういえば、あっちは一体なんだって言うんです」


 雅委は尋ねながらも、実はまったく想像がついていないわけではない。深刻な実態が秘められていると、少し前からにらんでいた。


蛞茄蝓カナムの駆除に生命力が強い神使が駆り出されるのは当然だが、まさか、立て続いてる山岳民族の惨殺事件も、同じもんが絡んでるんじゃないでしょうね」


 雅委は、相手が誰だろうと睨み合いになるのを恐れない。一足先にケリゼアンについて明かされている梨琥は、助けを求める視線を肩越しに送った。

 送られた飛蓮フェイレンは紫煙と一緒にため息を吐いた。


「爆走するしか能がないと思っていたが、今日はやけに冴えてるじゃないか」


「なんだと!? コラぁッ」


 その時――


「っ…!?」


 つと、足の裏から伝いあがってきた異常な振動に、五人は目を剥いた。






   ×     ×     ×






                 

           ―――【 同時刻 】―――



 縁側の柱に寄りかかり、あくびをしていた嘉壱もその異変には気づいた。

 微かだが、柱がきしんだ音がした。いやな空気を察して腰をあげた。



「さぁ、次はこの薬。その次はこれで、腹を壊すか試させておくれ」


 同じく妙な家鳴りに気づいた皐月は、傍らで少女のようにはしゃぎながら、新たな薬をかき混ぜている智津香の腕を押さえた。

 木霊した銃声に振りかえった野生の鹿の如く、目に見えぬ遠くの何かを睨み据える。


「どうした?」


 智津香がいぶかしげに呟くのと、皐月がその頭をかばって倒れ込むのとはほぼ同時だった。

 突然、衝撃が腹を突き上げてきたかと思うと、たちまち壁面棚に収まっている薬瓶や書物が暴れだした。どさどさと、勢いよく石床に叩きつけられるそれらの音を聞きながら、智津香は引きつった怒声をあげた。


「皐月…っ!」


(このバカっ、年寄なんかかばうことないのに……っ)


 奥歯を噛み締めながら、しかし智津香はどうすることもできず肩をすぼめていた。

 それからしばらくして、揺れはおさまった。



「皐月っ、智津香っ! 無事かっ⁉」 


 蔵の扉を開け放つや否や、自分の脇の下をすり抜けるように外へと飛び出した黒い影に、嘉壱の心臓が飛び跳ねる。


「ぅおわっ!」


 なんだと思ったら、皐月だった。


 皐月は回廊の屋根上に飛び乗り、さらに高い木の枝に飛び移った。

 熱のせいで、まだ少しふらつく。体を安定させるために手近な枝をつかんで、東の方角に目をこらした。



 空の下半分が―――、半球状の紫紺色に見える。



 嘉壱は何事かと戸惑っていたが、沈黙を長引かせる皐月を見上げているうちに、言い知れぬ不安を感じ始めた。

 案の定、不穏な響きを蔵した低い声が降ってきた。



「……行け、嘉壱。町がやられるぞ」


「町? なに言ってんだよ、あっちは李彌殷リヴィアンじゃなくて……」

 


 指をさした嘉壱は、ふつりと口元の笑みを絶った。

 飛叉弥が向かった路盧ロノンだ。彼には、啓しか同行していない―――。



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