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払雲花伝〈ある花人たちの物語〉【塵積版】  作者: 讀翁久乃
◆ ―――――― 第三鐘 ◇ 障壁 ――――――
135/194

◍ 食べてすぐに寝てはならない


 今日はなんだか、やたらと刺激の多い一日だった。

 ため息をついても体が軽くならない。


 そういえば、初めて摩天の青空をまじまじと見た時も、こんな心地だった気がする。

 何を失ったのか、何をして生きていたのかすら忘れておきながら、魂を置き去りにしてきたような感覚だけは、しつこく残り続けた。

 それは、いざ “もう一人の自分” と再会が叶っても、あまり変わらなかった。

 気力が取り戻せないと言うより、想像されたこれまでと、これからのことが過酷すぎて――……。


 ただ、途方もなく感じることしか、できなかったのだと思う――。

  



     |

     |

     :

     *



 

 青い背景。

 時おり白く遮られる視界。

 そして、どこか遠く思える薄紅色の雲霞……。


 その狭間から歩み出てきた “そいつ” に、七年前の自分は目をみはった。

 喉の奥で、入り乱れる感情が絡まった。

 深い闇に沈んでいた記憶が、泥を舞い上げて次々とあらわになって。


 混乱した。



 *――……り……




「なに……?」




 いや違う。本当は “なんで” と。




*――……だから、……て…っ……



 は――?

 そいつの指の間から、零れ落ちる七色の光を見つめ、なんで今更と舌打ちしてやりたくなった。





 *――これをお前に……




   *――これは、お前の……っ。――……





 ああ、分かった。もういい止めてくれ。情けない声を出すな。

 分かってる。大丈夫、俺がなんとかする。

 


 ただ頼りなく震えているその肩に、瞑目してため息をついた。

 いや、自分じゃない。記憶とともに、再び体が沈んでいくのを感じていた “自分の中の誰か” が呟いた。



 分かってる――……。






 《 ……い、……てるのか!? 》






 分かってるよ。だから――……




     |

     |

     :

     *



 

 皐月はふわふわした感覚から目覚めた。

 気づいた時、そこにあったはずの料理はなく、一瞬自分が夢でも見ていたのかと錯覚した。

 現実との境を意識しながら、ノロノロと再び目を閉じる。

 鼓膜の内奥で水がたわむ音がしている。


 なんだろう。ひどく眠い……。


   《 ろ…… 》


 うるさいな。今度は誰だよ。俺は眠たいんだ。



 《 目を開けろ―― 》



 心臓を鷲掴みにされたような戦慄が走った。ハッと瞼を開いたが、真っ暗闇の中にいる。途端に息が上がってくる。暗闇の底から、這い寄ってくる沢山の手が、ざわざわとうごめいているのが見えてきた。

 

 この体をつかみ寄せようと競い合っている。



     |

     |

     |

 



「――…っ」


 微かに、身じろぎをしたような気配を感じて、柴は肩越しに居間を見た。

 先刻の騒ぎが嘘のようだ。きっと、にぎやか過ぎたせいだろう。いつもは普通の静寂がやけに耳につく。


 おい、聞いてるのか、起きろ――と、再三声をかけたが「分かってる」の一点張り。それでも少しの間様子を見ていたが、結局皐月が起きだす気配はない。

 他の奴らは、食事が済めば用はないとでも言うように、例の如く、それぞれの自室へと引き上げていった。

 去り際、啓が睨みつけていったその背中は、飯台にもたれかかってぐったりとしていた。


「無理もない……か」


 あれだけの子どもを相手にすれば、誰だって最後はついて行けなくなる。

 あきれ混じりに呟いて、柴は土間から井戸のある中庭に出た。


     |

     |


 一見、転寝(うたたね)をしているように見える皐月だが、うなされている理由は柴の想像と少し違った。

 確かに疲れたせいもあるが、眠気とは違う感覚が、いよいよ増してきていることを自覚していた。


 まずい。息苦しい――。


 また別の夢がはじまる。

 水面の向こうに、つと、人影のようなものが歪んで見えた。

 刹那、それまで視界の四隅を暗く濁していた靄が、眩いばゆい光に掻き消された。

 梅雨時のにおいを含んだ風に吹きあげられて、妙に清々しく感じた。だが、すべては願望が生みだした幻覚。久しぶりに見た気がする空は、透き通るような青から段々と色褪せ、ついには鉛色の雪雲に埋め尽くされた。


 寒い――……。


 痛い。冷たい。泣きたい。帰りたい………。

 訴えると、柔らかなものがこの身を抱きこんだ。



 *――よしよし。かわいそうに。

    もう大丈夫。ほれ、これで寒くないだろう?



「――……いよ」


 皐月は頭の中で響く老父の声に、思わずいら立ちを口にした。


 寒いものは寒い。いや―――、熱いかもしれない。

 



     |

     |

     |




「おーい、出だぞ風呂ぉ~。次、誰入るー………って、あら?」

 

 手ぬぐいで荒々しく髪をふきながら、居間に戻ってきた嘉壱は静止した。

 単純に、明りがついていたから来てみたのだが、残っていたのは、先刻と少しも変わらない体位で眠りこけている皐月だけである。


「……ったく。しょうがねぇー奴だなぁ」


 河原の土手で寝られるよりはマシだが、どうも放っておく気にはなれない。

 嘉壱はため息をついた。


「おい、起きろよ皐月。何そんなところで寝てんだ。眠いなら布団に行け、布団に」


「…………――ねぇ、嘉壱」


「ぁア?」


 土間の炊事場に向かながら考える。……さて。布団に行けとは言ったものの、コイツをどこに寝せればいいのやら。

 実をいうと、この屋敷はそれぞれの臥室が渡り廊下で連結され、集合体のようになっているだけで、敷地は広いが部屋数は限られているのである。

 だが、いい加減 “同居” を可能にしなければならないことは、ほかのメンバーも分かっているはず。

 問題は、肝心の皐月が寝泊まりする条件として、「適度に狭くて明るくて暗い部屋」を要求してきたこと。…………ほぼあり得ない。

 夕食後、その第一候補として骨董品の物置と化している祀堂を見に行った飛叉弥は、まだ戻ってきた様子がなかった。

 果たして本当に、使える状態にあるのか――?

 


「……ねぇ、嘉壱」


 くぐもった声だった。


「なんか――………、寒くない?」


 水を口にしていた嘉壱は、眉を寄せて振りかえった。


「寒い――?」


「変なところで転寝なんかしているからだろ」


 嘉壱は軽く驚いた。振り返ったそこには、眉を吊り上げた柴が立っていた。

 柴は後片付けの手際も良いため、いつもだったらこんな時間まで長居しない。


「漬物の仕込みが終わったから、俺ももう部屋に引き上げるぞッ?」


「あ、や、……し、柴ちゃんっ?」


 同じ語調を向けられた経験のある嘉壱は、慌ててとりなそうと間に入る。

 その時、気だるげな足音が聞こえてきた。


「あ~ぁ、ダメだダメだ。あのお堂、やっぱり少し整頓する必要が……って、何やってんだお前ら」


「何やってんだじゃねぇよ。なぁ、飛叉弥。なんかこいつ、いよいよ本格的に調子悪いみたいだぜ?」


 今、自分は風呂から上がったばかりだから、よく分からない。部屋には火鉢が置いてある。戸も閉め切っているし、そんなに寒くはないと思うのだが……。


 嘉壱が状況を説明している間も、皐月は死人のようにぴくりともしない。

 表情を曇らせ、飛叉弥はとりあえず歩み寄った。

 前髪を軽くよけて額に手の甲を当ててみると、確かにジワジワと嫌な熱が伝わってくる。


「……熱いな」 


「げっ…、マジかよ」


 二人のすぐ後ろで、柴は口を引き結んでいた。

 実は先日、皐月が逸人をつれて診療所を訪れてきた際、智津香に忠告されていた。皐月の体調管理について――。


 弟妹たちが資料をダメにしてしまった責任を取りたいと、自ら研鑽所の掃除を申し込んできた逸人を追い払い、彼女はしばらく黙って作業をしていたが、ふいにこう切り出した。



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