◍ トラウマを克服せよ
纏霊術――。
神代の神言葉で “降臨の柱” とも言う通り、それは本来、戦う術ではなく、神威を纏う標柱となることを意味する。
当代の各世界には “国巫” を置く国がある。
巫覡は “神子” とも呼ばれ、神典という神の辞書を熟知し、誕生から鎮魂までの儀式等、扱いを協議したり、対処を司る。
華瓊楽でいえば神堂司らの首位だ。萼の場合は―――、……よく分からない。
史官、兼、神官の常葉臣たちを率いる存在として、花神子がそれに当たるかもしれないが、確かなことは、嘉壱のような一介の花人の知るところではなかった。
ろくに学びもせずに一つだけ、あの国が “神孫” に由来している確信部分を挙げるとすれば、やはり花人に受け継がれてきた血肉であろう。
そもそもが鬼神だとして、なぜ、他の降臨柱を霞ませるほどに美味いか――それを探り、確かめ、利用しようとする連中は昔から尽きない。国巫たち神官も、神代から四千年が経とうという当代だからこそ、それぞれの様々な理由で、花人の血肉に関心を寄せている一派と聞く。
――――【 過ぎたるは及ばざるが如し 】――――
長い黒髪が火柱のように躍り上がっている。
白い花びらが、すさまじい旋毛風に巻き上げられ、周囲の木々も吸い寄せられそうなほど靡いていた。
「……っ、…」
ただ、見守っているだけだというのに……。嘉壱は思わず胃の辺りを押さえ込む。
「大丈夫か?」
「ああ。なんとか。それにしてもあいつ……、猫かぶりにもほどがあるだろ。あれ、化け物じゃねぇかよ、もう」
青緑の鬼女のような風霊が大量発生し、残忍な笑い声を上げて飛び交っている。
飛叉弥は傍らで平然と返した。
「萼には “神威拝” という行事がある」
「しんいはい――?」
聞いたことがない。嘉壱は自分が途中から夜覇王樹壺入りした元葎で、華冑出身ではないからかと思った。しかし、知らなくて当然だ。
飛叉弥がその行事をはじめて体験したのは、ある “鎮樹王将” の即位式の場だった。恒例行事として、年に一度、各城の城主たちによって行われることがあったものの、現在の萼において、花神と同じ権威を誇れるのは元首の “花神子” のみ。ゆえに、公に向けて行う場合は “神威拝” とは呼ばず “拝殿降” と言い表されている。
しかし、一番記憶に新しく、脳裏に焼き付いている夜覇王樹壺の内奥で行われたそれは、まぎれもない “神威拝” と呼べるものだった――。
飛叉弥は、あえてそこまで語ることは避け、自分の頭の中だけで当時を振り返った。
我先にと見物したがる奴もいれば、間近で見たくとも、距離を取らざるを得ない者もいた。
大神殿の階から、一歩一歩、踏みしめるように下りてくる神具をまとった “そいつ” から、まさに神代の生き残りを思わせる “踏音” が放たれていたからだ。
「たとえるなら、光背のようなものだろうな。自分の力を知らしめ、腹に一物抱えている連中の恐れという感情を呼び覚まし、正気に返らせる。おおよそが否応なく跪かされるが、上質な霊力のおこぼれに預かれることから、ありがたいとされる行事さ」
「今、目の当たりにしているのが、その行事に相当するものだってんなら冗談じゃねぇ……」
一応精鋭の花人である嘉壱に “化け物” と言わしめる少年―――皐月はしかし、肩で息をしていた。
さきほどから収束させようとしているが、釣り針に大物が掛かり、どこまでも糸を引き出されてしまうように、霊力の放出が止まらない。
「止まれ……」
止まらない。
「止まれ…ッ!!」
「やはり霊応の絞りが甘いようだな」
「皐月ッ!」
冷静に分析している飛叉弥に対し、咄嗟に駆け寄ろうとした嘉壱だが、腕で顔をかばわなければならないほどの爆風に阻まれた。土ぼこりの中を、バチバチと紫の火花が駆け抜ける。
「おわわっ! ななな…っ、なんだこりゃ!?」
伝い上がってきたそれに、じたばたと足踏みする嘉壱の向こう―――、力ずくで、なんとか風霊を消し飛ばしたはいいが、皐月の姿は砂塵に呑まれた。
飛叉弥は眉をひそめ、険しいものを滲ませた。
立ちすくんでいる様子のシルエットが徐々にはっきりしてきて、ふと切れ間にのぞいた皐月は、必要以上に激しく肩を上下させていた。
のろのろと持ち上げた右手は紙のように白く、情けなく震えている。
「……お…、おい」
足元を転がる紫電を気にしながら、嘉壱も恐る恐る声をかけた。コントロールが下手くそには違いないが、それにも何か、理由があるように見えてきて―――。
皐月は半ば信じられないのか、休憩も挟まず、三度試そうとする。
「もうちょっと……、離れ…てくれない? そしたら次は…」
なんとか――……。
ふと、膝から力が抜ける。界口に吸い込まれるような浮遊感に襲われた。
前髪がなびく様までスローモーション。まずい。焦りに反して動かない四肢。
遠のく意識の隅で、ドサッと何かが地面に落ちる音を聞いた。
瞬きを一つ―――。
気が付くと、嘉壱の右腕が胸の前に渡されていた。
「ほら……」
嘉壱は引っ張り起こした懐の皐月から、肩越しに飛叉弥へと視線を送った。
「……もういいだろ、今日は」
こんな状態で術を使いこなそうとしても、大した成果は期待できない。いい加減にしようぜ。こっちが切羽詰っているのは事実だ。でも、一息には行かない。
「飛叉弥……、お前が俺たちに言ったんだろ? 台閣にもそう伝えてさ、少し休ませたほうがいいって絶対。昨日より、ひどくなってる」
「早急に克服しなければ、困るのはこいつだ」
「そうだろうけどッ」
嘉壱は思わず声を荒げた。そしてすぐに舌打ちした。……もうここまで乗り出しちまったんだ。最後まで言ったとして、結果に大差はないだろう。
飛叉弥の考えてることが読めない。聞き出したところで、納得がいくものかどうかも今は疑問だ。こんなの、ただ無理させてるだけで、本当に身に付くやり方とは思えねぇ。
なおも立ち上がろうとしている皐月に気づいて、嘉壱はすかさず怒鳴りつける。
「止めろッ! お前も、なにムキになってんだよッ!」
上から力を加えられ、強引に抱きすくめれた。
皐月は自分が紡ぐ吐息の音と、何やら飛叉弥に言い募る嘉壱の声とを、黙って聞かされ続ける。
「ひとを修行に付き合わせるのはいいが、一体いつになったらまともになるのやら。俺を殺すかもしれないとかほざいてた割に、腰が引けてるのはどういうわけだ? 変化も自在にできないんじゃ、武装するのにも手間取る。ただでさえ、時間が惜しいってのに…」
「飛叉弥ッ!」
今そんな挑発をしてなんになる。さすがの嘉壱も本気で怒鳴った。
皐月はぐっと拳をにぎりしめ、蘇ってきたいつかの記憶と感情を必死に抑え込む。
*――お前にだけは、頼りたくなかった。だが…っ……
「…………ふざけるなよ」
泥沼のような心の底から、どうしようもなく熱いものが沸き立ってきた。
我慢の限界が近い。
「俺が…、本当に覚えてないと思ってるのか……っ…?」




