表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
払雲花伝〈ある花人たちの物語〉【塵積版】  作者: 讀翁久乃
◆ ―――――― 第三鐘 ◇ 障壁 ――――――
139/194

◍ 言いたくないことを言わせる意味


 確かに、ついこの間までは忘れていた。でも、実際はどうやったって、忘れられるわけがなかったのだ。





          ――――【 泥中の記憶 】―――― 



 皐月は言い終わらないうちに、ふらつきを堪えて立ち上がった。


「お…、おいっ! どこ行くんだよ!」


「……やっぱり、無理だと分かったから帰る」


「はあっ!?」


「その人は喧嘩したいのかもしれないけど…、俺はそんなんで……許すつもりないから」


「なに言って…」


「待て」



 ようやく化けの皮が剥がれそうな気配がしてきて、皐月はぴたりと足を止めた。


 妙な緊張感が張り詰めてゆくのを感じ、嘉壱は息をひそめていることにした。

 なんだ、この空気は。何かが不自然に思えた。たぶん、顔を伏せているのが、飛叉弥だからかもしれない。

 沈黙の間も、皐月は堂々と向きあう姿勢を示している。耳を塞ぎたがっている様子はない。あご先から滴る汗を手の甲で拭い、どちらかといえば……いや、明らかに望むところといった顔つきをしている。



「お前には、何がなんでも戦闘可能になってもらわねば困る」


「俺だって普通に暮らすために、この力を制御したい。でも、今の見たでしょ?」


 飛叉弥は一瞬黙ったが、低い声を絞り出した。


「無理とは……、言わせん」


「どうして? そもそもあんたに、そんなこと言う資格あるの?」


「いいか皐月…ッ‼」


 腕一本払っただけで衝撃波が放たれ、その先にあった山肌が、軽く崩落を起こした。


 嘉壱は青ざめた。おいおい…っ、裏庭を消滅させる気か。飛叉弥が本気で激昂する様など、見慣れない者からすれば恐ろし過ぎて足がすくむはずだが、息巻く彼とは対照的に、皐月がまとう雰囲気は、あくまでも涼しげ。



「お前は花人だッ! どんなに認めたくなくとも…っ、その定めからは逃れられないッ!」


  どんなに逃してやりたくとも――……、

  

  風が唸る。


「お前が俺を屈服させたいのは分かった。一度しか言わないから、よく聞けッ」


 お前は元来、特殊な紫眼を持つ花人。その異能が抑制されたり、眠っている状態が、夜隠月石セレンディバイドという奇石に例えられる今の黒眼なんだ。


「お前の体内には、ある呪物が封印されているッ」


 なぎの珠玉――。それを隠し持っている限り、お前はこの世界と運命共同体。

 お前がある日突然、虚弱体質となったわけ。夜隠月石セレンディバイドの瞳に変質したわけ。すべては死蛇九の陰謀によって倒された前世界樹に代わり、弱化してしまった南壽星みなみじゅせいざんの地力を復活させるため


「現世界樹――なぎの木と同調する珠玉を体内に宿し、養い手になったせいだ。……その」

 

 飛叉弥は、おもむろに腕をあげて示す。


「胸元に生じる波紋――、今は目に見えないが……」


 悪意ある者の手が伸びれば、封印として発動する。そう。


「珠玉を……、お前の命を狙っているあの黒尽くめの輩。じきにまた、何らかの仕掛けと、それに似合った演出を用意してくるはず」


 最高の舞台と展開に仕立てるために、最高の演者を選び抜いて。だから、


「――………」


  飛叉弥はやはり逡巡を見せた。


  対する皐月は、ゆっくりと右手を上げる。

  



 *――だから…、……が……お前だけは……っ――……









   ヒン…っ、――




 剣がたわんだような音をあげ、何かが自分の頬をかすめていった。

 

(な…っ)


 一泊置いて、嘉壱は目を剥いた。


「何やってんだ皐月…ッ‼」


 叫けんだが、当の彼には聞こえていないようだ。いや、わざと無視されている。


 飛叉弥がもろに雷電交じりの疾風を食らったが、気にしていられない。嘉壱は抜刀して、身構えなければならない気がした。

 皐月の両肩から立ちのぼる陽炎が不気味すぎる。雲間から差してきた日差しに、一層の輝きを増して躍り上がる。


 刹那――、嘉壱はザっと血の気が引く音を聞いた。漂い、浮き上がった前髪の下から現われた黒眼に、七色の光彩がちらついて見えて――



雷追ライツイ風削カルカソ……詠唱もなしにぶっ放すとは……、今のも暴発か?」


 停滞する砂埃の中から、飛叉弥がゆらりと立ち上がった。


「飛叉弥……?」


 軽く焦げた着物の右袖をはたきながら、面白そうに(わら)っている。

 どうしちまったんだよ、二人とも…っ。不安にかられる嘉壱に、悪夢はなおも続く。


 ふっ、と。飛叉弥の斜め上にさした影。気づけば、そこに皐月の姿が瞬間移動していた。

 ただの回し蹴りが、砂埃を切り裂く。速い――ッ。そう嘉壱が感じている間に、皐月は蹴りを食らわすと見せて寸止め、かがんで逆回転し、飛叉弥の足を払った。

 転倒しかけても手を付いて上手く飛び退いた飛叉弥だが、その瞬間には懐に踏み込まれており、歯噛みすることになって、やむなく詠唱を放った。


「対径疾ッ、飛刀葉! 回成フイソン…ッ!」


 風の大波にかき集められた木々の葉が、間に滑り込むよう押し寄せる。

  

「ぅわ…っ!」


ラン――ッ!」


 大量の木の葉の氾濫に巻き込まれ、声を上げたのは嘉壱だ。咄嗟に両腕を前にかざし、顔をかばった。

 薄っすらと目を開ければ、そこでは今も、信じられない戦闘が繰り広げられている。



「散れ――」


 飛叉弥が放った技が、その寒々しい一言で分解された。


 神言葉みことばでもないのに、風霊カザミが皐月の意思に従っている。さっきまで暴走させていたのに。

 嘘だろ――? 嘉壱が圧倒されている間に、豁然かつぜんと刃の音がしてもおかしくない旋風のような攻防が繰り広げられ、ついに二人は互いの胸ぐらを捕らえた。



 皐月は腕をギリギリといわせながら、尊大に鼻で笑った。


「俺がいつ逃げたって――? 現実を受け入れられずに、逃げてきたのはそっちだろ…ッ」


 華瓊楽国の元祖救世主殿が聞いて呆れる。大見栄きって勝手に突き放したくせに、勝手にまたすがってきて。図々しいことに言うべきことも言わず、認めることすらも未だに…


「ああそうだッ、俺の考えが甘かったんだっッ!! そんなこと…っ、お前を引き戻すと決めた時点で、嫌というほど思い知らされてる――ッ!!」


 お前があくまでも無関係だと言い張ってきたのは、そう主張されては困る今の俺を、極限まで追い詰めるためだろうッ。事ここに至っても、関わらせたくないと思ってるのが本音だからなッ。悪足掻きしてきた俺に、こうして…っ、もう不可能なんだと、自ら終止符を打たせる算段で――ッ。


 だが、生憎、お前の方が前向きだと認めることだけはない。花人として自ら戦場に赴くようになろうと、真の意味で、お前に闘う気がない以上、


「死に急いでるようにしか見えない限り…ッ! この俺が…っ、本気で頼りにすると思うのか…ッ!?」


「それはただ、俺のことが信じられないってだけだッ。関与させないわけにいかないことをその口でぶちまけても、まだ諦めがつかないのかッ? 自分の処遇でもないのに…ッ」


「ハっ。そっちこそ、俺のことなんてもう信じられないと顔に書いてあるぞ。やれるもんなら、殺してくれたって構わないと言っただろう。死神がッ、聞いて呆れるのはこっちだッ。逃げてるのはお前でッ‼」


「お前のせいだろうが…っッ‼」




 ぐありと牙を剥いた皐月と飛叉弥の会話は本人たちにしか理解できず、傍目には狼が噛みつき合っているようにしか見えない。


 皐月は鉄壁の扉をぶち破るよう、拳を叩きつけて突き放そうとするが、つかまれている腕が振り解ききれず、荒々しく舌打ちした。


 肩を上下させて喘ぐその口からは、しきりに白い息が零れている。それが徐々に、鈍い音を漏らすようなってきたことに、嘉壱は気づいた。一晩寝ただけで、治るわけねぇだろうが……っ。


 皐月は咳が出はじめて顔を背けた。一旦、気を静めよう。「放せ」と訴えたが、むしろ引き寄せられて、足がもつれた。


 ぶつかった。痛いだろうが、クソ――……。相手をよく見ようとすればするほど焦点がずれる。ゆっくりと降りてくる(とばり)の隅で、最後に見たのはあの時と同じ。いや――

 



 *――…っ、…ま…ん……

 


 足元に、一筋の雫が落ちていった。

 完全な静けさが訪れたそこに、雨粒が一つ。また一つ。さらに二つ。雨音を弾きだした大地が、あっという間に白くけぶる。


 にわか雨だ。





 飛叉弥は腕をつかんだ少年を片手にぶら下げたまま、冷徹な顔をしていた。

 濡れた絹糸の白髪が、鼻筋を流れている。


 皐月は頭から墨を被ったように、黒髪から雫を垂らしている。

 その口元からは、相変わらず白い息がこぼれては消え、こぼれては消え――……。

 






「……嘉壱、手を貸してくれないか」


 どれくらいそうしていただろう。薄い苦笑がまじった声に、びくっと反応した嘉壱は慌てて走り寄った。

 だらりと四肢が垂れて揺れ、皐月の身体が担ぎ上げられた時、嘉壱はふと、切れの良い羽音を聞いた。


「飛叉弥……」


 飛叉弥は踏み出しかけた足を止めた。

 見ると、頭上で白い蝶がくるくると舞っている。


「燦寿様からの密虫だ」


「……ああ。すぐに行くと伝えてくれ」


 言いながら歩きだしたが、泥水の中を行く足取りは、さすがに軽いわけがなかった。




評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ