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払雲花伝〈ある花人たちの物語〉【塵積版】  作者: 讀翁久乃
◆ ―――――― 第三鐘 ◇ 障壁 ――――――
137/194

◍ 夢の中の水底と “皐月” ではない誰か



         ――――【 九月 二十八日 】――――

                猶予七時間



 麓の寺院で、一日のはじまりを知らせる鐘が鳴らされた。

 目が覚めると、そこは当にもぬけの殻だった。飛叉弥に言われたとおり、あの後、自分の部屋に皐月の寝床を確保してやった嘉壱は、よく眠れなかった。何故って



 *――ああああぁぁぁっっっッ…!!



 出しっぱなしだったエロ本を、見られる前に外に放り投げたら、勢い余って池ポチャしてしまった。それがショックだったから、ではなく……。


 よく考えてみれば自分は、多少の明かりがないと眠れない性質だったのだ。

 なんとなく顔を合わせるのも気まずかったし、襖が間仕切り代わりにちょうどいいと思い、押入れの中で寝ることにしてまったのだが、そもそも嘉壱がこの部屋を自室に選んだ理由は、すぐそこが水辺だったからで――……。




     |

     |

     :

     *




 仕方なく、襖にそっと手をかけ、隙間を作った。

 白銀の輝きを寄せる水面が目に入った。


 各臥室は部屋と言っても十畳一間ほどの一軒家。ただし、皐月のねぐらになるかもしれない祠堂は、財五大仙を信仰している商家でいう “仙家楼” に当たる。


 萌神荘の前園主の財力は相当のものだった。建てた仙家楼も通常より大きく、各界国の骨董品や神像などが一まとめにされており、ちょっとした城隍神廟じょうこうしんびょうと化していたはず。

 珍妙な異国由来の品の吹き溜まりで、半ば物置とはいえ、確かにこいつにはお似合いかもしれなかった。


 

 天井で踊る水の影の下、皐月はよく眠っている。

 その呼吸が静か過ぎるせいか、いつの間にか妙な光景に見えていた。まるで、水底に横たわっているかのような


「っ…?」


 嘉壱は目を瞠った。気が付くと、本当に水中を漂っていた。

 驚きのあまり呆然とし、体は固まってしまったが、自分の金色の髪が、海草のように揺らいでいるのが分かった。


 何が起こった――?

 夢か現か、答えは皐月にあるとしか思えなかった。

 相変わらず指先すらピクリともしないが、彼も水中にいて、白い砂礫(されき)の上に横たわり、黒髪を揺蕩わせている。


 周囲には黒く光る石が四散していた。

 螺鈿の遊色を放つ黒い石――黒曜石ではない。

 黒瑪瑙くろめのう? ……いや、まさか



(あれが “夜隠月石セレンディバイド” ……?)



 

 一見黒眼に見える皐月だが、この奇石に例えられる歴とした七彩目の持ち主だと飛叉弥が言っていた。

 

 嘉壱は、ハッと息を吸った。

 なんだ、今のは。

 ほんの一瞬だったが、まったく別の光景に視界を潰されて現実に返った。


 (誰だ……?)飛び跳ねそうになった心臓を押さえて、最後に見たものを冷静に振り返ってみる。

 人の顔だった。口元を黒布で覆ったからすのような様相の青年の顔。黒い面紗と長い黒髪が火の粉をはらんで靡き、彼の恐ろしく冷たい瞳が覗いた。


 研ぎ澄まされた、切っ先のような――


 あらためて皐月を見てみたが、それっきり自分の五感に訴えかけてくるものはない。

 嘉壱は静かに眠っているその様子に反して、一抹の不安を覚えた。

 青年の瞳は、夜隠月石セレンディバイド――ではなく……



 それを上回る七色の光彩を宿した、驚異的な “紫眼” だった―――。




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     |

     :

     *





 飛叉弥よりも複雑な、暁天の、色――……。

 嘉壱は金色の朝日から目をそらし、思考を整理しようと金髪を掻き揚げる。


「おはよ」


「っ? あ、…ああ。なんだ、どこ行ってたんだ?」


 振り返ったそこに立っていた皐月に、嘉壱は慌てて姿勢を正した。

 取り繕うようなこの反応を皐月が怪しまないはずはないが、今日はいつにもましてポーカーフェイスだ。じーっと音がしそうなほど、ただ見降ろされているだけ……。



「修行、どうすんの?」


「あ?」


「やるの、やらないの。今日も暇なんだけど、俺。帰っていい?」


「それはダメに決まってんだろッ。やる気があるなら、そこの机と筆記用具持ってこいッ。んで、ここ座れッ」


 ほら、これが参考になる。

 嘉壱が引っ張り出したのは、数日前、飛叉弥と勇から貸してもらった教材資料だ。名うての老将が書き残した秘伝書のようなものから、武器・術の改良研究機関で編纂された、夜覇王樹壺セレンディアの見習い兵士向けのものまで実に様々。正直、感覚派の嘉壱自身は、こうした理論を説く書物に一度も頼ったことがないのだが、読んでやるくらいはお安い御用。

 

「えー……、凍縛とうばくは~……、三枝六角の纏霊陣てんれいじん地突マイナス


天突プラス


「十字基軸だから、中心点から~…」


「違う」


 痛いッ。別の教本の背表紙が脳天に振り落とされた。顔を跳ね上げた嘉壱は歯を剥く。


「なんでお前が鬼教官面して俺の頭ぶっ叩くんだよっっッ」

 

「違う。俺にやる気があるのは外での修業。死んでもいい覚悟で付き合ってよ」


「ヤダよッっ」


「屋内修行ヤダ。有り得ない」


「ヤダじゃねぇよッ。ああ~~ッもおっ! どうしてじっとしてらんねぇんだ風邪っぴきッ! 言っとくけど、今日は散歩にも行かせねぇからなっッ!」


「もう行ってきたんだけど」


「出たバカ野郎がッ」


 嘉壱はこの会話だけで疲れた。教本を打ち捨てて、胡坐していた足を投げ出した。


「どういう風の吹き回しか知らねぇけど……、無理したって怪我するだけだぜ? 俺たちの造現力は、甚大な自然災害まで引き起こすんだからな」


 お前だってもう、否定する気ねぇだろ。前回起こった九天九地の引き合いに相当するレベルの超常現象は、神代の生き残りと言われるような神孫の次元でしか成立しない。頭の出来がいいほうじゃない俺でも、それくらいは分かる。養母の菊島家当主が、まさに生き残りと評される純血の持ち主だからだ。

 しかし、うてなの根幹にある彼女のような華冑かちゅう王家の血筋であっても、飛叉弥のような万将であっても、一世界の基盤まで揺るがせるかどうかは甚だ疑問である。



「……正直、お前みたいな得体も底も知れない奴に付き合ってたら、マジで命がいくつあっても足りねぇよ」


「分かってる。だからこそ、俺も何とかしたいと前から思ってたんだ」


「え……?」


 嘉壱は今気づいた。未だ頑なに同族なかまだと認めない皐月が、連行されれば、なんだかんだ言いながらも素直に従ってきた理由……。まぁ、色々と謎めいたこいつのことだから、一つだけとは限らないが、そういうことか――。


 嘉壱の視線を肯定するように、皐月は我ながら危惧しているのだと腕を組んで、声色を低くした。


「今のままじゃ、いつか他人を傷つけるだけじゃ済まなくなる……」


 摩天では頼れる者がなく、暴走すれば制御できないながらも自力で止めるしかない。現時点でその方法は、意識が無くなるまで霊力を意図的に消耗する以外ないんだ。血肉に含まれているものだから、この前みたいに、わざと傷口作って垂れ流すのが手っ取り早い。


「それこそ、いくつ命があっても足りないだろ。まぁ、なんの罪もない他人の命を危険にさらすよりはマシだろうけど…」


「おい」


 と、来るのは分かっていた。にらみ上げてきた嘉壱を見下ろす格好のまま、皐月はツラに似合わぬバカ真面目なその青眼をしばらく観察してみた。

 だが、今日はこんなところでつまずいているつもりはない。どうしたものかと鼻から息をつき、片腕をほどいて、襟足をカリカリと掻く。


「……そう怖い顔されても仕方ない。前にも似たような忠告したと思うけど――」



 ()()()()()()()()()()()、その判断は当然の如く決まり切っているようで、いざとなると、()()()()()()()()ところがある。



「もう少し冷めた目で、ものを見れるようになったほうが身のためだよ――?」



「――……」


 

 まただ。嘉壱は耳障りな羽音を聞いた気がした。だが、当の皐月は平然としている。こいつのこういうところが癇に障る。

 ある意味、 “生粋の花人” と言えるかもしれない。もし、本当の身内なかまに対しても、感情を差し挟まない機械的な判断を求められたら、自分はこいつを見損なうかも――……。



「一体、誰の話をしてるんだ――? お前ら」


「飛叉弥」


 嘉壱はいつの間にか部屋に上がり込んできていたその姿を見て、助け舟を得たようにほっとした。

 皐月は逆だ。舌打ち気味に言う。


「別に、あんたには関係ない」


「関係ないとしても興味深い話に聞こえたな」


「鬼畜って罵られてるどこかの誰かさんにとっては、今更、盗み聞きするほど、ためになる話でもなかったはずだけど?」


「俺が盗み聞きしてると気づきていながら、あからさまに聞かせてくれたのはどこの誰だろうな」


「気づいてなかった」


「いや絶対気づいてた」



 まただ。自分の部屋なのに、これほど居心地悪く感じたことはない……。

 嘉壱は、対峙たいじする峻峰のような二人に挟まれている異様な圧迫感に耐えかね、顔を伏せた。今にも雷鳴を轟かせそうな暗雲が垂れこめ、竜虎相打つかのような雰囲気だ。勘弁してくれ……。


 少しは勉強したらしく、黙っている嘉壱を尻目に、飛叉弥は飄々と続ける。


「霊応を制御できるようになるなら、努力はもちろん、寝る間も惜しまないわけか? しかも? 周りの人間を傷つけないために――? 殊勝な心掛けだな」


「自滅しないためだ。俺に与えられてる、この世で唯一の居場所は摩天だけ――なんでしょ?」


 ここの連中ですら危険物扱いすると分かった以上、自分のことは自分で何とかするしかないわけだけど。


「なんだったら、あんたが付き合ってくれる――?」


 皐月は四ヶ月前と同じ、試すような下卑た笑みを浮かべた。

 飛叉弥は真顔で一考した。


「……ちょうどいい。お前に話さなきゃならないことがあるんだ。付き合ってやるから、そっちも付き合え」


「いいけど、下手したら殺しちゃうかもしれないよ……? 全部聞き終わる前に」



 飛叉弥は数泊置いて、返した。




「かまわない。お前にその気があるなら……」






          殺せるものなら、殺してみろ―――。







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