◍ 悪党っぽい案内人
華瓊楽暦・一六三十四年――――清豊明八年。
初夏となり、徐々に眩しくなってくる日差しに、かの灼熱地獄を体験した人々の気分は、早くも塞いできている。
この国の年号は、王の即位の他、天災・事変・祥瑞などの象徴的出来事が起こるたびに改められ、大旱魃をきっかけとする災異改元から、今年で八年。
都市部の臣民は平穏な暮らしを取り戻しつつあるが、ともすればまた、命そのものと言っていい、水と大地の恩恵を失うかもしれない明日を想像しながら、不安な気持ちをやり過ごす日々を送っていた。
最悪の状況は脱したものの、すべての危機が完全に去ったわけではなく、ほんの数年前まで、未曽有の国難に喘いでいたのである―――。
―― * * * ――
道なき森を突き進んで、橋なき川をようよう渡って、大岩だらけの崖をロッククライミングした極めつけがこれ。
急勾配の山道……。
*――俺に死ねって言ってるよね
*――言ってやせん。近道です
*――言ってるようなもんでしょ。てか、聞こえるよ……?
へたり込まれたのが、三十分前………………だったか。
――――【 険しい道のり 】――――
息も絶え絶えに、再び歩き出した皐月の足運びば、時おり吐き気をもよおしながら、懸命に家路を目指す酔っぱらいのように重くなっていた。
本人はしっかり行く手を見据えているつもりかもしれないが、焦点が合っていないのだろう……。千鳥足の動きを読んで交わしつつ、ちょこちょこと隣を歩くブルーは、呆れを通し越して引いていた。
「大丈夫ですかい、旦那……」
「まぁ…、見るからに体力は無さそうっスけどぉ~……」
小走りに少し先まで行っては追いつくのを待っていたピンクも、ブルーの反対側に付き添って歩きはじめると、皐月の頭からつま先までをしみじみと眺めた。
しゃべり方に覇気がないだけでなく、服装も冴えない。よく言えばすっきりとした装いだが、身形に対して無頓着というほうが的を射ている気がする。
ロングパーカーの両袖を腰で結び、上半身はグレーのTシャツ一枚。腕まくりをした汗だくの姿は、だらしないというか、必死感が半端ないというか…………。
ブルーの内心では、いよいよ自分に対する呆れの方が強くなりはじめた。( “あの人” と見間違えたのが、不思議なくらいだぜ……)
あまりに強引、かつ容赦がないため、「人面獣心とは奴のことを言う」――などと罵られたりする割に、不思議な品格をあわせ持つこの国の “救世主様” である。
ドサっと叩きつけられた衝撃と同時に、顎からジワジワと広がってくる痛みに「…………。」となる皐月を、真正面に移動したブルーは、お座りして引き続き観察する。
ようは、かの有名人にそっくりという点が、ただの客寄せにしかならないとして、あとはどう捌くかだ。
若干、本物より見た目が若いせいか希薄な印象が強く、皐月の美貌は、都の華やかな往来に映えるものでもない。だが、三拍ほどしてふと立ち止まり、顧みられるような “何か” を放ってはいる。
( なんだろうなぁ――……)
それがよく分からない上、当の本人がまったく無意識であるらしく、ブルーは実をいうと、先ほどから妙な心地がしている。
稀に見る美形には違いないし、単に “生物” というだけでも、十分な報酬が得られるため、とりあえず引っ張って来たはいいが……。
無様にも、右手側の森から這いでてきている木の根にけつまずいた皐月は、まさか自分の顔が売り物になるとは思っていないのだろう。地べたに突っ伏したままとなった。
「………………。」
前方には、木漏れ日に斑模様となった坂道が永遠と続いていて、これを天にも昇る勢いというのか、皐月にはかなりの傾斜に感じられていると思う。
今、この道を下る奴とすれ違うことがあるなら、転げ落ちたほうが速いと提言してやる。そして、その背を押してやる、とでも言いたいのだろう。
「フ…」
想像しただけで笑えてくるらしい。
長い黒髪の影から呪言の如く聞こえてきた笑い声に、横で風を送ったり、のぞきこんだりしていたピンクが、ぎょっと目を剥いて飛び退いた。
「フはははは……、フフっ、くくく……」
「どどどどどっ…、どうしちゃったんスか旦那ぁっ! なななッ、なんか悪の大魔王みたいッ!!」
おろおろしているピンクの傍らで、ブルーはため息をついた。
「旦那~、しっかりしてくだせぇ。本当に死にかけてんじゃねぇだろなぁ。冗談じゃありやせんよ、こんな所でぇ…」
「だから~……」
これで三度目。
「 “旦那” じゃないって言ってるだろ。名前は須藤皐月。年は十七歳。八曽木市戸述町の山ん中在住。趣味は昼寝。苦手な教科は国語ぉ~……て、何度も言わせるなよ、もぉ……」
怒鳴るどころか、怒ることすら面倒くさいと書いてある顔でにらみ下ろしてくる。
「おい。短足ネズミ」
「誰が短足じゃコラぁあっ!!」
「なら何ネズミ? カラーネズミ?」
円らな瞳のピンクが、上目遣いにおそるおそる答えた。
「ら………… “ラナマ” でやんす」
普通のネズミよりもやや大きいが、一応手乗りサイズで、正確には “玉尾木鼠” という。
「あそ。じゃバナナ、いい加減ひとの名前くらい覚えろ」
「あんたがなッ!!」
これで五度目…………。二匹はどっと噴きだしてきた疲れにうなだれた。
「旦那~…、何度も言わせねぇでくれやすかい」
「何度も言うけど旦那じゃない」
「何度も言わねぇでくだせぇよ」
「何度も言わせないでくれる?」
「――――」
「兄貴ぃ~……」
口元をひくつかせるブルーに、ピンクは不安げな面持ちで耳打ちした。
「オイラ、こんな人間初めてでやんす。なんか、トゲトゲしてないっスか?」
「…ああ。こりゃー友達いない人種に違いねぇ……」
「お前らドブネズミにはいるわけ」
紹介してよ。
皐月は時おり、別人のように声色や顔つきが変わる。
二匹はびし…っ!! と身を引きしめて、首を横に振りまくった。
片目を細めたが、「……。まあいいや」とげんなりして、皐月はまた元の寝ぼけ面に戻った。
「例の “都” ってのには、あとどれくらいかかる?」
「そ…そおっスねぇ~、あと一時間くらいはー…」
「ハ? 一時間も?」
「華瓊楽はとてつもなく広いんでやんす。同じ領土の中でも、言語や文化が違っちゃうくらいなんスから」
何故か自分のことのように誇らしげなピンクに、皐月は「ふーん」と、まるで興味のない相槌をうっている。出会って間もない異色のネズミ相手に、それは奇妙なほど打ち解けた会話であった。
「………――――」
ブルーは眉間に刻んでいるシワを深めた。
美味い飯をおごってやる。そう言ったら、ひょひょいと付いてきやがった。人間ってのはこうも単純だったか? すぐには現実に――元いた世界に帰れないことを告げると、それが拍車をかけたのか、話は早々にまとまった。
(バカが。ここは夢ん中でも、お伽の国でもねぇ。異界国に迷い込んだ奴が、ただで生きて還れた試しはねぇのによ……)
自分たちのように、屑拾いから人身売買にまで手を出す連中が、華瓊楽にはうじゃうじゃいる。
険しい目で見つめられていることに、当の皐月はまったく気づく様子もなく、だらけきった顔をしていた。
「で――? この “華瓊楽” って国は、結局一体全体どうなってるわけ?」
「ど…、どうって言われてもぉ~……」
ピンクから、目顔で助け舟を求められたブルーは、一つ息をついて、思考を切りかえた。




