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払雲花伝〈ある花人たちの物語〉【塵積版】  作者: 讀翁久乃
◆ ―――――― 第三鐘 ◇ 障壁 ――――――
132/194

◍ 大鬼と酔いの夢から覚めた男


 

   *



 目を覚ましたはいいが、視界がぼやけていた。

 はっきり見えてきたはいいが、眩しさに眼球の奥を突かれ、思わず顔を背けつつ、男は上体を起こした。

 天井に穴の開いた岩室の中央に寝かされていた。

 半球体状の広い空間で、ごつごつとした壁に、苔やら草花が生えている。



 *――哀れ、哀れ……



 幼いころ祖母から聞かされた昔話。それを思い出した直後、途絶えた意識。

 一体、何が起こったのだったか――?


 ふと、人の気配を感じて真後ろに腰をひねり、男はそこにそびえ立っていた大男を見て愕然とした。


「…っ!!?」


 居てはならないところに居る状況を理解して、血の気が引いていく。声も出せない。恐怖で呼吸ができなくなってくる。

 大男はすり鉢のようなものを抱えており、食事準備中であったらしい。


「ナマエは」


「ぇっ…」


「お前のナマエを聞いてイル」


「ぐ…、顧元グーユェン……」


 顧元は震える顎先から冷や汗を垂らしながら答えた。


 大男の身の丈は自分の二倍以上。―――そうだ、木登りの途中、横枝に腰かけていたこいつの膝から下の足を見たのだった。

 太い枝を持つそのとてつもない巨木は、星が瞬く藍色の夜空に沢山の瑠璃の実をつけていた。

 あんな七宝樹が家路の途中にあるわけがなかったのに、自分はまんまとこの大男―――盤猛ばんもう鬼人族の狩りの罠に引っかかってしまった。


欽厖キンモウのゲンジュツ強い。地力ちりきアヤツル。 “オド” はもっと。()()()も強い」


「っ……お、……おど?」


 誰だ。誰のことだ。 “キンモウ” はこいつの名前だろうが、 “オド” は分からん。あと、 “カ()ラ” じゃなくて、たぶん “体” ……。


 顧元グーユェンは少し落ち着いてきた。欽厖の図体は単なる大男というより大鬼。その中でも矮躯な方だろう。お婆の昔話に出てきた盤猛鬼人族は山のように大きく、長寿な者は亀のような姿と聞かされた記憶がある。


 神代から四千年近くを経た当代で、巨大亀――動く大岩の様相は滅多にお目にかかれない。生き残っているとしても、結局人原(じんばら)に馴染めなかった盤猛鬼人は、人が踏み入れないような秘境に身を潜めているはずなのだ。


 欽厖キンモウはその点、石化が始まっているようには見受けられず、人間に近い様相である。

 ただ、気になるのは左顔面のひどい火傷の痕。火傷は、神代終焉と新世界創造を賭け、龍王率いる天兵側勢力の盾となり戦った盤猛鬼人の勲章であるはず。


 (青年形体の長寿もいるのか……?) とにかく、これを見て、顧元はお婆の昔話を思い出し、そして今、木から足を滑らせたことを思い出した。

 しかし、火傷さえなければ、恐ろしいのは図体だけかもしれない。欽厖の顔は西原系の神殿の彫像のように、彫の深い男前な印象だ。



「す……素敵な耳飾りですね~。斑瑪瑙まだらめのうとぉ……」


(ななな…ッ、なんの骨!?) 頬が引きつるのをこらえ、顧元グーユェンは愛想笑いをする。欽厖キンモウは無言。……いや、もう少しおだててみよう。こいつは幼子のような物言いで、少し阿呆っぽい。機嫌を取れば、隙をついて逃げ出せるかもしれない。


「かッ…、髪型もかっこいいなぁっ! 白神狼の毛皮みたいだ~!」


「白神狼キライ。むかし、尻、噛まれた」


 なにやってんだ白神狼バカ野郎。終わった。られる。

 のしのしと歩み寄って来られ、顧元はむしろの上から慌てて這い出す。


「ままっ、待て待てっッ! 間違えたよッ! 白神狼じゃなくて…っ! ええっ、そそッ、そうだ…っ!」


 “うてなの白い激昂” ―――。



 顧元グーユェンの頭に神仏かみほとけの如く思い浮かんだのは、よりによって、善とも悪とも言い難い疑惑の男だった。

 萼国夜叉きょうごくやしゃとも呼ばれる生粋の花人にして、華瓊楽カヌラの元祖救世主、蓮壬彪将飛叉弥はすみひゅうじょうひさや

 顧元は彼のことが好きでも嫌いでもない。大旱魃を華瓊楽にもたらした敵側に元同士がいると分かって、針の筵に座らせる連中もいるが、顧元はそういう気になれない。飛叉弥の意外な一面を知っているのだ。


 ある晩、ある酒場で、飛叉弥は人間に交じって飲んでいた。終始行儀が良く、姿勢も正しく、醜態をさらすことが無さそうな様子に、不思議な品格を感じたものだ。

 どこぞのボンボンが千鳥足で横暴な振る舞いをしていたため、比較してそう見えたのかもしれないが、鬼畜と罵られる割に、彼は大人しいと思う。

 顧元は積四ジースー街商圏で茶葉を売っている。高級茶葉を求めてくる客を相手にしてきたため、人を見る目には自信がある方だった。


 飛叉弥はいわゆる “穏健派の若枝” ――うてなの中枢を担ってきた軍閥出身の花人だというから、ちょっとやそっとで牙を剥くことはないのだろう。

 この窮地を切り抜ける餌にしても、許してくれる相手と信じたい――。


 顧元は意を決した。



彪将ひゅうじょうさんっていう花人を知ってるか!? 彼は八年前の砂漠化を退けてくれた華瓊楽の英雄だッ! き、君のその銀髪は彼に似てるよ…っ!」


「ヒュウジョー……?」


「ああ! 彪将飛叉弥っ! 会ってみれば分かるッ! 会ってみたくないか!? 見た目も性格も、すッっごく男前!!」


「おとこまえ……」



 *――男前だな



 欽厖キンモウの脳裏に、薄く笑った青年の口元と美声がよみがえった。

 男前とはなんだと聞いたら、良いおとこという意味だと教えてくれた。

 人間の世界には、陽徳と陰徳というものがある。

 例えば、ひとの手本として知らしめる善い行いが陽徳。

 人知れず積み重ねる善い行いが陰徳。



 *――人間にも鬼にも、神にもそれぞれの王がいる。

    お前は盤猛鬼人族の王を名乗るにふさわしいと見た



  龍王が拓いた人原じんばらを知れ――……。




「彪将……」


 欽厖の黄玉色の目が見開かれ、抑揚がなかった若い声にうねり上がるような力が籠った。


「彪将おおおおおおおーーーー…!!」


 持っている棍棒のような擂粉木すりこぎが、粉砕されそうなほど固く握り込められた。まさかの知り合いであったと思われる。

 顧元グーユェンは地雷を踏んだことを悟った。今度こそ終わった……。彪将飛叉弥、この欽厖とやらに何をしたか知らないが、あんたの名前を、正義と男前の代名詞のように使った俺がバカだった―――。



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